小説家は嘘つき

馬西ハジメ

ひとつめ

「エッセイ」を書いたことがないので、通勤中に少しだけ独り言。


職場の若い同僚が新婚旅行を取り止めた。妻の体調が悪くなったのだという。あんなに楽しみにしていた奥州旅行から翻って病室で、今は人工呼吸機につながれているらしい。病名は心不全。


そのとき心不全を扱ったミステリーを書こうとしていた。商業作家でもなく、まだひとつも物語を書ききっていない。そんな人間にも関わらず内心動揺した。


不謹慎だ。ともう聞き飽きた台詞が浮かんだ。


自分が書こうとしている物語の全容を同僚が知ったらどんな顔をするだろうかと恐くなった。

自分の物語をどんな結末にしても、同僚の慰めにはならない。それどころか腹立たしさに掴みかかられるかもしれない。まだ形にもなっていない物語が誰かを傷つけてしまうのなら、どんな未遂と言えるのだろうか。そんな取り止めもないこと考えてしまった。






「小説は嘘話やから読まない。」

祖母はファンタジー好きだった小学生の自分には冷たく聞こえた。


小説は嘘。ノンフィクションは真実。


そんな考えが親子三世代に渡って体に染み込んでしまったのかもしれなかった。いつの間にかファンタジーよりもなにかもっともらしい現実的な物語がよいとおもうようになってしまった気がする。


小説家になりたいとおもう一方で、「どうせ嘘」「どうせもう遅い」という気持ちで出来ない理由を探していた。その暗いトンネルから抜け出そうと走り出した矢先、件の同僚が頭を抱えていたのだ。


書き出した物語は産まれる前から憎まれてしまうのだろうか。それでも「書きたいから書く」という気持ちになれないのは、結局同僚を書けない言い訳にしているだけだ。


そんな自分があまりに弱くて情けなかった。




でも、もし小説が嘘なら、

どんな嘘をつきたいだろうか。


まだ文字にすらならない物語は、どんな嘘をついてくれるのだろうか。


誰にでも優しくはきっとできない。

腫れ物にさわるような優しさは現実だけて十分だった。

きっと、現実では明日も同僚とその話しはしないとおもう。絶対話題にすることはない。


けれどどうせ嘘なら、世界の片隅でなら、

同僚に一方的に語るように書くことはできないだろうか。

彼の悔しさが報われるような、都合のよい嘘を書き散らせないだろうか。



そんなことを考えて、今日も一文字も書けないまま職場へ向かうのでした。



【おわり】

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