第14話 和解

朝起きると、夜のうちに携帯に見知らぬ電話番号からメッセージが来ていて少し警戒しながら開いた。メッセージの送り主はスカイで、父親から番号を教えてもらったと前書きされていた。そういえば連絡先、交換していなかったなぁと気づく。


『深夜にごめんなさい。明日からしばらく、忙しくするので遊べません。また遊べるようになったら連絡してもいいですか?』

「……」

『了解』


短く返し、これでは無愛想かと思ってとりあえず事情を聞く文章を続けて送信した。それから、深掘りするのは失礼かなぁと迷う。


そうそう、今日は学校に行かねば。しばらくベッドに寝転がりながら迷った後、アラームが鳴って思い出す。スマホを置くともそもそと体を起こし、洗面所へ向かった。いつも通り着替えをし荷物の準備をして、靴の踵を踏みながら玄関扉開ける。


「……おはよう」


母親の声が聞こえる。


「おはよう」


今思えば毎日の挨拶は欠かさずにされていたなとふと気がついて、クラウは気まぐれに挨拶を返した。カバンを廊下に置き、リビングに入る。今日は妹はお寝坊さんなのかまだいなくて、いつも通りソファに母親がいて、ダイニングテーブルに湯気のない朝食が並んでいる。


「……」


挨拶を返したとてまだ許したつもりはなくて、クラウはいつも通り彼女を無視しながらコーヒーを入れ、食卓についた。今日は雨だった。カーテンを開け放した窓の外ではチューリップが咲いている。部屋に庭のある父親の趣味で、家の小さな庭にはいつも何かしらの植物が育てられていた。


がちゃ、ばたん、と二階で扉が開く音がして、クラウは口の中のものを急いで咀嚼した。おはよう、と母親が声を投げる。飲み込んでいると、妹がリビングに姿を現した。


「おはよう……」

「おはよう、フラウ」

「ん〜……」


妹はまだ眠たいのか、あくびを噛み殺しながら返事をした。テレビの前を通りすぎてテーブルへ来、髪の毛を三つ編みにしながら椅子に座る。丁寧にくくり終えると、スープの器を持ち上げて口をつけた。


「今日は長靴で行くんだよ、フラウ。お気に入りの靴で行っても、汚れたら台無しだろ」


妹はちらりと外の様子を見て、天気予報を見た。


「お昼から晴れるって」だからダサい長靴では行けない、と言外に言う。


「靴洗うのお前だぞ」

「おにーちゃんが洗ってよぅ」


仕方ないなぁ、とクラウが渋々頷きかけたときだった。もそ、と母親が寝転んだまま頭を上げる。


「私が洗おうか」


二人とも、驚いてすぐに返事ができなかった。妹が困ったようにクラウを見て、クラウは、こくんと頷く。


「じゃあ、母さんよろしく」

「うん」


二人とも会話中は無表情だったけれど、揃って前を向き直してから、むにゃっと口角を下手くそに上げた。妹が交互に彼らを見て、ぱあっと表情を明るくする。


「お母さん! 昨日ね、あたし……」


急いで朝食を口に詰め込むと、ソファへ飛んでいって母親に話しかけた。


こんなの、何年ぶりだろう。


クラウが目に見えて母親を嫌うようになって、妹も戸惑ったように母親と話さなくなってしまった時、クラウが中学生で、妹はまだ小学校に上がったばかりだった。きっと彼女にもストレスがあったろう。三年という、短いと言えるのかは微妙だけれど、これから取り返せる期間で関係を改善できてよかったと穏やかな気分で食事を終えた。彼女らの邪魔をするのもなんだから、弁当や水筒の準備もクラウが済ませる。


「フラウ、もう出ないと」


クラウが最後の最後に廊下から声をかけると、妹は不満そうにもたもたとソファを離れて玄関へ来た。


「……ランドセルとっておいで」

「はーい」


クラウは妹にそう声をかけて、リビングに入った。母親の方へ近づくと、彼女は居心地が悪そうに身体を起こし、ソファにまっすぐに座った。


「父さんはなんて言ったの?」

「……君も分かっているだろう、って」


とふとふ、と母親が自分の隣のスペースをクラウに勧める。クラウは少し迷って、ソファの肘掛けに腰を下ろした。


「ええ分かっているわよ、自分の部屋が役立つのがあなたの幸せだなんて私のエゴだって、始めから。……ごめんなさい。……私は……」

「……僕ね、昨日、考えていたんだけど」


クラウはソファに足を上げ、横向きに座って背もたれに肘をついた。花の開きすぎたチューリップが庭で揺れている。


「自分の部屋が誰かに役立っているってことを、僕も無視してたなって。春の部屋のイズミさんとか、アーティストさんとか、自分の部屋よりも僕の部屋の方が居心地がいいって言ってくれる人たちの気分に、僕もその身になってなんとなく分かったんだ。本当に、誰かの部屋にいる時間が大切な人もいるんだなって」


クラウは微笑みながら、だから、と続けた。


「ホテル、続けていいよ。その代わり、母さんもちゃんと働いてよ? 母さんが誰かの役に立たなきゃ、僕は母さんを嫌ったまんまだし、父さんが母さんに逆らった意味が無くなる。……まだ許してないよ? でも、謝る時間をあげる。僕だって、母さんの言うことを無視して、ずっと自分の部屋が誰かのためになるのが幸せだなんて嘘だって思ってたから」


まあ、自己肯定感は上がるよね、と中途半端な言い方で母親をフォローし、妹の軽い足音に廊下を振り返る。彼女は二人が話しているのを見て寂しくなったのか、急いでランドセルを鳴らしながら走り寄ってきて二人の間にすっぽりと収まった。


「なんの話してるの?」

「仲直りの話」


クラウはにこっと笑って妹の頭を撫でた。それから笑ったまま母親を見る。


「僕、大人でしょう」


少しふざけて言うと、「お兄ちゃんまだ高校生でしょ」と妹が膝を叩いてくる。母親が息を震わせた。


「子どもは親より大人になっちゃダメよ」


彼女は突然立ち上がってクラウを抱きしめた。わぷ、とクラウが母親の胸の中で身体を硬直させる。


「ごめんね、そんなことを言わせるなんて、私…………私なんかずっと、母親失格だったわね。子どもより子どもで、子どもに自分を殺させて、家族にずっと迷惑をかけて。ああっ」


ぎゅう、と強くクラウを抱きしめて、彼女は泣き崩れた。兄妹は呆気に取られ、困った顔で肩越しに目線を交わす。


「私、私、私……!」


彼女はそれ以上言葉にできずに、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして呼吸を乱す。クラウは、これは長くなると思って、妹に父親を呼ぶように言った。

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