第7話 鷹山のこと

「……」


 どうして義母ははは自分の言葉を聞いてくれないのだろうか。

 充がその場に立ち尽くしていると、茜が彼の背に気づかわしげに声を掛けた。


「大丈夫か?」


「……別に、大したことじゃない」


 充は素っ気なく答える。義母と自分の関係は他人に気遣ってもらうほど危ういものではなかったはずなのに、今は茜の優しさが妙に染みて悔しかった。

 茜は充の態度から何かを察したのか、今度は明るい声で言う。


「ま、それならいいけど。もし時子のことを心配しているなら、安心していい。彼女は鷹山では特別な存在だからね。この山で何かあることは絶対にないよ」


 充がゆっくりと茜のほうを振り返ると、彼女はまるで充を安心させるような明るい笑みを浮かべた。


「約束する。本当に安心していい。それに鷹山と葵堂の話は、あたしから聞いておいたほうが良いと思うぞ。相手はあの時子だからな。またいつこの話になるか分からない」


「それは……でも、…………」


 充は言い掛けて言葉を飲み込む。義母のことも心配だったが、自分も知らない薬を飲ませた子の様子を見ていてくれというのも、充には荷が重い。

 黙ってしまった充だったが、ちらと沙羅のほうを見たことで、茜は充の気持ちが分かったらしい。


「もしかして、沙羅のことを心配しているのか? 大丈夫だよ」


「どうして分かるんだ」


 思わずつっけんどんに返してしまう。

 義母と過ごしている時間は自分のほうが長いはずなのに、茜のほうが分かっていることに苛立いらだった。

 すると茜は頭をかいて、言葉を選びながら充に言う。


「何かあったら、あたしが時子を呼びに行くだろうから問題ないと思ったんだろうよ。あとは、充が傍にいてくれるだけでいいと思ったんじゃないかな」


「どうして? 何かあっても対処できるか分からないんだぞ?」


「まあ、あたしも時子が何を考えているかなんて分からないけどさ、とりあえず様子を見ていてって言うんだからそれでいいんじゃないかなって思う。時子だって、充がいると安心だろうからと思って、頼んだのだと思うよ。そうじゃなかったら、鷹山そのものに連れてこないだろうからね。ここは人が簡単に出入りできるところじゃないから」


 鷹山に入ったことは、充にとってあまりいいことではなかった。

 村人たちから「危ないから近づくな」と言われていたため、入るのは憚られていたからである。しかし義母は特に気にするふうもなく鷹山に足を踏み入れた。そして、少なくともここに住んでいる茜には認めてもらっている。

 村人たち側から見れば鷹山に入ることは「悪いこと」ではあるけれど、義母のほうから見ると「認められた者しか入れない」ともいえるのかもしれない。

 そう思うと、充の気持ちは少しだけ上向きになった気がした。


「……分かった」


 充は後ろ髪を引かれるような思いだったが、茜の言うことも一理あるので首肯しゅこうた。


「じゃあ、こっちで話をしようか」


 胡坐あぐらをかいた茜に対し、充はどかしたちゃぶ台を元に戻すと、それをへだてて正座をして向き合う。


「……お願いします」


 自分の家のことを今日初めて会った人に聞くのも変な感じだが、義母が茜に任せていってしまったので仕方ない。充が軽く頭を下げると、茜は小さくうなずき語り始めた。


「『鷹山ようざん』はね、君のところの村人たちが言っているように鬼や妖怪が住んでいるんだ。見ての通り、あたしも人間じゃない」


 茜は自分の胸に手を当てて示す。彼女は赤毛の髪に、褐色の肌。瞳の色も深紅で普通ではない。そして手の爪が長く鋭くかたそうだ。また先程の身のこなしといい、傷も痛みを感じていない様子といい、人間ではないことは間違いない。


 ここまで来たら彼女が妖怪であると認めるしかないのだが、充には一つ分からないことがあった。


「だけど君は、村へ来たとき人間の姿をしていたよね? 何故?」


 茜が葵堂へ尋ねて来たときは、髪は黒く肌の白い少女の姿をしていたのだ。何が起こったというのだろう。

 すると茜はきまり悪そうな顔をして、「それはこの姿のままで行ったら、何も知らない人間に出くわしたときに驚かせてしまうから、仕方なく『変化へんげ』していただけだ」と言った。


 確かに今の茜の髪の色やら瞳の色、そして鋭い爪をみたら驚かれるに違いない。しかし「変化」とは何だろう。


変化へんげって……?」


 不思議に思って尋ねてみると、茜が教えてくれた。

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