栞に似ている

ウノカグラ

 クラスメイトの大半の女子が、髪の毛を本に挟むようになった。

 一本だけ挟むことがルールとして校内を蔓延していたが、最近は切った髪を束ねる者まで現れている。


 私は、そんな彼女たちを見下し、馬鹿みたいだと思ってしまっている。


 「本の栞をね、好きな人の髪の毛で作ると両思いになれるんだって!」と言い始めたのは、クラスメイトの真田絵梨である。

 人気のある生徒の影響というものは怖い。それを本人が気づいていないことも。瞬く間に噂は広がり、他のクラスの女子まで感化されてしまっていた。

 それに影響されていない私は、まるで女子ではないような、そんな気持ちに苛まれている。


 教室の床に散らばった髪の毛を箒で掃く事にも、真田さんを含めた女子たちが掃除をせずに恋バナをしている事にも、少しずつ慣れ始めていた。

 口出しをしなければ、空気でいられる、

「あいつら馬鹿なん?」──はずだった。

 佐野くんは例外。女子たちを眺めながら律儀に箒を持ち、窓にもたれかかっている。

「……聞こえるって」

「とか言うけどさあ、どうせ広瀬さんも思ってるでしょ」しゃがんで、ちりとりを構えてくれる。

「でも口に出すのは違うよ」

 髪の毛が溜まっていく。何人分だろう。

「じゃあ思ってるってことじゃん。似てるんかもな、俺ら」

 一緒にしないでよ。心の中でため息を吐く。

「いいなあ。佐野くんは思ってること、水みたいに口から出せて」

「それ褒めてんの?」

「褒めてる、つもり」

 ゴミ袋の中が黒い。口を縛って、佐野くんに渡す。何となく持っていたくなかったのが本音。

 黒い塊が佐野くんの手に渡る。何人もの恋心を、彼が請け負っている。変な状況。

「佐野くん、呪われそ」

「うっせえ」と吐き捨て、教室を出て行こうとするが、しかし、何を思ったのか振り向いた。

「広瀬さんってさあ、自分のこと好き?」

「……なに急に。佐野くんは?」

「俺? 超好き」子供みたいに笑う。

 耳にピアスの穴とか開けて、不良みたいな見た目をしているくせに、子供みたいに笑う。

 なんだか告白みたい。ぼんやりと思う。

「この髪の毛の占いって、もしかしたら自分にも使えんじゃねえの?」

「自分に?」

「両思いって恋愛だけじゃないでしょ」

 何言ってるんだろう。いつも私は、佐野くんの意図を、空気を掴めない。

「自分と両思いになる、ってこと?」

「そう」なぜか自慢げな顔になる。

 ──って言われても。はいそうですか、とは納得できない。

「なんで私に言うの?」

「わかんね。なんか広瀬さん見てると、もうちょっと肩の力抜いてもいいのにって思うんよね」

「普通にしてるだけなんだけど」

「自分と戦ってるっつーか」 

 戦ってる。

「たまには、こういうのに縋るのもありなんかなーって」

 チャイムが鳴る。「やべ、まあ気にせんで!」と、ばたばたと教室を出て行ってしまった。

 それに目を取られて、女子たちがひそひそと話していることに、私は気がつけていなかった。


 自分と両思いになれたら、誰だって苦労しないのではないか。人を好きになる以前に、まず自分自身を好きになるべきではないのだろうか。ただただ、何かに恋心や好意を抱いているクラスメイト達が羨ましくて仕方がない。


 ──佐野くんとやりとりをした数日後。今、私の手の中にある本には自分の髪の毛が挟まっている。

 馬鹿みたいだ。誰よりも、自分に対してそう思う。こんなことしても意味がない。

「あ、ついに広瀬さんも!」明るい声が耳に入る。

 顔を上げる。声の主は、真田さんだった。

「……すごいね、これ」

「あ、叶っちゃった感じ? アサヒと」

 ──アサヒ。朝陽? 

 苗字で呼んだことしかないから、変換に時間を要してしまった。

「佐野くん? なんで?」

「え、だって仲良さそうじゃん」

 なにか変な勘違いをされてる気がする。

「別にそんなんじゃ──」

「だよね!」一気に遮られる。まるで、そう私が答えることを分かってたみたいに。

「まあ、叶うことないけど」にっこりと笑う。

 佐野くんとは違った笑い方だ。

「え?」

「あれね、テレビで見たとかそんなんじゃなくて、私が作ったやつなの」

 つまり、私はまんまと彼女の罠に引っかかったわけである。罠というか、多分、自分の注目を集めたいという自己顕示欲の餌にされた。その一人。

「すぐ広まるんだもん。びっくりしちゃった。ほんとさあ、」他のクラスメイトに聞こえないようにするためか、顔を近づけ、囁くように。


 みんなって馬鹿だよねえ。


 ──私が佐野くんだったら、ここで一発ぐらいは殴れたかもしれないが、悲しいかな、私は私でしかない。


 何もできず、何も言い返せなかった。

 「じゃ、また明日ねー」と手を振り、教室を出て行ってしまった。手を振り返す勇気はなかった。

「まだ残ってんの?」

 入れ替わるように入ってきたのは、佐野くんだった。

「うん。もう帰るとこだけど」

 本をカバンの中に入れて、立ち上がる。

「ほんま真面目やな」おー、あったあった、と机の中からノートを取り出している。

「別に勉強してたわけじゃないよ。それ、宿題の?」

「うん。さっき忘れてること思い出してさあ、すげえ走った」

 なんとなく、二人で教室を出る。一緒に帰ったことなんてないけど。


 自転車を押しながら、河川敷沿いを歩く。

 佐野くんはポケットに手を入れて、口笛を吹いている。どこか風に似ている。

「なんか佐野くんって、私より真面目じゃない?」

「なわけ。髪染めるし、ピアス開けるような男よ?」

 確かに、彼の行動に先生たちは手を焼いている。半分は諦めている人もいる。

「ちゃんと学校来てるし、宿題も忘れない。掃除もするし」

「それって普通じゃねえの?」何を言ってるのか分からない、という顔だ。

「普通だけど、普通じゃないっていうか」

「なにそれ。変。広瀬さんって変だね」くしゃっと笑う。

 変。初めて言われた。

 私は、私のことを真っ当で退屈な人間だとばかり思っている。何を言ったら相手が傷つかないか。そればかり。ぐるぐると頭の中で考えてしまう。

「佐野くんよりは、変じゃないと思うけどなあ」

「変な人にはな、変な人が寄ってくんのよ」

 良くも悪くも、彼の言葉には悪意が見えない。

「それ褒めてる?」

「褒めてる」迷いなく、真面目な顔で見つめてくる。


 ──真田さんは羨ましがるだろうか。


 急に思い出す。たまらなく嫌な、気持ちの悪い塊が胸に沈んでいる感覚がする。

 さっきのことを佐野くんに話してみようか。いや、真田さんが悪く言われるのは気持ちが良くない。また考えてしまう。


「てかさあ、広瀬さん、髪切った?」慣れた手つきで、指を通してくる。

「うん。たまにはイメチェンもいいかなあって」自分で切ったんだ。

「え、超好き。似合ってる」

 彼が放つ言葉には、気持ちがないことを知っている。いつも空っぽ。

 

 それでも、その一瞬間、私は私のことを好きになれている。


 佐野くんに褒められると、私は私として存在できる。

 佐野くんに好かれているということ、それは生きる意味であった。


 〇


 あー、また失敗しちゃった。また広瀬が呟きながら、髪の毛を切っている。それをクラスメイトが遠巻きに眺めている。

 前髪はガタガタだし、全体的にも長さがバラバラだ。お世辞にも似合っているとは言えないそれを、俺は似合ってると。我ながら良い男。


 教室の中から、絵梨が出てくる。

「朝陽さあ、誰にでも良い顔するのやめなよ」広瀬を横目に言う。

「優しくすれば、俺の株上がんのよ」

「そんなの、あとでしんどくなるだけじゃない?」

「今が良ければ、それでいいんだよ」

 変なの。と笑いながら、腕を絡ませてくる。


 好意や優しさによって、自分を保てている。他人からだけではなく、自分自身からの好意によっても。好かれてさえいれば、上手く進んでいく。


 ばたっ。


 強い衝撃が襲う。何かに躓いたわけではない。首を横に動かすと、絵梨が倒れている。腕を組んでいたからか、つられて巻き込まれる形になったようだ。

「は?」廊下の床が赤く染まっている。

 頭が回らない。嫌な予感がした。

 腕を解き、立ちあがろうとするが、動こうとすると背中に鋭い痛みが走る。 

 

 どうにか力を振り絞り、天井を見上げる。ちかちかする。眩しい。

 女子達の悲鳴が耳に入る。うるせえな。


 視界の端に、ガタガタの前髪が映る。

 目が、合った。


 人に優しくしたこと、好かれようとしたことを、すでに後悔し始めている。

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