第11話 記憶

 

 目的の場所には朱里の足でも10分ちょっとで到着したようだ。

 合間合間に同じようなドアがあったが朱里には全く見分けがつかない。

 

 ドアのロックを解除しながら小春が悪戯っぽく笑った。

 

 「実は地下通路ここ、零様の別邸にも繋がっているんですよー」

 「え?零の?」

 「はい、だから私達が零様の元に行く時は大体こちらを利用してます。夏も冬も、それこそ台風や大雪でも関係ないから本当に便利なんですー」

 「……そうだったんだ」

 

 成程、メイド達が急に消えてはいつの間にか戻ってるカラクリはここにあったのかと合点がいった。

 

 「えっと、それじゃ他のドアは?」

 「ん――……射撃訓練場とかありますよー?あとは朱里様には内緒にしたい部屋ばかりかなぁ」

 

 小春のその言い方になんだか物騒な部屋ばかりなんだな、と察して朱里は口をつぐむ。

 

 どうぞと彼女に案内されたのは小さなバーのような一室で、入ってきた扉とは別にまた奥の方に扉が見える。

 

 異質なのは壁に取り付けられた巨大なモニターだ。

 どうやら屋敷を中心に敷地内を映し出しているようで、小春がタッチパネルを使って慣れた様子で操作していく。

 

 「ふむふむ、わーさすが零様、もう正門に着いてる」

 「れ、零は無事なの?」

 「大丈夫ですよーあの零様の敵じゃあないのですぐに終わりますー」

 

 心配なら零様の顔、見ます?と聞かれて、ちょっと悩んだけれど朱里はこくりと頷いた。

 

 「さすがにまだちょっと朱里様には見せれないから少し待っててくださいねー」

 

 そう言って何度かパネルを操作しつつ、しばらくののちにモニター画面が監視カメラのリアルタイム映像に切り替わった。

 

 「……零っ」

 

 夜の闇の中、門灯で照らされた正門前には地に伏している人影がいくつも映る。しかしそのどれもぴくりとも動く様子はなかった。

 そんな中で唯一立っているのが零だと一目で分かる。

 

 「零様ーお疲れ様ですー」

 

 小春がそう画面に向かって声をかけると画面の零が反応を示した。

 

 「先ほど朱里様を地下に案内しました。こっちで確認する限り、屋敷まで敵が来た様子はないですねー。堂珍のトラップがうまく作動しているようです。うちの二人の方も……ほぼ制圧ですね。一人逃げたようですが、今美海が追ってます。フォローは大丈夫なので零様は一度こちらに戻ってください」

 『分かった』

 

 短いやり取りだけ済ませるとモニターはまた敷地内の全体図を映し出し、小春は今度は耳のインカムに手を当てる。

 

 「お姉ちゃーん、美海ー。零様のほうは制圧完了だよー」

 『わーぉ、さすが零様。はっや~い』

 『朱里様は無事ね?小春』

 「もっちろん。ちゃんと地下に避難して頂いてるよ。零様が今から屋敷に戻ってくるからそっちを捕まえたら連れてきて。さっき堂珍が回収手配をしたようだから私は正門に行ってくる」

 『了解。私はこちらを片付けるわ』

 『はいは~い。すぐ連れて帰るね~』

 

 こちらも最低限の用件だけを伝えるとそれぞれの声はぷつりと消えた。

 朱里が口をはさむ間もなく、あっという間の出来事だった。

 

 「朱里様。聞いての通り、今から零様がいらっしゃるので後は零様にお任せしますね」

 「あ……うん」

 

 もう何も言葉は出てこない。

 朱里は大人しく小春から飲み物を受け取って椅子に座って待つことにした。



 

 あれから数十分の時間が経ち、ロック解除の音と共にガチャっとドアが開く。

 

 「あ、零様お疲れ様ですー。じゃあ私は事後処理してきますので、朱里様の事をお願いしますねー」

 

 そういって零と入れ違いに小春は足早に部屋を出ていってしまった。

 ほんの少し前に会ったはずなのに、なぜだかすごく前のような感じがする。

 

 「ぇっと……怪我、は?」

 「ない」

 

 何とか絞り出した言葉は一瞬で終了してしまった。

 その後の沈黙が無性に辛い。

 

 ゆっくりと歩み寄ってくる零に朱里は言葉をかけられずに見つめた。

 

 零が部屋に尋ねてきたのは21時を少し過ぎたくらいで今はまだ23時だ。

 日さえもまだ越えていないのに色んな事が立て続けに起きている気がする。

 

 「朱里」

 「……っ」

 

 遠慮がちに自分を呼ぶ声に、朱里は考える前に零に抱きついた。

 驚いたように朱里を受け止めた零は一拍ののち、ちょっとだけ笑う。

 

 「なんだ、俺が怖いのかと思ったが」

 「それはない、けど……!でも、なんか今日いっぱい色んな事が起きて……!」

 「まぁそうだな……」

 

 腕の中の朱里をそっと抱きしめ返す。

 撫でてくれる零の温かさに思わず涙が滲んだ。

 

 「……なんで泣くんだ」

 「零のせい!」

 「……そうか。それは悪かったな」

 「もー……!」

 

 普段全くと言っていいほど顔面表情筋のない彼は、こんなにも甘やかせてくれる人だったのだろうか。

 これが普段の零なのか、それともただ単にありとあらゆるたがが外れただけなのか。

 

 彼の体温に安心したようにホッとして体が弛緩した。

 

 (あぁ、でも零が無事でよかった)

 

 「心配するなといっただろう」

 

 宥める零の声はどこまでも優しい。

 ぽんぽんとやわく撫でられてから、朱里は零に手を引かれた。

 

 「?」

 「行くぞ」

 

 零が向かったのは入ってきたドアとは別の、奥のドアだ。

 慣れた手つきでロックキーを解錠すると朱里を引き連れ、階段を上っていく。

 

 途中で耳につけたインカムに手をやった。

 

 「……美海。回収は終わったか?」

 『あっはい、零様!今そちらに戻ってます~』

 『零様、回収屋が来るのは後一時間後らしいです、ついでに清掃屋も呼んでおきました』

 『正門の警備兵の補充もかけておきましたよー』

 「分かった。後はお前たちに任せる。……朱里は俺の家に連れて行く」

 『えぇぇぇ!?それってある意味一番心ぱ……!』

 『美海!』

 『は!いえいえ~失礼しましたぁ了解です~』

 『朱里様をお願いしますねー零様。優しくしないと駄目ですよー』

 『小春っ!』

 「…………」

 

 一部から非常に不敬な事を言われたような気がしたが、零は何も言わずにぷつりと通信を切る。

 

 「……零の家って、あの別邸の?」

 「あぁ」

 

 階段を上りきった先でまたもやパネルを操作してドアを開ければ、視界の先には広めのリビングダイニングが広がった。

 最低限の家具しかないのがまた零らしい。


 「ふわー……」

 

 吹き抜けの天井を見上げながら物珍しげにきょろきょろと周りを見渡す朱里を横目に、銃や予備弾倉マガジンポーチを所定の場所に戻してソファーに腰を下ろすと零は朱里を呼んだ。

 

 「朱里」

 「ん?」

 

 泣き出したり、怒ったり、笑ったり、驚いたり。

 この感情がせわしない少女にどうやらほだされてしまった自分は、きっともう前のようには戻れないだろう。

 

 朱里は、決して手を出してはいけない存在だ。

 花園で愛でられ暴かれる、”父の最愛の義娘むすめ”だから。

 

 それでも零は屈託なく伸ばされたその手を掴んでしまった。

 例えそれが二人の未来を破滅に導く選択だとしても。

 

 (…………離しはしない)

 

 繋いだこの手を、

 

 (……?)

 「零?」

 

 そばに寄ってきた朱里が首を傾げる。

 

 (今のは……)

 

 自分の心の声に零は疑問を投げた。

 何故など思ったのだろう。

 

 「……零?だいじょうぶ?」

 

 朱里の手が零の頬に触れる。柔らかい、戦いなど知らぬ少女の手だ。

 なんでもないと意識を振り払うと、そのまま零は朱里の腕を引き自身の膝に座らせた。

 

 「ひぁ!?」

 「……なんでお前は一々面白い反応をするんだ?」

 「それは零が!もう!」

 

 喉の奥で笑いをかみ殺しながら零は朱里の機嫌を取るよう宥める。

 

 

 「…………なんだか、子ども扱いしてない?」

 

 不満げに朱里が呟いた。なんと心外な事だろうか。

 

 

 「子供相手に、こんなことするか?」

 「!?」

 

 スッと朱里の腰を引き寄せ、自身に近づける。

 あと10センチほどで唇が重なりそうになるギリギリのラインで零は止めた。

 これが、零が朱里に残した最後の逃げ道だ。

 

 「ぁ……」

 

 ふわふわした朱里のまつ毛がぴくりと揺れ、雪のように白い顔に朱がさしてその翡翠色の瞳が揺れた。

 何も言わずに、零はそっと額を合わせる。

 

 

 「――本当にいいのか?俺で」


 

 どんなに言葉を尽くしてもこの不安は拭えない。

 それでも選んだ答えに後悔はしないし、後悔もさせない。


 

 「…………うん。……零じゃなきゃ、いや」

 「……そうか」

 

 

 その言葉に、零はそっと朱里に顔を寄せた。朱里の瞳がゆるりと閉じ、躊躇とまどいがちに二人の唇が重なる。

 

 「ん……っ」

 

 迷ったのは一瞬だけ。

 求めるように深く唇を重ね合わせると、あっという間に思考は放棄された。


 

 こうして二人は、一度ならず””を犯したのだ。


 

 

 「!」

 「!?」

 

 まばゆい閃光が二人を覆い、声を発する間もなくフラッシュバックのように大量の意識が流れ込んできて気を失いそうになる。


 だが、朱里にも、そして零にも、流れ込んでくるその意識には何故か憶えがあった。

 


 (これ、は……私の。いえ、私の……)



 ――”記憶”――


 

 

 そうだ、 ”あそこ”は穢れ一つ赦されない、純白で美しい神の楽園だった。


 じわじわと染まるように意識が繋がる。


 

 『――本当に俺でいいのか』


 


 闇と見紛うほどの漆黒の青年が、幾重にも広がる純白の翼で金色こんじきの少女を包み隠すように強く抱きしめて思わず息が止まった。

 

 今と全くを、かつて自分が口にしたことを他でもない己の”魂”が憶えているのだ。

 

 

 『……覚悟は、あるか?ここから俺と逃げる……覚悟が』


 

 視線が交わって、まるで走馬灯のように思い出す。

 も私達は、 ”おとう様”から逃げる選択を選んだのだ、と。

 

 意識を戻せば、零が呆然とした様子で朱里を見つめていた。

 わなわなとか細く震える朱里の手が零の頬に触れ、その熱を確かめるように首筋に落ちる。

 

 「……シュエル……?」

 「……!」

 

 切なさに胸がぎゅっと痛んだ。

 あぁそうだ、遥か昔は確かにそう呼ばれていた。

 

 他でもない、貴方に。


 記憶の奔流が静かに止む頃には、朱里も、零も、流れ込んできた”記憶”に戸惑ったように呼吸を震わせる。

 

 それでもふたりは全てを思い出したのだ。

 

 かつて自分達が最も神に近いとうたわれた”天使”であり




 ……神を裏切った”堕天使”だったということを。

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