第3話
翌日、菊子はマンションのリビングで私物を広げていた。
手帳とリングファイルと携帯だ。菊子にとっては三種の命綱のようなもので、中にはいずれも膨大な連絡先が詰まっている。
手帳はびっしりと名前や電話番号などがメモされ、リングファイルにはずっしりと重いほど名刺が並び、携帯には言わずもがなびっしりと連絡先の登録がされている。中学高校から大学の友人知人、そして会社に勤める間に手に入れた伝手。菊子が持ちうる交友関係の全てだ。
そして折妃目の"お願い"を叶えるために必要なものだ。
緋星菊子は平凡だ。なよ竹のかぐや姫にもひけを取らない折妃目丹咲のお願いを自分の力だけで叶えられることはごくごく稀だ。故に他人の力を借りる。恥も外聞も無く、時には身銭を切ってでも頼る。
「とりあえず……」
手帳やリングファイルに付箋をしていく。
博物館の金の卵を取り返す打開策を見出すためには、いくつかのことを明らかにしなければならない。
金の卵は何故盗まれたのか?
どういった経緯で博物館に渡ったのか?
まず前者の疑問について、譜歌と空き巣犯はお互いに知人ですらないということが分かっている。そして空き巣犯が盗んだはずの金の卵は県立夜己博物館に渡っている。つまり空き巣犯は譜歌へ私怨があるわけでもなく金の卵に執着も持っていない。
金の卵を盗むために譜歌の家に侵入したわけではなく、金の卵を対価にした何か──例えば金銭などを誰かから受け取るために譜歌の家に侵入した可能性が高い。この推測が正しい場合、では誰が金の卵を盗むように空き巣犯に命じたか?
譜歌は教授と複数の友人らには金の卵を持っていることを明かしていた。突拍子の無い盗聴犯やストーカーがいれば別の話だが、卵の存在を知っている者はわずかに限られている。
教授か、友人らか。この中に金の卵を欲しがった者がいるのでは無いのか。そんな疑いがすぐさま思いついた。
けれど身近な知人を疑えなどとは落ち込んだ人間に言うものではない。そもそも憶測の域を出ないものだ。これ以上は菊子の頭で答えは導き出せない。
さらに後者の疑問について。空き巣犯が盗み出した金の卵はどういった経緯で博物館に渡ったのか。
少なくとも県立夜己博物館は金の卵の入手経路を公表していない。菊子は博物館の善悪についても疑ってかかることにした。即ち三つだ。
一つ、博物館は金の卵が盗品であると知らないのか。二つ、または盗品であると知っているのか。三つ、さらに言えば盗み出すよう空き巣犯に命じた可能性があるか。
一つ目であれば、ただ金の卵を真犯人である誰かから貰っただけだ。事情を話せば返してもらえるかもしれない。
二つ目であれば、教授や友人らが博物館と何らかの繋がりがあるかもしれず、盗品である危険性を持っていても欲しがるほどの価値が卵にはあるか、博物館の経済状況が悪いことが伺える。事情を話しても聞き流されることだろう。
三つ目であれば、もってのほかだ。事情を話せば返り討ちに遭うことも考えられる。
「おかしいな……私はただプリンを作りたいだけなのに」
言っていても始まらない。菊子は学生の頃の友人知人や会社の同僚に電話をかけ、メールを打ち、メッセージのやりとりをした。
最初にかけた電話が留守だったので、折り返しを待つ。手持ち無沙汰を紛らわすべくキッチンに立った。折妃目は様々なお願いをするものの、案外自分で出来ることは自分で済ませる女だ。料理が趣味のため、所有のキッチンは清潔で広く様々な道具が揃っている。
菊子はお菓子のレシピ本を開き、最初の方のページを捲る。題は『おいしいプリンのつくりかた』だ。
鍋に砂糖と水を入れて煮詰める。茶色くなってくると香ばしい香りが漂ってくる。焦げる前に引き上げて、フォルムが丸い瓶に流し入れた。
「おっと」
着信があった。最初にかけた電話の折り返しだ。画面に『警察
『やぁ緋星さん。久しぶりだね』
電話に出ると爽やかな声が応対した。綱倉シトリは三十代前半の男で、詳しい所属は菊子も知らないが刑事であることは確かだ。
「お久しぶりです。折妃目さんの冤罪事件以来ですね」
『あれは大変だったね。僕じゃなくて君が。いや、君はいつでも大変だね。……それで、今日はどうしたのかな』
菊子は譜歌経由で聞いた空き巣犯の名前を告げた。知っているか尋ねるが、綱倉は知らないという。
『その空き巣犯がどうかしたのかい』
「拘束中のその人に接触して、お話をすることは可能でしょうか」
『僕が情報漏洩する前提で話すのが板についてきたね。……とか揶揄いたいところだけど、緋星さんのお願いだって言うなら喜んでやろう。話を聞くのが僕で良いならしておくよ』
「元を正せばお願いをしているのは折妃目さんなのですが……そうですね、出来るならお願いします」
『丹咲ちゃんが犯罪者を追いたがってるなんて、また珍しいお願いだね』
「いえ、折妃目さんはプリンを食べたいだけです」
少しの沈黙のあと『オーケー。分かったよ。僕にはよく分からないということがよく分かった』と言われた。
金色ではない卵を割り、ボウルの中でかき混ぜる。その間に牛乳を鍋に入れてゆっくりあたため始めた。
「それから、県立夜己博物館について何か知りませんか?」
『夜己?おや、そっちの方が協力できそうだね』
「追ってらっしゃるんですか」
彼が言うには、県立夜己博物館が怪しい取引の場所として使われているらしい。押し入って捜査をしたいが、博物館主体で動いているのか、勝手に取引の場に使われているだけなのかは把握し切れておらず、手出しが出来ていない状態だと言う。
菊子は考え事をしながら、ボウルに砂糖とあたためた牛乳をすこしずつ加え、混ぜる。
「綱倉さん、夜己博物館が怪しい取引に使われている証拠があると助かりますか?」
『どういう証拠かな?』
「実際に夜己博物館で取引をしているところの写真です」
綱倉が言葉に窮した。
『……いつもながら君には驚かされるよ。それはどうやって手に入れたんだい』
「いつも通り、伝手で」
電話とメールとメッセージを駆使して、ついさっき手に入れたばかりの情報だった。
菊子の高校時代の友人に、学芸員補をしている者がいる。彼女は県外の博物館に勤めているが、金の卵について尋ねてみたところ『聞いた話なんだけどね』と夜己博物館の学芸員から聞いた噂話を教えてくれた。
友人に頼み、学芸員と三人でリモートミーティングの形で話をさせてもらうとその学芸員は、金の卵の入手経路がはっきりしておらず訝しんでいた。夜己博物館は経営に苦心しており、怪しい取引で金の卵を手に入れたのではないか。
最近は見慣れない警備員も増え、塞ぐ必要の無い展示室の前で立っていたり、閉館時間後に展示物の前で怪しい動きをしているところも見た。という話を聞くことが出来た。
次に博物館の警備員に連絡を図ったが、こちらはかなり手間取った。学芸員から夜己博物館の警備を担当している会社を聞くことは出来ても、警備員を紹介してもらうことは叶わなかった。それもそうだろう。怪しいことに関わっていると分かっていながら自ら首を突っ込むことは出来ない。
警備員を仕事にしている知人らへ夜己博物館について尋ねてみたが全て空振りに終わった。手詰まりだ。
菊子は指針を切り替えて、次に会社の同僚に連絡をした。たまの休みにも出かける気安い相手である。彼女は十種のSNSを駆使するヘビーユーザーで、常に携帯とともに在る。
次のランチをご馳走する約束をして調べ物を頼んだ。するとものの三十分で結果が返ってきた。彼女が掴んできたのは夜己博物館の警備員のSNSアカウントだった。
もちろんプロフィールを見る限りは分からないが、投稿内容を検めていくと夜間警備員のアルバイトに受かったことや、日々の業務への文句の内容、極め付けに夜己博物館が端に映った写真も確認できた。何故これを見つけてこれるのか、菊子にはさっぱりである。
アカウントが割れたところで菊子と警備員は赤の他人だ。これでは伝手などと言えない。
しかし幸いなことに、警備員はアカウントを学生時代から長く利用しているようだった。年単位で投稿を遡ると、出身校まで知れた。
菊子の通っていた高校とは違うが、名前に覚えがある。菊子は思い当たって、大学生の頃の友人数名にメッセージを送った。皆、警備員と同じ高校の出身だ。そして一番早く返信があったのは、警備員の先輩にあたる友人だった。その警備員に、危ないことから抜ける手助けをしてほしいとしがみつかれているらしい。
「……長いので割愛しますが、知り合いの知り合いの知り合いが、夜己博物館で警備のバイトをしています。明らかに危ないことに巻き込まれているから助けてほしいそうです」
『もう巻く舌も無いよ。君が仕入れる情報って極めて地道なものなのに、一周回って突拍子もなく見えるね。報告書が書き辛くて仕方ない』
「それはどうも。恐れ入ります」
『緋星さん、情報屋なんて向いてるんじゃないかい』
「お断りいたします。そんなことしていたら折妃目さんのお願いを聞いてられなくなるので」
『そう……』
牛乳・砂糖・卵をすっかり混ぜ合わせて、計量カップに移した。丸い瓶に茶漉しをセットして計量カップを傾けていく。均等に注ぎ終えると、クッキングペーパーを敷いた鍋に瓶を並べ、慎重に水を張る。火にかけて数分、水が揺らぎ湯気が立ってきたところで火を弱め、菊子はカウンターチェアに腰を下ろす。
『それじゃあ、そのネットリテラシーの甘い警備員を紹介してくれるのかな』
「一旦私の方から大学の級友に綱倉さんを紹介します。警備員さんの学生時代の先輩です。連絡をお待ちいただけますと助かります」
『分かったよ』
「あと、折妃目さんの知人に賀長さんという方がいます。彼女は金色の殻を持つ卵を持っていたのですが、先日空き巣に入られ盗まれたそうです」
『金色の卵って言ったら、夜己が展示しているあんな感じの?』
「正しくあれです。本人に確認してもらいましたが、盗まれた金の卵そのものだそうです」
綱倉が『警察は……』と言いかけたが、後の想像がついたらしく口をつぐんだ。小さく『申し訳ないね』と詫びられたが、卵を盗まれたのも、取り返してほしいという懇願を受け流されたのも菊子ではない。彼の詫びは聞き流しておく。
『なるほどね。ここで空き巣犯か。夜己とは確かに関係がありそうだ』
菊子は布巾で手を包み、鍋の中の瓶をひとつ摘んだ。軽く揺らすと黄色い表面が波打つ。お菓子初心者の菊子には加減が分からないが、この辺りで火を止めることにする。
常温でしばらく落ち着かせ、あとは冷蔵庫で固めれば『おいしいプリン』の完成だ。
『嗚呼、ちょっと予感がするな。悪寒と言っても良いけど。もしかして、空き巣犯のことも調べあげていたりするのかな。緋星さん』
「……そうですね」
それはもちろん。
名も知らぬ警備員より、名も分かっている人間の方が嗅ぎ回る方が楽だ。空き巣犯も、譜歌の師事する教授のことも、金の卵が高く売れそうだと評した友人らのことも、警備員にたどり着く傍らですでに粗方調べておいた。ネット掲示板のように。無論、警察が取れる情報の質には及ばないだろうが、警察も調べる重箱の隅は選んでいるはずだ。
ただしいくら情報をかき集めたところで、結局誰が金の卵を狙って空き巣犯に犯行を命じたのか、やはり菊子の頭で答えは導き出せない。故に他人を頼る。綱倉ならば、菊子の持ち得る情報から真相に辿り着くことが出来るのだ。
「ただいまぁ」
玄関から華やかな声がした。どうやら折妃目が帰ってきた。
「ところで、綱倉さんのお知り合いにパティシエっていたりしますか」
『パティシエ?いないね』
「ですよね。忘れてください」
綱倉が喉の奥でくつくつ笑って、電話を終えた。
すっかり熱が取れたプリンを冷蔵庫に入れて、戸を閉める。レシピ通りに出来たところで折妃目のお眼鏡に適わないことは分かっているが、己の実力を確認しておくことも大切なのだ。
「誰かとお話してた?」
リビングに顔を出した折妃目が尋ねる。「おかえり。綱倉さんだよ」というと、頬をむくれさせた。
「またシトリさん?変なこと言われてないわよね」
「綱倉さんだって好きで折妃目さんに冤罪をかけたわけじゃないんだよ。根に持たないの。それに今回は折妃目さんのために協力してくれるんだから」
「ふぅん。それって金色の卵の件?」
「そうだよ」
納得したらしい折妃目はすぐそばに座って菊子が洗い物をする様子を眺める。
「ねぇ、あたしに出来ることないかしら?」
特に無い、と答えようとして菊子はふと閃いた。
「その手があったか」
「どの手?」
「うん、あるよ。折妃目さんにやってほしいこと」
折妃目は機嫌が戻ったように笑った。
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