-12 光へ
「ワクワクしてきたわ」アリシアは興奮していた。
晴れ間と小雨が交互にやってくる、憂鬱な日だった。私たちは雨が降らないよう祈りながら街を歩いていた。
「もし本当に魔女ハンターがこの街にやってきたのだとしたら。ここには本物の魔女がいるのかしれない。そういうことでしょ?」彼女の質問に、私は「そうかな」とだけ答えた。
「本の中でしか読んだことのなかった存在。それがレイブンズブルックにいる。魔女ハンターが、ここにいるのよ。どんな危険な武器や道具を持っているのかしら? 私たちが見たこともないような、伝説や秘密、古代の儀式についても、知っているに違いないわ」アリシアは冷静に話そうとしていたが、雪のように白い頬が僅かに赤らんでいた。
私は地面に目をやり、凸凹の石畳の上を歩く自分の足元を見つめていた。
「お芝居や物語を聞かせにきてくれたわけじゃない。彼が本当にハンターなのだとしたら」と私は低い声で言った。「エドウィンが言っていたじゃない。恐ろしい狩人だって」
「100年も前のね」アリシアはそう付け加えてから、肩をすくめた。「でも、そうね。あなたの言うとおり。少し浮かれすぎていたわ。ごめんなさい」アリシアが少し頭を下げると、彼女の三つ編みが揺れた。いつもよりシンプルなリボンで結ばれている。
私の視線に気が付いたアリシアは、少し嬉しそうに微笑んだ。
「分かった?最近は自分で髪を結っているの。三つ編みって、結構難しいのね」そう言って、私の三つ編みを見ながら、恥ずかしそうに自分の髪を指で触った。「街の人から、可愛らしい姉妹だと間違われてしまうかしら?」
アリシアはカフスの無いシンプルなドレスの上に、暖かい色味のケープを軽く羽織っていた。私たちは同じ三つ編みで、同じような服装をしていた。
もちろん、アリシアのドレスをよく見ると、リネンは柔らかくつやつやとしていて、ケープに補修の跡もない。形は似ていても、私の服とは違う。
「どうかな?可愛らしくなんてないから」私は意地悪するように言った。
「シス、自分を卑下するのは良くないって、いつも言っているでしょ」
「私の事を言っているなんて、まだ一言も言ってないよ」
「まあ……。私の格好そんなに変だったかしら。できるだけシスとお揃いにしたくて……」アリシアの声は小さくなって、静かに俯いた。私の胸は急に締め付けられた。
「アリシア、ごめんない。そんなつもりじゃ無かったの」
私はアリシアの方に一歩踏み出した。彼女は顔を逸らし、手袋をはめた指で髪の毛をいじりだした。
「昨日の夜から選んで、ずっと楽しみにしていたにに……」アリシアの声は震えていた。
「アリシア、可愛くないのは私。あなたはとても素敵だよ。意地悪ばっかりいってごめんね」
「私のどこが素敵なの?」
思わぬ質問に私は慌てた。「その、ええと。鼻は小さくて、唇は柔らかくて、まるでお人形さんみたい。それから教養があって、賢くて……」
「他には?」
「あとは、ううんと。髪はとても綺麗だし……賢くて、お人形さんみたいだし……」
私が言葉を探して目を回していると、アリシアは急にこちらを向いてニヤリと笑った。「シス、そんなに褒めてもらえて嬉しいわ。でも、あなたはもう少し本を読んだ方がいいわね!今度お父様の書斎から本を借りてきてあげる」そう言って彼女は小さく舌を出した。
私は少しの間固まってから、彼女の企みを理解した。
「もう、からかったのね!」
「ふふ、お返し」
私たちは道の真ん中で、声を殺して笑い合った。アリシアと掛け合いをするといつもこうで、最後には私が負けてしまう。でも、それを悔しいなんて思ったことは一度もない。
「それにしても、ハンターは私たちにはわからないことを知っているのかもしれない。それは事実に違いないわ」
ひとしきり二人で笑いあったあと、改めてアリシアが切り出した。
「そうね」私は目を反らして、気の無いそぶりで返事をした。
「シス、お父様の書斎で読んだ本にこんな話があったの」アリシアはそんな私の目を見て真剣に言った。「洞窟で鎖に繋がれた囚人は、壁に写る影だけを見て育つの。彼らはその影こそが人だと信じている。でも、洞窟から解放されて外に出れば……」
私は彼女の言葉にドキリとした。そして少し考えてから言った。「私が囚人だって言いたいの?」
アリシアは首を横に振った。そして私の手を握って続けた。
「きっと、あまりの眩しさに目が眩んでしまう。そして怖くなると思う。今まで見えなかったものが、見えてしまうのだもの。ネズミみたいに、洞窟に逃げ帰ってしまうかも。でも、誰かが一緒なら?……シス、眩んだ目はやがて慣れる。怖いのは、私たちがこれまでと違うものを見ているからよ。恐ろしければ理解すればいいの」
私たちの手は手袋に包まれていた。それでも彼女の手の温かさが、私の中に流れ込んでくるような気がした。暖かくて柔らかい、春の日で溶けた雪水のような流れが、私の体に伝わってきた。その流れが、繋いだ手から私の肩を通り、胸から頭へ、そのまま足へ降りて胸に帰ってくるように、肌がピリピリと心地よく刺激された。
その瞬間、私の頭は靄が取れたように鮮明になった。アリシアの言おうとしていることを考えるのは大変だった。それでも、私は今まで動かしたことの無いくらい、自分の頭を使って考えた。
「どうやって理解すればいいの?」
アリシアに比べて、私はとても愚かな質問をしているかもしれない。それでも、聞かないで済ますことの方が、ずっと愚かなことに思えた。
不思議な事に、アリシアはまぶたを瞬かせて空を見ていた。そして、私に質問された事に気が付くと、エメラルドグリーンの瞳を私へまっすぐと向けて言った。
「言葉にすることだと思う」
言葉にする。始めに言葉があった。私のこの気持ちは……。
怖い。そう、私は怖い。母の憎しみも、見知らぬ人も、誰かを裏切ってしまいそうな自分も。
彼女の言葉は、私が今まで見ようとしてこなかった心の底に、少しずつ光を当てた。私はもっと、知るべきなのかもしれない。自分のことを。そして、私の身の回りにいる人たちのことを。
そう思うと、不思議と前向きな気持ちが湧いてきた。不安と恐怖の全ては消えなかったけども、やるべきことがほんの少しだけ見えてくるような気がした。
「アリシア、私、あなたに話したいことがあるの」気が付くと私はそう言っていた。
私の言葉に、アリシアは驚いたような、そうでないような、曖昧な表情を浮かべた。
「あらたまってどうしたの?」
「その……」私は思わず言葉に詰まった。頭には母や父、妹の顔が浮かんでいた。「まだすぐには話せないのだけど。その時が来たら聞いて欲しいの」
私の発言で家族を危険にさらしてしまうかも知れない。そのことに気が付いた私は、慌てて取繕った。彼女に私のことを打ち明けるには、まだ準備が必要だ。
そのためには。
「アリシア、私、ちょっと行ってくる!」
興奮した私を、アリシアは不思議な顔で見つめた。
「可笑しなシス」そう言って微笑む彼女に別れを告げ、私は走り出した。
***
「フラナリーさん、お家にストーブはありますか?」
「え?そりゃあ、もちろん」フラナリーは、息を切らした私が走って現れた事に驚き、唐突な質問に目を丸くした。
私はぜいぜいと喘ぎながら、なんとかフラナリーに言葉を伝えた。
「ストーブの上に、リンゴを置いてあげてください。夜、寝る前がいいかもしれない。そうしたらきっと、朝にはハーブたちが元気になっていますよ!」
私はフラナリーの手を握って「きっと元気になりますから、試してくださいね!」と付け加えた。
妖精でも見たかのような表情のフラナリーを後にして、私はまた走り出した。
***
理由は分からない。ただ私は走りたかった。踏み出すごとに体が新しい何かを感じた。足下の石畳、肺に吸い込まれる秋の空気、心臓の鼓動、すべてが以前よりも鋭く、瑞々しく感じられた。走り慣れていない私の足はすぐにもつれ、呼吸が乱れた。肩でゼイゼイと呼吸し、走っているのか歩いているのか分からないくらいになりながら、考えた。
洞窟の中の囚人。それは私だ。暗い穴蔵で、自分の影ばかりを見つめて生きてきた。でも、アリシアという光が、出口を照らしてくれた。少しずつ光の向こう見えるようになってきた。
今まで見えなかった向こう側。そこには何があるのだろう?
分からない。私は今まで、それを見ようともしなかった。きっと道がある。囚人では無い、違う自分への道が。その先を進んでみたい。私はそれを知ってみたい。
市庁舎前の広場まで来て、私は転んだ。幸いに土の上で、スカートが汚れただけで済んだ。そのまま膝立ちになって、とにかく息を吸って吐いた。
私はおかしくなったのだろうか?周りの人はそう思うかもしれない。でも、いつもと違い、周囲の事は不思議と気にならなかった。
走り過ぎてお腹が痛い。なのに、少し休んだらまた走り出したいくらいに興奮している。私は、苦しさと、未知の力に突き動かされる高揚感がごちゃまぜになった中、自分の心臓の激しい鼓動に、じっと耳を傾けていた。
***
洞窟の寓話にはもう一つ意味がある。私がそれに気が付くには、もう少し時間が必要だった。
魔と崇高との感情性に関する観察 孤島 @kotoh1224
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