透明な仮面
##9 (kyu-)
第1話
吉田は毎朝、鏡の前で仮面を選ぶのが習慣だった。
出勤の日には「上司用」の仮面。笑顔の角度も完璧に設定されている。妻との食事には「家庭用」の仮面。小さな不満も隠しきった穏やかな顔だ。そして友人との飲み会には「友人用」の仮面。少し下品な冗談もこなせるようにデザインされている。
ここ10年、仮面は急速に普及した。月額5000円で人間関係の悩みから解放される。仮面をつければ、どんな場面でも完璧な自分でいられる。仮面をつけている事は決して相手に分からない。間違いなく今世紀最大の発明だろう。
ある日、それは突然すぎる訃報だった。明日、篠原さんの葬儀があるらしい。
篠原さんとの出会いは5年前。飲み屋で隣の席だった事をきっかけに仲よくなり、今では家族ぐるみの付き合いだ。尊敬できる先輩であり親友でもある、心を許せる数少ない存在だった。
お別れの日、鏡の前で喪服に着替える。ふと、今日は仮面をつけないことにした。仮面をつけず外へ出るのは、いつぶりだろうか。
葬儀場につくと"みんな"が泣いていた。その光景に事実を受け入れ、吉田の目にも涙が溢れた。
少し経ち、ギィーッと重い扉を開ける音がした。吉田は反射的に振り返った。一人の男性が入ってくる。静かに微笑んでいた。周りとは違うその表情が妙に心に残った。「誰だ……?」と吉田は思わず呟いた。
遺族が言った。「顔を見てやってください、最期ですから」吉田は棺の中を覗き込む。そこにいたのは、記憶のなかの篠原さんとはまるで違う。ただの、見知らぬ男の顔だった。「誰だ……?」と吉田はまた呟いた。
吉田は言葉を失ったまま、そっと自分の頬に触れた。指先に伝わる感触は確かに自分の肌のはずだ――なのに、それが誰のものか、自信が持てなかった。「……俺は、誰なんだ?」
透明な仮面 ##9 (kyu-) @soboro999
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