貴方が教えてくれたから

衣末(えま)

貴方が教えてくれたから

 むかしむかし、ある所に美しいエルフの少女がいました。


 少女は天才で、少し練習すれば、魔法も勉強も剣術も、なんでもできてしまいました。


 その強さが故に、力に自信がある人々はは少女に決闘を挑みました。どんな力自慢でも、魔法使いでも少女になす術もなく破れていき、当時最強と謳われていた剣聖をも呆気なく倒してしまった少女を人々は恐れ、彼女に近づかなくなります。


 そんな人々を少女は見下し、傲慢な態度をとるようになりました。

 自分と釣り合う人なんていない。そう思った少女は、心の殻に閉じこもるように、魔法でお城を建ててそこで過ごすようになりました。


 一人の寂しさを紛らわすように、少女は修行に明け暮れ、ますます強くなり、遂には魔王と呼ばれるようになります。


 そこから三千年という長い時が過ぎ、歴代最強と謳われる今代の剣聖が少女に挑んできました。剣聖は心優しいと評判の青年で、何千年も挑んでくる人々を残酷に倒したと言われる魔王を倒しにきたのです。


『ふむ、其方が今代の剣聖か?見たところ先代よりはマシなようだな。さて、どれほど持つか…』


 しかし、いざ少女と対面した剣聖は、傲慢で尊大な態度の裏にある、孤独と諦めに気付きました。そして、よく考えたら魔王から人間を攻めたことはない。人間側がただ挑んでいるだけだったのです。


『愚かじゃの』


 そう呟く少女には、一瞬でも目を離したら消えそうな儚さがあっりました。生きるのを諦めたような、全てに失望したようなその姿に、剣聖は剣をおろします。


『なんじゃ?もうしまいか?今代も大したことないな。つまらん』


 その瞬間、警戒を緩めた少女に決定的な隙ができました。その隙を見逃さず、剣聖は少女の喉元に剣を突きつけます。


『ほぅ、やるのぅ。いいぞさっさと殺せ』

『いいや?殺さないよ?君には僕の旅についてきてもらおうと思う』

『は?ふざけておるのか?妾は魔王と言われているのじゃぞ?なぜそんな話になる』


 剣聖の唐突な提案に、少女は顔を訝しげに歪めました。少女にとってはこの喉元に剣を突きつけられている状況など、いつでも覆えせるものでしたが、もう生きるのに疲れた少女はこのまま殺されるつもりでした。


『君は死ぬつもりだったんだろう?だったらいいじゃないか、たった数十年一緒に旅に出るだけだ』

『だからそれがおかしいと……まぁ…悪くはない、か。どうせ時間は永遠じゃ。よいぞ、ついていってやる』


 最初は拒否していた少女も、なにを思ったのか、剣聖の言葉に納得したのか、少女は呆れた様子でそう言いました。


 こうして、魔王と呼ばれたエルフの少女と歴代最強と謳われた剣聖の旅が始まったのだった。




              剣聖エリック物語より


 ☆ ☆ ☆



「アリア、木苺を取りに行ってきてくれない?」

「わかった!」


 私は母さんに返事をし、2階へ採集用のカゴを取りに行く。

 私の名前はアリア。平民だから、姓はない。何か特別な力があるわけでも、権力を持っているわけでもない、精々可愛らしいと言われるくらいの、何処にでもいる普通の村娘だ…ただ、前世の記憶を持っているというだけの。

 前世の私はエルフだった。それも魔王と呼ばれるくらい強くて人々に恐れられていた、天才という部類の人。けれど、なんでも大した努力もなくできてしまう前世の私は、常に周りに距離を置かれ、同族にすら避けられて、孤独だった。そんな状況に何千年も置かれ、どんどん傲慢に、自分以外の物を見下すようになったのだ。自分が傷つかないために、他人を突き離し、ますます一人になり、前世の私は城に閉じこもった。最後の最後に理解者が現れ、人と過ごす事の楽しさを知れた事だけは、あのただただ長いだけの無意味な人生に置いて唯一の幸運だっただろう。

 誰もが恐れる天才で、落とそうと思えばどんな男でも落とせたであろうほどの美貌のエルフだった頃に比べれば、今世が平凡極まりない。でも、アリアは前世では私を捨てた家族に愛されている。周りに人がいる。それがどれだけ幸せなことか、ありがたいことか、この記憶がなければ絶対に気付けなかった。


(私は、なんて幸運なんてだろう)


 そんな事を考えながら、私は森に向かう。アリアとして生まれてから十五年。この辺の地理は完璧に把握している。今日は、少し遠回りして平地を通っていくつもりだ。森の中にある、草原と言える広さではない場所。周りは木に囲まれていて、まるでこの世界に私が一人で取り残されたような、そんな感覚になれる。

 しかし、木々の隙間からに見えるその場所は、いつもの優しい緑ではなく、鮮やかな橙に染まっていた。


「マリー、ゴールド?」


 数日前まで、ただの原っぱだった筈なのに、今ではたくさんのマーリーゴールドが咲き乱れている。今の人類に、いきなりこんな花畑を出せるような芸当はできない。こんなことができるのは、未だ魔法が使える……


「誰だ」


 低い、男性の声があたりに響いた。慌てて顔をあげると、そこにはこの世のものとは思えないほどに、美しい顔をしたエルフがいた。


「きれい…」


 無意識に、そんな言葉が溢れる。橙の花畑の真ん中に黒髪の青年が立っているその光景は、次に瞬きしたら消えてしまうのではないかと錯覚しそうになるくらい儚くて、幻想的だった。目の奥に焼きついて、一生忘れない、きっと来世でだって思い出す。そう、確信してしまえるほど暴力的な、美しさ。

 しかし、その青年の黒曜石のような瞳は、闇色に染まっていた。孤独・失望・悲しみ・絶望・諦め。そんな感情に支配されかけている姿に、何処か見覚えがあった。嫌というほど。後少しで、心が壊れる。憎たらしいほどにそっくりだった。

 ―――前世の私に。


「私はアリア。ねぇ、うちに来ない?」


 だから、柄にもなくこんな事を言ってしまった。あの時の私が欲しかった、拒絶ではない、他人ひとの言葉を。


「なにを、言っている」


 人を見下した様な視線や言葉。本当によく似ている。自分が傷つかないために、他人ひとを突き放すことを覚えた、あの時に。


「あなた今死のうとしていたでしょ?だったらいいじゃない。たった数十年、人間の寿命の分だけ一緒にいるだけよ。エルフであるあなたにとっては一瞬に等しい時間なんだから」


 かつて、『貴方』に言われた事と同じことを私は言う。支離滅裂なのは分かっている。前世でだって最初は何言っているんだと思った。でも、きっと目の前のこの青年はかつての私と同じことを思うだろう。

 面白い、と。

 そう思うと、なんでも大した努力もなくてでき、周りに恐れられる、色のない、灰色の世界。それが、一気に色付いたような感覚に陥るのだ。なんの面白みもない日々が、大切なものになる。そんな、目の前の青年と魔王と呼ばれた前世の私の人生が180度変わる、変える、魔法の言葉。


「バカなことを….ふん。まぁいいだろう。どうせ時間はいくらでもあるんだ。付き合ってやる」


 ほら。瞳に光が宿った。そうしている方が、よっぽどかっこいい。


「俺の名はアルノルト。よろしくな」


 そう言って、エルフの青年……アルノルトは、美しい微笑を浮かべた。



 ☆ ☆ ☆



 アルノルトを拾ってから二年。その間に彼は、すっかり村に馴染んでいた。最初は初めて見るエルフに、気味悪がられていたが、魔法が扱える彼は元々人手が足りなかった村で、いつしか村のなくてはならない存在になりつつある。今では、私の家に住み、働き、生活をしている。


「もう二年かぁ」

「たった二年だ」

「それはエルフの感覚でしょう?」


 今は二人が出会ったあの場所で、隣に座っておしゃべりだ。仕事も終わったのであと自由時間だ。そういえば最近、無表情が嘘だったかのようにアルノルトはよく笑うようになった。おかげで、その美しい容姿に惚れる村娘が後をたたない。まぁ惚れている、という部分だけ言うならば、私も例外ではないけれど。

 一緒に過ごしていくうちに芽生えたこの感情。彼の表情・仕草・言動に、いちいち鼓動が早くなるんだから困ったものだ。一般的には、『恋』とか『愛』とか呼ばれる感情は、前世では得られなかったものだ。『貴方』でも教えられなかった感情。家族愛とは違う、暖かな面も黒い面も湧いてくる感情。


「ねぇ、アル」

「なに?」


 私の呼びかけにその黒曜石のような瞳が甘さを孕んだように感じるのは気のせいだろうか。美しい微笑が、笑顔が向けられる回数が多いと思うのは、自意識過剰だろうか。勘違いしても、いいんだろうか。


「好きよ。愛してる」


 遂に言った。二年間押し殺してきた、私の想いを。上手くいけば双方幸せに、失敗すればただ気まずくなり、疎遠になるであろう諸刃の剣のような言葉を。


「あぁ、俺も」


 目の前の彼は、それだけで何かを壊せそうなほど、美しく、破顔した。


「愛してる。アリア」


 彼の長い指が私の顎を捉え、上に向けさせる。彼がしようとしている事を悟り、私は瞼を閉じた。



 ☆ ☆ ☆



 剣聖と元魔王の少女の旅は順調でした。歴代最強の剣聖と何千年も人類を恐れさせた魔王です。誰にも負けるわけがない……そのはずでした


『ーー!どうして僕を庇ったんだ!』


 ある日、いつものように二人で魔獣を討伐していると、突然、ドラゴンの群れが現れました。一匹だけならば二人によって脅威ではありませんでしたが、少なくとも十匹はいたと言われています。一匹だけでも、ただの人が戦うならば、まず勝つことはないと謳われるほどの強さを誇ったドラゴンが、十匹もいるこの状況は、とても良いものではありませんでした。

 少女一人なら周りを気にせず焼き払うことができたはずですが、そこには剣聖がいました。彼女にとっては恩人であり、仲間であった彼を少女は見捨てることができません。そんな時、九匹目のドラゴンと戦っていた剣聖の背後に、十匹目が襲いかかりました。剣聖は後ろを守れる体勢ではなく、ここまでか、と死を覚悟したと言われています。しかし、思考よりも体が先に動いたのか、少女が防御もせずに間に入り、もう助かり用のない、致命傷を追ってしまいました。


『散れ』


その一言でドレゴンは跡形もなく消え、その場には、倒れた少女と剣聖だけが残りました。


『妾としたことがのぉ、』

『ーー!どうして僕を庇ったんだ!!』

『良いじゃろ。こんなおいぼれよりも、これから活躍する若人が生きた方が』

『そう言う問題じゃ…!』

『防御くらいすればよかったな。これは治癒魔法じゃ無理だ。たとえ奇跡が起こっても、後遺症は残るじゃろて。そこまでして生きる理由が妾にはない』


 生きることを諦めた様子の少女に、剣聖は歯噛みしました。自分が彼女の生きる理由になり得ないことにも。そんな剣聖をみて、少女はまるで幼子なような笑顔を浮かべます。


『其方との旅は存外楽しかったぞ』

『うん』

『いろんな国に行ったなぁ。西に東に、あと南にも行ったか。どんな国も人がいた。あれほど妾のことを恐れていた人間が、楽しそうに話しかけてくるのだ。最初は驚いた』

『うん』

『感謝する、エルリック。妾に人と関わることの楽しさを教えてくれて。人間も捨てたものではなかった』

『僕も、楽しかったよ。この四年間が、人生で一番』


 少女の横に膝を付きボロボロと涙を流す剣聖に少女は続けました。


『そうかぁ?言い過ぎじゃ……ほら、泣くな。笑え。其方は笑っている時が一番良いんだから』


 その言葉に、剣聖は無理矢理笑顔を浮かべます。不恰好でも、他でもない、少女の頼みだったから。


『それでいい。男前じゃぞ。そろそろ時間だな』

『ごめん、僕のせいで…』

『黙れ。それ以上言うのは許さん。胸を張れ、剣聖。妾が初めて救った男じゃ。すぐには死ぬなよ』

『…うん、わかった』

『……さらばじゃ、エルリック』

『っ!あ、ぁ…ありがとう、ーー』


 こうして、かつて何千年もの間、人類を恐怖に陥れ、魔王と呼ばれた少女は、その途方のないほど長い人生に、幕を閉じました。

 そんな彼女の名は、現代まで伝わっておらず、彼女は人々に、エルフのベルと呼ばれています。

 

            剣聖エルリック物語



 ☆ ☆ ☆



「アリア…お願いだ。死ぬな」


 あの告白から七十年。私は今、まさに最後の時を迎えようとしている。最後まで戦って死んだ前世とは違い、八十七歳の大往生だ。そばで私の手を握り、今にも泣きそうな顔をしている彼は、十数年前となんら変わりない。青年のような姿をしている。きっとこれからも変わることはないだろう。


「アル…」


 愛しい夫の名前を呼ぶ。頭の中をこれまでの記憶が駆け巡る。出会った頃、突拍子のない提案をしたこと。二人であの場所でひたすらおしゃべりしたこと。一緒に料理をして見たこと。そんな幸せな数々の記憶を思い出し、せめて最後くらいは、笑顔でいたいと思った。だから、老いて、皺も増えた顔に笑顔を浮かべて言った。


「私に『愛』を教えてくれてありがとう。愛してるわ。ずっと」

「あ、あぁ…アリア、俺を救ってくれてありがとう。人と過ごす事の大切さと『愛』を教えてくれて、ありがとう。愛、してる」


 黒曜石のような瞳から、一筋の涙が溢れた。それでも彼は笑顔を浮かべてくれている。私が大好きな、ずっと変わらない笑顔を。


 意識が消える直前。ふと『貴方』のことを思い出した。前世の私に人と関わる事の大切さを教えてくれた、心優しい剣聖を。私が今世で知れた『愛』だって、それを知っていたからだ。そう、


貴方が教えてくれたから


































 ☆☆☆



 剣聖は、最後を迎えるその瞬間まで、独身を貫き通しました。世界を救った英雄として数多くの縁談が持ちかけられましたが、剣聖は全て断ったそうです。ただ、一人だけ、かつて魔王と呼ばれたエルフの女性と四年間旅をしていましたが、二人は恋愛関係ではなかったと言われています。

 そんな、人生に大半をかけて世界中を旅し、ひたすらに人々を助けた剣聖の最後の言葉は、その場にいない誰かに贈る、ラブレターに書かれるような、愛の告白だったと言います。


『僕は、君に出会うまで、人に対して恋心を抱いたことはなかったんだ。でも、人に喜ばれるのは嬉しくて、なんとなく、告白されて、恋人になったりはしていた。でもね、そんな気持ちも伴わない関係なんて長く続かなきてね。いつも相手を怒らせてしまっていた。

 それが、君に出会って変わったんだ。今にも消えてしまいそうな君の姿に、美しさに、一目で心を奪われて、守りたいって思った。それまで怒らせてしまった相手の気持ちもわかるようになって。酷いことをしていたんだと心から反省したよ……

 って、一体何を話しているんだろうね、僕は。それで、唐突に君を旅に誘ったのは一緒にいたいと思ったからだ。君は気づかなかっただろうけど、愛していた。結局僕のせいで、君を死なせてしまっ、足手纏いにしかならなかった。僕さえいなければ、君は逃げることだって簡単だったはずなんだ。本当に、自分の無力さをあれほど呪ったことはなかったよ。それくらい、僕にとって君と旅した四年間は、何者にも変えられない、大切な宝物だ。

 君は僕に色々なことを教わったと言うけれど、実際はそんなことなくて、僕の中の何処か欠けていた事、人を愛する気持ちを教えてくれたのは君だ。この人生、君へのを知れて幸せだったよ。そう、


貴方きみが教えてくれたから』


 剣聖は、そう架空に向かって話し、そこから眠るように息を引き取りました。




          剣聖エルリック物語より

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