第8話 相続(B2パート)新居と量子コンピュータ
警視庁本部庁舎は都心にある。
「ここって、殺人事件が起きたビルにも近いですね」
「ああ、あの自殺か他殺かわからないと言われている事件ですね。なぜ玲香様は殺人事件だと断言なさるのですか」
「遺体の発見状況が、殺人事件だと物語っていますから」
「それは警察の統一見解ですか」
「いえ、私の個人的な意見です。ですが、
殺人事件に慣れてくると、現場の違和感にはすぐ気づく。
それだけの場数を踏まないと難しい。新米刑事だと違和感に気づかずに現場を荒らしてしまう者もいる。
「実はこのビルの監視カメラ映像も見せて欲しいと依頼されたそうです。玲香様はご存知でしたか」
「事件の証拠映像を集めるときは、基本的に犯人の侵入経路、逃走経路を想定して監視カメラや防犯カメラの映像を提供してもらいます。そのためにはまず現場となったビルの防犯カメラの映像をチェックして、経路を特定しなければなりません」
神村はエレベーターのかごに乗り込んで、四階のボタンを押した。玲香が乗り込むとドアを閉めた。
「ということは、警察は犯人がこのビルの方向に逃げたと見ているわけですね」
「そういうことになります。私は現場を確認しているときに
「それでしたら、ここから見てみましょうか」
エレベーターはすぐに四階に達してドアが静かに開いた。ふたりでかごを降り、高級マンションやホテルのような内装のフロアに出た。
「こことは」
神村が先導してひとつの扉の前で立ち止まった。
「ここがこれから玲香様がお暮らしになるフロアです」
「フロアって、ひと階まるごと住居なのですか」
「はい。ただ、量子コンピュータの試作機も入っていますから、警察を辞めたときの捜査拠点にもなります。警視庁に近いのもこの際は有利に働きます」
「警察が持っていない量子コンピュータを使えたら、捜査が格段に進めやすくなるでしょうね。それを扱えれば、の話ですが」
「そのためのスーパーハッカーです。まあ防犯カメラのチェックくらいでしたら私にもできますけどね」
懐からカード入れを取り出して、二枚のカードを取り出した。
「これがこの部屋の鍵です。権限を変更できますので、プライベートな部屋に他人が入れないようにもできますよ」
神村は玲香に一枚カードキーを差し出した。受け取ると神村はカードキーを読み取り機に通した。
ピーという電子音が発せられるとガチャリとなにかの仕組みが動いた音がした。
「カードをかざすだけで解錠できるようにも設定できます。まあ電波を解読されて突破されやすくなるので、今は物理設定だけにしています。中へ入りましょう」
ドアから中へ入る神村に従って玲香も踏み入った。
部屋の中は大型モニターが壁にかけられており、それとは別の机にディスプレイとキーボード、マウスとプリンタが置かれている。これが量子コンピュータの入力装置だろうか。
「さっそく気づきましたか。そうです。これが量子コンピュータです」
巨大なビルのワンフロアを居住スペースにした理由の大半が理解できた。今の量子コンピュータはサイズが巨大すぎるのだ。もちろんそれに見合うだけの性能があるのだろう。
神村はキーボードを操作してロックを解除した。そして机の前にある椅子に腰かけた。
「あの事件のマンション名はわかりますか」
玲香にとっては愚問だ。
「メゾンド東京です」
その言葉をすぐに入力していく。神村のキーボードさばきも堂に入っていた。かなりコンピュータに詳しいことが想像できた。
「被害者の部屋番号と亡くなったとみられる時間はわかりますか」
「二〇〇四号室で、前日の二十二時から本日の二時の間と推定されています」
「四時間の幅があるのはなぜですか。亡くなった当日に発見されたのなら、そんなに広い推定時刻になるとは思えないのですが」
「遺体は温められたり冷やされたりしていたらしく死後硬直や直腸温度などでは死亡推定時刻が割り出せなかったからですね。おそらくそれが真犯人につながる鍵だと見ています」
マウスとキーボードを操っていた神村が玲香に振り返る。
「とりあえず前夜二十二時から当日十時までの防犯カメラの映像を出しますので、大型モニターを御覧ください」
「えっ、ここで観られるんですか」
すると大型モニターに映像が映し出された。
「どうやって外部から監視システムに侵入したのですか」
「量子コンピュータならIDとパスワード形式のロックはものの数秒で突破できます。まあインターネットにつながっていることが条件にはなるのですが。今はあらゆるものがインターネットにつながっていますから、このコンピュータでアクセスできない場所はないと言い切っていいでしょう」
玲香は大型モニターに映し出された防犯カメラの映像を記憶していった。
(第3章A1パートへ続きます)
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