第2話 ツギハギの魔道士と宝石の妖精

 ぼくがその青い宝石――ブルートパーズと出会ったのは、からりと晴れた日のこと。


 雨の少ない季節ではあったけれど、それにしてもちょっと降らなすぎじゃないか? と人々がざわつき始めた頃だった。それで、各地に散らばっている上級の魔道士達が、バトンリレーのように交代でその地区に雨を降らせることになった。


 ぼくは干上がりつつある小さな泉の前で、じっとその番を待っていた。だけど、まだその番じゃないからといって、その泉が干上がっていくのを黙って見過ごしてもいられない。もちろん、干上がりつつあるのはそこだけではないんだけど、いまぼくの目の前で悲鳴を上げているのはその泉なのだ。


 だから、小さな小さな雨雲を作って湿らせる程度の雨を降らせていた。


 と。


 カサカサに乾いた大きな葉っぱが、何やらもぞりと動いた。蛙でも潜んでいたかな? とめくってみると、そこにいたのは、小さな妖精である。どうやらこの日照りは彼女にも深刻な被害をもたらしていたらしい。日照りが直接の原因というよりは、羽の魔力が尽きて飛べなくなってきたところに、カンカンジリジリの太陽に焼かれて半死半生といったところだろう。空さえ飛べたら涼しい木陰に避難出来ただろうに。


 ぼくは彼女をそっと掬い上げて、窪みに溜まった雨水に浸した。こんなに乾ききった羽では、どんなに魔力を流し込んでもうまく浸透せず、全て弾かれてしまう。乾燥した妖精の羽はデリケートだ。少しでも乱暴に扱えば、ぼろぼろと崩れてしまうし、そうなれば再生も難しい。浸してしばらくの間は絶対に触れてはならない。早く浸透するようにと撫でたり揉んだりなんてもっての外だ。しっかり透き通るまで待つ。


 そわそわしながら見守り、そっとその羽に触れてみる。軽く、押し返されるような弾力を感じた。よし、これなら。そう思って、慎重に魔力を流してやると、その、透明な羽に、うんと薄めた水彩絵の具のような水色の筋が走っていく。羽が輝きを取り戻したところで、彼女はゆっくりと目を開けた。宝石のような青い眼だった。長いまつ毛をバサバサさせながら、数度瞬きし、ぼくに向かって「どちら様?」と尋ねて来る。


 曲がりなりにも命の恩人に向かってどちら様だと、と思った。


 思ったけど、こんなに美しい子なのだ。こんなに醜いツギハギの魔道士に助けられたと知ったら、その見返りに何を要求されるのだろうと絶望するかもしれない。慌ててフードを目深にかぶる。


 彼女のようにきれいな妖精を瓶の中に閉じ込めて、最低限の食事だけを与え、鑑賞する金持ちもいるらしい。そんなやつと同類と思われでもしたらたまったものではない。


「通りすがりの魔道士だ」


 ぶっきらぼうにそう言う。


「通りすがりの魔道士様が、私をここに?」

「まぁ、たまたま、なりゆきで、なんとなく、っていうか」

「たまたま、なりゆきで、なんとなく、私を助けて下さったと?」

「た、たまたま、なりゆきで、なんとなく、それと、あと、その、気まぐれで」

「成る程、たまたま、なりゆきで、なんとなく、気まぐれで助けてくださったのですね。あの、きちんとお礼をしたいので、ぜひその御顔を」


 まだ少し水気の残る羽をぱたぱたと動かして、ふわりと浮かび上がる。無遠慮にぼくのフードに手をかけるものだから、やめろ、と首を振って抵抗した。


「礼なんて別にいらない。ぼくは忙しいんだ。飛べるようになったんなら、さっさと行けよ」


 虫でも追い払うかのように、手をシッシと振る。宝石のように美しい彼女に、こんな醜い顔を見られたくない。


「嫌です。助けていただいたのですから、恩をお返ししないと」

「そんなのいらない」

「困ります。最近の妖精は不義理だ、なんて思われたら名誉にかかわりますから」

「そんなこと思わないよ。ねぇ、仕事の邪魔だから」

「邪魔なんてしません。ほら、私ってこんなに小さいですし」

「いるだけで邪魔。存在してるだけで気が散るんだ。だから――あっ、こら!」


 埒が明かないと思ったのだろう、彼女は実力行使に出た。


 すぽっとフードの隙間に入り込んできたのである。そして、その中で懸命に羽を動かし、ついにはフードをめくってしまったのだ。


 うっすらと血のにじむ痛々しいツギハギが露わになって、ぼくは羞恥のあまりに顔を覆った。魔法で裂けた傷は、そう簡単には治らない。


「見るな」

「もっとよく見せてくださいな、我が主」

「勝手に主認定するな。あっち行けったら」

「嫌です」

「頑固者め」

「魔道士にはパートナーが必要でしょう? 高名な魔道士様は皆、引き連れているではありませんか」

「ぼくより上の魔道士はね。ぼくなんて大したことない。見た目も悪いし」


 ぷい、とそっぽを向いてフードを被り直す。今度はめくられないようにとしっかりフードを掴むツギハギだらけの指に、彼女がそっと触れた。


「触るな。ぼくの血で君の身体が汚れる」


 そういうと、彼女は、「ほら」と愉快そうに笑う。その態度にムッとして、何がだよ、と返す。


「私の心配をしてくださったではないですか」

「はぁ?」

「血がにじむということは傷が開いているということなのでしょう? 沁みるから触るなとも言えたはずなのに、あなたは、自分の血で私が汚れることを危惧なさった」


 ねぇ、お優しい御方、どうかお名前を。


 歌うように、そう重ねられた。どうかお名前を教えてください。そして私に名前をください、と。名前は契約だ。妖精が名を欲しがるのは、仕えたいと思った時だけだ。


 目から流れる塩水が、頬のツギハギに沁みて痛い。

 情けない声が出てしまわないように、必死に下唇を噛む。ぷつり、と犬歯が唇の皮を破る音が聞こえた。


「……ジャック=ジョアだ。ぼくの名前は、ジャック=ジョア・ニコルハウゼン」


 口を開いて、ぺろりと唇を舐める。鉄臭い味がした。


「ありがとうございます、ジャック=ジョア・ニコルハウゼン様」

「ジャックで良いよ。君は、『ブルートパーズ』だ。これからはそう呼ぶ」

「まぁ素敵。どうぞかしこまらずに『ブルーズ』と」

「わかった、ブルーズ」


 こうしてぼく達は主従関係を結んだ。

 この後すぐに雨の番が来て、ぼくは涙を隠すのにちょうど良いと思いながら、さんざんに雨を降らせた。泉はなみなみと水を湛え、ブルーズは雨の中を踊るように飛んだ。魔力さえ十分に満ちれば、雨の中でだって妖精は飛べるのだ。


 ぼくはこんなに醜いのに、彼女はとてもきれいだ。

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