第12話 濡れる窓と落ちる影
「駅に来るのは初めて?」
「半分そうだね。寝ているうちに運ばれて、起きたら病院だったから」
「あ、先に切符を買わなきゃ行けないんだ……」
「おおー、広い」
「僕の町の駅はこっちだよ。イニタリシカ地方。君の地域はハリタニシカ」
「やあ、自分の地域の名前くらい知ってるよ。これでも地図帳は読み込んでるんだ」
「地図帳っていう名前の迷路絵本でしょう、僕もよく寝る前に読んだよ」
「君……」
「人混みは苦手?」
「慣れたけど……普段より多いな」
「僕は逆に元気になっちゃうかも」
るんるんと歩くスカイの隣で、クラウがとぼとぼと俯きがちについて行く。通勤通学のピークにぶつかってしまったようだ。クラウの通学で普段ここまで人はいないのだけれど、少し遅刻するとこんなにも混雑するのかと彼はどんよりとした表情だった。
「ここどっち?」
「こっち」
交差点を右に曲がり、さらにざわざわしているドームの中に無理矢理突っ込んでいく。駅は空調が間に合っていないのか空気が淀んでいて、得意じゃない。彼を連れながら早足に駅構内を進むと、あ、とスカイが誰かにぶつかる。
「すみません……あっ、ごめんなさい」
その度に足を止めるので離れ離れになってしまいそうで、クラウは慌てて彼の腕を掴んで引っ張り寄せた。見るからに細いけれど、本当に簡単に折れてしまいそうな彼の手首をそうっと握り直す。
「僕の真後ろ歩いてて」
声をかけて、急いで扉をくぐり抜けた。クラウははーっと深呼吸する。スカイの手を離し、改めて並んで歩きながらクラウの自宅の扉へと向かった。『0105番地施設用ドーム』に向かうでもよかったけれど、ホテルのスタッフから両親に連絡が行く可能性があったからだ。
「君の両親はどんな人?」
さすがに両親に玄関先で鉢合わせたりなんてしないだろう、と考えながら、クラウは何気なく彼に話題を振った。
「そうだね、普通の人だ。父さんは会社員で、母さんはピアノの先生をやってるよ」
「ピアノの先生? 妹がこの前習い始めたんだ、ピアノ。なんていう教室?」
「ああ、子どもに教えてるんじゃなくて、大学の教授だったと思う。兄さん姉さんたちはみんな一通り仕込まれたらしいけどね、リブ姉さんとかも」
「へえ……大学の教授って、全然普通の人じゃないと思うんだけど」
「うまくいかないとイライラして生徒に当たる人を普通と言わずになんと言うのさ」スカイがくすくすと笑う。「ピアノの腕前の“普通”の基準が自分っていうのは、頭がおかしいと思うけど」
クラウはスカイを見つめて、顎を上げながら前を向いた。
「さすが」
「え?」
そこでクラウの家の扉の前に着いて、クラウはスカイを無視して玄関先扉を引き開けた。自室の廊下が広がっているのを確認して、スカイを先に通し、自分も帰宅する。自分の部屋が洋服やなんやらが散らかったかなりの汚部屋であることをふと思い出したが、きょろきょろするスカイをちらっと見て、まあいいかとリビングに案内した。
「秘密基地の前に、ちょっと片付けさせて」
彼を作業机の椅子に座らせて、ぐっしゃぐしゃのベッドとか、脱ぎっぱなしの洋服を片付ける。
「クラウって結構だらしない?」
「…………」むぐ、と唇をへの字にした。
クラウがやっと人を呼べるレベルまで部屋を片付ける頃には、スカイはすっかり待つのに飽きてクラウのドリームキャッチャーやそれを作るための素材箱を覗き込んだり、しとしとと雨の降る窓の外を眺めていたりした。
「よし、ふう……」
クラウがシャツの袖を捲りながら息を吐くと、彼は途端に外に出たい子犬のようにいそいそと帽子を被り直した。
「僕の秘密基地を見せてあげる」
「いい匂いだ」
スカイは回廊へ出るなり、そう言った。
「ホテルで朝ごはんの時間なんじゃないかな」
「そうじゃなくて、雨の匂いだよ。こういう、部屋の匂いがあるのっていいよね、花の匂いとかさ」
僕の部屋は煙っぽい匂いだ、とクラウから傘を受け取りながら言う。
「屋根のないところへ行くの?」
「そう」
クラウが二本目の傘を傘立てから抜き出している間に、スカイは興味深々といった様子で傘を開き、雨のしたたる屋根の終わりの下にかざした。ぼたぼた、と重い音がする。彼は屋根の外に出た。
「おー」
少し重そうに傘を両手で持ちながら、スカイが子どものように空を覗こうとしたり、雨水が流れるコンクリートの回廊の上でちゃぱちゃぱと足踏みする。クラウはそれを眺めながら、少し雨の勢いが優しくなるのに気づいて、微妙な顔をしながら頰をかいた。
「スカイ、行くのはこっち」
彼に声をかけ、後ろへ向かって肩越しに指を指す。
空部屋がぽつりぽつりと並ぶ回廊を進んで車のところまで彼を連れて行くまでは、スカイが右へ左へうろうろと観察しながら歩いていたのでさほど会話はなかった。スカイは車を見たことがなかったのか、錆びたそれを見た途端にクラウを質問攻めにしたけれど。
「僕も車種は分からないけど、あれは車って言うんだ」
「なんか、角生えてるよ!? ちょ、クラウ、そいつと仲良いの?」
車に近づこうとしたクラウの袖をスカイがへっぴり腰で捕まえる。
「え? ……車はロボットじゃないよ。角はワイパー。あれは動いていたら窓を拭ってくれるんだけど、掃除するときはああいう風に上げられるんだ……僕もよく知らないけど、調べた」
「動いていたらって、ロボットじゃん」
「喋るAIが乗ってるわけじゃないよ、それにあれは壊れているし」
お互い本好きのせいか、スカイが考えていることは予想しやすかった。壊れていると聞いてやっと安心したのか、スカイがクラウの袖を離す。クラウが車に向かうと、恐る恐る後ろを歩き出した。
「助手席か運転席か、どっちがいい?」
「え、……どっちでもいい」
好奇心いっぱいの彼ならハンドルやペダルのある運転席の方が面白がるだろうと思って、クラウは運転席のドアを開けて彼に勧めた。ありがとう、と言って彼が傘をたたみ、車に乗り込む。帽子を取りながら、ばん! と勢いよく扉を閉めるのにかなり驚いていた。
「よいしょ……」ばん!「乗り心地はどう? スカイ。ちょっと埃っぽいかな……」
「ううん、大丈夫……わー、ここがクラウの秘密基地?」
「そう」
小さな四人用の車がクラウの秘密基地だ。ここら辺はホテルとしては立ち入り禁止エリアだから、誰かが来ることもない。クラウは席にゆっくりと身を預けながら背もたれを倒した。
「わあ、それどうやるの」
目を輝かせたスカイに言われて、クラウは思わず笑ってしまいながら彼の座席とドアの間に体を伸ばした。「ここを持ちながら……」レバーを掴みながら彼の背もたれを押し、倒してやる。
「わっ。……おぉ……」
クラウはその高揚した声をからかうように笑いながら自分の席に体を戻した。
「……スカイ、前を見てみて」
「ん?」
スカイがクラウの指の先を追って、フロントガラスを見る。雨が打ち寄せる波のように流れていて、そこを通って歪んだ光が二人に落ちていた。
「この様子を眺めるのが好きなんだ……落ち着けて」
クラウは深呼吸混じりに言った。「見せたの、君が初めてだ」
「……僕もそういえば、リブ姉が侵入してきた以外には初めてだな……」
スカイがつられるようにため息混じりに言って、ぽつりと続けた。
「僕もそれ、言いたかったな」
ガバッとスカイが上半身を起こして、ハンドルに腕を置いて顎を埋める。指をフロントガラスに置き、雨の波を追いかけるようになぞった。指の触れた周りが白くくもって、なぞった跡が残った。今すぐここから逃げ出したいような、ずっとここにいたいような微妙な空気が流れる。スカイがもう一度寝転がって、白い手をだらりとシートの外にぶら下げた。すり、と狭い車内でかすかに触れ合った温かい肌に、彼の中指を小さく握る。
スカイの方は見れなかった。雨のように冷たい手に彼の体温が移っていくのを心地よく感じながら、ただスカイの声を待つ。
隣で、スカイが体を起こした。気配がこちらに近づいて、寝転んで結んだ髪のほつれた彼が視界に顔を出した。クラウの目元に手を伸ばし、指の背でゆっくりと前髪を払った。
目が合う。スカイがへなっと気の抜ける笑みを浮かべる。
「どうしよう」
一瞬手が離されて、繋ぎ直された。
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