第13話 余熱
靴を脱いで、ハンドルの上に足を乗せる。
あれからスカイを彼の部屋に送って、クラウは自分の部屋、車に戻って来ていた。ふわついた気持ちが雨音にしっかり現れていて、シャワーのような柔らかい音を立てている。もう彼が帰ってからしばらく経つのに、まだ運転席にはスカイの体温が残っているような気がした。
もそもそと倒したシートにうつ伏せに寝転がる。横を向いて縮こまると、昼食を食べていない腹がぐるぐると鳴った。
*
自室にはお菓子しか置いていなくって、クラウは渋々部屋を出た。この際母親と出会しても、また喧嘩をすればいい話だ。そう思いながら廊下を歩いていると、廊下に面したベランダに父親がいるのに気がつく。から、と窓を開けると、彼はすぐに振り向いた。
「……仕事はどうしたの?」
「お前の昼飯がないだろうと思ってな」
咥えていたタバコを急いで揉み消し、父親がクラウが話しかけてきたのに嬉しそうに笑う。
「さっき帰って来た。リビングに置いてあるから、まだ温かいと思うし、早く食べるんだぞ。母さんが寝てるけど、まあ、気にするな」
クラウが頷くと、父親がまくしたてるように続ける。
「スタッフにお前が夜に出て行ったって聞いて、驚いたぞ。戻って来てよかった。どこにいたんだ? 友達の家じゃなかったよな」
「電話したの?」そこは放っておいてくれよ、とムッとする。「最近できた友達のところで泊めてもらった」
「そうか、ならいいんだ。あとな……」
「父さんはどっちなの?」
まるで普段から仲が良いみたいに話しかけてくる父親に腹が立って、クラウは彼の言葉を遮って尋ねた。
「ふざけるなよ、僕があれだけ言ってもなかったことにするの? なのになんで心配してるふりをするの? そんなのご都合主義すぎるよ、父さん」
「……、…………」
彼がクラウから目を逸らし、自嘲するように眉を下げて笑う。
「そうだな、もう、八方美人をやるにも無理があるな」
クラウ、と父親が手招きしながらベランダの手すりにもたれた。家を包む深い霧の外から、少し傾いだ太陽がぼんやりと見えた。
「今日は、母さんの部屋の日なんだ」
「…………、霧?」
「そう。天気にもほとんど影響されない、霧の部屋が母さんの部屋。知らなかっただろ?」
クラウは父親の隣で霞んだ太陽を見つめていたけれど、そう聞いて目を逸らした。霧という天気がこの家特有のものとは知らなかったし、雨と波長が合うのかそれなりに好きだったからだ。
「……うん」
「クラウは雨。フラウの部屋は外と一緒で天気が変わるよな、俺の部屋もそうだ。母さんは、雨が降っても霧雨で、晴れても空が見えない自分の部屋がコンプレックスなんだ。それに部屋もすごく狭くて、リビングは部屋の中心から手を伸ばせば家具のほとんどに触れるぐらいだった。それを、なんの役にも立たない部屋って憎んでたんだ」
部屋のことを言ったって母さんに言うなよ、怒るからな、と父親が口止めしてくる。でも部屋の描写がクラウの自室の広さに似ていて、クラウは何も言わなかった。
「だから、母さんは有名な雨の部屋を持って生まれてきたクラウと珍しくて役に立つ部屋を持つフラウが羨ましいんだ。それこそ、実の子どもに怒鳴られても聞けなくなるぐらいに。……俺はなぁ、」
父親がごそごそとパンツのポケットに手を入れ、何も取らずに手を抜いた。
「母さんの部屋が好きなんだ。お前たちのためにユイスを説得しようと思っても、霧の日が来るたびに面倒に思ってしまうくらい好きなんだ」「親ののろけは、ちょっと」「……すまん。だから俺は、お前に我慢を強いてずっと知らないふりをし続けた。お前にも嫌だって思う気持ちがあって、母さんを憎んでるって分かってても、全部子どもだから分かっていないで片付けていたんだ」
自分の部屋が誰かの役に立つ喜びにクラウは気づいていないと悲しそうに膝を抱えるユイスにかかる境の曖昧な光と影が、彼の何より大切なものだった。
「俺は確かに、お前とフラウのことを蔑ろにしていた。でも大切だ。宝物だよ。愛してる」
けれど気持ち悪い、と嫌な顔をする我が子も、同等に大切で。
ふふ、と父親が恥ずかしくなるような笑みを浮かべて、クラウは彼から一歩離れた。
「おい、離れるなよぅ、ふふ。母さんを説得するよ。今まで、何年も我慢させて悪かった。母さんは自分の部屋を役に立てたがったけど、お前は母さんと同じじゃないもんな」
「そうだよ、僕は自分の部屋には誰も入れたくないし、なんなら母さんと部屋を交換したいぐらいだ」
そんなこと言うなよ、と頭に伸びてきた手をはたき落とす。
「あう……」
「二つ目の部屋が欲しいね」
「おお、なんだ急にプロポーズみたいなことを言って……好きな子できたのか?」
「適当言ってたらぶっ殺すよ」
にやにやと笑っていた父親がしょんぼりと眉を下げる。それをちょっとバカにするように笑い声を漏らして、ご飯食べてくる、とクラウはその場を離れた。
母親はリビングのソファに横になって眠っていた。彼女は基本うるさくしても目を覚まさないけれど、今起きられると間が悪いので念のため静かに昼食を食べた。途中、父親が仕事に戻るため出ていくのを聞く。
キッチンで食後のコーヒーを嗜みながら、クラウはこれからどうしようかと考えた。学校に行こうにも着く頃には放課後直前だろうし、やっていない課題はないし、ドリームキャッチャーでも作りながら夜を待つか? あまり趣味が多くないので、手頃な暇つぶしがなかった。
「……、ん……」
そうだ、童話集、読み切るか。
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