第10話 襲撃

 

 「れ……っ」

 

 あまりにも力強く抱きしめられて朱里から戸惑った声が漏れる。

 

 朱里が知る零はいつも冷静で、口数が少なくて、表情も大して変わらないくせに変なところで朱里の情緒を乱してくる、そんなひとだ。

 

 (でも……ちょっと、零の様子が変?)

 

 朱里は宥めるように零の背を撫でた。

 一回りも大きい背中はとても頼もしいのに、今だけはちょっと愛らしくて、なんだか無性に胸がきゅんとする。

 

 (……ん?あれ?ちょっと待って。さっきの私の告白って……一体どうなったの?)

 

 そう思い起こせば、一番肝心な、明確な”好き”の返答は零から聞いていない気がした。

 このままだともやもやと落ち着かないので、朱里はごくりと意を決して零に呼びかける。

 

 「あの、零?……零さーん?」

 「……なんだ」

 

 「えとですね、あの……零も、私のこと……好き……でいいのよね?」

 

 言葉にしたら急に恥ずかしくなってきた。

 告白よりも何倍も恥ずかしい気がして全身がカッと熱くなる。


 (で、でも!私の勘違いだったらもっと恥ずかしい!)

 

 朱里と零の間に数秒の沈黙があって、ゆるりと抱きしめられた腕が緩む。

 どうしてやろうかと零がこめかみを押さえて特大の溜息をもらした。

 

 「零!ひどい!」

 「……酷いのはどっちだ」

 

 多分顔は真っ赤になっているが、負けじと朱里は零に嚙みついた。

 

 (こんなにも勇気を出して聞いたのに!)

 

 酷いと朱里に言った漆黒の双眸は小さく笑っている。

 なんて人だ。

 

 すっと零の手が朱里の頬に触れて、端正なその顔が目の前まで近づいた。

 

 「俺がお前以外に、こんなことすると思ったか?」

 「!?」

 

 (~~~!ひどいのは一体どっちよっ!)

 

 何という事だ。

 羞恥も裸足で飛んでいく恥ずかしさに朱里はこの男の破壊力を思い知る。

 気を抜いたら感情がシェイクされて色んなものをぶちまけてしまいそうだ。

 

 「で、で、でも……っ!」

 「好きだ」

 「~~~!」

 

 あぁもう駄目だった。もう無理だ、もう敵う気がしない。もう駄目だ。

 

 全方向で負けを認めた朱里は恥ずかしさのあまりぎゅっと縮こまった。

 よく分からないが、ちょっとでも自分の体積を減らさないと零の色香で死にそうなのだ。

 

 「聞こえなかったのならもう一度言うが」

 「い、いい!だいじょうぶ!ちゃんと聞こえた!聞こえました!」

 

 ぶんぶんと頭を振って全力でご辞退願う。

 これ以上言われたら自分はもう耐えられない。

 

 零みたいな余裕は今の自分にはありはしないのだ。

 

 「……っく」

 

 ついに耐えきれなくなったのか、零が吹き出す。

 押し殺すようにではあるが、あの零が本気で笑っていた。

 

 「……やっぱりひどい」

 

 全部零のせいなのに。

 髪の毛まで真っ赤に染まるんじゃないかというくらいに自分はドキドキしているというのに。

 

 笑いを抑えながらも零は謝ってきたが、当の朱里はまだ不満げな表情で口を尖らせた。

 

 「零が意地悪。後で音葉達に告げ口しちゃうんだから」

 「それは面倒……いや、ちょっと困るな」

 (面倒って言った。よし、絶対言ってやる)

 

 そう心に固く誓った朱里だったが、零の悪かったという一言と、朱里の髪にキスを落として宥めてくる仕草に強制的に体がフリーズしてしまう。

 

 その瞬間、朱里の感情はもうミキサーの中の材料みたいにかき回されてしまった。

 

 (~~~~!そういうとこなの――!)

 

 熟れた林檎のような頬のまま零を睨みつければ、当の零本人はとても穏やかな雰囲気で朱里を見つめており、その空気感に次第に朱里の怒りもほどけていく。

 

 自然と二人の目線が合い、ゆっくりと零の顔が近づいて朱里も静かに瞼を下ろした。

 唇が触れようとした、その時だった。

 

 コンコンコンと静寂を裂くようにドアノックが響く。

 

「!?」

 

 びくっと朱里の肩が震えて、思わず零から顔をそむけた。

 

「夜分申し訳ありません、朱里様。侵入者です」

 

 小春の声だ。

 

(なんてタイミング……!でも、侵入者?)

 

 何の事だろうと朱里は首を傾げた。

 今まで零からもメイド達からもそんな話は聞いたことがない。

 

 この小春の声に即座に反応したのは零で、さっきまでの穏やかな雰囲気が一瞬にして掻き消える。

 

 「朱里、小春を部屋に入れろ」

 「え?あ、うん。えっと……入っていいよ、小春」

 

 朱里が入室の許可を出すと同時に零の手が朱里から離れた。

 

 「……零?」

 

 立ち上がって朱里の頬を撫でる零の手つきは優しいけれど、その顔はいつもの無表情さに戻っている。

 なんともこの家に来ては置いてけぼりにされることが多すぎやしないだろうか。

 

 「失礼します。……申し訳ありません、零様。門番がやられました。堂珍によると相手らは正門と東外壁からの複数経路の侵入です。現在セキュリティ作動中、それぞれに美海と姉が先行しております」

 「……ついに強硬手段に出たか」

 「はい、どうやらそのようです。それぞれ違う子飼いのいぬのようですが」

 「分かった。……朱里は任せる」

 「畏まりました」

 

 恭しく小春が零に頭を下げた。そんな2人の会話を蚊帳の外で眺めていた朱里に対し、零は手を差し出す。

 

 「小春と一緒にいろ。少し騒がしくなるかもしれないが、心配するな」

 

 立ち上がらせた朱里の腕を軽く引いて、零は朱里の髪に再度唇を寄せた。

 

 「分かったな」

 「~~~~!」

 

 朱里の混乱も一気に吹き飛ぶ見事な破壊力だ。

 

 (もうなんだか、さっきからスキンシップが激しくない……!?)

 

 ぐらぐらとした頭のまま朱里は小春に引き渡される。

 当の零は、小春から手渡された予備の愛銃と予備弾倉マガジンポーチを素早く確認して、もと来たバルコニーに身をひるがえした。

 

 「零……!?」

 

 朱里の声を背中に聞きながら零は隣のバルコニー、そして枝を伸ばしている木へと飛び移り、あっという間に地上に降り立ってしまう。

 

(美海ならひとまず大丈夫だろう。先に正面か)

 

 ピッと耳に当てたインカムに手をやった。

 

 「音葉、美海。聞こえるか」

 『――零様!』

 『はーい、聞こえてます~』

 「先に正門に行く、俺が着いたら音葉は美海の方へ行け」

 『了解です、現在15名確認。うち4名制圧済みです!応援要請は不要かと思います!』

 『こっちは7名倒したので多分あと10人くらいですかね~?余裕です~』

 「分かった」

 

 音葉には美海のような圧倒的戦闘力はないが、状況把握能力は姉妹らの中では一番高く、戦場における彼女達の指揮官コマンダー的な存在だ。彼女が自分達だけで制圧できると判断したのなら零もそれに従う。

 それほどに長年苦楽を共にしたメイド達に信用を置いているのだ。

 

 (全く……余計な手間を)

 

 朱里との蜜月になりそうだった所を思い切りくじかれた。

 その憂さ晴らしには丁度いいとばかりに、零は愛銃を手に取ると敷地内の森を駆け抜けていく。


 

 

 「朱里様、行きましょう」


 小春の声に、朱里は唖然とした顔でぎこちなく振り返った。

 

 「小春。私、夢でも見てる……?」

 「いいえー現実です。さっきもびっくりさせてしまいましたよね、ごめんなさい。堂珍に悟られる可能性を考えて最初に朱里様のお名前を呼んだんです、零様なら気付いて下さると思ったので」

 

 移動しながら説明させてもらいますねーと苦笑気味に笑って、小春は暖炉の火を消してから朱里を連れ出す。

 屋敷自体はシンとして何の音もしないのが逆に不気味だ。

 

 「実は当主様がこちらの屋敷に足しげく通っていらっしゃるのが洩れたようです。それでここに何かあるに違いないと各方面から何度か偵察が入ってましてー……まぁその度に全滅させてはいたんですが、ちょっと今回は強硬手段に出たようですねー」

 「え、っと……それはもしかして、私のせい?」

 「いえいえーどちらかといったらご当主様のせいなので朱里様は1ミリも気にされなくていいですよー」

 

 そう言って小春は調理室横の貯蔵室に入っていく。

 室内いっぱいに食料品が並べられる中、小春がスイッチを手早く操作すると、ガチャンと棚の一部が横にスライドし通路が現れて、朱里は本日何度目になるのか分からない驚きに固まった。

 

 (隠し扉……!?すごい、物語みたい)


 通路の先はスロープ状に緩やかな下り坂となっており、結構な距離があるように見える。

 

 「こちらまで敵は来ないと思いますが、念の為に朱里様は地下のほうに」

 

 そういって歩く小春の後を朱里は恐る恐るついていった。

 

 「えっと、じゃあさっき零が銃を持っていたのは」

 「迎撃に向かわれました。私達も鍛えてはいますが、零様のほうが圧倒的にお強いですからねー」

 「じゃあ前に言ってた、零の”仕事”って」

 「うーん、まぁ表立っては言えないようなお仕事です」

 

 私達もですが、と付け足してから小春は少し不安そうな顔をした。

 

 「私達が怖いですか?朱里様」

 

 (……怖い?)

 

 そう言われたらそうなのかもしれない。

 だって物語の中でしか知らないようなやりとりを目の前で見たのだ。

 そんなの多分、普通に考えたら怖いだろう。

 

 でも朱里が零やメイド達に対して抱いたのは、驚きと心配の二つだけ。

 

 「……怖くはないけど、怪我するんじゃないかって心配。零も、音葉達も」

 

 朱里の言葉に小春は嬉しそうに笑った。

 

 「ふふ、大丈夫ですよ。零様は勿論ですが私達もまぁまぁ強いですから。――良かったですね、朱里様。零様と思いが通じ合ったようで」

 「!」

 

 (そうだ!見られた!)

 

 零が姿を消す直前、彼が朱里の髪に口づけたのを小春にはバッチリ見られてしまっている。

 

 「いぃゃ、あ……あの!あのね……!」

 「いやぁーあの零様に春が来てよかったですよーしかもそのお相手が朱里様でメイド一同、本当に嬉しいです」

 「ぁ……あぅ……」

 

 そう言われてしまうと朱里は何も言うことが出来ない。

 またもや全身の熱が顔に集まっている気がした。

 

 「――朱里様」

 

 ふいに小春の足が立ち止まり、優しく名を呼ばれる。

 赤くなった顔をあげれば、小春が朱里の手を取って屈託のない顔で笑った。

 

 「朱里様と零様の進まれる道は、間違いなく茨の道ですが……それでも私達姉妹は、お二人にず――っとお供しますからね」

 

 良かったですねと再度笑う小春に、朱里は少し泣きそうな表情で微笑んだ。

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