僕のコップと変な絆創膏

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僕のコップと変な絆創膏

「死ぬなよ。ワシより先に」


 おじいちゃんは僕に会うと、この言葉を必ず言う。

 多分だけど、「死ぬ」の意味すら分かっていない幼少期の頃から言われてたと思う。


 正直、おじいちゃんの顔を見るだけで、この言葉が頭に出てくるくらいにはちゃんと呪われていたのだと感じる。


 だから、思春期の時、この言葉にムカついて反抗したこともあった。


 だが、おじいちゃんはそんな時でも、怒るどころか、笑顔で僕をギュッと抱きしめて、こう言った。


「これなら全く心配ないな。ガハハハハハハハ!」


 まあ、反抗してもこんな感じで返されるから、僕の反抗期は普通よりも短かったらしい。

 

 でも、そのおかげか、僕の人生は割と順調だったと言えるだろう。


 中学の修学旅行でクラスメイトと深夜にバカなことして、廊下で正座させられたり、高校では初めての彼女ができて、ちゃんと失恋をした。


 大学では、女性の体のことを深く知るような経験ができたし、一生涯の友もそこでできたと感じている。


 そして、ちゃんと、身近な人の「死」を経験した。


 確か、高校三年生の時だったかな。

 おばあちゃんが病気で亡くなってしまったのだ。


 僕に会うと必ず飴をくれていたおばあちゃんがもう二度と目を開けない事実が全くもって信じられなかった。


 顔もいつも見ていた寝顔と何も変わらない。


 なのに、もう二度と会話できない。

 もう二度とおばあちゃんの笑顔を見れないという現実からか、僕の瞳からはまるでコップから溢れ出た水のように涙が流れ、地面に落ちていった。


 それは僕だけではなく、そこにいたほぼ全ての親族がそうだった。


 だが、唯一、おじいちゃんだけ違っていたと思う。


 おじいちゃんはもう握り返してくれることはないおばあちゃんの手を優しく握っていた。


 そして、おばあちゃんにこう言った。


「毎度、ワシの無茶に付き合ってくれてありがとうな」


 その時のおじいちゃんの小刻みに震える背中を僕は忘れることはできないだろう。



☆☆☆☆☆☆☆

 


 まあ、こんな感じで僕は割と普通の人生を歩んできたと思う。


 だが、今の自分はこの「普通」に耐えられなくなっている。


 大学までの「普通」は心地がよかった。


 全てのものが与えられている立場だったから、責任なんてものはほとんどなかった。


 そのおかげで、僕は当時、自由を謳歌できていたのだと思う。


 でも、社会人になってからは全てが変わった。

 

 自分が相手に与える側になったことで、責任という目には見えないが、時には重力よりも重いウェイトを背負うことになった。


 恐らく、要領が良い人なら、先輩とか、上司に聞きながら、上手くやっていくのだろう。


 でも、僕にそれはできなかった。

 なぜなら、聞く勇気がでなかったから。


(先輩は忙しそうだし、今は聞けないな)

(まだよく分かっていないし、聞くのはまだ早い)


 こんな風に考えてしまい、少しずつ自分の抱えている業務が増えていった。


 自分自身でも、コップの水が満タンに近づいていくのを感じていたが、どうすることもできなかった。


 でも、週に一回、日曜日におじいちゃんと電話で近況について話をしていて、そのおじいちゃんとの会話で何とか自分を繋ぎとめていた。




 だが、社会人三年目のある日、僕のコップにヒビが入ってしまった。


 別に何か大きなミスをした訳ではない。


 ただ、またも同じようなケアレスミスをしてしまう自分自身に対しての苛立ち、同じフロアにいる同期が褒められている姿を見て、自分の限界を超えてしまった。


 いや、実際には、もうずっと前からヒビは入っていたのかもしれない。


 だけど、水の量ばかりに気を取られてしまい、気づいた時にはもう取り返しがつかない位、大きいヒビになってしまっていたのだろう。


 正直、どうやって、今週を超えたのかを覚えていない。



☆☆☆☆☆☆☆



 そんな何とか超えて迎えた土曜日の朝に、おじいちゃんから電話がかかってきた。


 いつもは日曜日に電話をかけてくるのに、土曜日にかけてくるなんて珍しい。


 気分は全く上がっていなかったが、おじいちゃんとの電話は出ると決めていたので、重い体を起こし、電話にでる。


「おい、元気か? ちゃんと、生きとるか?」


 おじいちゃんはいつもと何も変わらないようにそう言った。


 僕はそのおじいちゃんの声に安心したのか、涙が止まらなくなってしまった。


 おじいちゃんは最初のおちゃらけた様子とは打って変わって、僕の鼻水ずるずるの言葉を優しく聞いてくれた。

 



 そして、僕の涙が尽きた時、黙って話を聞いていたおじいちゃんが僕に質問をした。


「お前、有給使っとるか?」

「…………全然」

「じゃあ、来週の金曜日と再来週の月曜日、有給を取れ。ワシとでかけるぞ。これは命令じゃ」

「そんな簡単に取れないよ」

「簡単に取れるわい。有給なんて。上司の人に言うだけ言うてみ」


 僕は半ば強制されるかのように有給取得を命令された。


 正直、社会人になってから三年になろうとしているのに、全然戦力になれていないから、有給を使うのはおこがましいと思っていた。


 だから、あまり有給を取りたくなかったのが本音だ。

 もしかしたら、上司から嫌味みたいなこと言われるかもしれないし……。


 だが…………


「有給二日間ね。了解しました」


 想定していたのとは全く違い、簡単に有給申請が通った。


 一年目、二年目は上司から有給を取らないとダメと言われ、ほぼ強制的に取っただけだったから、こんなに簡単に取得できるとは知らなかった。


 正直、拍子抜けした。

 こんなだったら、もっと自由に取ってればよかった……。


 そんな風に少し後悔しながらも、今週はこのおじいちゃんと会う四日間の為に、仕事を何とか頑張った。


 そのおかげなのか、少なくとも先週よりは仕事を頑張れた気がした。


 そして迎えた金曜日。

 僕は新幹線に乗り、おじいちゃんが住んでいる場所に向かった。


 新幹線を待っていた時のホームの風景、音、新幹線内の温かさ、座席の固さ。


 久々に乗る新幹線に、変な新鮮さを感じていたが、この変な新鮮さは全く嫌いじゃなかった。



☆☆☆☆☆☆☆



 外の風景を見たり、スマホをいじったりしていると、あっという間に目的地に到着した。


 僕は改札を出て、おじいちゃんと約束した場所まで歩いて向かった。


 電話で話していたとはいえ、社会人になってからは会っていなかったから、その待ち合わせ場所に近づく毎に、緊張が高まった。


 そして、その待ち合わせ場所が目に見える場所まで近づくと、もう腰は随分と曲がっているのにキザなサングラスをつけている変なおじいさんがいた。


 僕はその人を一目見た瞬間から、それが僕のおじいちゃんなのだと確信した。


「おじいちゃん、久しぶり」


 僕はおじいちゃんにそう話しかけた。


「おう、久しぶりじゃの。どうや、ワシ、イケメンじゃろ?」


 おじいちゃんはサングラスをクイッと上げて、上目遣いで僕を見てきた。


 僕は周りの目が気になり、すぐに「変わってなさそうで安心したよ。じゃあ、早く行こ」とおじいちゃんに言って、最初の目的地の方へ歩きだそうとした。


 だが、おじいちゃんはそこから動こうとせず、そこにとどまって僕に質問した。


「イケメンじゃろ?」


 僕はこの質問に呆れながら、「はいはい」と答えた。


 すると、おじいちゃんは笑顔になり、僕の後ろを付いてくるようにゆっくりと歩き始めた。


 そこから、僕達はおじいちゃんが住んでいる地域で有名なお城に行ったり、テレビで紹介されていた定食屋に行ったりして、今日一日を楽しんだ。


 そのおかげなのだろう。

 おじいちゃんの家に着く時には、久々に心地いい疲れを全身で感じていた。


 そして、いつも感じていた心の重荷みたいなものはどこかへと飛んでいってくれた様だった。


 僕はその疲れからか、リビングで大の字で横になって休んでいた。


 だが、そんな状況でも、汗もかいたから、風呂には入らないといけない。


 僕はその重くなった体を何とか起こし、もはや熱湯のようなお風呂に入り、上がった後には、おじいちゃんと一緒にテレビを見た。


 正直、あの自由な時に戻ったような気がした。


 でも、あの時にはいたおばあちゃんが今はいないから、あの時より少し静かになったような気もしていた。


「たまにはこういう日も作んないとダメじゃな」


 テレビを見ながら、おじいちゃんがそう呟いた。


「そうだね」

「でも、それは生きてるから言えることじゃ」

「……」

「死ぬなよ。ワシより先に」


 おじいちゃんはテレビを見ながら、僕にそう言った。


 僕の角度からはおじいちゃんの背中しか見えなかったが、小刻みに震えていた気がした。



☆☆☆☆☆☆☆



 その後の日も自分が大人になっていることを忘れて、全力で楽しんだ。


 それもこれも全ておじいちゃんのおかげ(せい?)だろう。


 だって、僕以上に子供みたいに無邪気に楽しんでいたのだ(正直、僕が恥ずかしくなる位には子供に戻っていたと思う)。


 そんな人が隣にいたら、自分も子供のようになってしまうのは仕方ない。


 あの時と同じように、鬼ごっことかはできないけど、散歩中にバカみたいな話をして、気になった店に入り、食べきれない位の料理を頼んだりした。


 楽しみ方は変わったけど、感情は全てあの時と全く同じだった。


 そうか、自由は割とすぐそこにあったのか。


 そして、この四日間が終わる時には、僕のコップには、このおじいちゃんとの四日間というカラフルな絆創膏が雑に貼られていた。



☆☆☆☆☆☆☆



「じゃあ、またね。今回はありがとう」


 最終日、僕は心から思ったことを改札を渡る前におじいちゃんに言った。


「なら、よかったわい」

「へへ。また遊ぼうね」


 僕がそう言って、改札を渡ろうとした時、おじいちゃんに名前を呼ばれた。

 そして、おじいちゃんは僕に向かってこう言った。


「お前はもう大丈夫や。今回はワシの知ってる二倍は長生きしろよ」


 おじいちゃんは笑顔でそう言った。


「へへ、もちろん。僕は100歳まで自由でいるよ」


 僕はおじいちゃんに手を振りながら、改札を渡った。

 おじいちゃんは僕が見えなくなるまで、ずっと僕を見てくれていた。


 本当に最高な四日間だった。

 絶対に忘れることができない最高な思い出になった。











 そして、偶然なのか、必然なのか、丁度この三ヶ月後に、おじいちゃんはあの世へと旅立ってしまった。


 実は半年前から、おじいちゃんは大病を患っていたらしい。


 本来であれば、すぐにでも入院して、治療をすべきだったのだが、頑なに断り、薬でなんとかしていたとのこと。


 何てバカなおじいちゃんなんだと僕は思った。


 治療をしていれば、もっと長く生きられたかもしれないのに……。

 

 前に貼った絆創膏から水が染み出し始めていた。

 そんな感覚を覚えていた時、お医者さんに呼ばれた。


 僕は止まらない涙を、袖で拭き、お医者さんについていった。


「この度は誠に残念でなりません。また、このタイミングで大変申し訳ないですが、これを渡してくれとおじい様に頼まれていますので……」


 お医者さんは僕にそう言って、一通の手紙を僕に渡した(そして、一礼して、どこかへ行ってしまった)。


 僕は無心で随分と暗くなった病院の待合室に向かい、うなだれる様に椅子に座った。

 でも、心と言うものは不思議で、涙は全く止まらなかった。


「…………だけど、この手紙だけは読まないと」


 僕は手紙を開き、ぼやけた視界を元の視界に戻す為に何度も手で涙を拭いて、手紙に焦点を合わせる。


 そこには、こう書いてあった。



===

手紙をダラダラ書くのは得意じゃないのはよく知ってるだろ。

だから、しんぷるに書くぞ。


・ワシが死んでもそんなに泣くな。

・長生きしろ。


こちとら、お前にどれだけ泣かされたと思ってるんじゃ。

だから、ようやくお前の泣き顔が見れると思うと、ちょっと嬉しくなっちまうな。


なんてな、冗談はこんくらいにして、お前には笑顔がやっぱり似合う。

笑顔で長生きしろ。

ワシみたいに、ワシ以上に長く、ワシより幸せにな。


そして、お前が死んだ時、あの世でワシに思い出話を話してくれ。

やっと、お前の話が聞けそうで安心じゃ。


じゃあ、また天国でな。


BY イケメンなジジイ

===



 …………この手紙をこの待合室で何回、何時間読んでいたのだろう。


 もう手紙に書いてある字はずいぶんと滲んでしまっていた。


 でも、変だな。


 涙は止まらないのに、笑ってしまうのは。

 

 …………いや、当然か。

 

 こんな遺言を残されちゃ笑わなきゃだよな。


 全くあのおじいちゃんは最後まで子供だったな。


 加えて、呪いのような言葉を残しやがって…………。


 絶対に幸せになってやる。

 絶対に長生きしてやる。

 おじいちゃんにあの世でいっぱい話をする為にも。


 僕のコップには、おじいちゃんのまた変な絆創膏が貼られていた。


 でも、それが良い味を出していた。


 外でオレンジ色に輝く太陽とよく映えそうだ。


 次はどんな絆創膏を貼ろうか。


 どうせなら、おじいちゃんがビックリするくらい変なやつを貼ってやろう。


 もう、コップはずいぶんと乾いていた。

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