第3話 実家

 あー、気が重い。いまさらどのツラ下げて実家の門をくぐれと言うんだ。それに電話かけていきなり父が出たりしたら……実家の近くまで来たものの、あと一歩が踏み出せず、さっきから熊の様に実家の周りをうろうろしている。でももう夜中の十時まわってて、このままじゃ不審者扱いで職質されかねないかもだよ。


 そうしてたら後ろからいきなり声をかけられ、びっくりして振り向くと、そこに妹が立っていた。

「あれっ? さえちゃん?」

 驚くあたしに妹の紗英が走り寄って来ていきなり抱き着いた。

「お姉ちゃん……戻って来てくれたんだ……」そう言ってボロボロ泣きはじめた。

「えっ、紗英どうしたの? そりゃ確かに久しぶりだけど、いきなり泣かないでよ」

 三つ下の紗英は、それほど仲がいいという訳ではなかったが、あの家の中では一番話し易い存在だ。ここでこの子に会ったのは天の恵みかもしれない。どうやら紗英はバイト帰りの様だ。

 とりあえず、ここで立ち話もなんだからと紗英を伴って近くの公園に行き、二人でベンチに腰掛けながら、今の自分の事情を差し障り無い範囲で説明した。


「そっか仕事でお迎えが遅れて、お姉ちゃんの子供、お母さんが迎えに行っちゃったんだ」

「そうなんだよ。だけどいまさらあの家には上がりたくないし……頼むよ紗英。リンをここに連れて来てくれないか?」

「……だめだよ。お姉ちゃん。ここはちゃんとお母さんに会ってくれないかな?」

「いや……だけど……あたし、勘当されてる身だし……」

「お父さんなら家にはいないよ」

「えっ?」

「去年の暮に脳卒中起こしてね。今も半身マヒ状態で病院にいるの。一時、本当に危篤でお姉ちゃんにも知らせたかったんだけど、連絡先まったく判からなくて……」

「そっか……それじゃあ、あんたも母さんも大変そうだね。でもまあ兄ちゃんがいれば食うには困らないか」

「それがね……お兄ちゃんも壊れちゃってるの……」

「どゆこと?」

「お兄ちゃん、大学出て経産省に務めたんだけど、そこでの激務がたたったのか、人間関係にも悩んでたらしくて……メンタルやっちゃって何度も自殺未遂したりしてて……いま保護観察入院中。それでお母さんもすっかり参っちゃって、見る影も無い位やせ細ってて……」

「ち、ち、ちっ、ちょっと待った! なんだよそれ……それで紗英。あんたはまだ大学生だよな。あんたの学校、大学までストレートだったもんな?」

「……やめちゃった。あたし、何になりたいのかも明確に判ってないのに、父さんに言われるまま大学までエレベーターで進んだんだけど。お父さんが倒れた後、なんかむなしくなっちゃってさ……いま、バイトしながらアニメーターの専門学校に通ってるのよ」

 

 おいおい。あたしを勘当した当のわが実家は、あたし以上に大変な状況になってないか?


「だからさ、お姉ちゃん。お姉ちゃんの顔みたらお母さんも喜ぶと思うんだよ。だから、ねっ? 一緒に行こ!」

「あ、ああ……」

 そうしてあたしは、紗英に手を引っ張られながら、実家の門をくぐった。


 ◇◇◇


「……おじゃましまーす」小声でそう言って玄関に入る。

 なんだかんだ言っても何か懐かしい匂いがした。

「お母さん! お姉ちゃん、捕まえてきた!」そう言って紗英があたしの手を引っ張って居間まで連れていく。そして居間に入り、床にぽつんと座っている母の姿が目に入り……って、えっ? 母さんってこんなに小さかったっけ?


 母はゆっくりあたしの方を振り返った。見るとその脇の座布団の上でリンがスースー寝ている。母はあたしの顔を一瞥し、立ち上がって近づいて来て、あたしに向かって手を上に上げる。

 あっ、こりゃぶたれるな……そう覚悟はしたがまあ仕方ないか……そう思って目をつぶる。すると次の瞬間、母は両手であたしにしがみつき、大声で泣き出した。

「ああ、由良ゆら。あんたって子はもう。どこまで心配させれば気が済むんだい! でも……でも……無事でよかったよーーー」

 その後も母は何かをつぶやいている様だが、声が小さくて聞き取れないまま、あたしの足もとにしゃがみこんで泣いていた。


「母さん……ごめんね……」あたしもそれ以外の言葉が出てこなかった。


 ◇◇◇


「そうかい。この子、リンちゃんっていうんだ……可愛いねー。初孫だよねー」

 母はそう言いながら、リンの寝顔をまじまじと見ている。

「それで母さん……今日はゴメン。いきなり迎えに来いって言われて……面食らったでしょ?」

「ああ。でも……あなたにそう言う目にあわされたのは初めてじゃないしね。

 いつだっけ。警察署から、あなたを迎えに来てくれって真夜中に連絡が来て……」

「あはっ。あれは若気わかげの至りで……すんません……」

「でも……うちもいろいろあったけどさ。元気そうな由良とリンちゃんの顔みたら、何かほっとしてちょっと元気が出てきたよ。あたし達はあなたを勘当しちゃってるし、あんまり詮索はしないけど……人間、元気なら意外と何とかなるもんだよね」

「そうかも……しれないね」

「だから由良……今日だけでいいから……今日はうちに泊まっていきなさい」

「……はい」

 …………

 

 翌朝。朝食をいただいた後、母さんと紗英にお別れを言う。

 

「母さん。それじゃあたし、仕事あるからその前にリンを託児所に届けないと……それで……いや、何でもない。元気でね。父さんも兄さんも早く良くなるといいね」

 母は、名残を惜しむ様に、ずっとリンを抱っこしている。そして小声で言う。

「勝手な親だとは思うんだけど……また、気が向いたらリンちゃんの顔を見せてくれるとうれしいんだけど……」

「だけど……父さんが……」遠慮がちなあたしに、紗英が激を飛ばす。

「もういいじゃない、あんなヨイヨイオヤジに気を使わなくったって。それに、勘当されてるのはお姉ちゃんであって、リンちゃんじゃないし! だからお姉ちゃん……連絡先だけは教えておいて」

「ああ、わかったよ。父さんもいつかリンの顔を見られるといいな」


 ◇◇◇


 結局その後、やっぱりあたしは実家には近寄っていないのだが、たまにリンのいい笑顔の写真が撮れたりしたら、紗英に写メを送ったりはしていて、それが母さんにはすごく励みになっている様ではある。せっかく実家との距離が近くなったのだから、もっと甘えればいいのにと言う人もいるかも知れないが、それはなんかあたしのやり方じゃない様にも思う。実家は実家。あたしはあたしだ。


 そんな訳で今日も一日。

 一生懸命、ラブホでプレイ時間とお釣りの計算をしている訳だ。

 

 だがその後、サガワさんがとんと顔を見せないなー。パパ活の方はどうなったんだ? もしかしたら、あれであたしを攻略したと思って、次のターゲットに行っちゃったんだろうか? でもまあ、あの時はヤラれちゃったけど、ニコニコ現金払いだったし……まっ、いっか。客とのそんな駆け引きなんか、水商売では日常茶飯事だ。

 

 別に収入が増えた訳でも、仕事が楽になった訳でも何でもないけど、母と妹の顔を見た事で、どこか心が軽くなった様に思えるのは気のせいではないのだろう。だからあたしは、リンの為にも、今しばらくはデイジーちゃんとして頑張れそうだよ。


(デリバリー・デイジー 終)

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