第7話 相続(B1パート)リストアップ

 有数の進学高校から警察大学校へと異例の経歴を持つれいは、持ち前の記憶力と抜群の推理力で警視庁捜査一課のエースとなった。

 もちろん警察大学校出身なので警部補スタートではあるが、官僚組織である警視庁では上位に欠員が出ないかぎりなかなか出世はできない。

 上司のつちおか警部が警視に出世するときに合わせて玲香が警部へと昇進するのが一般的だ。官僚にありがちな配置転換による出世も考えられる。

 たとえば警部になる代わりに捜査の一線を離れて経理に収まることもない話ではない。


 玲香は父の遺産を受け継ぎつつ捜査一課に残るために捜査実績をまとめている。

神村かむらさん、とくに社会的に認知度の高い事件を挙げればいいのですか。推理力をアピールする事件を挙げればいいのですか」

 玲香が入力してプリンタで打ち出した捜査実績書を手元で確認している神村は、白くなった顎髭を撫でている。



「そうですね。総理大臣に見せるのは認知度の高い事件でアピールしましょう。警視総監や刑事部長には推理力をアピールできる事件をまとめるべきですね」

 その言葉を聞いた玲香は、キーボードを叩くスピードを落とさずに、どの事件がよいのか模索することにした。


 芸能人が絡んだ事件、連続殺人事件、猟奇殺人事件など認知度の高い事件を数多く任されたのは、それだけ捜査一課でも認められていたからだろう。

 密室殺人や思いもよらない犯人の事件は推理力を買われたはずだ。

 これらを神村の要求に沿って書類化していくのである。


「でもわたさんに葬儀を取り仕切っていただいて悪いですわ」

「なに、これも経験ですよ。弁護士として葬儀の流れを体験するのは悪いことではありません。まあ親族間の骨肉の争いを見せられれば苦労もわかろうものですが、今回は親族が玲香様おひとりしかおられません。修羅場にはならないでしょうね」

「それだと渡部さんが取り仕切る苦労の意味はあるのでしょうか。私も喪主ですからいろいろと取り仕切ったほうがよいと思うのですが」


 書類に目を通していた神村は大きく頷いた。

「そうですな。書類作成だけでは気も滅入るでしょう。忌引も二日目ですが書類は順調に仕上がっていますから、明日からは渡部と相談しながら葬儀を準備していただけますか。まあ葬儀に参加されるのは、同じ不動産業の方くらいです。生前お父様と葬儀の出席者を調整しましたが、信用のおけるごく一部だけを呼ぶとおっしゃっておりました。その方たちに玲香様の事業を手助けしてもらう予定でおります。とくに不動産業界にこの人ありと謳われたじんない様にお願いできないか、私も立ち会って調整したものです」

「そんなにすごいのですか、その陣内とおっしゃる方は」


「お父様と同じく一代で財を築いた方です。不動産業だけでなく株式取引や為替なども積極的に行って業界トップと呼ばれるほどの傑物です。彼女に教われば、玲香様の不動産業は安泰ですね」

 父に匹敵する不動産業者が女性だとは驚いた。であれば父と懇意だったのだろうか。玲香の教師役を引き受けてくれるのならこれ以上の味方はいないだろう。


 書類を吟味していた神村が話題を変えた。

「今のところ十二件の事件をまとめてもらいましたが、この芸能人による殺人事件と、連続無差別殺人事件、PTA毒殺事件の三件で総理大臣を攻め落としましょう」

「三件だけでよろしいのですか。今ある十二件で勝負したほうが」

「いえいえ、総理大臣は重職で、扱う案件も膨大です。だから手間を取られることを極端に嫌います。アピールしたいなら三件くらいがちょうどよいのです」


 そういうものか。確かに総理大臣の仕事は分単位と聞いたことがある。玲香のアピールは職務のらちがいなのだから、煩わせるのはマイナス要因になるのだろう。


「しかし今の総理大臣はケチくさい人だと聞いています。わざわざ刑事の副業や兼業に理解を示すでしょうか。とくに純米大吟醸を四本手渡したくらいで翻意するでしょうか」

「そこは心配無用です。総理大臣のことは私がいちばん詳しいですからな」

「ですが、昨今の汚職や脱税などで政治家への目が厳しくなっています。そこに総理大臣の特権を利用して地位を得るというのは、あまり褒められたやり方とは思えないのですが」


 書類を読み返していた神村は柔和な顔つきに変じた。

「別に特権を利用するわけではありません。ただ解散権をちらつかせて与野党議員をねじ伏せてくれればよいのです」

 それがじゅうぶん特権を利用していることになるのではないか。どうやらその考えは読まれていたようだ。

「まあそれは言葉のあやですな。警視庁から給与を得ながら副業や兼業をすれば、野党やマスコミに必ずバレます。しかし内閣官房機密費から給与を得ていれば、野党やマスコミには追跡できません。もちろん内閣が変われば給与の保証はなくなりますが、それまでの間に玲香様がどれだけ事件を解決していたか。それによって次の内閣でも引き続き給与が得られるということです」


 使途の公開義務がない内閣官房機密費を使わせるわけか。警察官でなくなる以上、警視庁からの給与が出ないだろうことは以前に聞かされていたが。総理大臣や警視総監、刑事部長を説得してなにを得ようというのか。


「玲香様、私は今夜総理大臣と会食がありますので、その前にお父様の遺産のひとつである警視庁にほど近いビルの居住フロアにまいりましょうか」

「量子コンピュータの試作機があるというビルですね」


「そうです。それを扱うスーパーハッカーとの接触には成功していますが、まだ顔合わせするだけの条件が詰められておりません。報酬が決まり次第その人も呼ぶことになります」

「スーパーハッカーとやらを雇うには、それなりの金額が必要なのではありませんか」


「なに、お父様の遺産からすれば大したことはありません。スーパーハッカーに不動産業もサポートさせれば、玲香様がほとんどなにもしなくても財産は築けるはずですよ」

 不動産業も任せられるほどのスーパーハッカーとの契約。ということは。

「そのスーパーハッカーさんに不動産業を委ねれば、私が刑事を辞めなくてもよいのではありませんか」


「いえ、警察官などの公務員は副業や兼業を禁じられている以上、不動産などの遺産を相続して経営に乗り出せないことになってしまいます。相続する以上は警察を辞めていただかないといけません」


 やはり辞めざるをえないか。しかし、警察を辞めた後も捜査を続けられることはありうるのだろうか。日本では推理を専門とする探偵は存在しない。探偵には捜査権が与えられていないからだ。


 しかし量子コンピュータを持つ探偵はおそらく世界初だろう。

 それを活かそうにも、捜査権がなければただの探偵でしかない。神村はそのあたりを考えて総理大臣にねじ込もうとしているようだが。


「では、のちほどビルへご案内いたします。相続の手続きが済めば、そちらに住所を変更していただきます。電気・ガス・水道はすべて整っていますし、台所もお風呂も備えています。空調も高層ビル基準のものが付いていますので快適に暮らせるでしょう。楽しみにしていてください」


 これは素直に喜べばよいのだろうか。神村はおそらく捜査権のある探偵を目指しているのだろう。しかし法律上、市民に捜査権はない。捜査の基本である聞き込みすら資格がないのである。


 書類をプリンタで打ち出しながら、玲香は次々と事件をまとめていく。

「このくらいでいいでしょう。総理大臣にはこの三件を。残りを警視総監と刑事部長に渡して説得してみます」

「捜査一課の私でも警視総監とは面会できませんが。どうやってお会いになるつもりですか」


「それこそ総理大臣の力を借りるのですよ。まず総理大臣を落として、そこから警視総監と刑事部長に指示を出させれば、まず拒否されないでしょう」

 だから総理大臣に固執していたのかと玲香は合点がいった。

「それでは今から総理大臣のアポイントメントをとります。今日中に会えるようねじこみますので、その間に外出の準備をしてください。新居となるビルの下見にまいります」


 神村はスマートフォンを取り出してどこかへ電話をかけ始めた。





(第2章B2パートへ続きます)

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