血塗れ修道女は刑を執行する

ムスカリウサギ

#01

幕前 わたしたちは修道女ですから


「――さようならトッツィンズ

 そう、つぶやくて。

 わたしはゆっくりと、彼女の胸に突き刺さっていた『棒状の針ハースペル』を引き抜きます。


 バッ、と言う音と共に世界に広がっていく赤色。

 それは救世主の血ヴァインなどではなく、生温かな鮮血ブルーツでしかなくて。

 その赤色越しから映る景色は。

 ああ。

 ああ、なんて。

 なんて暗澹あんたんとした、くすんだ錆色さびいろをしているのでしょう――。


 血に伏した少女の身体からは赤色が溢れ出し、その下に広がる豪奢ごうしゃ絨毯タペイトもまた、赤色に染まってゆきます。


 ひゅぅひゅぅと鳴り響いていた喘鳴ぜんめいが、ふと、ごぽりという音にかき消されると。それは彼女が絶命した合図。


 後には静寂しじまだけが残されて。

 何も映さないくらい瞳から向けられた怨嗟えんさと、少しの間、見詰めあったら、これでおしまい。


 見開かれたままの目蓋まぶたを閉じて、両の手を組ませたら、わたしもまた両手を組んで。

 天を仰ぎ、一人、自戒の祈りを切りました。



 それらが終わったら。

 わたしはひとつ息を吐いて、手にしていた『少女に突き刺さっていた針ハースペル』を麻布リネンぬぐいます。

 赤い血糊ちのりが落ちた『それ』を、広がった自分の黒い髪の毛をまとめ結い上げて、挿しこめば。

 『それ』はかんざしハースペルとして、わたしの頭を彩るのです。


「お疲れ様、ミレン」

 そして、落ち着いた(それでいて少し弾んだような)嗄れた声ハスキーボイスが、静まり返ったこの部屋に響いたら。

「はい」

 わたしはそう、一言応えて。

「ありがとうございました、マリー」改めて、くるりと向きを変え、声の主……マリーに視線を移します。「毎回、面倒な事をお任せしてしまって、申し訳ありません」

 言葉と同じく、感謝を込めて、笑顔で。

 彼女のフォローには、いつも助けられてばかりです。


「それはお互い様。逆にあたしは、直接的な荒事には向いてないから、適材適所という事よね」


 謙遜けんそんしながら微笑ほほえむマリーのその表情は、正しく彼女の名前通り、聖母のような慈愛に満ちています。


 惜しむらくは、彼女の本質とはまるで正反対なところでしょうか。

 あとは言葉とは裏腹に、もっと褒め称えて良いのですよ、と瞳が雄弁に語っていることも追加ですね。

 ……はて、そうしますと、聖母のような慈愛とは何か、という別の疑問が……。はい、やめましょう、この自問。切り替えようと目を閉じ、まばたき。


 ……ッ!

 目を開くと、そこにはマリーの顔。

 それこそ、キスを交わせるほどの距離に。


「全部、表情かおに出てんのよ」

 先程より少し低いドスをきかせた声。

 少しドキッとしましたが、マリーの瞳には怒気はありません。どちらかと言えば、揶揄の色からかいです。

 

「すみません、正直は美徳の教えが染み付いているもので」


 だからそんな風に、すました顔で返せばほら。

「……ったく。神の教えってのは、万能ね」

「それはもう。万能たるお方の教えですから」

 すぐ笑い話に変わって、はい、おしまい。

 

 マリーはふわりと舞うように距離を取ると、動いたせいか少し乱れてしまったその栗色の髪ブルネットと、修道頭巾ウィンプルコルネットを綺麗に整えています。


 そんな些細な仕草に女性としての美しさを感じ、一瞬見惚れてしまいます。そしてわたしの視線に気づいたマリーは、くすっと笑い、その形の良い唇を開くのです。

 

「ま、終わったのならさ。早漏そうろうジジィとの情事じょうじの後のように、すみやかに出発しましょ」


 ……それで口にするのが、この内容です。


「西王国ジョーク、やめて下さい」


 生まれがそうであるためか、マリーはこういう下世話な表現を好んで使うように思います。

 そんなジョークでも。あしのように高い背丈と、修道服スカプラリオの上からでもわかる豊かな胸と大きなお尻。女性とはかくあるべきとでも言わんばかりの彼女のような美女が口にすると、割と絵になるのが腹立たしいと言いますか。

 

「ごめんごめん、あんたにはわかんないわよね」

「残念ながら、わたしには一生わからないと思います」

 少しねた口調になったのは、我ながら子供じみているな、と思いつつ。「わたしたちには守るべき誓いがあるでしょう」


 清貧、純潔、服従。そう――。

「わたしたちは、修道女ですから」

 

 わたしはじっとマリーを見据えます。

 そんなわたしを見て。彼女はほんの少し、考える素振りを見せたかと思えば、ニヤリと笑って言うのです。


「はいはい、そーね。あたしみたいな、跳ねっ返りとは違うもんね」


 あ。

「いえ、そういうつもりじゃ……」

 今の言い方はダメです。間違えました。


 どうしましょう……そう考えていると。

「ま、それはいいから」

 ぎゅっと。右手に温もりを感じてふと見れば、マリーがわたしの手を握っています。そしてまばゆいばかりの笑顔を向けて言うのです。

「早く、帰りましょう」


 ……かないませんね、このひとには。


 きっと今のわたしは、とても複雑な表情を浮かべているのでしょう。……自分では分かりませんが、そんなわたしを見つめるマリーのニヤニヤとした表情を見れば、一目瞭然と言いますか。


 わたし……ミレンは、まだまだ子供なのでしょう。

 悔しいですが、今はマリーの優しさに甘えさせてもらいます。


「……はい。ありがとうございます、マリー」

「ん、素直でよろしい!」


 芝居がかったやり取りをして。

 そうしたら、二人、吹き出すように笑い合って。

 錆色の世界から抜け出すように、速やかにこの場を離れるのでした。

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