第4話


 午後六時、菊子は県立夜己博物館前に佇んでいた。

 平日である今日は本来ならば仕事をしているが、午後有給を取っていた。周辺を見渡していると、ほどなくして通りの向こうから、ぱたぱたと忙しない足取りで譜歌が走ってくる。

 

「緋星さん!」

「こんばんは、賀長さん」

「遅くなってすみません……」

 

 譜歌は息も整えない内に小さい悲鳴を上げた。

 菊子の陰に隠れるようにして、折妃目が立っていた。譜歌と目が合うと目を細めて微笑みかける。

 

「こんばんは。譜歌ちゃん」

「こっ、ど、お、折妃目さまがどうしてここに……」

 歓喜に打ち震える様は小鹿を思わせるが、折妃目は構わず譜歌と菊子の間に立って腕を組んだ。三人肩寄せ合って歩くとなかなか歩き辛い。

 

「今日で金の卵を取り返すんでしょう?譜歌ちゃんのお話聞いたのあたしだもの。あたしが行かなきゃ嘘だわ」

 譜歌はうっとり「折妃目さま……」と蕩けている。何にせよ、以前会った時より回復しているようで菊子は少し安堵した。

 

 折妃目の言う通り、いま夜己博物館に来ているのは金の卵を取り返すためだ。

 綱倉に事情は説明済みなのだから、警察の捜査を待っていても金の卵を取り返すことが出来るだろう。もはや県立夜己博物館が犯罪に巻き込まれていることは克明であり、遅かれ早かれ捜査の手が入れば金の卵が盗品であることも分かる。

 

 けれど捜査の手が入れば、証拠品は押収される。そうすればいつ金の卵が自由の身になるか定かではない。それに一度は卵の要請を無視されたのだ。なるべく早く譜歌の手元に金の卵を帰してやりたいのが菊子の心情だった。

 

 金の卵盗難事件の真相は、菊子には分からない。しかし情報収集の間に『博物館が経営難である』と夜己博物館の学芸員が語ったことははっきりとしている。

「じゃあ、あたしが博物館を買い取ったら問題ナシってこと?」

 

 プリンを試作したその晩、身も蓋もない言い方をしたのは折妃目だった。

 菊子は訂正しようとしたが、数秒で諦めた。大意としてはその通り。金の卵の先行公開の客入りは上々、本公開でも結果を出そうと策を練っていることだろう博物館の、今後の売上を奪う『金の卵を返してください』を速やかに決行するには、代わりになる金策をこちらから提示することが肝要である。

 

 金銭的援助をする、もしくは秘蔵のコレクションを寄贈して博物館の売上に貢献する。それを可能にするだけの十全にして十二分な懐が折妃目にはあるのだ。

 

「折妃目さまにそんなことさせられません!」

 博物館に入る前に譜歌に金の卵を買い戻す説明すると、そんな悲鳴を上げた。本来は金銭を支払わずとも帰ってくるべきものだ。ましてや憧れの人に出させるなどもっての外だろう。

 

「あら、あたし金の卵を返してあげるなんて言ってないわ」

「えっ」

「あたしが買って、あたしのものにするの」

「えっえっ」

「でも譜歌ちゃんにはちょっとだけ見せてあげるわね。ふふ」

「えーっ」

 

 譜歌がおろおろと助けを求めるように菊子を見た。菊子は無い知恵を絞ってみる。

「……折妃目さん、多分すぐ卵をダメにしちゃうと思うよ。賀長さんに任せた方が良いんじゃないの」

「そうかしら」

 

 首が千切れそうなほど譜歌が頷いて「卵の保管には一家言ありますよ!」と追随する。

「考えておくわね」

「あ、待ってください!折妃目さまっ」

 折妃目は優雅に博物館へ向かってしまった。

 

 菊子も続こうとしたが立ち止まる。鞄に入れていた携帯が着信を知らせていた。画面を確認すると、相手は綱倉だった。

「はい。緋星です」

『やぁ、この間の件で報告しておこうかと思ってね』

 どうやら頼み通り、空き巣犯に接触してくれたらしい。

 

『あの空き巣犯だけれど、やっぱり首謀者が別にいたみたいだ』

 空き巣犯は依頼人に口止め料も兼ねた報酬金を支払われたものの、丁寧に説得を試みると素直に協力した。

 

 金の卵を欲しがった依頼人に頼まれて譜歌の家に侵入した空き巣犯は、盗まれた物が何か悟られては不味い、と依頼人に言われていたため他にも金目の物があれば一緒に盗んでおこうとしたが、譜歌の家には物が少なかった。

 大して持ち運び出せる物もなく、結果荒らすだけにして部屋を後にした。

 

 空き巣犯は依頼人の声しか知らず、名前も偽名で依頼された。報酬も鍵付きのロッカーを介して渡され、連絡の手段も電話のみ。その番号も今は通じないと言う。

 

「依頼人は分かりそうですか?」

『……そうだね。証拠が残っていないからから警察としては言いにくいけど、それも追っていけば埃が出るだろう。首謀者は最終的に、手に入れた金の卵を夜己に売った。金の卵が人々の注目を集め、研究資材としても価値が高いと知っていたからだ。ここまでは良い?』

「はい」

『で、さらに言うと。空き巣犯は被害者の家で金の卵を盗んでから、盗んだことを誤魔化すために部屋を荒らした。普通の空き巣は探し物のために部屋を荒らすけど今回は逆だ。彼は事前に金の卵がどこにあるか知っていたんだよ。だから探すまでも無く金の卵を簡単に見つけられた』

「下調べが入念だったんですね」

『違うね。空き巣犯は依頼人に教えられていたのさ。部屋のこの場所に置いてあるから取って来い、とね』

 

 金の卵が部屋のどこに置いてあるのか、空き巣実行の前から依頼人は知っていた。では依頼人が金の卵の下調べを行ったか?違う。空き巣の実行を他人に任せる者が下調べだけは自分でやるのは妙だ。では下調べも他人に任せたか?違う。それならば空き巣の実行と下調べを一緒に頼めば良い。

 

 調べるまでも無く、依頼人は譜歌がどこに卵を置いているか分かっていた。菊子は譜歌の話を思い出して、瞼を伏せる。

 

──日が当たらないようにするのが良いから、窓横に置いておくのが良いって助言をいただきました。ケースも貸していただいたので、それに入れて。

 

 依頼人は、指定位置に標的を置かせることが出来たのだ。

「……分かりました。その依頼人とやらにはしばらく会わないよう、賀長さんに言っておきます」

『じき捕まえるけど、それが良い。夜己に売ったのも碌でもない理由だろうさ』

 

 菊子は電話を終えて、入り口で待ってくれていた折妃目と譜歌に合流する。

「電話、大丈夫でした?」 

 長く話していたからだろうか、譜歌が気にかけてくれた。話をするのはまた後でも構わないだろう。菊子は真っ直ぐな視線を逸らして、小さく頷いた。

  

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