第14話 それぞれのセカイ

 

 「いよー!ルシフェル、元気にやってるー?」

 

 ひょっこりとホールに顔を出してきた天使にルシフェルは目線を向ける。

 彼の執務室は個室ではなく、ホールを見渡せる一角に備えてあるので来客時にすぐに対応できるのが利点でもあった。

 

 「……バアル」

 

 少々天使らしからぬ軽薄そうな金髪の男が城内に足を踏み入れてきた。

 ルシフェルと同じく天使の階級で、豊穣を司る天使・バアルだ。

 

 はるか昔の施設時代、周りがルシフェルの”闇”を遠巻きに見る中で、たったひとり、彼に絡んできた変わり者の天使。

 幼い時から要領ももよく、いつも他の天使達の中心にいるような男だったが、そんな中でもひと際ルシフェルに興味を持った常識外れの男だった。

 

 見た目通り、その身にまとう色も”金”という天使においてはエリートまっしぐらなはずの男だが、何かと理由をつけてはルシフェルに絡んできて、最終的には腐れ縁になってしまった。

 パサリと執務机に紙の束を置くと、バアルは行儀悪く机に寄りかかってくる。

 

 「ほい、これ。この前の議事録なー。どーよ、最愛いとしご様の守護者は」

 「…………どう、か。お前も中々に難しいことを聞くな」

 「えー?なになに?シュエル様ってそんな感じなの?」

 「どんな感じかは知らんが、話に聞いていた深窓の天使とは大きく齟齬が生じそうだな」

 「まじかー!なにそれ、めっちゃ面白そうじゃん。俺が守護役受ければよかった~」

 「お前が守護役に就いたら終わりだろうが。……また聖力マナが揺らいでる。も大概にしないといい加減バレるぞ」

 

 ルシフェルのその言葉にニッとバアルは笑みを深めた。

 遊びとはなんてことない、この天界の闇の部分。見放されし者ネトーシュの区画でののことをいう。

 

 (天使が清廉潔白とはよく言ったものだな)

 

 昔からバアルやつは天使にしては奔放な性質だった。様々なものにあくなき興味と探求心があったともいえる。

 それでいて人当たりもよく、見目もいいので、彼がネトーシュの区画に入り浸っているなんて普通は誰も思わないだろう。

 

 (まぁそのおかげでハサーシエンの情報も手に入ったのだが)

 

 「いやね、最近お気に入りの子がいんのよ~ルシフェルも久々に行かない?」

 「なんでだ。守護天使がここから離れられるわけないだろうが」

 「えー?まじかーつまんないなー」

 

 これが最上位天使たちの会話とは驚きである。


 なんとも俗っぽい話ではあるが、階級が上がれば上がるほど天界の闇に気付いてしまうのが上位天使達の現実だった。

 だからこそ、上位天使は数が少ない。

 

 「まぁいいや。俺の情報は役に立ったんでしょ?ハサーシエンちゃん。まさかシュエル様のついとは思わなかったけど」

 「……手を出したのか?」

 「え?勿論。あんな可愛い子を放っておけないでしょ」

 「さすがというか、なんというか。……どこかで本気にされても知らんぞ」

 「あはは~それは俺が本気にしない限り大丈夫!――……だってさ?」

 

 愉快そうに笑っていたバアルの瞳が猫の様に歪んで、どんよりとした闇が彼の青銀の瞳に宿った。

 

 「お互いに愛し合わない限り、”悪魔”は生まれない……だろ?」

 

 「…………」

 

 そうだな、と言外に返して、ルシフェルは投げ置かれた議事録に目をやる。

 

 ごく稀に生まれる使

 それは普通の天使とは違い、神の実ファー・エロヒムではなく”女の腹”から生まれる異端の存在だ。

 神から禁じられた欲に溺れ、禁じられた愛によって生まれた天使と天使の愛の結晶さいわい


 この天界ではソレらは、原罪の災い――悪魔――と呼ばれていた。

 

 

 

 

 

 ガシャンガシャンと遠くで何かが割れる音がする。

 まどろむ意識の中でハサーシエンは遠き日の、懐かしい夢を見ていた。

 

 『ね!いこう!』

 

 記憶の中の自分の対の天使は、とても活発でお転婆な少女だった気がする。

 

 キラキラと太陽の様に輝く黄金の髪と新緑を思わせる綺麗な瞳。

 お気に入りの青色の服を身につけた妹は太陽と大地と空の色彩でとても綺麗だった。

 

 姉の自分から見てもついの妹は愛らしく、可愛く、何よりも”黒”の自分にもとても懐いていて、本当に大好きだった。

 

 あの運命の名づけの日が来るまでは――

 

 『神の幸いシュエル?』

 

 施設中が騒めいたのを今でも覚えている。

 妹には創生神自ら名付けられたのだ。しかも神の幸いと。

 

 嫌な予感がした。

 確かに妹なら上位天使になるだろうとは思っていた。

 

 あの子の愛らしさなら……あの子の美しさなら……

 

 だが、現実はそれを上回った。

 

 『最愛いとしご様の誕生だ!嗚呼、讃えよ!神の祝福を!讃えよ!』

 

 大人の天使達が口々にそう言っているが、当の妹本人は困惑したように眉を下げていた。

 不安そうな顔できょろきょろ辺りを見回して、姉の私を見つけるとほっとした顔で走り寄ろうとする。

 

 だが、妹が二、三歩も進まないうちにあっという間に大人達に取り囲まれてしまった。

 

 『なりません!御身はもう神の最愛いとしご!”黒”に近づいてはなりません!』

 

 そう言われるなり妹は抱きかかえられどこかに連れ去られていく。

 

 『いや!いやだ!はなして!やだ!……おねぇちゃん!おねぇちゃん!』

 

 黄金の髪を振り乱して、新緑色の瞳に大粒の涙を浮かべて。

 大人達に抱きかかえられながらも、妹はその小さい手を必死に私に伸ばしていた。

 

 (連れて行かないで……!その子は私のついなの!私の妹なの!)

 

 しかしお互いに伸ばした小さな姉妹の手は、無情にも大人達に遮られ、届くことはない。

 次第に妹の泣き声も遠くなり、そしてぷつりと声は途絶えた。

 

 シンっと静まり返った室内。

 

 先ほどまでの騒ぎは嘘ではないかと思うほど静かな世界で、大人の天使達は冷たい視線を私に向けながら淡々と名前を言い渡してきた。

 

 名もなき者……ハサーシエン、と。


 


 「ハサーシエン!客だよ!」

 

 ぼんやりとした意識が覚醒する。

 


 (……あぁ、夢か)

 

 妹が辿った寵愛とは真逆のクソみたいな、まるで背徳の街ソドムとゴモラのようなこの世界。

 気が狂ったような笑い声や怒声、喧騒が日常のここで、今日もハサーシエンの一日が始まる。

 頭のおかしい天使達の、ありとあらゆる欲のはけ口にしかなりえない罪深き場所で。

 

 「……今行く」

 

 身にまとうのは最低限のぼろ布一枚。

 どうせはぎ取られて役に立たないのだからこれだけで十分だ。

 

 短く切りそろえられた黒髪に灰褐色の瞳、一般の天使達とは違う褐色の肌を持ってこの世に生れ落ちた”黒”のハサーシエンは、そんな世界で今日も人知れず息をして生きていた。




 

 

 その日は創生神が愛する娘の元に訪れていた。

 全知全能の神である彼の周囲は常に溢れんばかりの光で輝いており、上位天使でさえもその姿を見る事は困難な至高の存在だ。

 

 そんな彼は今、神の楽園エデンの東屋でシュエルの絹髪を慈しむように撫でている。

 

 「変わりはないかね?私の最愛いとしごよ」

 「……はい、お父様」

 「新しく門番に天使長が来ただろう?彼はどうだ?」

 「ルシフェルは……彼は、職務に忠実な、とても真面目な方です。私の生活の良き助けとなってくれています」

 

 創生神の膝に頭を預け、髪を撫でられるままにシュエルはそう淡々とした声で言った。

 

 もしもこの場にルシフェルがいて、シュエルのこの様子を見ていたのならば彼女の異常さに気が付いたであろう。

 

 彼が普段目にするような活発さなど、どこにもない。

 だが、これこそが今までの、ルシフェルに出会う前のシュエルの姿だった。

 

 愛娘のその言葉に創生神は満足げに頷く。

 

 「そうか、お前に不自由がないならそれで良い。そういえば最近は昔の様に寂しいと言わなくなったな」

 「……今は、お父様への愛を知っていますから」

 

 抑揚のないシュエルの言葉だったが、歓喜に震えたようにエデン中に光が舞った。

 

 「あぁなんと愛らしい娘だ。私はもう戻らねばならないが、今日もその父と愛する子らの為に祈ってくれるか」

 「えぇ勿論です、お父様」

 

 シュエルが体を起こすと、創生神は優しくその頬を撫でてから光の粒子となりエデンから飛び去って行った。

 

 「…………」

 

 誰もいなくなったエデンで、シュエルは感情が欠如した表情のまま、パサリと身にまとっていたドレスを脱ぐ。

 足元に落ちたドレスには目もむけず、一糸纏わぬその姿のままで花園を歩くと近くの小川に足を踏み入れた。

 

 さらさらと冷たい水が足をくすぐったが、そのまま北上するように水の中を歩いていき、小さな滝つぼまでたどり着くとそのまま一気に水中に体を沈める。

 

 (……つかれた)

 

 水の中はとても心地よかった。音も思考も何もかもが不透明になってゆらりゆらりと水中で舞う。


 長い間エデンで生きてきたが、創生神おとうさまと会話が成立するとはもう欠片さえシュエルは思っていなかった。

 彼はシュエルのことを心から愛しているけど、決してシュエル自身を見ているわけではないのだ。


 創生神は自分への信仰心を試すためにわざと困難に導く節がある。

 信仰を貫けるかを試すような残酷なことを平然と行うのだ。


 全てを奪い、全てを遮断し、それでもただひたすらに自分への愛を示せと。

 それがシュエルにとってのエデンというばしょだった。

 

 (祈らなきゃ……)

 

 シュエルが力なさげに指を組むとぼんやりと体が光に包まれて、それに呼応するように水が光り輝いていく。

 

 ここでシュエルが祈りを捧げると、水を通して最愛いとしごの加護が天界中に与えられるのだ。

 天界に生きとし生けるものは皆、動植物も含めてシュエルの加護によって生きているといっても過言ではなかった。

 

 そこにシュエルの心は存在しない。

 彼女は神の最愛いとしごなのだから。

 

 彼女がひとり生きるのも、彼女がひとりで祈るのも。

 これこそがシュエルのやくわり


 全てを諦めたようにシュエルは瞳を閉じて、世界の安寧を祈った。

 

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