第2話 小学生時代

小学校時代

 

 小学校一年生

僕は幼稚園の時の友達と同じクラスになった。すごくうれしかった。学校では朝の会の時に今月の歌を歌ったり先生の話や今日の給食の発表を聞いたりしたのが一番良い記憶として残っている。後、初めての学校では色々な行事に参加した。僕が思い出に残っている学校の行事は、給食に出てくるミルクの蓋を集めてそれをお金の代わりにして 全学年で郵便をする事だった。どの学年に送っても良い‥僕はそれをする事が大好きだった。沢山‥手紙を書いて送った‥後は、この時にやった運動会の思い出は、暑すぎて倒れそうになった事しか思い出にない‥(笑)←「笑っている場合じゃない‥」

また一年生のとき僕には、ヘルパーが教室についた。始め僕はすごく嬉しかった。でも後々になって、このヘルパーは僕にとって邪魔な存在になってしまった、僕の為に来てくれたのに、当時の僕は周りの目を気にしてしまったのだ。周りを見ると、みんなにはヘルパーがついていなくてなんで僕だけなの?、そのように思ってしまったのだ。でも今思えばその人に申し訳なく思っている。そのヘルパーがいたからこそ今の僕がいるんだな、そのように思えた。

この小学校一年生の2学期までは、学校は楽しい所なのかなと気を抜かしてしまった。気を抜かし始めてから僕の落胆的人生が始まった。始めはクラス内でいじめが始まり、苦手な子の隣に二回もなった、何で二回も席が隣になるのかなと思った。少ししてから次に上級生からいじめられ‥年齢が上がるにつれていじめもどんどんひどくなった。まして、年下の子つまり下級生からのいじめもおき始めていた。僕のいじめは、冗談みたいな本当の事を言われたり、菌扱いをされたり‥しんどかった‥でも誰にも心配させたくなかった、だから僕は誰にも相談ができずに3年生まで我慢して先生や親にばれないように学校に行ったでもその時、本当は学校に行きたくなくなった、いじめられ、授業にも集中が出来なくなり、周りの子の目が気になり始めた。僕はしんどかった、もう限界がすぐに来てしまって僕はがんばって勇気を振り絞って親に学校へ行きたくない事を伝えた、でも親はなかなか理解してくれずに話も聞いてくれなかった。この時きちんとしなければ後々後悔する事を知らずに、僕はその時の苦しいにしか目を向けていなかった、僕は今になって後悔している。もっとここで、いじめられている事に気にしないで勉強に集中すれば良かったんだと‥今になって痛感させられた。

親に僕の気持ちを話しても理解してくれない、なんで理解してくれないのだろう?もう親のいる家は、僕の居場所ではない。そのように思い僕の中で家は怖い場所、仲間がいない場所だと思い家は居場所ではないと思った。

僕は一年生の二学期から学度保育に行き始めた。

学童保育で僕は一人で塗り絵などをした、塗り絵が好きだった僕は塗り絵の本を何冊も持っている、晴れの日には運動場でも遊んだ、雨の日はみんなでDVDを見たりした、その中で面白かったのはトム&ジェリーだった、そのアニメが僕のお気に入りになった。

 雨の日が楽しみで仕方がなかった。僕は年に一回台湾に帰る事になっている。お母さんの方は台北でお父さんの方が高雄なのだ。僕のおじいちゃんとおばあちゃんは台湾の高雄で魚屋さんをしていた。だから毎年の12月台湾に帰った時僕の楽しみだった。一番の楽しみがおじいちゃんとおばあちゃんの間に座ってご飯を食べる事だった。料理はおばあちゃんが作ってくれて僕はそんなおばあちゃんの料理が一番好きだったしその時が幸せだった…僕が魚を食べるとおじいちゃんは魚の骨を抜いてくれた…すごく優しかったし嬉しかった、そんなおじいちゃんとおばあちゃんが大好きだ だから僕は毎年台湾に帰る事が楽しみなのだ、12月にはおじいちゃんとおばあちゃんに会えるのだ!

でも日本に戻って、学校に行くといじめられる、そんな生活を小学生時代に過ごしていた。

この時の僕はあることにハマり出した。クラスメイトの物を盗むことだ。クラスメイトのものを盗めばクラスメイトが困ってる、クラスメイトが困っている顔を見るとなんか快感を覚えるようになった。そして僕は毎日のようにクラスメイトのものを盗むようになった、僕は盗む事が好きになった。

クラスメイトのものを盗むことがなんだか面白くないと思ったある日に事件は起きた。僕と親は近所のスーパーに行った。色々見て回りながら鍵が目に止まってしまった。別に欲しいとは思わなかったけどちょうどズボンのポケットに入るサイズだった。僕はその鍵を手に取って自分のズボンのポケットに入れた。

そして親は買い物が終わり店を出た。

そして家に帰った、僕はもう鍵のことなんか忘れていた。僕は家に帰って、ズボンを洗濯カゴに入れお風呂に入った。そしてパジャマに着替え、僕は寝ようと思った。寝ようとしたその時、親に呼び出された。親に鍵が見つかってしまったのだった。怒られた。そして親は警察までも連絡した。僕はびっくりした、そして必死になって止めた。親は許してくれた。翌日僕は親と一緒にスーパーに行き店長さんに謝った。許してくれた。僕はこの時のことを思い出すとよくこの時に止めなければ、僕はきっと僕は警察に捕まり少年院に入れられるんだな、そうしたらもうあんな学校に行かずに済んでいたのかもしれない、もういじめられずに、周りを気にせずに勉強ができたのかもしれない、そのように思った。

 

小学校二年生

この時から学童保育で外出行事がある度にしんどくなって吐いて、先生とバスの中で休憩する事が多くなった、ある時なんか僕は遊んでいて突然僕はそ意識を失って倒れてしまった。それでも先生は僕をおぶってバスの所まで連れて行ってくれた。そして先生と二人でみんなが帰ってくるのを待った。僕はあんまり覚えていないけど、遠足がある度に僕は倒れて起きたらバスの中と言う事は覚えている、起きたらバスの中‥と言う事は多かったのだ。

学童では小学校三年生までの子が行ける所だ。 僕がその中で一番楽しかったのは自

分より一つ下の学年の子と遊ぶ事だった、2年生になって一年生の友達ができたのだ。おままごとで遊んだり病院ごっこをして遊んだりした、このときにやった病院ごっこが楽しすぎて、僕はこの時から病院ごっこをするのが好きになった、でもまだ小学校の低学年、病院ごっこって言ってもジャンルは限られていた、でもこの時から病院ごっこにハマっていった僕は、年齢が上がるにつれてジャンルが広がることになった。学童保育はすっごく楽しかった、友達と遊ぶことがすごく楽しかった、でもその一方で学童保育の中でも僕に対してのいじめがなくなった訳ではなかった、ある日、マーカーペンを使って服に落書きされたり、一方的に無視してきたり‥マーカーで背中に書かれたとき書いた子は僕に「インクが出てない」と言ってホワイトボードで書いて見せた、でも家に帰ってその所を見るとインクが付いていた。一番好きな服だったのにでもそれでも僕は友達と遊ぶ喜びを手に入れていた、だから少しショックだったけど苦に思わなかった。友達が来ていない日は外で遊んだり、塗り絵をしたりした。ある日外で遊んだ時僕は朝礼台にのぼって、頭から落ちた。たんこぶも出来た。痛かった。僕はバランス感覚がすっごく悪い。

僕はそこで三年生まで通った、その学童保育があって僕の人生の第一ステップとなりまた、四年生になってから僕の人生の幕‥大きな人生の幕が開こうとしていた。この時僕は一年生からの授業の時いじめに気にしないで、きちんと勉強すべきだったと後悔した出来事があった。でももう僕の知識は低かった、みんなとは離れてしまっていた。勿論、この時も僕はいじめられた。


小学三年生

僕は3年生になった。1・2年生の時と変わらずに過ごした。いじめは続き勉強には集中できずに、それでも学校には行かなければならない、そんな生活を送った。

でも唯一違ったのは、朝の会の時僕は別学級に行ってそこで朝の会をやったという事、そして算数の時には別教室に行って、そこでゆっくり算数をしたという事だった。

別教室に行くことはその時の僕にとってはすっごくいいところに見えた。でもそのせいで、余計にみんなとの知力の差ができてしまった。

 

 小学四年生

僕の人生が大きく左右される出来事が起った。この後の僕の人生に深く関係したり、いや…その事が僕の生き方を根から変え、親は僕に対する態度を変えていき、おかしくなり段々と過保護になっていき、またその出来事があるせいで今後大きな事件が起きたりするようなことが出来事が起きた。ある日僕は学校の先生に呼び出された それも放課後の時に!少しびっくりし戸惑いながら、先生の後について行き、案内されたのが、まさかの職員室、その後に校長室、隣から声が聞こえてくる‥「もうあそこに入られたらこれからはその道になってしまいます」と言う校長先生の声が聞こえた。僕は訳が分からなかった。でもひとまず僕の事ではないとその時は思った、でも後になって僕は気づいてしまった。

その時、僕は何だろうと思いながら、しばらく待っていたら僕のお父さんが出てきた その後にお母さんも出てきた。お父さんの顔を見たら何だか深刻な顔をしていたのを僕は忘れる事が出来ない、そのとき両親は僕の事で先生と話をしていたのだ、そして校長先生の話を思い出した、これから僕は何処に連れて行かれるのだろう‥少し不安に思いながらも僕自身では何も出来なかった。

次の日から、クラスには行かなくても良くなった。始めはすごくうれしくて 始めは喜んで仲良し学級に行った。

その学級は、普通と呼ばれている子ではない子供たちがいる学級…つまり、変わった子供たちが行くような学級だった。それでも、僕はもういじめられなくなる。そのように感じて僕は嬉しくなった。でも、始めは何も分かっていなくて、ここの学級が僕の居場所なんだと思っていたが、段々とここは僕の居場所又は僕が居るべき場所ではないと感じ始めた、でももう後戻りはできない。前を向いて過ごすことしかできなかった。

そんな時、僕はびっくりした、日本に来て初めに入った保育園の時の友達がその学級にいたのだ、僕は又友達を得ることが出来た、その友達と沢山遊んだり話したりした。すっごく楽しかった。でも、僕はその子達とどこか違うことに心の底から思っていた。でもそれを口に出すことは出来なかった。親や大人が決定した事‥こんな僕の為に時間をかけて決めてくれた事なのに、僕がここで口を出したら失礼だろうと思った。

僕は皿回しをするのが得意だ、僕はこの時学校の行事で福祉施設に行った、そこでの行事は皿回しだった、僕は初め失敗したけど、この後から僕は上手に皿を回す事ができ皿回しが好きになった。クラスメイトの誰よりも早くに皿を回せて僕は少し誇りを持った。

僕は通常学級で友達が何人かできた、すっごく嬉しかった。こんな僕でも、普通の友達を作ることはできるんだな、そのように思って嬉しかった。

その子に放課後遊びに誘われた、それを親に言ったらダメって言われた。「あんたはバランスが悪いからすぐ転けてしまう」「危険だからやめておきなさい」「友達?あんたはこんな感じなのに友達なんてできない、ただ利用されているだけなんだからやめておきなさい。」こんなことを言われた。僕は傷ついた、それでも、その友達は僕の家の近所で遊ぶからと言てくれて僕はその友達と、家の前にある公園で遊ぶことができた。そしてその日から僕とその子と放課後遊んだ、そして遊ぶ範囲も広がった、初めは家の前の公園だったのに、だんだん広がっていき最終的にはその子の家で遊べるようになっていった。すっごく楽しかった。

今僕は思う、小学校時代の友達作りと友達と遊ぶことは、今後の人間関係形成の土台になっているんだなと…もしこの時僕に友達がいなかったら、もしこの時外に遊ぶことがなかったら…僕はどうなっていたのだろう…考えただけでも怖くなる。


 小学5年生

ある日事件は起きてしまった。仲良し学級に入ったせいで起きたことが仲良し学級で事件が起きてしまった、僕は今もその事件について心が苦しくなる時がある。でも今の僕はその事と何だか切り離せる気がするのだ。僕にはその事に縛られない!‥今僕は全てを思い出し何も言えなくなってしまった‥やっぱりこの事に対する僕のトラウマからは切り離せない、もう切り離すことはできないのだ。この時からお母さんはさらにおかしくなったと思う。その事件とは自然学校で起った。でも、この自然学校の班は僕にとって最高だった、通常友達と一緒なのだ 少し安心した。僕は沢山沢山しゃべったり話したりした。楽しかった 三人いればもう無敵と思った。自然学校でほぼ行動するときは三人一緒だった、バームクーヘンを作ったり飯盒炊飯したりした、又魚を手で取ってそのまま焼いて食べたりした、おいしかったし楽しかったし何より最高な時間だった。

山にも登った、でも山登りの時だけ僕は仲良し学級のグループに連れて行かれた。

僕は訳がわからなかった、でもついて行くことしかできなかった。仲良し学級にいる僕の同級生は僕も入れて三人だった。その中の一人とのことで問題があった。

自然学校が終わり、僕は翌日仲良し学級に行った。そこにはその子のお母さんがいた。そしてそのお母さんに呼び出されて、怒られた、言っている言葉の意味が理解できなかった。でも怒られ続けて僕の頭は理解に追いつけなかった。その日から僕は仲良し学級でその子と会うことはなかった。仲良し学級にいても通常学級にいても周りを見たらみんなあの子だけを庇っていた、あの子だけが被害者とでもいうかのように、その子だけを見たり僕もいるのに全然気がついてくれずその子に優しくしたりしていて僕はしんどくなった。

 ある日のこと、僕は頭に来てしまって、仲良し学級の靴箱にあるその子の体育シューズを取って図書室の傘だてに隠した。その子が次の授業に使う体育シューズを持って行くために一瞬帰ってきた。勿論僕が隠したから靴箱にはない。困ったその子のあわてている様子を見て僕は嬉しくなった。やり返せた、そのように思った。

でも、仲良し学級の先生は僕が隠していることに気がついたらしくて、僕に問い詰めてきた。やっと僕にも目が向けられたと思い、少し嬉しかった。買うしたのに怒られはしなかった。その子に靴を返して、体育シューズの件はこれで終わった。でも僕とその子の関係は終わっていなかった。

仲良し学級での子の事件があってもクラスでのいじめが終わった訳ではなかった、だから僕の居場所はだんだんと消えてしまった。通常学級に行けばいじめられ居場所がないし仲良し学級に行けばなんか苦しくなって、仲良し学級も僕の居場所じゃない、もう僕の居場所はどこにあるのかわからずに悩んでいた。

五年生の時でも、僕は親と一緒に教会に行った。それ僕の助けとなった、だが僕は相変わらず牧師が何を話しているのか分からなかった、だからこの時教会が僕の本当の居場所だと気づきもしなかった。そしてこの時の僕は教会も僕の居場所ではなかった。

僕は家にも外にも学校にもまして教会にも居場所がないと悩んでいた時に、僕をこの環境から逃がしてくれるような出来事があった、学校から逃げることはできたけど、今考えれば、この時からもっとお母さんはヒステリックになっていき、少しおかしくなっていったのがこの時だったからなのかもしれない、そして、このことは学校から一時はなれる事が出来る出来事だけど、別にこんな形で僕を学校から離さなくても‥と思い少し自分を責めた。

 

 小学六年生(第一)

僕は6年生になることをすごく楽しみにしていた だがスキーキャンプを除いてだ! 六年生は小学校で言う最上学年にあたる、僕はそんな実感があんまりなかった。そして6年生の時に大きな事件が起きた、その出来事とはある日、通常学級から仲良し学級に行った時、その扉の前にお母さんが悲しい顔をして立っていた。僕を迎えにきた、すごく嬉しかった。僕は初めてお母さんと一緒に下校した、でもこの下校は何かがおかしかった、僕は家に着くと、何だか違和感を感じた。お母さんの寂しそうな顔‥僕が帰って早々誰かに電話をするお母さん‥誰かと話しているお母さんの声に耳を傾けて聞いていると、何だか僕は状況が分かった気がして僕も悲しくなった。もしかして僕のせいで‥と思い自分を責めた、僕はいじめられている時や問題が起きたとき心から、僕を学校に行かせないでと心の中で叫んでいたのだ、まさかこの叫びが誰かに聞かれていたとは知らなかった。人の心は誰にも見えなと思っていた。でも人ではない方で全ての人の心を知っておられる方がいる事をこの時は分からなかった、お母さんが悲しい顔をし、お母さんが誰かと話していた理由は台北にいるおばあちゃんが倒れたのだ、倒れただけだったらそんなに心配はいらないと思う‥でも僕のおばあちゃんは違っていた。僕のおばあちゃんは今病院にいるのだ。お母さんが学校に迎えにきて、その翌日僕とお母さんは日本を出発した。お父さんは来ていなかった、この時お父さんも一緒についてきていたら、今の家族関係はもっといいものになっていたのかもしれない、でも仕方がない…急なことだったし、お父さんは日本で仕事をしなきゃ行けない。それぐらい急な出来事が起きていたのだった。翌日台湾に行った、台湾に行く前に日本の空港で、お母さんから猿のぬいぐるみを買ってもらった。嬉しかった、そして飛行機に乗った、数時間後台湾に着いた、台湾に着いたら、僕とお母さんはおばあちゃんが入院している病院に行った。おばあちゃんと会うのは何年ぶりだろう?あんまり会っていなかった‥おばあちゃんと会えたのはすごく嬉しかったけどこんな形で、病院ではなるべく会いたくなかった。でも僕はこの時、学校から少し離れて自分の心を休める時間が神様から与えられたんだなと思った、でもまだ僕は神様を信じてはいない、お母さんのその他の家族にも会えて良かった。台湾に行ってから二週間ぐらい居てから又日本にお母さんと戻ってきた、その理由は おばあちゃんの様態が 問題なかったからである、最後僕はおばあちゃんの病室を離れる時、この姿、生きたおばあちゃんの姿を見るのが最後だとどこか心の底で思っていた。おばあちゃんは病室を離れる僕に力強く手を振ってくれた、僕はそんなおばあちゃんをすごく覚えている。もう忘れることはないだろう、いや…最後力強く僕を見て、僕に手を振ってくれたことを忘れたくない。病室から出て行く僕の背中を見ているおばあちゃん、それがおばあちゃんとの最後となった、おばあちゃんが手を振ってくれた時おばあちゃんの手を握ってあげれば良かったと今僕は後悔している。死を前にしているおばあちゃんはすごく不安だったと思う。ずっとおばあちゃんのそばに居たかった。でもそれはできなかった、日本に戻ってなんと翌日に台湾の家族から悲しい連絡があった。おばあちゃんは天国に行ったのだ、僕とお母さんが日本に戻ってくるまでおばあちゃんは必死に命をつなぎ止めてれていた、僕は最後の最後まで、悲しい顔を見せていないおばあちゃんに感謝したい、でも今の僕はおばあちゃんに言いたい事がある(しんどいときはみんなにし

んどいといっても大丈夫だよ、みんなは決して怒らない、しんどい時や辛い時は無理に笑顔を作らなくても大丈夫なんだよ、でも僕が日本に戻ってきてしまうまで生きていてくれてありがとう)と…僕とお母さんはすぐに日本を出た。この時もお父さんはついてきていなかった。お母さんはこの時どれぐらい心細かったのだろうか…多分、お母さんは自分のお母さんが亡くなった時ぐらい仕事を優先するんじゃなくて、家族のことを優先してほしかったと思う。そして支えてほしかったんだと思う、たとえ僕がそばにいても、一番支えて欲しい相手は夫であるお父さんのはずだ、だってこの時の僕はまだ小学生…何にもわかっていないガキ、だからお母さんを支えれない、でもそうは行かなかった。僕はこの時、お父さんがとった行動に怒った、この時から家族崩壊が少しずつ始まろうとしていた。

台湾に着いたとき、病院ではなくて式場に行った。おばあちゃんが居なくなったのは残念だけど、その時僕はなぜかもう少しでおばあちゃんに会えると思い僕は悲しい感情がなかった、初めて体験した、親族の死、そして葬式、何をすればいいのかわからなかった僕はただ周りを観察し周りに合わせることしかできなかった。葬式が終わり、おばあちゃんのことが少し落ち着いてから僕とお母さんは日本に戻った。日本に帰ってきた時、僕は全てが分かった、全て分かってすごく悲しかった。もうこの世におばあちゃんはいないのだ、でも僕は気持ちを変えておばあちゃんの分まで生きようと思った。

でも学校と言う現実に戻ると、僕にはやっぱり何もなかった、この時から自分が存在する意味がなんだろうか?と考え始めていた。学校に行くと、いつもの学校…仲良し学級に行けば、常に気まずい空気が流れてる、そして通常学級に行けばいじめられて、僕は周りの視線を気にしてしまって、なかなか授業には参加できなくなる、もうそんな学校にはいきたくない、でも台湾から帰ってきたとき、学校に何だか変化が起きていた。まず初めに、いつもは給食の時間は通常学級のみんなと一緒に食べるのだった、でもクラスに行くのがしんどくなっていたことを、仲良し学級の先生がわかってくれ、僕と仲良し学級の先生と一緒に仲良し学級で給食を食べれた、二つ目に通常学級から私の所に一人の子が来てくれたのだ、すごく嬉しかった、通常学級の中でも僕のそばにいてくれている子はいたんだな、そのように思った。その子と音楽をきいた、すごく、すごく楽しかった。僕はいろいろな悲しみを胸に6年生に上がった。この時に 僕は助けを ほかの大人達に求めれば良かったと今の僕はすごく後悔し実感している

 小学六年生 (第二)

三学期になった、この時僕は学校にあんまり行けなくなっていた、でも僕はスキーにはクラスメイトと一緒に行けた、でも、部屋のメンバーがすごくヤバかった。僕の苦手なメンバーだった、今でいうギャルたちと一緒のメンバーになってしまったのだ。僕はスキーキャンプに行く前から、嫌な予感しかしなかった。その嫌な予感は当たってしまった。一日目、みんなと一緒にスキーの講習を受けた、すごく分かりやすくかつ面白く話していたから心の中にとどめる事が出来た。講習会が終わってからごく普通にスキーを楽しんだ、始めはなかなかスキーが出来なかったけど、コーチと一緒だったから良かった、スキーの時僕は通常学級のみんなといた、仲良し学級のグループに行けば、あの子がいたから、僕は仲良し学級のグループに行くことはできなかった。今更通常学級のみんなと行動しても、もうこの時の僕は友達がいないから意味がない、通常学級にいても僕は孤独感を感じていた、そして大人を憎んだ。

二日目、この日に事件は起きた。僕は一日目と同じ感じになるのかな、僕の嫌な予感が的中しなくて良かった‥とこの時は思った。朝一日目と同じ平凡に過ごし又楽しくスキーが出来た。この時もコーチが僕と一緒だった、一日目よりもスキーは上達していた。林間スキーにも挑戦した、僕はできたことの達成感がすごかった、嬉しかった、スキーって楽しいと思った、でも問題はここからだった。二日目の夜、みんなとお風呂に入った、部屋のメンバーとお風呂に入った。何だか隣の方で聞こえる‥よく耳を澄まして聞いてみると、僕の悪口をいていた、「あそこの席はあの子が座ったところだから、使わないほうがいいよ」そのような囁き声が聞こえてきた。僕は辛くなった、もうそこにいたくない、そのように思い僕は早くその場を離れたかった、だから早く浴槽には入らずに浴室から早く出て、服に着替えて風呂場を出て部屋には戻らずに 保健室である保健部屋に行った、僕が行くと保健の先生にビックリされた 僕は保健室から出たくなかった。この時に気持ちがしんどくなっている時は保健室に行ってもいいんだと思った。でもこのように思ったことは、すぐに忘れてしまった、次のプログラムが始まってしまう前もう一人の子も保健部屋に来た、その子も僕と同じようにみんなと一緒に居たくないらしい‥だから僕と一緒に居た、話をしたりした、一番良かった話がその子はコナンが好きっと言っていたからコナンのアニメの中でのクイズをしてくれたり初めてその子と一緒にしゃべれたから楽しかったし嬉しかった。僕の記憶の中に深く彫り込まれた。みんなが帰ってきた、僕はまだ自分の部屋に戻りたくなかった、だからみんなに迷惑をかけてしまった、僕はわがままを言ったんだ、先生には僕の事を言っていた子達に注意する声が隣から聞こえてきた、僕はこの時、何でも先生に頼っても良いと思えた。

やっと地獄に思えたスキーキャンプが終わった、僕はこのスキーキャンプの事がきっかけで修学旅行がすごく不安になった。でも僕の心配をよそに先生が考えてくれた、僕と先生二人で行動した。僕の事を助けてくれたりいろいろな面で僕を支えてくれた。嬉しかったし楽しかった、僕が気にいったのは遊園地のブランコだった、すごく楽しかったから、それしか乗っていない‥何回も何回もブランコに乗った、そのブランコに乗った時、何だか空に行けるような感じがした、だからそのブランコに乗るのが好きだった。

その他のメンバーの子からはゼットコースターに乗ろうと誘ってくれたけど僕はゼットコースターが怖くてなかなか乗れないでいた、でも誘ってくれてすごく嬉しかった。修学旅行で行った広島には鹿が放し飼いされていた。何より先生が僕を支えてくれたのもあるし、この時の部屋のメンバーが最高だった、僕は落ち着いてみんなと楽しむ事が出来た。修学旅行では原爆ドームがおおきく印象に残っている、原爆ドームの物語は広島に行く前に学校の授業で学んだからだいたいは分かっていたしこれは人事ではないなと思った‥身近な物だと思った、理由は‥原爆ドームが守られたのは白血病の女の子が書いた文書によって守られた事を学んだ、白血病‥僕のおばあちゃんも白血病で亡くなったのだ、この時期に僕のおばあちゃんは白血病でなくなるし白血病に関わっている原爆ドームには修学旅行で行くし‥僕はこの時複雑な気持ちになった。

僕は修学旅行の車の中寝ていた、僕は夢を見た、でもこの時僕が見た夢は忘れてしまった、でも起きた時となりに座っていた子から「泣いていたよ」と言われて 僕は恥ずかしかったし僕は何がしたいんだろうと心で思った、この時から僕は寝ている時に泣き時にはうめくようになった、理由はわからない、見た夢は覚えていない、でも辛い夢や悲しい夢ではないとは思う、僕は自分が寝ている時になんでうめくのか気になった。でも周りの大人に相談することはできなかった。修学旅行で船に乗った、僕についていてくれた先生とこの時も一緒だった、この時僕は四人でのグループで行動していたけど僕は先生にくっついていた、またいじめられるのが怖かったから先生にくっついた、でも四人が写真撮る時その先生は僕が戸惑っているのを見て入るように諭してくれた、でも僕は戸惑っていた‥もし僕がその写真に入ったら、なんだか行けない気がした。そしたら 先生が僕の背中を力強く押した、こけそうになった、でもみんなとの写真撮影に間に合った、僕は背中を押してくれた先生に心から感謝した、僕はこの時に撮った写真を見る度にこの出来事の事を思い出す‥そしてこの写真は僕の大切な宝物の一部になった

船以外の写真も先生がその度に僕の背中を押して写真に入れようとしてくれた事もある、でもこの時は嫌がった。そして先生とならみんなの所に入れる事を先生が分かっていてくれて先生とみんなと一緒に写真を撮った。この時の写真も僕の思いで又はお宝の一部となった。そして修学旅行はいじめもなく楽しい修学旅行で終わることができた。

小学校最後の運動会、僕は組体操をした、下になったり上になったりで、忙しくて、下にいた時は痛くなって、上にいるときは怖くてバタバタだったけど、無事にかっこ良く決まった。すごく良かった、何より僕は運動会の最後の言葉を人前で発表したことだった、準備する時は大変だったけど、本番の時人前でしゃべった!まだそこに知らない人もいたのに僕はしゃべったんだ、この時から僕は人前でしゃべる事が好きになった。そして、このことは後々の僕の人生に大きく関係した、このときにみんなの前で発表ができてよかった、だってすっごく大きな自信がついたんだから、こんな僕でもみんなの前で、はっきりと僕は発表できた。でも、この時は今後も人前でしゃべる事になるとは思っても見なかった。

色々あった小学校ともお別れする時期が近づいた、僕は中学校に行くのはなんだか少し不安だった。全然楽しみではなかった、だって今行っている小学校のメンバーもほとんど変わらないと思うし、またいじめられるかもしれないし、そのように思うと、なんだか中学生にはなりたくなかった。

このとき周りをよく観察し、僕だけじゃなくみんなも色々なことに対して不安やしんどさを感じていることを分かっていたら、もっと違う視点で中学校生活を送っていたんだろうな、そのように今は思う。

そして、僕は小学校を卒業した。

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