#01-1 やっぱり、まだ慣れてないんだろうな


 その建物には窓が無かった。

 太陽の光が届かぬ室内は薄暗く、男たちの下卑げひた笑い声だけが響く。


 この薄汚れた空間をいろどるのは、部屋の中央にしつらえられたターフル。その卓に置かれた燭台しょくだいの灯りは、煌々こうこうとこの場を照らし出す。

 即ち、卓を囲み、酒と煙草におぼれ、享楽きょうらくむさぼる男たちの姿を。


 ふと、一人の男が何かに気付き、部屋の隅に視線を向けた。

 視線を浴びて、それはもぞりと身動みじろぐ。

 暗がりではまるで大きな芋虫のようにも見えるそれは、両手両足を縛られた娘のようだった。


「おいおい、なんかこいつ静かになっちゃってるぜ」

 男がねっとりとした声で言葉を発すると、共にたむろっていた男たちは、一斉に視線を娘に向けた。

「なんだよつまんねぇなあ」


 言いながら、男は酒瓶を持ったまま娘の元に歩き、立ったまま足で娘のあごを持ち上げ、顔をじっと見据えた。

 ひっ、と。娘の喉が鳴った。


「もっと泣きわめけよ」

 理不尽な要求を口にして、男はそのまま娘の顔を蹴り上げた。

 ガツンと音が鳴り、娘はそのまま仰向けに倒れた。

 

「あんま顔を傷つけんなよ」

 卓に座ったまま、おそらく男たちのリーダー格であろう大男が嘲笑あざわらうように口にする。


「違うんすよ、死んでねぇか確かめたかったんで」

 そしてそれに応える声もまたあざけりのこもった笑いで。

 場にはゲラゲラと下品な笑い声が響き渡る。


「つうかマジにそろそろ、泣き声聞きたくないっすか」

 娘の前にしゃがみ込んだ男が口にすると、周りの男たちがこぞって立ち上がり、娘の元に集いはじめる。

「程々にしとけよ」

 リーダー格の大男は椅子に座ったままだったが、止める気はサラサラないとばかりに、手をヒラヒラと振って酒をあおった。


 娘は何も言わなかった。

「おら、泣いてみろよ!」

 まるで全てを諦めたかのように抵抗すら示さない娘に、れた男は叫び、その衣服を引き裂いた。

 そして娘に馬乗りになった男は、自身のズボンパンタロンに手をかけた。ずるりと下半身を露出させた男が娘に覆い被さると、周囲からは歓声が上がる。


 ちゃりん、と。

 娘の髪飾りハースペルが、まるでなげくように鳴り響いた。

 


「シレネ!」


 不意に名前を呼ばれて、シレネわたしはハッと意識を取り戻します。

 呼ばれた方を振り向けば、同僚の少女の、困ったような怒ってるような、あるいは呆れているような表情がありまして。


「ごめん、アニタ。シレネ、ぼぅっとしてたみたい」

 手にした縫い針を膝に下ろして、少し照れた素振りで笑って誤魔化しつつ、シレネはアニタに言葉を返します。


「うん、ぼぅっとしてたっていうか、完全に手が止まってたよ? だから少し大きい声出したの」

「え? そんなに見てわかるくらい、止まってたの?」

「そりゃもう、銅像かってくらい」

「ご、ごめんさない……」


 自分が思ってたより、ひどい醜態しゅうたいさらしていたらしい事実に、思わずっちゃくなって謝るシレネに。

 アニタは怒ってるとも呆れているとも取れるようなため息をひとつ。

 そして眉根をひそめながらも。

「……大丈夫?」

 声のトーンを落として、尋ねられます。



 ――シレネがこの町に来たのは、一週間ほど前のことです。

 働き口を探して町を訪ね歩いていたところ、声をかけてくれたのが、このアニタでした。


「田舎から出て来たばっかりで、仕事を探してるの? だったら、ウチで働かない?」


 針子仕事は人が長く続かなくって、いつも人手不足なのよ、と苦笑しながら、そう誘ってくれたのです。


 そうしてシレネは、そのお誘いに従ってこの縫製工場で働かせていただけました。

 職を与えてくれたアニタには、それだけでも感謝しかありませんが。住み慣れた家から離れ、右も左も分からないシレネに、一先ひとまずの仮宿かりやどをと、住み込みで働く許可を女将さんに取ってくれたおかげで、シレネは今も屋根のある場所で寝泊まりすることが出来ています。


 とはいえ、まだ気が張りつめているのでしょうか。

 一度だけ。夜、あまり眠れていなくて、不安が続いていると、アニタに相談をしたことがありました。

 先程の「大丈夫?」は、それをおもんぱかってくれてのことでしょう。



「――大丈夫です」

 だからこそ、咄嗟とっさにそう返してしまいました。ずっと心配ばかり掛けてしまっては、いけませんから。

 なので努めて明るく、笑顔を足して返したのですが。

「……そんな疲れた顔で言われてもねぇ」

 痩せ我慢はあっさりと看破されてしまいました。


 そんなシレネを、アニタは胡乱うろんげにじっと見つめてきまして。

 すると急に笑顔になって言うのです。

「今日仕事終わったら、部屋に差し入れ持って行くね」

 

「え」

「心配しないで、アタシの奢りだから」

「いやいや、そんなこと……」

 遠慮するシレネを前に、アニタは「駄目」とかぶりを振ります。


「アタシが誘った手前、無理させたくないっていうのもあるんだけど」言いつつ、自嘲するように乾いたような冷笑を浮かべて。「実際問題、倒れられたりしたら、また人手不足になって困るし」


 にこり、と微笑むその笑顔は。言葉通り、優しさよりも裏側の本音が透けて見えていて。

 笑顔とは裏腹に、有無を言わせない迫力があって、シレネは返す言葉を失ってしまうのです。


「……ありがとう」

 だからそう感謝だけを伝えれば。

「うん、楽しみにしといて!」

 贅沢なものは無理だけど、と茶目っ気のある笑いが返ってきて、思わずシレネも笑ってしまいます。


「ま、それはそれとして。ずは今のお仕事、頑張って終わらせなきゃね」

「うん!」


 そうしてシレネたちは針子仕事を再開したのですが。

 針を布地に通していると、ふいに走った茶色い髪の毛。

 作業の邪魔にならないようにとまとめていた髪が、ほどけてはらりと視界をさえぎったようでした。


 むぅ、と口をとがらせ、シレネは再び作業の手を止めると、針の代わりに自分の髪の毛を掴みます。

 視線をあげれば、窓ガラスに映るシレネの顔。

 それを見ながら髪をまとめていたら、ガラスごしに街を歩く大人っぽい女性たちの姿が目について。

 ……小さくうつむき、けれどまた顔を上げます。


 やっぱり、まだ慣れてないんだろうな。

 一人、吐息といきき。

 まとめた髪に編み針をさすと、それだけで髪の毛はまとまり解けなくなります。


「へぇ、そんな髪のまとめ方、あるんだ?」

 それを見ていたアニタが、興味深そうに見てきました。

「母様に習ったの。『かんざし』って、言うんだって。編み物しながらだと、便利でしょ」

「本当ね。アタシも真似しよ」


 そんな話をしながら。

 シレネたちはもう一度、作業に没頭してゆくのでした。

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血塗れ修道女は刑を執行する ムスカリウサギ @Melancholic_doe

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