第31話 次兄

 長兄と長女は面倒見が良く優しかったが、充のすぐ上の兄である次兄は、とにかく楽をしようとする人間で、大人に怒られるようなことをやらかすと、両親も兄たちも見ていないことをいいことに、いつも「ミツがやったんだ」と充に全てを押し付けた。


 父も母も仕事で忙しいので、次兄がどんな悪さをしたのかは知らない。


 そのため彼らは次男坊が「ミツがやった」と言えば、あっさりと信じてしまったのである。また長兄と姉は、次男が問題を起こしていることを知っていても口出ししなかった。彼らも末の弟と妹を見るので精いっぱいであり、下手に口出しをして今度は「兄が悪い」「姉が悪い」と言われるのを避けるためでもあった。


 そういうことが積み重なり、充は何も悪いことをしていないにもかかわらず、両親に「家族のお荷物」だと思われていたのである。


 充が十歳の年になった、夏のある日のこと。

 次兄は桃を盗んできたようで、それをこっそり食べようとしていたのである。

 だが、偶然にも畑から粗末そまつな家に戻って来た充が、まさに桃を食べようとしている次兄の姿を目撃してしまったのだ。

 

「お前、なんで……」


 兄は、畑に行っていたはずの弟が戻って来たので驚いていたが、充も兄の手にある桃をみて、もっと驚き、さらには怒りが沸々ふつふつと湧きあがって来た。


「兄ちゃんこそ、それ、どこからぬすんできたの?」


 充の指摘に、兄は不快な表情を浮かべた。


「人聞きの悪いことを言うな。もらったんだよ」


「誰から?」


「地主さまに決まってるだろ。お前、あの家に桃の木があることも知らないのか」


 小馬鹿にする兄に、充は言い返した。


「知っている。でもそれなら、本当に兄ちゃんが貰って来たかどうか、地主さまに確認して来る」


 充は兄が言っていることは嘘だと思った。貧しい家の子どもに、地主が貴重な桃を恵んでくれるなど、一度として聞いたことがなかったからである。


 充はきびすを返し、地主の元へ行こうとした。兄の悪さを暴き、しょっぴいてもらおうと思ったのだ。これまで充が彼の代わりに散々怒られてきたが、今度こそ兄自身が自分のあやまちを反省してもらおうと思ったのである。


 だが、兄は充の腕を掴んで引き留めた。


「待てよ、ミツ!」


 そして力尽くで兄のほうを向かせられ、家の壁に体を押し付けられる。ダンッというにぶい音が周りに響いた。


「てめぇ、ふざけんな! 貰ったって言ってんだろう!」


 怒鳴り散らす兄を、充はにらみつけるように見る。


「地主さまに聞きに行くだけじゃないか。地主さまが本当に兄ちゃんに桃をくださったなら、僕を引き留める必要なんてないんじゃない? それともやましいことでもしたの?」


「お前……」


 怒りなのか、弟に侮辱ぶじょくされた腹立たしさからなのか、兄は顔を真っ赤にし、鬼の形相ぎょうそうで充をにらみつける。


「僕は、兄ちゃんの代わりにしかられるのが、もううんざりなんだ」


 自分は何も悪いことをやっていないのに、次兄のせいで自分の信頼が揺らいでいく。友人にも「ミツって嘘をつくって聞いたんだ。もしかして昨日の話も嘘だったの?」と言われ、母親には「また悪さをやったのかい?」と悲しそうな声で言われ、父親には「馬鹿野郎」となぐられる。もう、こんな生活はうんざりだった。


 すると兄は腕を掴んだ手の力をゆるめる。痛みと拘束こうそくから解放され、ほっとしたのもつかの間、今度は左肩を捕まれ、そのまま勢いよく地面にたたきつけられた。ぶつかった場所が一気に熱くなる。


「痛っ!」


 充はすぐに起き上がろうとしたが、次兄が彼の体をまたぎ、さらに胸倉を掴んで見下ろした。


「やれるものやら、やってみろ。どうせ皆が信じるのは俺のほうだぜ」


 低く冷ややかな声で言い捨てる。だが、充も負けじとにらみ返した。絶対に屈してなるものか、と思いながら。


 じりじりと太陽の日が降り注ぎ、次兄の汗が充の肩やほほに落ちてくる。

 しばらくお互いがにらみ合っていたが、次兄が先に視線を外し乱暴に胸倉から手を離すと、少し離れたところに置いておいた桃を拾い、充に押し付けた。


「やる。それで俺が盗んだってこと、地主さまに言ってみるんだな。どうせ、誰もお前のことを信じないぜ」


「……やってみないと分からないじゃないか」


 充は確信をもって言い放った。絶対に兄が悪いと言ってくれるだろうと信じていたのである。だが、次兄は捨て台詞をはいた。


「けっ。お前みたいに、いつまでもな奴を見てると、虫唾むしずが走る。そんなんで生きていけないぜ」


 さらに次兄はつばをぺっと地面にはくと、きびすを返し、またどこかへ行ってしまったのである。


 一方の充は、この桃があれば、兄に痛い目を合わせてやられると純粋に思っていた。そのため畑には戻らず、太陽が照り付ける中、直接地主の屋敷へ行って事情を説明しに向かったのである。


 だが、地主のところに行った充に起こったことは、彼が思い描いていた結果とは全く違うものだった。

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