第四章
例のオフ会があった日から一晩が明けて、いまは翌日の
いつものように
「で、最近は、くまの
「ふーん」
「……ねぇきょうちゃん?
「いや、いつもどおりおまえと
ろくに話聞いてないのがバレたのか? でもそんなのいつものことだしなぁ……。
それに怒ったなら怒ったで、コイツは、ぷんぷんっとか分かりやすく口走るだろうし。
じゃあテストが近いわけでもねーのに、週に三度も四度も勉強に付き合わせたのが悪かったのか? ……いやー……それもなんか違うような……。
などと、うろんな
「だってきょうちゃん……。朝からずーっと、すごく疲れてるみたいだから……」
「ああ、それなー」
そりゃそうだろ。なにせ
精神的に
あのボケ、なーにが『サイアク! 今日はほんっと大失敗だった! チッ……そーいえばオフ会に行けなんて言ったの
結構楽しそうだったじゃねーか。どんだけ素直じゃないんだよアイツは。
そりゃ多少なら、かわいいもんじゃねーのって思うよ? でもさー、となりのシートで一時間半ずーっと舌打ち連射してんだぜアイツ? もはや憎たらしさしか残らないっつの。
「はぁ……」
俺は本日何度目かになる、重いため息をついた。肩をがっくりさせながら、言う。
「まぁ……
「そっかぁ……残念だけど。……それじゃあ仕方ないね……」
俺とそっくり同じポーズで、がっくりする麻奈実。こいつはいつも、俺が
毎度毎度ご苦労なこった。いちいち他人に共感しちまうんだから、このお
ま、ありがたいっちゃ、ありがたいけどさ。いまさら礼なんて言わねーぞ?
「ああ。だから今日は、ぱーっと遊びに行こうぜ?」
「えっ……?」
意表を
「これから
「う、ううんっ。ぜ、ぜんぜんっ、イヤじゃないよっ」
「そか。じゃ、おまえ、どっか行きたいとこあるか? なんだったらとなり町まで出てもいいし……いま、なんか映画とかやってたっけ?」
「う、うーん」
せわしなく
一方、
このゆるいのとくっ
「ど、どこでもいいの?」
「おう。──どんと来い」
「それじゃー
麻奈実は、ゆるゆるの
「中央公園がいいなぁ」
「……一分の迷いもなく、
せっかくおごってやる気になってたんだから、そこはわがまま言っとけよ……。
「え、えー? なんで怒ってるの……? どこでもいいって言ったじゃない」
などと口を
「ま、いいや。せめて飲み物かなんかおごってやんよ」
「わ、ありがと。……それなら、お茶がいいかなぁ。あったかいの」
「はいはい、いつものな。ホットなぁ……もう春も終わるってのに、売ってんのか……?」
ほんっと……金のかからないやつだな。
どうしておまえは、たった百二十円で、そんな幸せそうな笑顔を浮かべられるんだ。
そんなわけで徒歩十五分と少々。俺たちはとなり町の中央公園にやってきた。
この辺の
春になると
「ほれよ、いつものやつ」
「ありがと。いただきまぁす」
ぷしゅっ。コンビニで買ったホットの緑茶を、ビニールから取り出し、フタを開けてから渡してやった。ベンチに座っている
「どうかしたか? 別に
「え? えへへぇ……なんでもない」
と……
意味が分からん。俺はもう一口茶を飲んで、ふぅ……と息をつく。
茶がうめえ。
「……んー……なーんか、いいよねー……こういうの。……ずーっと、千年くらいこうしていてもいいくらい」
「……そりゃ、いくらなんでも、気ぃ長すぎだろ。おまえの前世はぜったい
「それでもいーよ? きょうちゃんがお世話してくれるならね?」
そうやって。俺たちはしばらく、くだらねー話をしながら、ベンチで
いつだって、となりに麻奈実がいるだけで、
「あ~あ……眠くなってきた……」
ここで昼寝したら気持ちよさそうだ。
「きょ、きょーちゃんっ」
「……あ? なに?」
俺が寝ぼけ
「ど、どうぞっ?」
………………なに言っとんだこいつ?
何が『どうぞ』なのかサッパリなので、俺はいぶかしげに首を
と、そこで麻奈実の肩越しに、俺はとあるモノを見付けた。
お? あれって、もしかして──俺は思わず身体を横にずらし、目を
「……きょうちゃん」
「お、ワリ。で、なんだっけ?」
再び麻奈実に
な、なんか麻奈実から無言のプレッシャーが……
怒り心頭みたいな感じで、顔が耳まで赤くなってるし、それに、
「…………
「もおっ……きょうちゃんのばか」
プイっとそっぽを向いてしまう。
「……なんで怒ってんだ? 珍しい」
「ふーんだ。きょうちゃんが、ニブいだけだもん」
ぷりぷりお怒りになりながら、眼鏡をごしごし
眼鏡をかけてから、改めて問うてくる。
「……それより、なに見てたの?」
「ああ。ホレ、あっち」
俺が指差した方角を、麻奈実は向いた。そこはちょっとした広場になっていて、よくガキどもがサッカーやら草野球やらして遊んでいる場所だ。いまはワゴンが二台止まっている。
で──
「あれって……なにやってるの? どらまか何かの、
「たぶんな。でもドラマじゃねーだろ。ほら、あれってテレビカメラじゃなくね? フラッシュたいてるしよ──ありゃあ、写真
歩道から、
「ふぁっしょん雑誌の撮影……かな?」
「ちなみにおまえ、そういうの読んでんの?」
「あはは……あんまり。洋服買うときは、お店で店員さんとお話ししながら決めるし……」
だよな。ま、ともあれ俺も、アレはファッション雑誌の撮影だと思う。
夕暮れを背景にした写真を撮っているらしい。なにやら
当たり前の話だが、モデルってのも、やっぱり
「うわー……見て見てきょうちゃん。あの子、すっごいかわい~」
「あー……そーね。かわいーね」
「あれれ? 反応うすい?」
あのなあ……別に俺たち付き合ってるわけじゃねーけどさ。一応、女の子を連れてるときに、俺は『うおっ、あの
おまえだってイヤじゃねえの? ……イヤじゃないんだろうな、たぶん。自分が若い女だという
「あ、ほら、あの茶髪の
大はしゃぎしちゃってまあ……。別に有名な芸能人ってわけでもねーのによ。
ほんとミーハーなやつ。
ふん。『おまえの方がかわいいよ』とでも、よっぽど言ってやろうかと思ったね。
どんな顔すっかな? 俺は意地の悪い
ふーん。あの茶髪の娘、
脚は長げーわ、背はすらっと高いわ、でもって顔も──
「
「ええ──っ!?」
俺と麻奈実は、ビックリ
「え、ええと……桐乃……ちゃんって……妹さんだよね? きょうちゃんの……」
「……ああ、まあ、そのようだな……たぶん」
「え、えぇ……た、たぶんてなにっ?」
いやっ、俺も
そういや言ってたなアイツ……あたしモデルやってるのとか、何とか……。
疑っていたわけじゃねーけど、ピンとこなかったんだよな。こうして直接見るまではさ。
──本当だったのか。
俺は改めて、まじまじと茶髪のモデルを見つめた。
「………へえ」
どうやら俺は、妹への認識を改めなけりゃならないようだ。
あいつのことを、ずいぶんとなめていた。あなどっていた。
俺は、モデルっつったって、しょせん中学生のガキのお遊びみたいなもんだと思っていたんだな。おだてられて、
だが──
いま桐乃は、写真を撮られているモデルを眺めながら、見たこともないくらい真剣な顔で話し込んでいる。その間も、メイクさんが手早く服の乱れを
フラッシュ浴びているモデルの周りは、
おそらく出番を待っているんだろう桐乃の周りは、ぴりぴりと空気が張りつめていた。
「…………はぁ。……なんか、すごいねー」
「……そう──だな」
そうじゃなかった。俺はチラっと見ただけだ、偉そうなことは言えねーけどさ。決して少なくないカネもらって、写真
「……ほんと、すごいや。……住んでる世界が違うっていうか……」
「ああ」
そんなに何度も言われなくたって、知ってるよ。あいつは
くそ、何でかしらんが、イラつく。
「どうせ俺とは似てねーよ。昔っからアイツは、見てくれだけはいいからな」
「そんなに
「は? なに言ってんのオマエ?」
ダセぇ。ちょっと八つ当たりっぽい
「うちの弟、妹さんと同じ学年なの。学校は違うけど。でね、この前、共同テストっていうのがあったんだって。それで──県の
「
「だからぁ、きょうちゃんの、妹さん。
「ま、マジで!? え? 学内じゃなくて──県? 県っつったいま?」
「そう。県で、四番とか、五番とか。詳しい順位はうろ覚えなんだけど──そうなんだって」
あいつ、そんなに成績よかったのかよ!? ぜんぜん知らなかった──って、まあ、いままで自分の妹に関心なんざなかったし、ほとんど
知らなくて当たり前なんだろうけど……にしても
同級生のコギャルどもときゃらきゃら遊んで。あんなに真剣に、モデル活動やって。
何時間も語れるほど子供向けのアニメに
でもって、ばっちり勉強もやってたって?
は──……正直、びびったわ。
俺の妹は、思っていたよりもずーっと……とんでもないヤツだったのかもしれん。
数日が
なんかいいことでもあったのかね?
「どうしたお袋──ずいぶんとご
「あら
「へえ? そりゃまた照れるね。で──オバサン同士の
「もちろんアンタじゃないわよ」
ですよね! 分かってたけどな! 文頭に『もちろん』が付いたことによって、俺の心にドス黒い親への不信感が芽生えたわ!? ケッ、老後を覚悟しておくんだな!
「ふ、ふーん……とすると
ハイハイ、不出来な
「あの子ねー、
「へーえ、あいつ部活なんざやってたんだ?」
「なぁに? お
「ほっとけや」
おいおい……
アホか。いいかげんにしろ。漫画とかでよくある、過剰に長所だらけのキャラ設定聞いてる気になってきたわ。
だがこれで事実だから困る……。
いるとこにゃーいるんだよなあ~、こーゆうミュータントみたいな生き物。
「でもアイツ、部活やってる時間あんの? 勉強とか遊びとかさ──
「そこはもちろん、文武両道、ちゃんと両立させてるわよー。そうしなきゃお
「ふーん」
ま、そりゃそうか。
あの堅物がモデル活動なんて『ちゃらそう』なもんを、そう
いまにして思えば、髪染めんのにしたって、ガキのくせに化粧すんのにしたってそうだ。
「あの子、お父さんと約束してるのよ。ワガママさせてもらう代わりに、その分、ちゃんとするってね」
「はー、ちゃんとねえ……」
適当に
お袋はむふふと
「おかげでぇ……ご近所で、すっごい評判いいのよお、あの子。外では
「えー?」
俺は思いっきり
人の話聞かないところはソックリだなこの
「もーお年寄りにも大人気! あたしもハナ高々なのよねー! すんごい
「でもそれって結局全部、
「不純な動機よー? いいじゃない別に、
桐乃は自分のワガママ通すために、
そこは認めなくちゃならんだろうよ。やろうと思ったって、なかなかできるこっちゃねえ。
少なくとも、俺にゃ無理だ。
「ふうん……」
しっかし最近、なにやら桐乃の話が出るたびに、凄い凄い言ったり言われたりしてる気がすんなあ。みんな
まあなぁ……。ずっと妹のことなんざ
正直、凡人の兄貴としては、妹ばかりが凄い凄いと
俺が複雑な表情で考え込んでいると、お袋が意表を
「そういえば最近あの子、表情がイキイキしてるのよねー。ま、あたしにしか分からないくらいの変化だから、だーれも気付かないだろうけど」
「はぁ?」
俺が
「きっとアレよ……男ね!
「お、男?」
「そう、男ができたに違いないわ。だからあんなに
ねーよ。あんなのと付き合える男が、そうそういてたまるか。いたら俺はそいつのことを、ゴッドと呼んで
だが、お袋はそうは思っていないらしく、鼻息荒くして追及してきた。
「で、知らない? 心あたりでもいーからさー」
「知るか。
俺が当たり前のように答えると、お袋はへの字口で流し見てきた。
「ほんっと、使えない子ねえ! あんたもちょっとはしっかりしなさいよ──妹は出来がいいんだからさあ! 血統は悪くないはずなのよお」
「ケッ。あいにく母親に似たもんでな──凡人の俺は、せいぜい地道に勉強しますわ」
──桐乃の表情がイキイキしてる、ねえ……。
……心当たりは、あるっちゃあるよ。まさかとは思うけど……もしかしたら。
ビックリ
ははっ、ガラでもねー。なに言っちゃってんだか。アホらしい。
数日後の夜、俺は『妹と恋しよっ♪』を、ついにコンプリートした。
正直言って、大変
あのな、つまんないとか、そういうレベルじゃねえんだ。
このゲームに何度、精神を
リアル妹がいる身分で、妹を攻略するゲームをプレイするという重圧に耐え、よくぞここまでたどり着いたもんだ。
感無量だ。ゲーム自体の感想はさておき、とてつもない達成感がある。
「……っ……ぅぅっ……」
なんだコレ、猛烈にテンションが上がっていく……。
胸の内から……
だってさ! も──これで、
ヒャッハー! これでもう二度と、あの
『おにいちゃん…………いいよ?』とか
「ヒイヤァァァァッホォォォォォ──────────ウ!!」
近年まれに見るほどの
そしてついに……
桐乃から借りたノートパソコンに、ENDのクレジットが表示された。
「はぁ──────」
勉強机に座っていた
「…………ふぅ」
そうすると……達成感の
初めて知ったが、ギャルゲーを全クリした直後の
だめだこれ、どうにもならん。なんだろうな、この、悟りを開いた
ふぅ……なんで俺は数秒前まで、あんなに
「さて、ゲーム返しに行くか」
俺は、
がちゃ、とわずかにドアが開き、妹が顔を
そして例のごとく、ゴミを見る目で
「なに? なんか用?」
「……いや……ゲーム……返しに来たんだけど……」
ったく、コレだよ……。はぁ……やっぱリアルとゲームは違うよな。イベント
「コンプリートしたの?」
「した」
「ふぅん……で?」
「いや……」
妹よ……その鬼教官の
答えを間違えたら銃殺されそうなんすけど。俺はたいそうびびり、慎重に答えた。
「ま、まあまあかな……結構
「ふん、どういうところが? 具体的に言って」
無感情に
フッ……そうか……俺はいま、ゲームでいう『
だが、目の前にいる『妹』の好感度は、マイナスに振り切れている。
よって
上等じゃねえか。俺は不敵に笑った(心の中で)。
「ええっとっスね……しおりシナリオ? アレの後半部分は……いい話だったと思うっス。ホラ、あの、親に
「……………………」
はたして正答を選び取ることができたのか、否か……俺の
……フッ、実はさっきやったばっかのトコを言ってみただけだぜ。
あんなクリック連打してるだけで
やがて桐乃は、ゆっくりと目を開いた。細めた
「……ま、まぁ……ちょっとは分かってきたじゃない」
おお……なんと、正答だったらしい。フゥ……奇跡的に命をながらえた俺は、胸を
くだらねえぇぇぇぇぇえぇぇぇえ!
「でも、まだまだね。いいシーンはそこだけじゃないはず。たとえば……」
「ま、待て……」
俺は、桐乃が語り始めようとしたのを手でさえぎって、なんとか話をそらそうとする。
「それは後でゆっくり聞いてやっから……先に聞かせろって。この前のオフ会で知り合った連中と、最近、どうなんだ?」
「え? あ、あー……あいつらね」
桐乃は、いきなりへの字口になり、そっけない
「入って」
どうやら、廊下でこれ以上話を続けるのがマズイと思ったらしい。
「……おう」
俺が従順に従うと、桐乃はテーブルにノートパソコンを置いて、ベッドに腰掛ける。
それから、こきこきと首の関節を鳴らし、さも関心がなさそうなそぶりで言った。
「一応、両方とやり取りしてるよ、いまも。メールとか、メッセとかで」
「へえ、じゃあ友達になったんだな」
「友達っていうかぁー……話し相手? いちおー話は合うしさーあ? 色々知らないこととか、教えてもらえたりするしぃ──ま、役には立ってくれてるかなぁー」
だからそれは友達だろ。断じてその単語を口にしたくねえらしいな、こいつ。
「直接会ってはいねえんだ?」
「うん。あの黒いのはわりと近所に住んでるらしいけど、でかいのはちょっと遠いらしくてさ──。だから今度、またオフ会で会おうよって話になってて……で、まぁ、仕方ないから? 行ってあげてもいっかなぁ……とか」
「ふぅん……そっか……」
ゲームはクリアしたし、
お袋の話によると、最近いい顔するようになったっつー話だし……そういや、あれから一度も
つまり万事が上手くいって、
やれやれ……。
これで、今度こそ俺は、お
「なぁ桐乃──油断して、またDVD落とすんじゃねーぞ?」
「うっさいバカ。そんな間抜けな失敗、このあたしが何度も
……よく言うよなぁ、あんときゃオマエ、ちょっとゆさぶっただけで取り乱すわ、
俺がニヤニヤと回想していると、桐乃は恥ずかしそうに
「おっと」
俺は首を傾けて軽く
閉めた扉に、ガン、と物がブツかる音がした。
こいつは、これからもずっとこうなんだろうな……。おっかねえ妹様だぜ、まったく。
まぁ……てなわけで。
へっ、二度とやらねえからな。
料理を作るような音も聞こえなけりゃ、テレビの音も、話し声も、物音すらしない。
不自然だ。俺は靴を脱ぎながら、ぴりっとした
妙に張りつめた空気が漂っている。ぞわぞわっ……と、肌が
やはり、おかしい。いつもと違う。
「……?」
俺は
ごくり。つばを
「……ただ……いま……?」
中に入ると、桐乃と
両者とも、無言。親父はいつも無口だし、桐乃も
だから、一見したところだけなら、別段珍しい光景というわけではなかった。
ただし、
それだけじゃない。テレビを
そして、
「あ」
俺はテーブルの上を見て、すべてを察した。
テーブルの上には、親父の仕事ふうにいうならば、二つの証拠品が残されていた。
一つは、桐乃がよく提げているブランド物のハンドバッグだ。
そしてもう一つは、俺にとっては忘れもしない。
『星くず☆ういっちメルル』のDVDケースに入っている、
『妹と恋しよっ♪(18禁)』だった。
パカッとしっかりオープン状態。証拠は十分。
「……………………ふむ」
俺は
バァァァァァァァァァアァァァァァァァア──────カかアイツはぁぁぁあぁぁあ!?
バカッ……なんっ……たるバカッ……アホッ……! もはや情けなくて泣けてきたわ!
あれほど親父にだきゃーバレんなっつったろうが……!?
油断して、またDVD落とすんじゃねーぞって──言わんこっちゃねえよ!
間抜けな失敗、繰り返してるじゃん!
かぁ──っ! 俺にバレたときと同じ
あ~あ~…………どうすんだ? 知らねーぞ……俺…………
俺は、動揺が顔に出ないようにするだけで、精一杯だった。
「
扉を開けた体勢で固まっている俺に、廊下から、お袋が小声で話しかけてきた。
振り返ると、
「あんたは
「あ、ああ……」
お袋は俺を廊下に引っ張り出すや、そぉっとリビングへの扉を閉めた。
「……その……何が……あったんだ?」
「それがね……」
お袋から返ってきた答えは、おおむね
どういう状況だったのか詳しく聞こうと思ったが、お袋も直接その
もしくは、アニメDVDケースを見た親父が、中を開けたのか。
うーん。18禁表記を見た瞬間の親父の顔が、想像できん……。
さすがの親父も、動揺したろうなあ。俺もビックリ
「……ふうん……」
そもそもさ、どうして桐乃のヤツ、んなもん持ち歩いてたんだ……?
幾つかの疑問がわいたが、なんにせよ、奇跡的な状況ではある。
単なるドジとか、不運とかで片付けられる問題じゃないだろ、コレ。こういう運命だったんじゃねえの? そんなことさえ思ってしまう。
「
「そりゃあな。アイツのことなんざ知ったこっちゃねえし」
本心だ。ウソは言ってないぜ。しかしお袋はさらに決定的な追及をしてきた。
「あんた……もしかして知ってたの?」
「あ? 何が?」
「……だから。……その……あれよ……ああいうの、桐乃が持ってるって、こと」
どう答えるべきだろうか。保身を考えるなら、ここは当然、トボけておくべきなんだろうが。
俺は判断が付けられず、
……やれやれ。
あんなヤツのことなんざどうでもいい。その気持ちはいまだって変わらない。
俺が望むのは、あくまで普通の人生だ。
桐乃なんか、その最たるもんだ。だから、本当にどうでもいい。心の底からそう思う。
なのに──。あいつから
チッ。無関係を決め込むにゃあ、俺は、妹の事情に深入りしすぎちまったようだ。
「……まぁな。知ってたよ」
「……やっぱり。……まさか……あんたの
ぜってー言うと思ったぜ。なぁ、この信用のなさを見てくれよ。泣けるだろ?
「
「そういえばそうね……ま、いいわ。どのみちアレは
がっくりとため息をつくお袋。
この反応も、出来のいい娘がああいうものを持っていたから、なんだろうな。
例えば
「お
お袋はしばし
「
「……何? 出かけんの?」
「ここにいたってしょうがないでしょ。お父さんの好きなお酒買ってくる。あの人さっぱり酔わないけど、どばどば
怒り狂った
だが、そのニュアンスはよく分かるぜ。この家で、親父の雷ほど
お袋が出て行って、それから十分ほど、俺はリビングの扉の前でハラハラしていた。廊下を落ち着きなくうろついたり、
秘密の
ちょっと想像がつかないが……あの親父に、どんな言い訳をしようが
しかも異様に
ずっと昔、俺がガキのころ……いたずらで、女の子の髪の毛にガムテープを
当時の俺は、それを、別にたいしたことだとは思っちゃいなかったのだが……それを知った親父は、俺を
そうして
あのとき、俺は自分が悪いと認めはしたものの……
よくも悪くも、一度口にしたことは必ず守るし、やると決めたことは必ずやる人なのだ。
「……ふぅ……どうなることやら」
この扉の向こうで、どんな会話がかわされているのか。
ヘタレで腰抜けの俺には、知るよしもないことだった。
リビングへの扉が開き、
顔は怒りで
……な、なにがあったんだ……?
「き、桐乃……?」
「……どいてよ…………どけ!」
ずんずんこちらに歩いてきた桐乃は、
桐乃はハァハァと息を荒げながら玄関へと向かい、乱雑な手つきでブーツを
「お、おい桐乃……どこ行くんだよ?」
「うるさい! あたしの勝手でしょ!」
「ちょ、待てって──」
外に出て行こうとする妹を、俺は
バタン! 桐乃は明らかに俺を
「ぶへっ!?」思いっきり
ふらつきながら外に出たときには、もう妹の姿は見えなくなっていた。
──やべえ。
グスッ……ついつい泣きが入ってしまう。うぐあー、顔がイテェよぉぉ~~ッ。
自分の情けなさと、ドアに挟まれた痛みを
「くそっ!」
ぶんぶんとかぶりを振って、気を取り直す。立ち直りが早いのが、俺の数少ない長所の一つ。
──追っかけるべきか? いや……その前に……
俺は家の中へと戻った。正直自信はなかったが……親父から、事の
もちろん大体のところは予想できるけどよ。
それにアイツ、
俺がついて行かなくても、自分
最近桐乃がイキイキしてる──この状況で、皮肉にもお袋の言葉を思い出した。
それってたぶん、ずっと隠してた
そんなに何もかもが
恐る恐るリビングに入ると、
まさか、親父がキレてぶん投げたのか……?
いったいここで、どんなやり取りが繰り広げられたのだろう。
「…………」
家庭内でトラブルが起こった直後の、あのいやーな沈黙が、リビングを支配していた。
やがて親父が掃除機をかけおわり、低く重い声で、こう
「
「あ、ああ……」
俺は言われるがままにテーブルに近付き、ソファに腰を下ろした。
たぶん
桐乃はあれで頑固なところがあるから、俺の名前を出しちゃあいないんだろうが、親父ならそのくらい
ま、そうだとしてもだ。俺も、桐乃に
俺はテーブルの上に目をやった。例の証拠品、開かれたDVDケースが置かれている。その
「……こりゃあ」
それはどうやら、アニメや漫画の専門店の広告らしかった。でかでかと『星くず☆うぃっちメルル』のイラストが載っており、そのすぐ下に、このような記述があった。
『星くず☆うぃっちメルル2(初回限定版)ついに入荷! 前作のパッケージを店頭までお持ちくださったお客様全員に、人気
……な、なるほどな。こいつで、幾つかの
俺が『星くず☆うぃっちメルル』のパッケージを拾った日、どうして非オタの友達に呼び出されたのであろう桐乃が、メルルのパッケージを外に持ち出そうとしていたのか。
そして、どうして
大した手間でもないんだし、さっさともらいに行っておきゃあいいものをよ……よりにもよって今日このときって……ほんとタイミング
とりあえずこれで、親父がブツを発見したのが、夕方、桐乃がイベントから帰ってきたあとだということが分かった。まず間違いないだろうよ。
と──
俺は条件反射のように
「
「……ああ」
そう答えるしかなかった。そもそも親父の眼光は、罪人の口を割らせるために、長年
「そうか。おまえがどうして知っていたのかは聞かん。
親父の
「…………」
俺と桐乃の共犯関係は、どこまで見抜かれているのだろう。俺は背筋が寒くなった。
「俺は、こういったものを、おまえたちに買い与えたことはない。
親父は、DVDケースを片手で取り上げ、パッケージに描かれたアニメも、その中身も
俺は
俺も桐乃も、親父から説教を
「こういうものは、おまえたちに
どうせ、ろくでもないものなのだろう? 親父の表情がそう語っていた。
親父のサブカルチャーへの理解度は、とんでもなく低いし、いわゆる『
……ちょっと前の俺だって、オタクへの認識は、親父と似たようなもんだった。
普通の高校生よりも、サブカルチャーへの
ゲームなんざろくでもねー。やってんのはバカばっかだ。だから持ってなくたって、悔しくなんかないもんね──とまぁそういう論理だな。ゲームを買い与えられない子供は、そうなる。
桐乃の
「真偽はともかくだ。悪影響を及ぼすと言われていて。しかも、そんなものばかりやっている者どもは……なんだ? オタクだのなんだのと……
「…………けどよ。あれは……」
「『
「化粧品やバッグはよくて、ゲームやアニメはダメだってのか?」
「当然だ。あんな世間でよくないと思われているようなものは、桐乃に持たせておくわけにはいかん。特にアレは、俺が言うのもなんだが、できた娘だ。くだらん
オタク趣味は、桐乃をダメにする。だから、やめさせる。親父の
実際、妹もののエロゲーにうつつを抜かしている桐乃は、すでに女子中学生としてかなりダメになっているので、ここで俺は何も言うことはできなかった。
と──
親父は俺への説教を切り上げるや、席を立ち、リビングから出て行こうとする。
ゾッと
「お、親父っ? どこ行くんだよ……?」
俺は
その先には、俺の
親父の
「桐乃の部屋を
「ま──待てって! ちょっと待ってくれよ!」
やべえっ、あそこには桐乃のコレクションが……!
俺は階段の下から親父を見上げ、でかい声で制止する。
「んなもんがあったら、お袋が見付けてるって! 毎日
たぶん桐乃もそう主張したはずだ。
「……だから、それを調べると言っている。俺が探して、見付からなければそれでいい」
いや、絶対見付けるだろアンタ。まさにそういうのが
このまま
そして絶対! 断言してもいいが、親父は桐乃の
悪いこと言わないからやめとけって! 見ない方がいいっすよ! アイツが持ってるエロゲーは、二本三本じゃねーんだってば!
この前見せてもらったのだけでも、二、三十本はあったから!
しかもあの桐乃がさ、恥ずかしがって見せらんねーとか言ってたのが、あの奥にさらに
ま、マズイ……現状がかわいく思えるほど、絶対、マズイ……。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 親父!」
親父はどんどん音を立てて階段を上っていく。俺はその後を急いで追っかけて、前に回り込み、両手を広げて
「どけ、
「ど、どかねえ……」
なに言ってんだ
「いでででででっ!?」
親父は俺の手首を軽々と
「どけ」
親父は、あくまで俺の意思で、道を
「どか……ねえっ」
ぎりぎりぎりっ……。
手首の
「ぐっ……」
っ
自分で自分が分からねえよ!
「……どんな事情があろうと、本人の許可も取らずに部屋を
痛みを
どうやら俺は、妹のコレクションを
あんなヤツがどうなろうが知ったこっちゃねえのにな、俺。
それに──娘がいかがわしい品物もってたら、きっちり
親父は、親として当然の責務を果たそうとしているわけで、その結果、桐乃が泣こうが
じゃあ何で、俺は、こんな痛い思いして、得にもならねーことをやってんだ?
そりゃあ……そりゃあさ! まがりなりにも、
でもってアキバのマックで、初対面だってのに盛大に
だから、俺は、こんな、ガラでもなく──
「……
必死になって訴えると、親父はいぶかるような目で俺を見た。
「おまえ……」
アンタが言いてえことは分かってるよ、親父。この俺が、こんな必死こいて不仲な妹をかばうのがおかしいってんだろ? ああ、ああ、そうだろうよ……おかしいよなあどう考えても。
でも、んなこた俺が一番よく分かってんだよ!
「…………」
俺たちは、しばし無言で
「──いいだろう。待ってやる。俺は、
親父は自分が一度口にしたことは、どんなことがあっても守る。二言はない。
「その代わり、
「──分かった。桐乃と話して……必ず、そうする」
そう答えるしか、俺に
仕方ないこととはいえ、これだけ親父の捜索を強くこばんじまったんだから、逆に〝ある〟ってでかい声で叫んでるようなもんだしな……。
この約束をもしも
あのコレクションを全部、一つ残らず捨てろ──俺はそれを、妹に告げなくちゃならないってわけだ。
責任重大な上に、えらく
こんなの、俺のガラじゃあねえ。やってられっかってんだ。
ったく。ホラよ、桐乃……とりあえず、時間は
夕焼けの中、
会話はない、目も合わせない──見知らぬ他人と同様の、冷えきった関係。
だから俺は、妹の携帯番号なんて知りゃあしねえし、知りたくもねえし、知る必要もねえ。
「くそっ……どこ行きやがったんだ、あいつ……」
なのに俺はいま、そんなどうでもいいヤツを捜して、町を
公園、商店街、ゲーセン、学校、駅前──
ここにもいねえ……! くそっ! あとは、どこだよ……ちくしょう。
胸を
ムカつきの正体は自分でも分からんが、俺はいま、めちゃくちゃ俺らしくないことをしている。だからこんなに、苦しいのか? イライラしてんのか?
「わけ分かんねーよ……バカじゃねえの?」
ガラじゃあねえ……ほんっとガラじゃあねえ。ああっ、くそっ……くそくそくそっ!
もう、いい。とりあえず考えんのやめた──バカらしい。
「知るかよ……」
まるで妹から借りたゲームの主人公みたいに、
ゲームと異なるのは、妹の、俺への好感度がマイナスに振り切れているところと。
あのシスコン野郎と違って、俺が妹のことを、大っキレ──だってことだよ。
やってることは同じだけどな!
ゲームの高坂京介は、
息を切らして夕日を見上げた主人公の前に、タイミングよく、妹が現われるのだ。
ま、それはあくまでゲームの話。
この現実において、俺が妹を見付けた場面は、そんな
夕方の駅前商店街。俺が、ゲーセンの
「あ」
どっかで見たよーな茶髪娘が、八つ当たりみてえな
ぶっ
「………アイタタタ……」
つい、
このバカ。こっちが必死で捜してやってるってのに……こめかみ痛くなってきた。
ま、現実ってのはこんなもんだよな。そーそードラマチックな展開にゃあならねーって。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ねッ! みんな死ねぇっ!」
なーんかボソボソ言ってんなーと思ったら、この
俺は、妙に脱力した気分で、ゲームに絶賛八つ当たり中の
背後から、軽く後頭部をひっぱたいてやる。
「こら、おめーが死ね」
「っ
ブンッ! 桐乃は振り向きざまにバチを振り回した。またしても
「ぐあ……っ」
「…………なんだ……アンタか……」
てめぇ……っ。相手
だが、振り向いた桐乃の態度は、死ね死ね言ってた人間と同一人物とはまるで思えないものだった。
「……なにしにきたの」
「なにしにって……オメーが飛び出していっちまうから……捜しに来てやったんじゃねえか」
「………………キモ。……なにそれ? ゲームと現実……ごっちゃにしないでよね」
あたしはアンタなんかに
三次元の妹なんぞ、マジでいらねーとな。
クソ生意気な妹を持つ兄貴
本当、俺は、こいつを見付けてどうするつもりだったんだか。もう思い出せねーよ。
にしてもコイツ、見事にふて腐れてやがんな。鼻声になってるじゃん。
「うっせえよ。それよかオマエ、俺に
「……は? なんでそんなことしなくちゃなんないワケ?」
「あのあと大変だったんだかんな?
「……な、え……」
「………………ちゃんと止めたんでしょうね」
てめえ、なんで俺が止めるのが当たり前みたいな言い草なんだよ。俺は、おまえの兄貴であって、下僕じゃねえんだからな? おい、分かってんのか、ああ?
「も、もちろん止めたっス……
「よし」
よくやったワンころ。そんな感じの『よし』だった。半分自業自得とはいえ、俺の
「……とりあえず、場所変える。ここ、目立つし」
俺たちは近くのスタバへと場所を変えた。
初夏とはいえ、そろそろ暗くなってくる時間。
私服姿の俺と桐乃は、小さな丸テーブルを挟んで腰掛け、コーヒーを飲んでいる。
客入りはそこそこといったところで、大学生ふうの
そんな中。俺たちは、周りからどう見えているのだろう。
さっきから俺たちひとっことも
桐乃は怒りのオーラを
「なぁ……桐乃」
「……なによ」
「おまえ、どうすんだ。これから?」
桐乃はムスっとした顔でコーヒーを一口飲み、こう
「……分かんない」
だろうな。家に帰ったら、
実際、桐乃はそう口にした。「……どうしたらいいと思う?」と。
妹の口からその
俺は、自分でも、頼れる兄貴なんかじゃないと思う。そんな俺に頼らざるを得ないほど、こいつは悩んで、追い詰められているってわけだ。あんときと同じさ。
だからここで俺は『知ったことか』とは、言わない。たとえ思っていても。
一つ残らず捨てろ。そう言われたことは、まだ伏せておくか。親父の台詞は、ウチじゃあ絶対だ。大事なコレクションが死亡
ふん、ここでキレられても
「その前に
「……なに?」
「おまえ、
親父の言い草からすっと、捨てろとは言われてねえはずだよな……。
これは現在、桐乃が置かれている立場をよりハッキリさせるための問いだったのだが。
「……お、おい……桐乃……?」
桐乃の思いもよらない反応に、
「……っ……っ……!?」
片手で胸を押さえ、もう片手はテーブルの上で
かわいい顔はぐちゃめちゃだ。俺はすぐに目を
悔しくて。悔しくて。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて──
そんなやりきれない気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
あのときリビングで何があったのか。何を話したのか。依然として俺には分からない。
だが、桐乃がこんなふうになってしまうだけの何かがあったのだろうとは察した。
「…………たの」
俺が死ぬほどビビりながら「な、なに?」と問い返すと、桐乃はテーブルを
ガンッ!
「くだらんって言われたのっ!? あたしが好きなアニメも! ゲームも!
その先はもう、ほとんど
桐乃は拳を叩き付けたままの体勢で、俯き、しゃくり上げている。
「なにも言い返せなかった──のか」
「……うん……」
ぽつ、ぽつ、とテーブルに涙の
ここしばらく、妹の人生
桐乃は、今日、
だから桐乃は、いま、こんなにもキレている。死ぬほど悔しくて、涙を流している。
比較するのはバカげているのかもしれないが、俺にだって『大切なもの』くらいある。
そいつをくだらんと否定されたなら、俺だって同じようにブチキレるだろう。
ぜってーだ。相手が
「あたし、なにも言い返せなくて……さ……クリスタルの灰皿
そこで
同じ気持ちっつったの取り消すわ!
こいつの場合、ブッ飛ばすじゃなくて、あくまでブッ殺すなんだな!?
「ホラ、桐乃、ハンカチ使え」
「……ん。……やだ……化粧、ぐちゃぐちゃ……」
化粧直し。感情を落ち着けて、仕切り直し──俺も、桐乃も。
「ふぅ……」
おい、てめーら。なに見てんだ、あ? 周囲をぐるりと
時間帯がいまでよかったな。この時間なら、桐乃や俺の同級生に、いまのやり取りが
すっかり冷めたコーヒーを全部飲み干したころ、すっぴんになった桐乃が戻ってきた。
ちょこん、と
……絶対言うつもりはないけどさ。こいつ、すっぴんの方がかわいいんじゃないか?
そんなことを考えてたもんだから、
「……ねぇ?」
「ん、んっ? な、なんだ?」
俺はいきなり話しかけられて、キョドっちまった。
すっぴんになった
「……あたしさ……おかしいかな? ああいうの……好きでいちゃ、悪いのかな?」
「桐乃……」
「少なくとも、
「でも……だって……もう……バレちゃったじゃん……」
「ああ。だから、もう、遅い。バレちまったもんは、もう、なかったことにゃできねえ」
俺はできる限りの誠意を込めて、言った。
「おまえは選ばなきゃならねーんだ」
俺はそこで、
「この
「それができんなら、全部丸くおさまるわな。おまえがオタクをやめりゃあ、何の問題もねえんだよ。親父の怒りは静まるし、おまえの世間体を常に
「……分かってるよ。あたしが
桐乃は、今度は軽く、
「でも、やめないよ。絶対やめない。だって……好きなんだもん……すっごい好きなんだもん! それなのにやめるなんて……やだよ。できないよ……」
「そうか。でも、親父にとっちゃ、おまえの感情なんて関係ないぜ。よくないものは正さなくちゃならん──耳が腐るほど言われただろ? おまえがどんなに好きだろうが、親父にとっちゃ『くだらない、感心しない趣味』なのさ。
「それでも!」
桐乃は真剣なツラで叫んだ。いつか
「あたしは、やめない。好きなのを、やめない。前にアンタに言ったじゃん。両方があたしなんだって。どっちか一つがなくなっちゃったら……やめちゃったら、あたしがあたしじゃなくなるの。
……だとさ。
コレクションが全部捨てられても。
ケータイやらパソコンを捨てられて、インターネットに
オタクはやめない。絶対やめない。だって好きなんだもん。
どっちか一つがなくなったら、あたしがあたしじゃなくなるの──。
「……そっか」
バッカだなあ──おまえ。本当、バカだよ。信じらんねーほどのバカ。アホ。
アニメやエロゲーがそこまで大事か? そこまで
ああ──ったく……オタクってのは、みんな、こんなんなんかねえ……。
だとしたら、やっぱり、俺が思ったとおりじゃねーか。
「悪くねえ」
「え?」
きょとんとした妹に、俺は不敵な
「悪くねえって、言った。おまえがしたさっきの質問への、それが、俺の答えだ」
どうしちまったんだろうな? おかしいぜ、
大キレーでどうでもいい妹なんて、捜そうとも思わなかったはずだ。
そして、こいつの痛々しい宣言聞いて、こんな気持ちになることもなかったはずだ──。
チッ。舌打ちひとつ、俺は妙に吹っ切れた気分で、おもむろに立ち上がった。
「桐乃──」
妹のツラ見て、親指で自分のツラをぐっと指差す。
「俺に任せろ」
十七年の人生で、俺は、もっとも自分らしくない
まるでこいつの、兄貴みてえに。
──なに言ってんだろうな、
俺は帰途を急ぎながら、猛烈な
どちらにせよ、家に帰る決心がつくまで、戻ってくるこたあないだろう。
だから俺はその前に、
「へっ……」
笑ってくれて構わないぜ。自分でもバカだと思うよ。本当にバカだと思うよ。
何が『俺に任せろ』だ。
顔から火が出そうだよ。カッコつけてんじゃねーっての、地味ヅラのくせによ……
これから俺は、分不相応にも、あの親父と対決しようってわけだ。
当たって
でもさあ! しょうがねえじゃんか!
『
んなことアイツに言えるか! アイツの気持ちを知っちまった以上、そんなことを言うヤツは、この俺が許さねえよ! たとえそれが親父でもだ!
──
あんなに非凡な登場人物は、俺の人生にゃあ必要ない。あっちも俺のことが嫌いみたいだし、折り合い付けて、お互いに無視していりゃあいい。
それらの点に関しちゃあ、最初っから、まったく意見は変わらないんだな。
あんなヤツはどうでもいい。本当に、心底、どうでもいい。
おかしいと思うか? ウソをついていると、
……どうだろうなあ。自分でも、
全部が全部、本音ではあるんだが……もしかしたら、自分でも
ああ、だから、いま分かってんのは一つだけだ。
桐乃は、一度だって、そんなふうに呼んでくれたことはないけどな……
俺は、あいつの兄貴なんだ。
大キレーだろうが、どうでもよかろうが、クソ生意気でかわいくなかろうが。
妹は、助けてやんなくちゃならんだろうよ。
そうだろう?
三十分後、俺はリビングの扉の前に立っていた。
片手に提げたバッグには、ちょっとした秘策が入れてある。帰途を走りながら、足りない
お袋にも
が……正直なところ、これで
「へっ……」
だが、あえてやる。妹のためなんかじゃなく、そうしようと決めた
ちっくしょう! やるだけやってやるぜ!!
俺は気合も新たに、リビングへの扉を開けた。
つん、と
「
「た、ただいま」
無理無理無理無理!
ただでさえ
せっかく気合入れてきたってのに、んなもん一気に吹っ飛んじまったよ……。
俺は、肌がびりびりと
こっち向いてくれんなよ~と祈りながら、三メートルくらい
情けないと思ったか? フッ、これだから
「お、親父……話がある」
声の
親父は返事をせず、くい、と酒を口にした。
「
「……ああ……話、してきたよ、アイツと」
「それで?」
俺に
「………………」
周囲の空気が、ずしりと重くなった。妙に暑く、息苦しい。なのに
「それで?」
もう一度、同じ言葉で
「
言った
聞こえるのは自分の
「
低く、無感情な声で返事が来た。
「俺はさっき、『おまえが責任を持って捨てておけ。全部、一つ残らずだ』と言った。そして、おまえは、こう答えた。『分かった。桐乃と話して、必ず、そうする』。そうだな?」
「ああ」
「自分が口にしたことは守れ」
短く告げて、再び
けどよ……ここで引くわけにゃあいかねーんだ。
「あれはなしだ」
「おまえは、一度口にした約束を破るのか? 俺が、いつ、そんなことを教えた?」
親父の言葉が、一つ、一つ、重く
「知ったことかよ。アイツの趣味はやめさせねえし、隠してるブツも捨てさせねえ。たとえ道理を
「……言ってみろ。しつけるのは、それからにしてやる」
ひいっ。
自分で自分の顔は見えねーけどさ、こんな情けないツラ
ヘッ、見たか
……ふん。情けなさを増幅するのはこの辺にしておいて、だ。俺はTシャツで顔面を
「
一呼吸を置いて、先を続ける。
「……だからあいつはさ、自分と同じ趣味の友達を、見付けようとしてたんだ。……で、
「…………」
親父はかなりのペースで酒を
無言の圧力が、ただただ恐ろしい。考えてみれば、親父にとっても
大切に育ててきた
きっちり
その上さらに、出来の悪い長男がしゃしゃり出てきて、べらべらと、けしからん
そりゃあ、酒もぐいぐい
いますぐ
「……それが、ついこの間のことだ。
「……ああ」
「で、くだらんって言ったんだってな。……
俺は、何も言えなかったと悔しがっていた妹の代わりに、アイツの
自分の気持ちじゃないはずなのに、俺はカンケーねえはずなのに、本気でハラを立てていた。
いつの間にか、
「俺は、この目であいつの『大切なもの』を見てきた。同じもんを大切にしている
俺は思い出す。あのときの光景を、それを見た、自分の想いを。
「悪くねえって、思った。だってあいつら、アホみてーに楽しそうなんだもんよ。初めて会ったのに、いきなりバカデケー声で
ちょっと前の俺なら、自分がこんな暑苦しい
まさかこの俺に、こんな
でも、ちょっと前の俺と、いまの俺とでは、
アイツから
あんな変テコな連中やら、理解できねえ
だからこそ、涙目でもなんでも。
このおっかねえ
「もちろん俺にゃあ、あいつらの
「だから……許してやれと言うのか? 悪影響しか及ぼさない、くだらん趣味を?」
親父が立ち上がって、俺を見た。
ちびっちまいそうだ。いますぐ
「悪影響しかない、くだらん趣味って言ったな……?」
ここだ──俺は
「じゃあ……見ろよ、このとんでもねえ成績を。県でも五指に入ってるんだってな。それも今回に限った話じゃねーんだろ? あいつの成績がずっとどうだったのかなんて、親父が一番、よく知ってるはずだよな」
「だからなんだ。桐乃が、俺との約束を守っている。それだけのことだろう。だからこそ、あのような
「まだあるぜ……」
続いて叩き付けたのは、トロフィーや賞状の数々。
最新のものは、去年の陸上なんたら大会のもんだ。
「これも。これも。これもこれも……! 見ろよ! 全部二位だの
「知っている。それがどうした」
「どうしたじゃねえ! ケツの穴が小せえってんだよ! あんだけ頭良くて、運動もできて、こんだけ
「それがしつけというものだ」
クソ。勢い込んで訴える俺だったが、親父はまったく動じやしねえ。
だが、まだ終わりじゃねえぞ……。バンッ!
「……
赤ん坊の桐乃が、ベビーベッドで寝ている写真。お袋に抱かれている写真。
幼稚園のお
もちろんすべて、親父手ずから、一眼レフのバカ高いカメラを使って
親父が桐乃のことをどう思っているか、これだけでもよく分かろうってもんだよ。
しかしホントに俺の写真は一枚たりともねえな。
「
「
バンッ! 俺は、さらに一冊の
「……!?」
「……お袋に頼んで、貸してもらったぜ。こいつは親父の、宝物なんだってな」
俺が親父に見せつけたのは、スクラップブック。収められているのは、ティーン誌の切り抜きだ。よく見知った茶髪のモデルが、流行の服着て、ポーズ決めて、堂々と写っている写真。
何枚も、何枚も。何十ページにも
おそらく桐乃がデビューしてからいままでの写真が、すべて大切に保管されていた。
親になったことのない俺には、娘を持つ親父の気持ちなんて、分からねえ。
だけどな、想像することくらいはできんだよ。
「
「……
この言い草……。桐乃と血が
「それで? 確認して……どうだったんだよ。親父が
俺は、スクラップブックのページを一枚一枚めくりながら、言う。
「違ったんだよな。でなきゃ、アイツの仕事ぶりを、こうして宝物みてーに取っておいたりしねえ……そうだろうが」
親父は長い息を吐いた。
「
「じゃあ、これはどうだ」
「!」
そこに写っているのは、
これは沙織が
スタバで桐乃と話したとき、あいつの携帯に入っていた画像データを、預かってプリントアウトしたもんさ。……画像を借り受ける際、かなりもめたけどな。
「これは、
「…………」
オフ会で撮られた、桐乃と、友達の写真。
三人が寄り添って小さなフレームに収まっている。
あとの
「
「
それは──
「このアルバムで家族と
いま俺が叫んだのは、いつか聞いた桐乃の言葉だ。
だけど俺は、あいつの代わりに言ってやったわけじゃない。
いま親父にぶつけたこれは、腹の底から
胸ぐらを
「いいか……! これを見て、まだアイツの趣味を認めねえってほざくんなら……! 桐乃の代わりに俺が親父をぶっ飛ばすぜ!? なんも知らねぇくせに、テキトー言ってんじゃねえよ!」
親父は
やがて感情をまじえない声で、こう返事が来た。
「……おまえの話は分かった」
マジ鬼そのもの。胸ぐらを摑みあげている俺の方がひるんじまう。
「くだらんと言ったのは、ひとまず取り消してやる。
「……ほ、本当か!?」
勢いまかせに叫ぶばかりで、筋道だった
それでも、必死に訴えかけりゃあ、伝わるもんはあったんだろう。
桐乃の趣味を許してやってもいい──この
しかし親父は、こう続けた。
「同じことを言わせるな。ただし一部だけだ。あのケースに入っていたような、いかがわしい
ついにこの台詞が来たか……。俺は親父の胸ぐらから手を
親父の台詞は
だが仮にここで親父の言うとおりにしたなら……桐乃のコレクションの大半を捨てることになっちまう。それじゃ意味がねーんだ。
どう考えても、これは親父が正しい。正しいが……反論の余地はある。たぶんこの台詞が来るであろうことは、
「…………」
考えてあるんだけど……な。正直言って、これだけはやりたくなかった。
かつてない
本当に、いいのか? あんな妹のために、俺がそこまでしてやることがあるのか──と。
だが、
なもんだから……俺の
俺は言った。
「…………き、
以上の
「ぐぇっ!」
俺は、
ケースの中には例のブツ。
「貴様……この
「ち、違うんだって!」
俺はあいつらから何かを得て、変わった。バカになった。恥ずかしいやつになった。
だからこそ、こんなムチャクチャな策を実行しちまうんだろうよ。
「これは俺のなんだ!」
「だからこれは絶対桐乃のじゃねえ! 俺が預かってもらってた俺のもんなんだって! だったら捨てなくてもいいだろ!?」
もう二度と見られない光景だろうから、
デコに血管ビキビキ浮かべた悪鬼が、無表情で突っ込みを入れてくるところをな。
「……よく知らないが、これはパソコンに入れて遊ぶゲームなのだろうが……この家で、パソコンは……桐乃しか持っていないはずだ……」
お、思ったより詳しいじゃねえか……。俺の脳は、
「そ、それは、桐乃にパソコン借りてやってたんだって!」
「……ほ、ほほう。……お、おま、おまえは妹の
「超
ドアホか俺は!? そこはせめてノーパソ借りて部屋でやったとか言っておけよ!?
「…………ぐうっ……うう……」
視界がチカチカしやがる。口の中に血の味が広がっていく。ぐらんぐらん頭痛がして、
だが、まだだ。ここで終わってたまるかよ……!
さあ聞くがいい……! 俺の聖人のごとき、清らかなる
「とにかく、アレは俺のなんだって! 高校生だって、18禁のエロ本くらい持ってたっていいだろ!? お袋だって、ベッドの下のコレクション、持ってていいって認めてくれてるもん! そのゲームだってエロ本と同じようなもんだろが! なんか違いがあんのかよ!? えぇオイっ! ねーよなぁ!? だからゼッテー捨てねぇ──よ! ふへアはは!
俺は最後の力を振り絞り、ヤケクソ混じりに叫んだ。
「分かったかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!」
魂の叫びをその身に受けた親父は、立ちくらみを起こしたようによろめいた。
「こ、この……この……」
頭部に強烈な
「バカ
かつてない大絶叫! ここまでブチキレた親父を見たのは生まれて初めてだ。
だが、俺を殺すつもりはないらしい。はぁはぁと肩を上下させていた親父は、くるっと背を向けて、足音を立てて去っていく。
よし、勝った。俺は鼻血まみれの
フッ……どーよ、
へっへっへっ……まったくしまらねえ、俺らしい
俺がいつもの待ち合わせ場所に着くと、
「きょうちゃん、おはようっ」
「おう、おはよう、
ごくごくありふれた、どこにでもある朝の一幕。
あー、安らぐ。やっぱ
俺の名前は、高坂
自分でいうのもなんだが、ごく平凡な男子高校生である。
地味で普通な
どうだい、ちょっと
でもまあ、非凡で危険な生き方も、あれはあれでいいもんだよな。
と──最近はそんなふうにも思えるようになってきた。
楽しくて、
俺はそいつを、この身をもって
「きょ、きょうちゃん。どうしたのーっ、その顔」
「ん? ああ、これか」
そんなに
「まあ、なんだ。……
まったくなあ。ほんっと色々あったもんだ……。俺の人生の中でも、ここしばらくの出来事は、特別
クソ生意気で、俺のことをゴミみてーに嫌っている妹。秘密の
俺はあいつと、ここしばらくで何十年分もの会話をかわした。いままで知ろうともしなかったあいつのことを、ほんのちょっぴりくれーは、分かった気がする。
だけどな。それで俺たちの冷めた関係が変わったかというと、そんなわけもない。
相変わらず俺は、妹のことが大キレーだし、どうでもいいと思ってるし。
あいつはあいつでいままでどおり、
ま、世の中そんなもんよ。そうそう変わりゃしねえって。
ふん、おかしいと思うかい? あんだけイベントこなして、あんだけ
冗談じゃねーよ! 気味悪い想像させんなや! 第一ゲームじゃねえんだからさ、人生ってのは基本ワリに合わねーもんだと思うよ? 特になぜか俺の人生はな!
おおっと、
だけどそんなのはさ。別に、
だからその結果、得られる対価ってのは、自分の中にある。誰かにもらうもんじゃあない。
「そっか……。色々あったんだぁ……」
「おうよ。色々あったのさ」
もらうもんじゃあねえんだけど。
「お疲れさま、きょうちゃん。……
事情を全然知らない
「まーな」
俺は、十分に
その日の
「ただいま」
一応の
セーラー服姿の
その
とか思っていたら、
「はああっ!? ちゃんと
どんな会話だよ……。
電話を切るや、
ま、こいつはこいつで、以前とは、少し変わったのかもしれねーな。
俺なしでも
なにはともあれ、これで桐乃の悩みは解決だ。
だから今度こそ、ガラでもねえ人生
俺は心の中で独りごち、ぱかんと
ふぅ……万感の
安心感と、満足感と、ほんの少しの
俺は肩をすくめて、その場を後にしようとしたのだが。
「ねぇ」
「……あん?」
ドアノブに手を掛けたところで呼び止められ、
すると妹は、いつものすげない
「人生相談、まだあるから」
……………………マジで?
あまりの絶望に、俺は、じわ……と、目に涙を
ドアノブを
「それと──一応、えと……」
そんな俺に、
たった一言。照れくさそうに
「ありがとね、兄貴」
はっきりと、そう言った。
それから、ふいっとそっぽを向いてしまう。
心なしか、
「…………………………」
だってよ。幾らなんでも、ありえねぇだろうが……。
自分の目と耳を盛大に疑いながら、俺はこう
俺の妹が、こんなに
俺の妹がこんなに可愛いわけがない @TSUKASAFUSHIMI
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