第4話 ドリームキャッチャー

「お帰り」


階下からさっそく母親の声が飛んでくるが、無視した。階下に降り、リビングで遊んでいた妹に飛びつかれたのを抱きとめる。


「お兄ちゃん、今日ねー?」


おしゃべりが好きな彼女に一通り今日あったことを聞かされるのは毎日の習慣だ。おもちゃの散らばるカーペットの上に二人で座り、うん、と時々相槌を打ちながら、ついでに櫛で髪を梳かしてやる。遠足で公園に散歩に行ったという話を聞いて、クラウは妹の話が終わった後、そういえば、と自分も話し始めた。


「僕は今日、夜の町の部屋っていうところに友達と行ったよ。すごく星空の綺麗な場所でさ、」

「やだ、やめてよそんな場所の話。フラウに変なこと聞かせないで」

「……月がとても輝いていて、時々流れ星が見えるんだ。展望台もあって、すごく楽しかったよ」

「へー、あたしも行ってみたい!」

「うん、じゃあいつか行こうな」


彼はさらりと柔らかい髪を撫でると立ち上がった。自分の部屋に戻ろうとすると、母親の剣呑な声が飛んでくる。


「アンタまさか、お酒飲みに行ったんじゃないでしょうね」


クラウの部屋で儲かった分で、遊び呆けているアンタとは違う。ソファから上体を起こす母親を見下ろした。


「母さんじゃないんだから」


自室に戻って、クラウは手持ち無沙汰に机についた。本当は月末、お小遣いが入るまで趣味は我慢するつもりだったけれど、素材の切れ端をかき集めてどうにかしよう。長さも種類もバラバラな紐を束ねたり、編んだり、強硬手段だが接着剤で繋いだりして小さなドリームキャッチャーを作る。

そうだな、悪い夢はさほど見ない。現実の方こそ悪い夢のようなものだ。単なるインテリアとして格好良かったからそれを作るのを趣味にするようになった。材料費の足しになればいいと思って、よくできたものは売って金にするようになったのも、クラウがこの部屋にいるアーティストのように自分の作品に思い入れがあるわけではないのが分かると思う。色の相性を考えれどそこにこめる意味なんてなくて、作るのになんの目的もない。ただ現実を忘れるのにちょうどいいから没頭しているだけだ。


雨音がクラウが集中するのに合わせて音を変えた。森の中の沢のような、静かな音で部屋を満たすようにする。雨模様は、彼が気分を害せば荒れて、リラックスすればしとしとと小雨になった。それをホテルにいる他人が感じるのがまるで感情を読み取られているようで、クラウは苦手だった。春の町の部屋の青年が心を壊して部屋を閉ざしたのも、似たようなことが原因だ。クラウはそれほど繊細な人間ではないけれど、パーソナルスペースは広く取りたいし、自分のテリトリーに好き勝手出入りされるのは我慢ならないタイプだった。一人好きだ。

それに、もう覚えていないくらい幼い頃からホテルはやっていたけれど、同じくらい幼い頃からアラームより前に目覚めてしまうくらいストレスになっているんだから……部屋を取り返したい。けれど、そうしたらホテルのために仕事を辞めた父親に迷惑をかけるし、妹もいるのに稼ぎを失えない。そして、そう家族思いに考えてしまう自分が嫌だった。

手が疲れて、クラウは少し休憩を挟んだ。キッチンで温めた牛乳にココアの粉末を溶かし、ぼうっと水垢だらけのシンクを眺めながら飲む。そのあとなんとなく気が向いて、クラウはそのまま机には戻らず、散歩に自室を出た。


玄関先に傘立てがあるが、傘は持たずに。屋根のついたところには行かずに、クラウは一番外側の回廊を雨に打たれながら歩いた。向かうは、回廊の浅い角にある鉄の塊。

サファリパークなんかの周遊カーに似ている。けれど長方形に大きいそれとは違って人は四人くらいしか乗れなそうに小さく、シルエットはなんのかっこよさもなく、丸っこい。外は錆びていて、中のシートは叩くと埃が出る。ハンドルやペダルはあるが、多分ガソリンは入っていないし、キーもない。でも秘密基地にちょうど良かった。

クラウはそのボンネットに登ると、車の屋根に乗っかって寝転がった。鼻の頭、頰、ぼけっと開いた口の中に細かい雨が降り注いでくる。瞼を閉じると暗闇に今日見た美しい星空が浮かび上がって、クラウは口を閉じて飛び込んできた雨粒をこくんと飲み込んだ。

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