第2話 夜との出会い
「正直、ドアtoドアなんだから傘要らなくね?」
「だって、学校帰りに走りたくないじゃん」
クラウがどしゃ降りのグラウンドを見ながらそう言うと、二人目の友人が、歩けば? ときょとんとした顔で言う。まだ何グループか駄弁っている教室で、クラウたち三人は掃除当番として箒を持つだけ持っていた。
「僕はお前と違って、濡れるのが嫌なんだ」
「そう? 濡れるの楽しいだろ」
「小学生かよ」
クラウは自分の熱がむわっとするのも、汗が混じった水が垂れてくるのも気持ち悪くて仕方ない。友人の言葉が不思議でならなくて、クラウはドン引き、という表情をした。
「あ、じゃあさ……」しばらくスマホをいじっていたもう一人が二人に画面を見せる。「五時には止むらしいから、それまでここで遊ばないか?」
「「夜の町の部屋?」」
二人の声が重なる。クラウは聞いたことがあった。興味があったというか、ほとんど同業者のようなものだからだ。
「そう、サニと行きたいんだけど、下見しときたくてさ」
「なんでさ」
「そりゃ……色々だよ」
はーん、と友人が無表情ににやける彼を睨みつける。クラウは口だけで微笑みながら二人を交互に見た。夜の町の部屋は有名なデートスポットかつ、名前の通り、夜の町としても有名なところだ。ゆっくり語らう場所には困らないだろう。
恋人のいない友人はぶうぶうと文句を垂れたが、クラウが行きたいと言ったのに、三人は夜の町の部屋へ向かうこととなった。
昇降口へ降り、曇り空の透ける磨りガラスの引扉を開ける。駅をいくつか移動して、一行は『2147番地施設用ドーム』にて夜の町の部屋の扉を開いた。
「いらっしゃいませー!」
どやどやとした喧騒に負けない明るい女性の声が響く。そこには教室と同じくらいの空間があった。壁には扉が並び、真ん中に四角形のカウンターがある。
「四名さまですかー?」
バインダーを持った女性が話しかけてきて、彼らは部屋の中央の方へ連れられながら案内を受けた。夜の町の部屋は観光地として入場料を取るのではなく、空部屋の中に店を開かせて収入を得るタイプのようだ。クラウの部屋とは少し違う。
ちゃんと帰ったか管理するためだろう、連絡先を控えられて、クラウたちは一つだけ模様の違う大きな扉の前に案内された。
「それではお帰りの際は受付の方にお知らせくださいませ。夜の町へはこちらからでーす」
にこりと笑って女性が大きな扉を押し開く。クラウたちの後ろから、うわあ、と歓声が上がった。
美しい星空に、クラウは引っ張られるようにエントランスから道へ出た。その美しさはまるで言葉には出来なくて、絵にも描けなくって、歌にも出来なくって、ただただ狂いそうなほどに強く心を奪った。街灯一つないのに星の灯りで町は明るく、少し冷ややかな鉄製の回廊や空部屋たちを照らしている。
空に魅了され動かないクラウの脇を通って、友人らはそうっと錆びた手すりから下を覗いた。縞鋼板に支えがついただけの上に空部屋が立っていて、十メートルほど下方の層の空部屋から店が入っているのが見える。明かりで星空をかき消さないようにだろう。上にも、入り口から伸びる一本道から羽のように回廊と空部屋が、星空を主役に、美しく広がっていた。
「……じゃあ……」
友人の声にクラウははっと星空から目を離し、彼らを振り返った。
「三人で回るか?」
「あ、僕……」圧倒されよく回らない頭で、自分はデートスポットやらには興味がないと思う。「ここにいる」
おっけー、と友人らが手を上げるのに慌てて応えて、クラウはゆるゆると手を下ろし、また空を見上げた。彼は一瞬でこの空の虜になった。
どんな人が、この部屋の主なんだろう。錆びた手すりがベタつく感触も、道と道の間から店の提灯やネオンの明かりが漏れ出してくるのすら美しく思えて、クラウは部屋の中を歩き始めた。かん、かん、とローファーの踵に軽やかな音がついてくる。床板はかなり薄いようで、それが足が竦むような浮遊感を生み、ここに来てからの高揚感をなかなか落ち着かせてくれなかった。彼は緩やかな坂道を上り、下り、この世界に浸りたくて人のいない場所へ向かった。
それは必然的に、部屋の隅になって。ずっと交差点ばかりだった回廊がついにT字路についたのに、クラウは左右を見渡して、そこに落ち着くことにした。回廊と空部屋はもう背中の方にしか無く、目の前に広がるのは美しい星空だけだ。足元にカバンをおくと、高めの欄干に肘をつき、姿勢を崩してぼうっと星空に意識を飛ばした。
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