第9話 家出
「母さん」
がちゃん、と二階で扉の閉まる音がして、クラウはすっと無表情になった。ソファを占領する母親はもう話を分かっているようで、面倒そうにクラウを睨む。父親は心配げにマグを机に置いた。
「フラウのタンクの中身を売るってどういうこと?」
「何か問題でもあるの? 私が私のものを売るのに」
「あれはあんたのじゃない、フラウのだ」
「私の子のものなんだから私のものよ」
「フラウが生み出した部屋だ!」
珍しく激昂するクラウに、母親が身体を起こした。
「僕を見て分からないのか! フラウにまで苦しい思いをさせるつもりか!? いい加減にしてくれよ! 僕は僕の部屋が開放されるのが嫌だった、心の中に誰かが入るみたいで嫌だった! それをずっと、僕は言い続けてきたよなぁ! 母さんらに訴え続けてきたよなッ__」
クラウはほとんど癇癪を起こしながら叫んだ。手持ち無沙汰に拳を振り下ろす。
「なんで分かってくれないんだ!」
両親とも、口を開かなかった。クラウはもう喉が痛かったけれど、自分を傷つけるように続けた。
「僕だけじゃなくて、フラウのことすら大切じゃないの?」
「クラウ、」
父親が立ち上がって止めようとするのを遮る。
「僕らはできてしまったから仕方なく生まれてきたの?」
クラウはそう言い捨てて二階へ上がった。自分の部屋に入ると、部屋着だったのを着替えて、ホテルのエントランスの方へ向かう。夜間を担当する使用人が傘を渡してくれた。面白いことに、今日は外も雨だった。
傘を差しながら雨降りの夜の町を歩いて、クラウはまだ少し人通りのある駅を移動してスカイのもとへ向かった。今会いたいのは、彼しかいなかった。
「……スカイ」
夜の町の部屋は早朝に閉扉して、昼ごろにまた開扉する。観光客が減りすっかりネオン街となった二、三階層目を足元に、一層目を登って彼の部屋に入った。小さく声を投げるけれど、彼は寝ているのか返事はなかった。玄関に傘を置かせてもらい、構わずに部屋の奥に進んで彼の寝室に入る。
すぅ、すぅ、と柔らかい寝息につられて、クラウはそうっと本の城壁を跨いで彼のベッドに静かに腰かけた。心の中に誰かが入るようで嫌、と自分の言葉を反芻して、今の自分はまさに侵入者側だと自嘲する。けれど、この不思議な肯定感こそが客がクラウやスカイの部屋に求めるものなのだろう。彼の部屋にいると安心した。膝の上で手をいじりながら深呼吸をする。
__彼は、親に愛されているんだろうか。
スカイは自分と同じように親に強要されて部屋を解放しているんだろうか。
いっそそうだといいのに。
……帰ったほうがいいかな。
顔を上げて窓の外の夜空を見上げると、ころころと涙がこぼれた。キャパオーバーなのか疲れているのか、途切れ途切れにしか思考出来なかった。小さな窓から見える四角い星空をじっと見つめながらぱたりと横になって、クラウは気を失った。
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