第2話


 『盗まれたものが博物館に渡ったので取り返しに行く』と言うと、さも夜間に忍び込んで厳重な警備を掻い潜り、華麗に盗み出して去っていく怪盗の如き所業を思い起こさせる。

 

 しかし博物館の展示物を勝手に取れば立派に犯罪であり、なおかつ取って来いと言われて取って来れるほど菊子は特異ではない。平日の朝から晩まではデスクワークをしているしがない会社員だ。出来ても精々が正攻法である。

 

 まず菊子は折妃目の紹介で、金の卵の元の所有者に連絡を取った。翌日に落ち合った所有者──賀長がちょう譜歌ふかは初対面でも覇気の無いことがよく分かる様子だった。折妃目から聞くには、普段は大学の生物化学科に通う大学生で天真爛漫な明るい少女だという。

 

「キンちゃんを取り返してくれるって本当ですか」

 喫茶店に入り、名刺を渡して挨拶もそこそこに、譜歌はそう尋ねてきた。キンちゃんというのは一体誰だろうと菊子は戸惑ったが、一拍遅れて理解した。どうやら『金の卵』の『キンちゃん』らしい。

「……保証はいたしかねますが、折妃目さんの希望なので善処いたします」

 

 無精卵に愛称をつける感覚は菊子の理解の及ばないところではあったが、随分可愛がっていることは伝わった。否、有精卵である可能性も捨てきれないか。

 

 どちらにせよ、菊子は大事な金の卵を盗まれた譜歌よりもプリンを望む折妃目を優先する。無精卵であれ有精卵であれ、プリンを作ることには変わらない。金の卵を取り返したあとにどうやって譜歌に快く卵を譲ってもらうかどうかも悩まなければならないところだが、今は置いておく。

 

 お冷を置きに来た店員にプリンとコーヒーを、譜歌はカフェオレをそれぞれ注文した。

 譜歌の話によると、金の卵を拾ったのは今から約一ヶ月前で、草むらに転がっていたらしい。そばに巣のようなものは見当たらず、一旦自宅である安アパートに持ち帰った。

 

 そして二週間前に空き巣に入られた。空き巣に入られた直後に譜歌が撮影した写真を見せてもらったが、譜歌の部屋は花の大学生にしては最低限の物しかない。しかし激しく荒らされていた。そして唯一無くなっていたのが金の卵だという。

 

「……警察は?」

「空き巣は先日捕まりました」

「優秀ですね」

 譜歌は力なく首を横に振った。それもそうだ。盗まれたはずの金の卵が返ってきていないのだから。

 

 空き巣犯と譜歌はお互いに知らない者同士だった。初犯で、犯行動機などについて口を閉ざしているらしい。それどころか金の卵など知らないと言う。また、譜歌は警察に金の卵がいま博物館にあることを申告したが、その点に関してはまともに取り合ってくれなかったそうだ。

 

 話している内に店員が注文を届けに来た。ふと、卵が盗まれた人の前でプリンを食べるのは不謹慎だろうかと思ったが、譜歌は特に気にしている様子も無くカフェオレに息を吹きかけている。

 

「緋星さんってプリンお好きなんですか?」

「いえ、まぁ。……勉強中です。賀長さんのお知り合いにパティシエっていたりしますか」

「パティシエ?いないですね」

「ですよね。忘れてください」

 

 譜歌は釈然としていなかったが、それ以上は聞いてこなかった。プリンを一口食べる。昔ながらの固さがあり、甘いカスタードが口いっぱいにとろけていく。ブラックコーヒーを流し込めば口の中が程よく整う。

 

「賀長さん、このあとお時間ありますか」

「ありますけど、どうしましたか?」

「少し付き合っていただきたいところがあります」


 



 譜歌を連れて向かったのは県立夜己やこ博物館だった。

 都市部からは少し離れているが譜歌の通う大学からもほど近い博物館で、常設展示のほかに様々なテーマ別の期間限定展覧会を開いており、施設前に並ぶ広告板には『金の卵の謎に迫る』というポスターが貼り出されていた。記載されている会期は一週間先だ。

 

 大人二枚分の入場チケットを受付で購入し、常設展示のスペースに入る。土曜日の夕方ながらもなかなかに混んでいた。他の観覧客たちは己のペースでのんびりと見て回っているが、菊子と譜歌は展示そっちのけでまっすぐ順路を歩いていく。

 

 金の卵の展覧会はまだ先だ。けれど先行公開と称して、常設展示の最後にガラスのショーケースに納められた金の卵を見ることができる。

 

「見世物だ……」

 後ろをついてきていた譜歌が呟いた。彼女の言うことはもっともで、ショーケースの前には何も知らない人々が金の卵を覗きこみ、ある人は金色が本物か本物でないかなどと雑談を交わしている。

 

「着いてきてもらってすみません」

「ううん、わたしも来てちゃんとキンちゃんかどうか確かめないといけないって思ってはいたんです。だから、良い機会なんです」

 

 段々と人がすいて、菊子と譜歌は金の卵の前に立った。小さなスポットライトに照らされた金の卵殻が仄暗く煌めいている。

 様々な角度から見る譜歌に「本物ですか」と尋ねると、「本物ですね」と気落ちした声が返ってきた。 

「細かい傷までそのまま……キンちゃんです」

 

 博物館の卵と譜歌の盗まれた卵が別物であることを少し期待していた。盗まれてここまで憔悴している人間を前に、プリンを作りたいからその卵を譲ってくれと頼むのはあまりにも非情極まりない。菊子にも平凡な良心は備わっているのだ。

 

「キンちゃんさんを拾ったこと、誰かに話しましたか?」

 譜歌は気まずそうに俯いた。

「あんまり隠すつもりも、言いふらしてるつもりも無くて。ただ教授や友達何人かにはキンちゃんの写真を見せてます。特別な卵に見えるから、教授には保管方法をどうするのが良いか相談しました。それくらいです。SNSも見る専だからネットに上げたりもしてません」

「……」

 

 脳裏に少し過った考えがあったが、今の譜歌に聞かせるにはあまりに邪だ。咳払いを挟んで口を閉ざす。

 譜歌は暗い顔で続けた。

 

「教授が『この卵を研究すれば良いお金になるかも』とか、友達も『売ったら高そう』とか、そう言われるのが嫌になって……それからは誰にも見せてません」

 話題転換のつもりで菊子は質問を投げかけた。「どう保管していたんですか」

 

「教授からは日が当たらないようにするのが良いから、窓横に置いておくのが良いって助言をいただきました。ケースも貸していただいたので、それに入れて。本当は宝箱に仕舞いたいくらいだったんですけど、……こんなことになるなら本当にそうしておくんだったな」

 

 手出しの出来ない状態でこれ以上ショーケースを見せ続けるのも気が引けて、菊子は譜歌を連れて早々に展示室を出ることにした。

 博物館の外に出ると、冷たさをはらんだ秋風が通り抜けていった。

 

「……今日はお時間ありがとうございました。またご連絡させていただきますね」

 振り返ると、やけに譜歌が輝かしい目つきで菊子を見ていた。ずい、と近づいてくる。

「あの、緋星さんって折妃目さまのお友達なんですよね」

「折妃目、さま……」

 呼称からすでに信仰心に溢れているが、菊子は聞かなかったことにした。どうやら会うたび拝んでいるというのは本当らしい。

 

「友達ですね」

「こんな、初対面のわたしの話を聞いてくださって、しかもキンちゃんを取り返しにまで行ってくれるなんて……緋星さんって、何者なんですか!」

 意識はしていなかったが、譜歌に対して親身にしているのは善意ではない。もっと単純に、『折妃目の"お願い"だから』だ。

 

 しかしそれを譜歌に言ったところで、さらに良いように受け取られかねない。菊子は簡潔に答えることにした。

「私はしがない会社員ですよ」

 言ってから気づいたが、カッコつけたような台詞だった。譜歌の瞳の輝きが増して、菊子は少し肩を落とした。

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