第6話 相続(A2パート)神村の思惑

 神村かむら弁護士の目つきが急に鋭くなったかと思ったら、満足げに数度うなずいた。


「なるほど。確かに抜群の推理力ですな。なぜそう思ったのかをうかがってもよろしいですか」

「人間が他人にやさしくするには、必ず理由があります。ひとつめがもともと博愛精神が旺盛で、どんな境遇にいる人にも手を差し伸べるタイプ。ふたつめが依頼主に恩義があり、受けた恩を返そうとするタイプ。そしてこれが最も多いのですが、やさしくすることで利益を得ることができるタイプです」

 やにわに神村の眼光が鋭くなった。目つきがコロコロと入れ替わる人だ。


「もし博愛精神があれば、事業を継がせるより孤児院などに寄付などの条件をつけて資産をすべて国庫に返納させるのが筋でしょう。そして父に恩義があったとすれば、事業を私に継がせるだけで事は足ります。あえて困難な刑事との二足の草鞋を履かせるようなことは考えられない」

 ひらめきだが、推理としては筋が通っているようだ。


「であれば、私に事業を継承するだけでなく、私の仕事と両立させることを生前の父と約束していたと考えられる。おそらくですが成功報酬が決まっているのでしょう。刑事を辞めさせて事業を私に継承させたら一億円、両立させたら十億円。父の遺産総額からすれば微々たるものでしょう。でも弁護士をしていて一度の仕事でこれだけの利益を得るのは難しい。大企業の顧問弁護士でも数千万円といったところでしょうから」


「玲香様は本当に洞察力にすぐれておりますな。そのとおり。成功報酬がかかっています。実は小切手を二枚受け取っているのです。もちろんお父様名義で。だから玲香様が相続放棄なさればすべての資産が国庫に入って小切手は紙切れとなります。警察を辞めさせて事業に専念できるようにしてくれれば一億円。事業と警察を両立させられたら三億円と提示されています。こちらがその二枚の小切手です」


 言うやいなやスーツのジャケットの内ポケットから取り出し、紙切れを三枚提示した。受け取った玲香は、中を確認する。神村の言うように一億円の小切手と二億円の小切手、そして換金するための契約事項も記されていた。


 もし神村が事情や条件を提示しなければ、玲香が相続したあと適当な時期に換金することだってできたはずだ。ということはかなり誠実な人柄であることを物語っていた。

 父の顧問弁護士として長年尽くしてきたのも、同郷で同級生だったからこれ以上ない友情の絆で結ばれていたのだろう。


「これがあれば、私に事業を継がせなくても三億円は手元に残ったのではありませんか」

「私は筋を通したいだけですよ。お父様ののり様から懇意にされ、たくさんの恩恵を受けました。だからこれが私の最後のご奉公だと思っております」

「最後の奉公ということは、この件が落着したら顧問弁護士としては引退するとお考えですか」


「はい、まだ六十歳にも達しておりませんが、成功報酬で三億円をいただければ倹しく生きていけます。その意味でも、なんとしても私は兼業を実現させたいのです」

 なるほど。だから玲香へ親身になってくれるのだ。自身の利益と合致しているのだから、やらない理由はないだろう。仮に失敗しても罰金があるわけでもない。振り出された小切手が紙くずになるかどうかというだけだ。


 いや、父が振り出した小切手は、遺産を相続するときに精算されるべきものだろう。つまり仮に失敗しても三億円は確実に受け取れるはずである。ということは、そういう欲が理由で尽くしてくれているわけでもなさそうだ。


「ちなみに神村さん、父の遺産のリストはすでに出来上がっているのでしょうか」

「はい、お父様の生前にすべての財産をリスト化しております。相続手続きの際に必要になりますので、それまでは私が預かっております。どれほどの遺産を受け取るのか、ご確認したいのでしたら今ご覧に入れますが」

「いえ、今はよしておきましょう。まずは父の葬儀を滞りなく営むのと私の捜査実績をまとめるのが先決のはずです」


「そうですな。遺産の総額を実際に目の当たりにすると、欲に目が眩みかねません。宝くじの何十倍、何百倍にもなりますから」

「実感が湧かないんですよね。仮に数字を見せられても、信じられない気持ちのほうが強いでしょうし」


 神村はなにかを思い出したようだ。

「そういえば、お父様から玲香様へ贈り物があるんでした。自動車なのですが」

「自動車、ですか。それも相続リストに入っているのですか」

「入っていますが、名義の変更を済ませるだけなので、いつでも乗れますが」

 父は玲香にどんな自動車を遺したのだろうか。

「ポルシェ・タイカンをご存知ですか」

「たしかポルシェ社の電動スポーツカー、でしたよね」

「そのとおりです。そのターボGTのカーマインレッドモデルです」

 ポルシェのスポーツカーということは三千万円は下らないはずだ。そんなとんでもない自動車をよくも玲香に遺そうとしたものだ。


「仮に玲香様が遺産を引き継がないとなったときに、最低でもタイカンだけは受け取ってもらいたい、という親心ですな」

「つまりそれを売って生活の足しにしろってことなのでしょうか」

「平たくいえばそうなります。ですがお父様は玲香様が相続を放棄することはない、とお考えだったようです」

「その根拠はあるのでしょうか」


 神村はバッグから小冊子を取り出した。表紙を見ると「徳人氏相続リスト」と書かれている。普通ならA4のプリント用紙で済むはずのものだろう。それがなぜオフセット印刷されているのだろうか。

「ああ、この書籍ですか。お父様の遺産をリストアップしたものです。お父様と協議しながら作成いたしました。どの物件を売却して相続税に充てるかが主ですね。それぞれの評価額なども記されております」

「つまり、父は最初から私が相続を放棄するわけがないと見ていたわけですか」


 さすがに一代で財を築いた、交渉術に長けた人だっただけはある。

 玲香の性格や親子の情なども加味して、断られるとはまったく考えていなかったのだろう。〝投資の神〟であった父の眼力は死後をも見通していたのかと、玲香は畏れすら抱いた。


「いつか父を超える交渉術を手に入れたいところですね。刑事としては目撃者や容疑者からどんな情報を聞き出せるかが重要ですから」

「そのためにも、不動産経営の経験は確実に玲香様をステップアップさせますよ」

「問題は、警視庁がそれを認めてくれるか、ですね」


 不安を抱えながら、神村の言うように警察に七日間の忌引を申し出て、捜査実績をまとめることにした。

 葬儀の準備は神村の部下にすべて任せることになった。





(第2章B1パートへ続きます)

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