第3章 交渉

第9話 交渉(A1パート)土岡警部

 神村かむら弁護士が総理大臣と面会するためにビルを後にすると、れいは上司である捜査一課のつちおか警部に電話をかけた。

「土岡警部、お疲れ様です。ですが」

〔地井か、今は忌引中だったはずだが、電話をかけてきてだいじょうぶなのか〕

「はい、これから斎場へ向かって喪主としての責務をまっとういたします」

〔ではこの電話の理由はなんだね〕


 ここは素直に打ち明けるべきだろう。嘘をついたことがバレると協力が得られないかもしれない。


「実は、父の遺産を受け継ぐことになりまして。不動産を手広くやっていたようなので、相続する金額が法外なんです。それで土岡警部のご意見を伺えればと」

〔どれだけとんでもないんだ〕

「詳しい数字は相続手続きがすべて終わってからになりますが、父の顧問弁護士の概算では十二桁にのぼるそうです」

〔十二桁ねえ、一、十、百、千。って一千億以上ってことか。警視庁だとそれだけの相続はなかなか通らないぞ〕


「父の顧問弁護士にはなにか策があるそうで、現在折衝に出向いています」

〔弁護士がねえ。権利ばかり主張して捜査には非協力的なやつが多いから、今ひとつ信用ならないんだよな〕

「それはだいじょうぶだと思います。父の顧問弁護士は神村たかひろといいます」

〔神村隆弘、か。確か経済犯担当の二課が懇意にしていると聞いたことがあるな〕


「経済犯担当ですか。捜査協力をしているということでしょうか」

〔らしいな。なんでも積極的にタレコミしてくるらしい。神村は富豪の脱税や贈収賄の情報に強くて、何人もの容疑者を逮捕できたって話だ。いつ富豪に接触すればいいか、なんて情報も提供されるそうだ〕

「神村さんって二課の情報源だったのですね。一課の私が知らなくて、土岡警部がご存じということは、昔から目立たないように協力していたのでしょうか」

〔まあさすがに俺も会ったことはないな。二課の話が流れてきたのを憶えていただけだ。で、その神村が地井の相続を手続きしているわけか〕


「はい。実は今警視庁の近くからお電話しているんです。もしよければいらっしゃいませんか」

〔警視庁の近くって、お前、家は世田谷じゃなかったか〕

「相続の条件のひとつに、警視庁近くのビルに引っ越すことが入っているんです」

〔しかし、相続する額が額だ。警視庁で働くのは難しくなるはずだが〕

「その折衝に神村さんが出向いているんです」

〔なるほどな。二課を通じて刑事部長あたりにねじ込むつもりか〕


 素直に「総理大臣からです」とは口にできない。からくりをバラしてしまうとどこかで阻止を企む者が出てこないともかぎらないからだ。

〔まあ、不動産経営なんてやったことがないだろうから、現状維持を目指して資産を減らさない取引に専念すれば生活していけるだけの相続額だろう。あまり無理をしなければな〕


「私としては刑事の仕事が性に合っていると思っていますので、土岡警部のおっしゃるように経営は片手間でできる範囲内でということにするつもりですが」

〔それがいい。どうせ普通に暮らしていれば生涯資産は2億円くらいだったはずだ。そのくらいごくつぶしてもかすり傷だろうしな。で、その弁護士がどうやって上を説得するのか、聞いているか〕


 土岡警部が話題を転じた。だが痛くない腹を探られるようであまり面白いものではない。それにここの設備を知ってもらえば援護もしてくれるだろう。

「詳しくは教えてもらえていませんが。それより土岡警部はこちらに来られませんか。ここをご案内したあとすぐに斎場に行かなければなりませんが」

〔わかった。今からそちらへ向かおう。どこに行けばいいんだ〕

「警視庁から徒歩でも十分かかりません。詳しくはそちらのスマートフォンへ位置情報を送りますので」

 位置情報アプリを立ち上げて土岡警部と現在地を共有した。




 ピンポーン。

 呼び鈴が鳴ったので玄関へ向かうと、防犯モニターには土岡警部がひとりで立っている姿が映っている。

 今はまだ例の密室殺人を手掛けているはずだから、一時的に部下に任せて時間を割いてくれたのかもしれない。

 これから玲香も斎場へ向かわなければならないから、急いで電子ロックを解除して扉を開けた。


「おお、地井。このたびはご愁傷さま。お父さんとは面識はないが、部下の肉親なら親友も同然だ。それにしてもすごいところだな。高層ビルの四階に居を構えるなんて」

「父がそういう思惑を持っていたようでして。このビルも私が相続することになっています」

 部屋の中をチラリと確認した土岡警部は頭を掻いた。

「本当にこんなところで暮らすつもりか。ここなら警視庁へ来るのも楽になるな。刑事のままでいられたら、だが」


「ちなみにこの四階はすべて私のプライベート空間になっています。まあ量子コンピュータの試作機もあるので、ビルの大きさが私の居住スペースとはならないのですが」

「量子コンピュータ。それってなんだ。聞いたこともないな。コンピュータのすごいやつといったらスパコンだよな」

「量子コンピュータは設計がまったく異なっていて、スーパーコンピュータなどかすむほどの性能を有しています」

 すると玲香はマウスとキーボードを操作して、例の密室殺人事件があった防犯カメラの映像を土岡警部に見せた。


「おい、これってあの現場の映像か。よく入手できたな」

「実はハッキングしているんです。神村弁護士から量子コンピュータは、インターネットにつながっていてIDとパスワード方式のロックがかかっている場合は数秒で突破できると聞かされています。試しに警視庁入口の防犯カメラ映像をチェックしてみましょうか。私もまだ使い方のすべては憶えていないんですけど」

 そう言いながら玲香は神村がやっていたように位置情報を入力し、そこにある防犯カメラにアクセスした。





(第3章A2パートへ続きます)

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