第四章

 例のオフ会があった日から一晩が明けて、いまは翌日のほう

 いつものようにおれは、と肩を並べて帰途を歩いていた。

「で、最近は、くまのまくらをぎゅーってして眠ってるの。すっごく気持ちいいんだよー?」

「ふーん」

 眼鏡めがねおさなみが語ってくれるババくさいのんびりトークを、いかにもダルそ~な生返事で聞き流していると、ふと心配そうな声で聞かれた。

「……ねぇきょうちゃん? 今日きよう、勉強、お休みする?」

「いや、いつもどおりおまえとしよかんに行くつもりだったけど……なんでんなこと聞くんだ?」

 ろくに話聞いてないのがバレたのか? でもそんなのいつものことだしなぁ……。

 それに怒ったなら怒ったで、コイツは、ぷんぷんっとか分かりやすく口走るだろうし。

 じゃあテストが近いわけでもねーのに、週に三度も四度も勉強に付き合わせたのが悪かったのか? ……いやー……それもなんか違うような……。

 などと、うろんなひとみで考えていると、麻奈実はものげに目を伏せた。

「だってきょうちゃん……。朝からずーっと、すごく疲れてるみたいだから……」

「ああ、それなー」

 そりゃそうだろ。なにせ昨日きのうは俺の人生でも、まれに見るハードな一日だったからな。

 精神的にへいしてんのよ。あのあとも、帰りの電車できりさんざんとうされたかんなー。

 あのボケ、なーにが『サイアク! 今日はほんっと大失敗だった! チッ……そーいえばオフ会に行けなんて言ったのだれだっけ?』だよ……。たしかにオフ会でハブられたり、延々と黒猫とけんしっぱなしじゃああったけどさ。

 結構楽しそうだったじゃねーか。どんだけ素直じゃないんだよアイツは。

 そりゃ多少なら、かわいいもんじゃねーのって思うよ? でもさー、となりのシートで一時間半ずーっと舌打ち連射してんだぜアイツ? もはや憎たらしさしか残らないっつの。

「はぁ……」

 俺は本日何度目かになる、重いため息をついた。肩をがっくりさせながら、言う。

「まぁ……いろいろあってなー。確かに、今日は勉強やる気分じゃねーや。もー疲れちまって」

「そっかぁ……残念だけど。……それじゃあ仕方ないね……」

 俺とそっくり同じポーズで、がっくりする麻奈実。こいつはいつも、俺がげんよくしているときはいつしよに笑ってくれるし、落ち込んでいるときは、一緒になってしょんぼりしてくれる。

 毎度毎度ご苦労なこった。いちいち他人に共感しちまうんだから、このおひとしめ。

 ま、ありがたいっちゃ、ありがたいけどさ。いまさら礼なんて言わねーぞ?

「ああ。だから今日は、ぱーっと遊びに行こうぜ?」

「えっ……?」

 意表をかれたように、俺に向き直る麻奈実。眼鏡の奥で、つぶらな瞳をぱちくりさせている。

「これから二人ふたりで、気晴らしに遊びに行こうっつってんだけど? イヤだったか?」

「う、ううんっ。ぜ、ぜんぜんっ、イヤじゃないよっ」

 はブンブン首を横に振った。落ち着けって、飼い主を出迎える子犬みてえなやつだな。

「そか。じゃ、おまえ、どっか行きたいとこあるか? なんだったらとなり町まで出てもいいし……いま、なんか映画とかやってたっけ?」

「う、うーん」

 せわしなく眼鏡めがねの位置をととのえながら、考え込む麻奈実。まあじっくり考えてくれや。

 一方、おれさいの中身を思い出しながら、『この際、からにしちゃってもいいだろ』という気になっていた。たまには世話になっているおさなみに、おごってやるのも悪くない。

 かんちがいして欲しくないから言っておくが、あくまで俺のためだかんな?

 このゆるいのとくっちやべっていりゃあ、多少は疲れも取れんだろ──ってわけ。

「ど、どこでもいいの?」

「おう。──どんと来い」

「それじゃーえんりよなく言うね?」

 麻奈実は、ゆるゆるの笑顔えがおで、こう提案した。

「中央公園がいいなぁ」

「……一分の迷いもなく、せんたくの中で一番地味なところを選びやがったな? 『どこでもいいの?』って前振りしといてそこなのかよ……」

 せっかくおごってやる気になってたんだから、そこはわがまま言っとけよ……。

「え、えー? なんで怒ってるの……? どこでもいいって言ったじゃない」

 などと口をとがらせる麻奈実。そりゃ言ったけどさ……ったく、昨日きのうのオタク三人衆とのギャップがすごすぎるわ。昨日、俺が同じ台詞せりふ言ってたら、間違いなくむしり取られてたね。

「ま、いいや。せめて飲み物かなんかおごってやんよ」

「わ、ありがと。……それなら、お茶がいいかなぁ。あったかいの」

「はいはい、いつものな。ホットなぁ……もう春も終わるってのに、売ってんのか……?」

 ほんっと……金のかからないやつだな。

 どうしておまえは、たった百二十円で、そんな幸せそうな笑顔を浮かべられるんだ。


 そんなわけで徒歩十五分と少々。俺たちはとなり町の中央公園にやってきた。

 この辺のかんこうマップに載るくらいには有名で、かなり広い。

 ふんすいやらベンチやら、池やら橋やらえんやらがあるいこいの場という感じ。

 りようかんにもなっている洒落じやれた洋館が、見所っちゃあ見所かな。

 しきをぐるっと囲うように並木道があって、お年寄りやら家族連れがよく散歩している。

 春になるとさくらがばーっと咲いて、絶好の花見場所になる。

 今日きようは少々肌寒いくらいなので、季節外れのホットりよくちやも、それほど悪かあないはずだ。

「ほれよ、いつものやつ」

「ありがと。いただきまぁす」

 ぷしゅっ。コンビニで買ったホットの緑茶を、ビニールから取り出し、フタを開けてから渡してやった。ベンチに座っているは、アツアツのお茶を受け取るや、ハンカチで包んで、大事そうに抱える。おれが半分ほど茶を飲み干して、となりを見ると、まだ同じポーズでいる。

「どうかしたか? 別に火傷やけどするほどあつくねぇぞ?」

「え? えへへぇ……なんでもない」

 と……か、お茶を胸に抱きかかえて、にやけている麻奈実。

 意味が分からん。俺はもう一口茶を飲んで、ふぅ……と息をつく。

 茶がうめえ。身体からだしんから温まってくる。

「……んー……なーんか、いいよねー……こういうの。……ずーっと、千年くらいこうしていてもいいくらい」

「……そりゃ、いくらなんでも、気ぃ長すぎだろ。おまえの前世はぜったいぼんさいだな」

「それでもいーよ? きょうちゃんがお世話してくれるならね?」

 そうやって。俺たちはしばらく、くだらねー話をしながら、ベンチで日向ひなたぼっこをしていた。

 いつだって、となりに麻奈実がいるだけで、田舎いなかえんがわでくつろいでいる気分になる。

「あ~あ……眠くなってきた……」

 ここで昼寝したら気持ちよさそうだ。まくらがあればいいんだが……なんて思っていると、肩をつんつん突っつかれた。

「きょ、きょーちゃんっ」

「……あ? なに?」

 俺が寝ぼけまなこで振り向くと、麻奈実は、何やら両手を左右に広げており──

 きんちようおもちで、恥じらうようにほおを染めて、こうささやいた。

「ど、どうぞっ?」

 ………………なに言っとんだこいつ?

 何が『どうぞ』なのかサッパリなので、俺はいぶかしげに首をかしげる。

 と、そこで麻奈実の肩越しに、俺はとあるモノを見付けた。

 お? あれって、もしかして──俺は思わず身体を横にずらし、目をらした。

「……きょうちゃん」

「お、ワリ。で、なんだっけ?」

 再び麻奈実にせんを戻すと、じーっとうわづかいで見つめられた。

 な、なんか麻奈実から無言のプレッシャーが……

 怒り心頭みたいな感じで、顔が耳まで赤くなってるし、それに、

「…………眼鏡めがねくもってるぞ?」

「もおっ……きょうちゃんのばか」

 プイっとそっぽを向いてしまう。おれは目をぱちくりさせて聞いた。

「……なんで怒ってんだ? 珍しい」

「ふーんだ。きょうちゃんが、ニブいだけだもん」

 ぷりぷりお怒りになりながら、眼鏡をごしごしいている

 眼鏡をかけてから、改めて問うてくる。

「……それより、なに見てたの?」

「ああ。ホレ、あっち」

 俺が指差した方角を、麻奈実は向いた。そこはちょっとした広場になっていて、よくガキどもがサッカーやら草野球やらして遊んでいる場所だ。いまはワゴンが二台止まっている。

 で──

「あれって……なにやってるの? どらまか何かの、さつえい?」

「たぶんな。でもドラマじゃねーだろ。ほら、あれってテレビカメラじゃなくね? フラッシュたいてるしよ──ありゃあ、写真ってんだ」

 うま根性を発揮した俺たちは、ワゴンの方へと近付いていった。

 歩道から、芝生しばふの広場を眺める。そこでは数名のスタッフが作業をしており、ライトみたいなざい調ちようせいしたり、モデルらしきの女の子としやべったりしている。

「ふぁっしょん雑誌の撮影……かな?」

「ちなみにおまえ、そういうの読んでんの?」

「あはは……あんまり。洋服買うときは、お店で店員さんとお話ししながら決めるし……」

 だよな。ま、ともあれ俺も、アレはファッション雑誌の撮影だと思う。

 夕暮れを背景にした写真を撮っているらしい。なにやら洒落しやれたカッコした女の子たちが、いろいろポーズ決めながら、ぱしゃぱしゃフラッシュ浴びていた。ことあるごとにスタッフからのオーダーが入って、表情やポーズを上手じようずに切り替えている。ただ笑って、ポーズ決めて──そんな生やさしいものではなさそうだった。現場にはきびしい雰囲気が漂っている。

 当たり前の話だが、モデルってのも、やっぱりかんたんな仕事ではないのだろう。

 二人ふたりくらいがそうやって写真を撮られているのだが、そのほかにもパッと見てモデルだろうと分かる女の子たちが、幾人か待機していた。

「うわー……見て見てきょうちゃん。あの子、すっごいかわい~」

「あー……そーね。かわいーね」

「あれれ? 反応うすい?」

 あのなあ……別に俺たち付き合ってるわけじゃねーけどさ。一応、女の子を連れてるときに、俺は『うおっ、あのスッゲーかわいいじゃん!』とかそーゆうことはやらねえから。

 おまえだってイヤじゃねえの? ……イヤじゃないんだろうな、たぶん。自分が若い女だというにんしきがいまひとつうすいもんなあ、おまえ。はぁ……なんでかおれは複雑な気分だよ。

「あ、ほら、あの茶髪のなんて、もーすっごいかっこいいし、かわいーっ」

 大はしゃぎしちゃってまあ……。別に有名な芸能人ってわけでもねーのによ。

 ほんとミーハーなやつ。

 ふん。『おまえの方がかわいいよ』とでも、よっぽど言ってやろうかと思ったね。

 どんな顔すっかな? 俺は意地の悪いみを浮かべる。と、そこでがベタめしている女の子に、俺のせんは自然と吸い付けられた。

 ふーん。あの茶髪の娘、たしかにスゲー見てくれはいいな。

 脚は長げーわ、背はすらっと高いわ、でもって顔も──

きりじゃねえか!?」

「ええ──っ!?」

 俺と麻奈実は、ビックリぎようてんしちまった。特に、事情をまるきり知らなかった麻奈実のきようがくは、大きかったらしい。何度もまばたきしながら、桐乃と俺を見比べている。

「え、ええと……桐乃……ちゃんって……妹さんだよね? きょうちゃんの……」

「……ああ、まあ、そのようだな……たぶん」

「え、えぇ……た、たぶんてなにっ?」

 いやっ、俺もおどろいてるんだって……。

 そういや言ってたなアイツ……あたしモデルやってるのとか、何とか……。

 疑っていたわけじゃねーけど、ピンとこなかったんだよな。こうして直接見るまではさ。

 ──本当だったのか。

 俺は改めて、まじまじと茶髪のモデルを見つめた。

 に座って、スタッフと打ち合わせをしているようだ。

「………へえ」

 大人おとなに混じって、堂々とまあ……しっかり仕事してんじゃん……あいつ。

 どうやら俺は、妹への認識を改めなけりゃならないようだ。

 あいつのことを、ずいぶんとなめていた。あなどっていた。

 俺は、モデルっつったって、しょせん中学生のガキのお遊びみたいなもんだと思っていたんだな。おだてられて、調ちようこいて、ぱしゃぱしゃ写真られてるようなイメージ。

 だが──

 いま桐乃は、写真を撮られているモデルを眺めながら、見たこともないくらい真剣な顔で話し込んでいる。その間も、メイクさんが手早く服の乱れをととのえたり、髪をセットしたり──。

 フラッシュ浴びているモデルの周りは、はなやかな雰囲気だけど。

 おそらく出番を待っているんだろう桐乃の周りは、ぴりぴりと空気が張りつめていた。

「…………はぁ。……なんか、すごいねー」

「……そう──だな」

 おれは、さつえい現場ってのは、もっとした、いい加減なもんだとばかり考えていた。

 そうじゃなかった。俺はチラっと見ただけだ、偉そうなことは言えねーけどさ。決して少なくないカネもらって、写真らせてるわけだよ。そりゃ、そんな甘いモンじゃねえってのな。

「……ほんと、すごいや。……住んでる世界が違うっていうか……」

「ああ」

 そんなに何度も言われなくたって、知ってるよ。あいつはすごいヤツで、一般人の俺らとは、別世界の人間なんだってさ。最近いつしよに出かけたりしてたから、ちょっと忘れてただけだ。

 くそ、何でかしらんが、イラつく。

「どうせ俺とは似てねーよ。昔っからアイツは、見てくれだけはいいからな」

「そんなにけんそんしなくてもいいのに。だって、すっごい頭もいいって聞いてるよ?」

「は? なに言ってんのオマエ?」

 ダセぇ。ちょっと八つ当たりっぽい調ちようになっちまった。俺は後悔した──が、は受けれるように微笑ほほえんだ。『気にするな』と言われているような気分になる。

「うちの弟、妹さんと同じ学年なの。学校は違うけど。でね、この前、共同テストっていうのがあったんだって。それで──県のせいせきゆうしゆうしやのランキングに、載ってたって言ってたよ」

だれが?」

「だからぁ、きょうちゃんの、妹さん。きりちゃん」

 いつしゆん、何を言われたのか分からなかった。俺は、数秒、その言葉を脳内ではんすうして──

「ま、マジで!? え? 学内じゃなくて──県? 県っつったいま?」

「そう。県で、四番とか、五番とか。詳しい順位はうろ覚えなんだけど──そうなんだって」

 あいつ、そんなに成績よかったのかよ!? ぜんぜん知らなかった──って、まあ、いままで自分の妹に関心なんざなかったし、ほとんどしやべったことなかったからな……。

 知らなくて当たり前なんだろうけど……にしてもおどろいた。

 同級生のコギャルどもときゃらきゃら遊んで。あんなに真剣に、モデル活動やって。

 何時間も語れるほど子供向けのアニメにねつちゆうして。ばりっばりエロゲーやって──

 でもって、ばっちり勉強もやってたって?

 は──……正直、びびったわ。

 俺の妹は、思っていたよりもずーっと……とんでもないヤツだったのかもしれん。

 いろんな意味でな。


 数日がった。俺が学校から帰宅すると、リビングで、どうやら買い物帰りらしいお袋とそうぐうした。お袋はれいぞうにブツを詰め込みながら、ふんふーん♪ とじようげんで鼻歌を歌っている。

 なんかいいことでもあったのかね? おれは麦茶片手に聞いてみる。

「どうしたお袋──ずいぶんとごげんじゃん? そろそろ医師の診断が必要な時期?」

「あらきようすけ。おかあさん別にラリってるわけじゃないから、大丈夫よ? うふふ、ちょっとね──いま、おとなりの奥さんにめられちゃって。『おたくのお子さんすごいわね』って」

「へえ? そりゃまた照れるね。で──オバサン同士のばたかいで、この俺の、どんな偉業がたたえられてたのよ?」

「もちろんアンタじゃないわよ」

 ですよね! 分かってたけどな! 文頭に『もちろん』が付いたことによって、俺の心にドス黒い親への不信感が芽生えたわ!? ケッ、老後を覚悟しておくんだな!

「ふ、ふーん……とするときりか……」

 がんめんをひくつかせながらつぶやくと、お袋は『よくぞ聞いてくれました!』みたいな満面の笑顔えがおになった。一言も聞いてないけどな。

 ハイハイ、不出来な息子むすこで悪うございましたね。自慢の娘のお話をどうぞー。

「あの子ねー、昨日きのうの部活動で、なんだか凄いろく出して、今度おっきな大会に出るらしいのよー。おとなりの奥さんが、娘さんから聞いたって」

「へーえ、あいつ部活なんざやってたんだ?」

「なぁに? おにいちゃんのくせに知らなかったのー? 陸上部よ、陸上部──ったく、あんたらほんっと仲悪いもんねえ……」

「ほっとけや」

 おいおい……かんべんしろよ。……見てくれよくて? 学業ゆうしゆうで? スポーツまで万能?

 アホか。いいかげんにしろ。漫画とかでよくある、過剰に長所だらけのキャラ設定聞いてる気になってきたわ。

 だがこれで事実だから困る……。

 いるとこにゃーいるんだよなあ~、こーゆうミュータントみたいな生き物。

「でもアイツ、部活やってる時間あんの? 勉強とか遊びとかさ──ほかにやることいろいろあんだろうによ」

「そこはもちろん、文武両道、ちゃんと両立させてるわよー。そうしなきゃおとうさんだって認めないでしょ? あんたは知らないだろうけど、あの子、雑誌のモデルだってやってるのよー」

「ふーん」

 ま、そりゃそうか。

 あの堅物がモデル活動なんて『ちゃらそう』なもんを、そうかんたんに許すとは思えん。

 いまにして思えば、髪染めんのにしたって、ガキのくせに化粧すんのにしたってそうだ。

「あの子、お父さんと約束してるのよ。ワガママさせてもらう代わりに、その分、ちゃんとするってね」

「はー、ちゃんとねえ……」

 適当にあいづちを打つおれ

 お袋はむふふとみを漏らした。

「おかげでぇ……ご近所で、すっごい評判いいのよお、あの子。外ではあいそういいし、あいさつだってしっかりするし──その上あたしに似てかわいいでしょ?」

「えー?」

 俺は思いっきりまゆをひそめたが、お袋はガン無視して話を続行。

 人の話聞かないところはソックリだなこの親娘おやこ

「もーお年寄りにも大人気! あたしもハナ高々なのよねー! すんごいうらやましがられるもん」

「でもそれって結局全部、おやとの交換条件の材料なんだろ? めちゃくちゃ不純などうじゃねえ?」

「不純な動機よー? いいじゃない別に、だまってれば同じことでしょ? それに、きりすごいってことには変わりないんだから」

 ふたもねえな。大丈夫かこの母親? だがまあ、一理ある。

 桐乃は自分のワガママ通すために、がんって──たいした結果を残しているわけだからな。

 そこは認めなくちゃならんだろうよ。やろうと思ったって、なかなかできるこっちゃねえ。

 少なくとも、俺にゃ無理だ。

「ふうん……」

 しっかし最近、なにやら桐乃の話が出るたびに、凄い凄い言ったり言われたりしてる気がすんなあ。みんなが乏しいんじゃねえの? 俺が言うとひがみにしか聞こえんけどさ。

 まあなぁ……。ずっと妹のことなんざきようなかったし、いままで俺が、桐乃のことを知らなさすぎたってのもあるんだろうよ。にしたってたいがいじゃねえの……なんだってんだ。

 正直、凡人の兄貴としては、妹ばかりが凄い凄いとめそやされるのはおもしろくない。自分のダメさをきよう調ちようされているような気分になる。情けねえ話だがな。

 俺が複雑な表情で考え込んでいると、お袋が意表をくようなことを言ってきた。

「そういえば最近あの子、表情がイキイキしてるのよねー。ま、あたしにしか分からないくらいの変化だから、だーれも気付かないだろうけど」

「はぁ?」

 俺がまゆをひそめると、お袋は、さらにとつぴようもない台詞せりふを吐いた。

「きっとアレよ……男ね! きようすけ、あんた何か知らない?」

「お、男?」

「そう、男ができたに違いないわ。だからあんなに笑顔えがおきらめいているのよ!」

 ねーよ。あんなのと付き合える男が、そうそういてたまるか。いたら俺はそいつのことを、ゴッドと呼んでたたえてやる。

 だが、お袋はそうは思っていないらしく、鼻息荒くして追及してきた。

「で、知らない? 心あたりでもいーからさー」

「知るか。おれきりが仲悪いの、知ってるだろ?」

 俺が当たり前のように答えると、お袋はへの字口で流し見てきた。

「ほんっと、使えない子ねえ! あんたもちょっとはしっかりしなさいよ──妹は出来がいいんだからさあ! 血統は悪くないはずなのよお」

「ケッ。あいにく母親に似たもんでな──凡人の俺は、せいぜい地道に勉強しますわ」

 台詞ぜりふを残して、俺はその場を後にした。ノブに手をかけ、がちゃりと扉を開ける。

 ──桐乃の表情がイキイキしてる、ねえ……。

 ……心当たりは、あるっちゃあるよ。まさかとは思うけど……もしかしたら。

 ビックリぎようてんしゆを見せられたり、さんざんとうされたり、エロゲーやらされたり、オフ会に連れて行かれたり、アキバをり回されたり──からまわりばっかだった俺への人生そうだんが、ちっとは役に立ったのかもな。

 ははっ、ガラでもねー。なに言っちゃってんだか。アホらしい。


 数日後の夜、俺は『妹と恋しよっ♪』を、ついにコンプリートした。

 正直言って、大変つらく苦しい作業だったぜ……。

 あのな、つまんないとか、そういうレベルじゃねえんだ。

 このゲームに何度、精神をかいされかけたことやら……もはや数え切れん……。

 リアル妹がいる身分で、妹を攻略するゲームをプレイするという重圧に耐え、よくぞここまでたどり着いたもんだ。われながら感心するよ。いやっ……ほんと、スゲ──うれしい……!

 感無量だ。ゲーム自体の感想はさておき、とてつもない達成感がある。

「……っ……ぅぅっ……」

 なんだコレ、猛烈にテンションが上がっていく……。

 胸の内から……あつい感情がき上がってくる……。

 だってさ! も──これで、明日あしたからいやいやエロゲーやらなくてもいいんだと思うと……! 俺! 嬉しくて嬉しくて! ばんざい! いますぐ大声で叫びたいっ! 

 ヒャッハー! これでもう二度と、あのあくどものツラを拝むこともねえぜ!

『おにいちゃん…………いいよ?』とかささやかれて、血涙を流すこともねえぜ!

「ヒイヤァァァァッホォォォォォ──────────ウ!!」

 近年まれに見るほどの鹿ハシャギを見せる俺。このワクワク感は自分でも止められねえ!

 そしてついに……

 桐乃から借りたノートパソコンに、ENDのクレジットが表示された。

「はぁ──────」

 勉強机に座っていたおれは、思いっきり背筋をのばして息をはく。

「…………ふぅ」

 そうすると……達成感のいんが、じわじわと、なんとも言えないきよかんに変わり……俺の胸をきりきりとめ付ける。さっきまでのハイテンションが、ぐわ──っと急下降していく。

 初めて知ったが、ギャルゲーを全クリした直後のむなしさは異常だ。

 だめだこれ、どうにもならん。なんだろうな、この、悟りを開いたけんじやのような気持ち。

 ふぅ……なんで俺は数秒前まで、あんなにい上がっていたのだろう……。

「さて、ゲーム返しに行くか」

 俺は、めいきようすいの心で立ち上がった。自分のから出て、妹の部屋のドアをノックする。

 がちゃ、とわずかにドアが開き、妹が顔をのぞかせる。

 そして例のごとく、ゴミを見る目でにらんできた。

「なに? なんか用?」

「……いや……ゲーム……返しに来たんだけど……」

 ったく、コレだよ……。はぁ……やっぱリアルとゲームは違うよな。イベントみ重ねたって、ちっとも好感度なんざ上がりゃしねえ。なにこのバグってるとしか思えない攻略なん

 きりは俺からノートパソコンを受け取るや、疑わしげなこわいろで言った。

「コンプリートしたの?」

「した」

「ふぅん……で?」

「いや……」

 妹よ……その鬼教官のぎようそうは、いったいなに?

 答えを間違えたら銃殺されそうなんすけど。俺はたいそうびびり、慎重に答えた。

「ま、まあまあかな……結構おもしろかったぞ?」

「ふん、どういうところが? 具体的に言って」

 無感情にきつもんしてくる桐乃。

 フッ……そうか……俺はいま、ゲームでいう『せんたくぶん』にいるってわけだ……!

 だが、目の前にいる『妹』の好感度は、マイナスに振り切れている。

 よってな選択肢を選べば、命はない……そして人生というゲームには、セーブもロードもない……。一発勝負ですべてが決まる。デッド・オア・アライブ。

 上等じゃねえか。俺は不敵に笑った(心の中で)。

「ええっとっスね……しおりシナリオ? アレの後半部分は……いい話だったと思うっス。ホラ、あの、親に二人ふたりの仲を反対されちゃって……しおりが家を飛び出して……それを主人公が追っかけて……夕日を背景に見つめ合うシーン」

「……………………」

 おれの回答を聞いたきりは、目をつむってだまり込んだ。

 はたして正答を選び取ることができたのか、否か……俺のしんぞうが、どきどきと拍動を刻む。

 ……フッ、実はさっきやったばっかのトコを言ってみただけだぜ。

 あんなクリック連打してるだけでぼうだいな精神負荷がかかるよーなシーンを、全部覚えてられっかボケ! だから命だけは助けてください!

 やがて桐乃は、ゆっくりと目を開いた。細めたひとみで俺を見下すようにして、

「……ま、まぁ……ちょっとは分かってきたじゃない」

 おお……なんと、正答だったらしい。フゥ……奇跡的に命をながらえた俺は、胸をで下ろした。そして、改めてこう思う。

 くだらねえぇぇぇぇぇえぇぇぇえ! じようだんじゃねーよ! なんで実妹と妹ゲーについて語り合わなくちゃならんのだ! そもそも、それをけるために俺は、いろいろじんりよくしてやったわけなんだからさあ! まずはそっちの首尾を聞かせてもらわんと!

「でも、まだまだね。いいシーンはそこだけじゃないはず。たとえば……」

「ま、待て……」

 俺は、桐乃が語り始めようとしたのを手でさえぎって、なんとか話をそらそうとする。

「それは後でゆっくり聞いてやっから……先に聞かせろって。この前のオフ会で知り合った連中と、最近、どうなんだ?」

「え? あ、あー……あいつらね」

 桐乃は、いきなりへの字口になり、そっけない調ちようで、俺をに招き入れる。

「入って」

 どうやら、廊下でこれ以上話を続けるのがマズイと思ったらしい。

「……おう」

 俺が従順に従うと、桐乃はテーブルにノートパソコンを置いて、ベッドに腰掛ける。

 それから、こきこきと首の関節を鳴らし、さも関心がなさそうなそぶりで言った。

「一応、両方とやり取りしてるよ、いまも。メールとか、メッセとかで」

「へえ、じゃあ友達になったんだな」

「友達っていうかぁー……話し相手? いちおー話は合うしさーあ? 色々知らないこととか、教えてもらえたりするしぃ──ま、役には立ってくれてるかなぁー」

 だからそれは友達だろ。断じてその単語を口にしたくねえらしいな、こいつ。

 ねこかぶってるときの友達は、抵抗なく友達って呼べるくせによ……本音全開で接してる相手にゃ、どーして素直になれんのだ。ま、らしいっちゃ、らしいけどな。

「直接会ってはいねえんだ?」

「うん。あのはわりと近所に住んでるらしいけど、はちょっと遠いらしくてさ──。だから今度、またオフ会で会おうよって話になってて……で、まぁ、仕方ないから? 行ってあげてもいっかなぁ……とか」

「ふぅん……そっか……」

 くやってんだな。

 ゲームはクリアしたし、きりにゃ本音でしやべれる友達ができた。

 お袋の話によると、最近いい顔するようになったっつー話だし……そういや、あれから一度もおれに頼ってこなくなったな。今度のオフ会にも、一人ひとりで行くつもりらしいし。

 つまり万事が上手くいって、そうだんする必要がなくなったってことだろうよ。

 やれやれ……。

 これで、今度こそ俺は、おやくめんだ。俺はさっぱりした気分で言った。

「なぁ桐乃──油断して、またDVD落とすんじゃねーぞ?」

「うっさいバカ。そんな間抜けな失敗、このあたしが何度もり返すわけないっしょ?」

 ……よく言うよなぁ、あんときゃオマエ、ちょっとゆさぶっただけで取り乱すわ、もとわな張ったらアッサリ引っかかるわ、テンパってかつな行動取りまくってたじゃん。

 俺がニヤニヤと回想していると、桐乃は恥ずかしそうにほおを染めて、ティッシュの箱を投げてきた。

「おっと」

 俺は首を傾けて軽くかい。そのまま扉の外へと脱出する。

 閉めた扉に、ガン、と物がブツかる音がした。

 こいつは、これからもずっとこうなんだろうな……。おっかねえ妹様だぜ、まったく。

 まぁ……てなわけで。こうさかきようすけの人生相談室は、今日きようこのときをもって店じまいだ。

 へっ、二度とやらねえからな。


 にちようの夕方、俺がしよかんから帰ってくると、家の中が異様に静まりかえっていた。

 料理を作るような音も聞こえなけりゃ、テレビの音も、話し声も、物音すらしない。

 不自然だ。俺は靴を脱ぎながら、ぴりっとしたげきを感じ、首の裏に手をやった。

 妙に張りつめた空気が漂っている。ぞわぞわっ……と、肌があわつ。

 やはり、おかしい。いつもと違う。

「……?」

 俺はまゆをひそめ、なんとなく足音を立てないようにして廊下を進む。リビングへの扉の前で立ち止まる。ノブをつかんだとき、めちゃくちゃいやな予感がして、俺はいつしゆんちゆうちよしてしまう。

 ごくり。つばをみ込んでから、ドアを開ける。

「……ただ……いま……?」

 中に入ると、桐乃とおやが、テーブルを挟んでソファに座り、対面していた。

 両者とも、無言。親父はいつも無口だし、桐乃も普段ふだん、家族とはあまり話さないやつだ。

 だから、一見したところだけなら、別段珍しい光景というわけではなかった。

 ただし、おれがリビングに入ってきたってのに何の反応もないのはおかしい。

 それだけじゃない。テレビをているわけでもなく、新聞や雑誌を読んでいるわけでもなく、親娘おやこが向かい合って座り、ひたすらに無言でいる……。

 おやは超無表情なので何を考えているのかまったく分からないが、きりはガチガチに固くなって、しょんぼりうなれているようだった。

 そして、

「あ」

 俺はテーブルの上を見て、すべてを察した。

 テーブルの上には、親父の仕事ふうにいうならば、二つの証拠品が残されていた。

 一つは、桐乃がよく提げているブランド物のハンドバッグだ。

 そしてもう一つは、俺にとっては忘れもしない。

『星くず☆ういっちメルル』のDVDケースに入っている、

『妹と恋しよっ♪(18禁)』だった。

 パカッとしっかりオープン状態。証拠は十分。もんどうよう有罪ギルテイである。

「……………………ふむ」

 俺はまばたきを数度り返し、その間に、状況を十分ににんしきした。感想を言おう。

 バァァァァァァァァァアァァァァァァァア──────カかアイツはぁぁぁあぁぁあ!?

 バカッ……なんっ……たるバカッ……アホッ……! もはや情けなくて泣けてきたわ!

 あれほど親父にだきゃーバレんなっつったろうが……!?

 油断して、またDVD落とすんじゃねーぞって──言わんこっちゃねえよ!

 間抜けな失敗、繰り返してるじゃん!

 かぁ──っ! 俺にバレたときと同じてつを踏みやがって~~~~! どーしてあんだけ高スペックなクセに、そういうとこだけ抜けてっかなあ! かつにもほどがあるってーの……。

 あ~あ~…………どうすんだ? 知らねーぞ……俺…………

 俺は、動揺が顔に出ないようにするだけで、精一杯だった。

きようすけ、ちょっと、京介……」

 扉を開けた体勢で固まっている俺に、廊下から、お袋が小声で話しかけてきた。

 振り返ると、そでつかんで引っ張られる。

「あんたはに戻ってなさい」

「あ、ああ……」

 お袋は俺を廊下に引っ張り出すや、そぉっとリビングへの扉を閉めた。

「……その……何が……あったんだ?」

 われながらわざとらしい質問だ。

「それがね……」

 お袋から返ってきた答えは、おおむねおれが予想したとおりのものだった。

 きりおやの前でDVDケースを落っことして、中身を見られてしまったのだという。

 どういう状況だったのか詳しく聞こうと思ったが、お袋も直接そのしゆんかんを見たわけではないので、知らないらしい。一番可能性が高そうなのは、俺にバレたときみたいに、ここでぶつかって──というパターンだが、落ちた拍子にケースが開いたんだとしたら、すげえぐうぜんだよな。

 もしくは、アニメDVDケースを見た親父が、中を開けたのか。

 うーん。18禁表記を見た瞬間の親父の顔が、想像できん……。

 さすがの親父も、動揺したろうなあ。俺もビックリぎようてんしてき出しちまったもの。

「……ふうん……」

 そもそもさ、どうして桐乃のヤツ、んなもん持ち歩いてたんだ……?

 幾つかの疑問がわいたが、なんにせよ、奇跡的な状況ではある。

 単なるドジとか、不運とかで片付けられる問題じゃないだろ、コレ。こういう運命だったんじゃねえの? そんなことさえ思ってしまう。

きようすけ……あんまりおどろかないのね」

「そりゃあな。アイツのことなんざ知ったこっちゃねえし」

 本心だ。ウソは言ってないぜ。しかしお袋はさらに決定的な追及をしてきた。

「あんた……もしかして知ってたの?」

「あ? 何が?」

「……だから。……その……あれよ……ああいうの、桐乃が持ってるって、こと」

 づらそうにしているお袋を横目で見つつ、俺は考える。

 どう答えるべきだろうか。保身を考えるなら、ここは当然、トボけておくべきなんだろうが。

 俺は判断が付けられず、だまり込んでしまう。

 ……やれやれ。われながら、中途半端なこった。ちようみが自然と浮かぶ。

 あんなヤツのことなんざどうでもいい。その気持ちはいまだって変わらない。

 俺が望むのは、あくまで普通の人生だ。

 ぼんようでありきたりの登場人物、ゆるやかに停滞した、変わり映えのしない日常風景。

 らんばんじようの非日常も、非凡でユニークな登場人物も、俺の人生には必要ない。

 桐乃なんか、その最たるもんだ。だから、本当にどうでもいい。心の底からそう思う。

 なのに──。あいつからそうだんを受けて、いろいろじんりよくしてやったというおくが、妙な共犯しきを俺に抱かせていた。そして、あきばらかいた、妹の『大切なもの』──

 チッ。無関係を決め込むにゃあ、俺は、妹の事情に深入りしすぎちまったようだ。

「……まぁな。知ってたよ」

「……やっぱり。……まさか……あんたのえいきようじゃないでしょうね?」

 ぜってー言うと思ったぜ。なぁ、この信用のなさを見てくれよ。泣けるだろ?

ちげぇよ。よく考えてから言ってくれお袋。そもそもおれはパソコン持ってねぇし、俺のにブツを隠せるような場所なんてないの、知ってるだろ」

「そういえばそうね……ま、いいわ。どのみちアレはきりのなんだものね──はぁ」

 がっくりとため息をつくお袋。

 この反応も、出来のいい娘がああいうものを持っていたから、なんだろうな。

 例えばおやにエロゲー見付かったのが俺だったなら、お袋はだいばくしようしていたはずだ。

「おとうさんがあんなに怒ってるのって、久しぶりよね。このままじゃ、しばらくおさまりそうにないわ。どうしたものかしらねえ……」

 お袋はしばしあんしていたが、「あ、そうだ」何かを思いついたらしい。

きようすけ、あたしちょっと出てくるから、あんたは部屋に戻ってなさいね」

「……何? 出かけんの?」

「ここにいたってしょうがないでしょ。お父さんの好きなお酒買ってくる。あの人さっぱり酔わないけど、どばどばませればある程度大人おとなしくなるからさ」

 怒り狂ったようかいやら土地神やらをしずめるみたいな、お袋の言い草であった。

 だが、そのニュアンスはよく分かるぜ。この家で、親父の雷ほどこわいもんはない。

 お袋が出て行って、それから十分ほど、俺はリビングの扉の前でハラハラしていた。廊下を落ち着きなくうろついたり、つめんだり……耳をましてみるが、中の二人ふたりは小声で話しているらしく、会話の内容は聞こえてこない。

 秘密のしゆが親にバレちまった桐乃は、果たして何とわけしているのだろう……。

 ちょっと想像がつかないが……あの親父に、どんな言い訳をしようがではある。親父は自分が正しいとかくしんしている件については、絶対にゆずらない人だからだ。

 しかも異様にするどい。ウソは基本的に、すべて見抜かれると思っていい。

 ずっと昔、俺がガキのころ……いたずらで、女の子の髪の毛にガムテープをったことがある。その子はガムテープを取るために、長い髪をちょっぴり切らなくてはならなかった。

 当時の俺は、それを、別にたいしたことだとは思っちゃいなかったのだが……それを知った親父は、俺をきびしくしかった上で、俺と、自分の髪を丸刈りにした。

 そうしていつしよに、その子の家まであやまりに行ってくれた……。

 あのとき、俺は自分が悪いと認めはしたものの……わめいていやがった。しかし親父は、どんなに謝っても、言い訳しても、聞いてはくれなかった。ようしやをくわえることもなかった。

 よくも悪くも、一度口にしたことは必ず守るし、やると決めたことは必ずやる人なのだ。

「……ふぅ……どうなることやら」

 この扉の向こうで、どんな会話がかわされているのか。

 ヘタレで腰抜けの俺には、知るよしもないことだった。

 

 リビングへの扉が開き、きりが姿を現わしたのは、それからさらに十分がってからのことであった。扉をやぶる勢いで飛び出してきた桐乃は、赤鬼みたいなぎようそうになっていた。

 顔は怒りでに染まり、目が充血してれている。

 ……な、なにがあったんだ……?

「き、桐乃……?」

「……どいてよ…………どけ!」

 ずんずんこちらに歩いてきた桐乃は、ぞうせんおれにらむや、突き飛ばすように押しのけてきた。やりどころのない感情を持てあましているような感じだ。俺は意表をかれて、ちょっと体勢を崩してしまう。

 桐乃はハァハァと息を荒げながら玄関へと向かい、乱雑な手つきでブーツをいた。

「お、おい桐乃……どこ行くんだよ?」

「うるさい! あたしの勝手でしょ!」

「ちょ、待てって──」

 外に出て行こうとする妹を、俺はとつに追い掛けようとした──が。

 バタン! 桐乃は明らかに俺をねらって、勢いよく扉を閉めてきやがった。

「ぶへっ!?」思いっきりがんめんをドアに挟んじまう俺。「あうぐ……っのッ……!?」

 ふらつきながら外に出たときには、もう妹の姿は見えなくなっていた。

 ──やべえ。今日きようの俺って、めちゃくちゃカッコ悪くねえ!?

 グスッ……ついつい泣きが入ってしまう。うぐあー、顔がイテェよぉぉ~~ッ。

 自分の情けなさと、ドアに挟まれた痛みをみしめながら、俺は桐乃が走り去っていった先を見つめるのであった。

「くそっ!」

 ぶんぶんとかぶりを振って、気を取り直す。立ち直りが早いのが、俺の数少ない長所の一つ。

 ──追っかけるべきか? いや……その前に……

 俺は家の中へと戻った。正直自信はなかったが……親父から、事のてんまつを聞き出せないかと考えたからだ。そうしねえと、桐乃がヤケクソになってた理由も分からないままだからな。

 もちろん大体のところは予想できるけどよ。

 それにアイツ、たしか今日、友達とオフ会行くって言ってたもんなあ。

 俺がついて行かなくても、自分一人ひとりで仲間と会って──きっと、とても楽しい時間を過ごしてきたんだろう。黒猫とけんしたり、おりに毒舌吐いて平気な顔されたり……想像できるよ、なんとなくな。俺も、この前、そばで見てたからさ。

 最近桐乃がイキイキしてる──この状況で、皮肉にもお袋の言葉を思い出した。

 それってたぶん、ずっと隠してたしゆを分かち合える相手ができたから、なんだよな?

 そんなに何もかもがくいっている状況でさ……すぐ前に落とし穴があるなんて、想像もしてなかったんだろうな、あいつ。

 恐る恐るリビングに入ると、か、おやそうをかけていた。フローリングのかたすみに、クリスタルの灰皿が転がっている。どうやらコレをり返してしまったらしいが……

 まさか、親父がキレてぶん投げたのか……?

 いったいここで、どんなやり取りが繰り広げられたのだろう。おれはごくりとつばをみ込んだ。

「…………」

 もくもくと掃除機をかけている親父。静まりかえった室内に、掃除機の音だけが場違いにひびく。

 家庭内でトラブルが起こった直後の、あのいやーな沈黙が、リビングを支配していた。

 やがて親父が掃除機をかけおわり、低く重い声で、こうつぶやいた。

きようすけ、ちょっとそこに座りなさい」

「あ、ああ……」

 俺は言われるがままにテーブルに近付き、ソファに腰を下ろした。

 たぶんきりの件について、俺もじんもんされるんだろう。あるいは説教も、かもな。

 桐乃はあれで頑固なところがあるから、俺の名前を出しちゃあいないんだろうが、親父ならそのくらいげんを取らずとも察する。トボけるだけってもんだ。

 ま、そうだとしてもだ。俺も、桐乃にそうだんを受けた件について、自分から口を割るつもりはねえ。それが相談を受けたもんのれいってやつだろう。

 俺はテーブルの上に目をやった。例の証拠品、開かれたDVDケースが置かれている。そのわきに、一枚の紙切れを見付けた。

「……こりゃあ」

 それはどうやら、アニメや漫画の専門店の広告らしかった。でかでかと『星くず☆うぃっちメルル』のイラストが載っており、そのすぐ下に、このような記述があった。

『星くず☆うぃっちメルル2(初回限定版)ついに入荷! 前作のパッケージを店頭までお持ちくださったお客様全員に、人気せいゆうほしくららのサイン入りポストカードをプレゼント!』

 ……な、なるほどな。こいつで、幾つかのなぞが解けたぜ……。

 俺が『星くず☆うぃっちメルル』のパッケージを拾った日、どうして非オタの友達に呼び出されたのであろう桐乃が、メルルのパッケージを外に持ち出そうとしていたのか。

 そして、どうして今日きよう、桐乃がからメルルのパッケージを持ち出したのか。あいつはこれから専門店に出かけて、星野くららさんとやらのサイン入りポストカードを入手するはらもりだったわけだ。

 大した手間でもないんだし、さっさともらいに行っておきゃあいいものをよ……よりにもよって今日このときって……ほんとタイミングわりぃな。

 とりあえずこれで、親父がブツを発見したのが、夕方、桐乃がイベントから帰ってきたあとだということが分かった。まず間違いないだろうよ。きりいつたん帰ってきて、に戻って、メルルをバッグに入れて、さぁポストカードもらいに行こうってときに、おやとぶつかって──そんな流れが想像できる。そのあとの展開はやはり分からないままだが、まぁとにかく中身を見られちまったと。で、家族かいぼつぱつってわけか……なんつーか、ざんな話だな。

 と──

 そうを片付けてきた親父が、おれの対面に座った。

 俺は条件反射のようにきんちようし、姿勢を正す。親父の第一声は、次のようなものだった。

きようすけ、おまえ、知っていたのか?」

「……ああ」

 そう答えるしかなかった。そもそも親父の眼光は、罪人の口を割らせるために、長年まされてきたものなのだ。そんなもんを息子むすこに使うなよ。ちびったらどうすんの?

「そうか。おまえがどうして知っていたのかは聞かん。しやべるわけにはいかんのだろう」

 親父のまなしは恐ろしいだけでなく、心の奥底までのぞき込まれるような気分になる。

「…………」

 俺と桐乃の共犯関係は、どこまで見抜かれているのだろう。俺は背筋が寒くなった。

「俺は、こういったものを、おまえたちに買い与えたことはない。か、分かるか?」

 親父は、DVDケースを片手で取り上げ、パッケージに描かれたアニメも、その中身もいつしよくたにして言った。18禁なのは中身だけなのだが、親父にはその区別は付けられまい。

 俺ははんろんすることもできずだまり込んだ。親父とせんを合わせないよう、うつむく。

 俺も桐乃も、親父から説教をらうときは、絶対いつもこうなる。

「こういうものは、おまえたちにあくえいきようを与えるからだ。ニュースなどでもよくやっているだろう、ゲームとやらをやっていると頭が悪くなる。犯罪者の家から、いかがわしい漫画やゲームが見付かったと──もちろんテレビの話をみにしているわけではないがな……」

 どうせ、ろくでもないものなのだろう? 親父の表情がそう語っていた。

 親父のサブカルチャーへの理解度は、とんでもなく低いし、いわゆる『じようしきある大人おとなのレッテル』ってやつをって、桐乃のしゆをフィルター越しに眺めている。

 ……ちょっと前の俺だって、オタクへの認識は、親父と似たようなもんだった。

 づかいで買える漫画やCDはともかく、ゲームなんか絶対買ってくれない両親だったからな。

 普通の高校生よりも、サブカルチャーへのへんけんが強かったのさ。

 ゲームなんざろくでもねー。やってんのはバカばっかだ。だから持ってなくたって、悔しくなんかないもんね──とまぁそういう論理だな。ゲームを買い与えられない子供は、そうなる。

 桐乃のかつとうも、だからこそ大きかったはずだろう。

「真偽はともかくだ。悪影響を及ぼすと言われていて。しかも、そんなものばかりやっている者どもは……なんだ? オタクだのなんだのと……べつされているのだろう? であれば、持っていて良いえいきようなどあるまい。そんなものを、おまえたちに買ってやるわけにはいかん」

「…………けどよ。あれは……」

 かろうじてしたおれに、おやが声をかぶせてきた。

「『きりが、自分でかせいで買ったものだ』とでも言うつもりか。……それはそうだな。だから俺は、アレが自分の金で買った品物については、それほど口うるさく言うつもりはないのだ。化粧品だの、な服だの、バッグだの……本来ならば、ああいった子供らしからぬもろもろも、制限すべきだと思うのだがな。……母親といつしよになって、それが友達づきあいに必要なのだと言われれば、俺にはもう何もいえん。勝手にしろとあきらめるしかない」

「化粧品やバッグはよくて、ゲームやアニメはダメだってのか?」

「当然だ。あんな世間でよくないと思われているようなものは、桐乃に持たせておくわけにはいかん。特にアレは、俺が言うのもなんだが、できた娘だ。くだらんしゆにうつつを抜かしているのなら、ダメになる前に道を正してやらねばならん」

 オタク趣味は、桐乃をダメにする。だから、やめさせる。親父のろんはこうだ。

 実際、妹もののエロゲーにうつつを抜かしている桐乃は、すでに女子中学生としてかなりダメになっているので、ここで俺は何も言うことはできなかった。

 と──

 親父は俺への説教を切り上げるや、席を立ち、リビングから出て行こうとする。

 ゾッといやな感触が背筋を駆け上った。

「お、親父っ? どこ行くんだよ……?」

 俺はあわてて親父の後を追い、呼び止めた。親父が、階段を上ろうとしていたからだ。

 その先には、俺のと桐乃の部屋くらいしかない。まさか……!?

 親父の台詞せりふは、予想どおりのものだった。

「桐乃の部屋を調しらべる。ほかにも隠しているものがあるかもしれん」

「ま──待てって! ちょっと待ってくれよ!」

 やべえっ、あそこには桐乃のコレクションが……!

 俺は階段の下から親父を見上げ、でかい声で制止する。

「んなもんがあったら、お袋が見付けてるって! 毎日そうしてんだからさ! 俺が隠してたエロ本だって、全部見付かってんだぞ? 隠してるモンなんかあるわけねーじゃん! ハンドバッグに入ってたので全部だよ絶対──」

 たぶん桐乃もそう主張したはずだ。なら、親父にエロゲーその他が見付かったら、間違いなく全部捨てられちまうからだ。親父と一対一で対決するハメになろうとも、あいつは自分のコレクションを死守しようとするに違いない。

「……だから、それを調べると言っている。俺が探して、見付からなければそれでいい」

 いや、絶対見付けるだろアンタ。まさにそういうのがほんしよくじゃん。

 このままおやきりに入れたら、桐乃のコレクションが全部見付かっちまう。

 そして絶対! 断言してもいいが、親父は桐乃のしゆを見くびってる!

 悪いこと言わないからやめとけって! 見ない方がいいっすよ! アイツが持ってるエロゲーは、二本三本じゃねーんだってば!

 この前見せてもらったのだけでも、二、三十本はあったから!

 しかもあの桐乃がさ、恥ずかしがって見せらんねーとか言ってたのが、あの奥にさらにまれてるわけだろ? そんなモンを親父が見たら、したら発狂すんじゃねえの?

 ま、マズイ……現状がかわいく思えるほど、絶対、マズイ……。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 親父!」

 親父はどんどん音を立てて階段を上っていく。俺はその後を急いで追っかけて、前に回り込み、両手を広げてふさがった。

「どけ、きようすけ

「ど、どかねえ……」

 なに言ってんだおれは!? 正気か!? いま親父にさからったりしたら──

「いでででででっ!?」

 親父は俺の手首を軽々とひねり上げて、同じ台詞せりふり返す。

「どけ」

 親父は、あくまで俺の意思で、道をゆずらせようとしている。やろうと思えば、俺をぶん投げて強行突破するのは容易たやすいはずだからだ。俺は手首の痛みに涙を流しながら、こう言った。

「どか……ねえっ」

 ぎりぎりぎりっ……。

 手首のげきつうが、さらに強まった。効率よく痛みを与えるすべについては、親父はプロだ。

「ぐっ……」

 ってぇ~~~~~~!? っあ──ホントにさあ! なにやってんだろうな、俺は!

 自分で自分が分からねえよ!

「……どんな事情があろうと、本人の許可も取らずに部屋をさがしすんのは、まずいだろ……。たとえ親でも、やっていいことと、悪いことがある。……だから、どかねえ」

 痛みをこらえて、訴える。

 どうやら俺は、妹のコレクションをまもろうとしているらしかった。

 あんなヤツがどうなろうが知ったこっちゃねえのにな、俺。

 それに──娘がいかがわしい品物もってたら、きっちりしかって取り上げるのが親の役目だ。

 親父は、親として当然の責務を果たそうとしているわけで、その結果、桐乃が泣こうがわめこうが、本人の自業自得だろう。

 じゃあ何で、俺は、こんな痛い思いして、得にもならねーことをやってんだ?


 そりゃあ……そりゃあさ! まがりなりにも、そうだんを受けてたわけだし──それにコレクションを見せびらかして、得意げにしている妹の顔を、思い出しちまったからだ。

 おれにエロゲーやらせて、しきりに感想を聞いてくる妹を、なんとかしてやりてーと考えた自分を、思い出しちまったからだ。

 でもってアキバのマックで、初対面だってのに盛大にけんして、楽しそうにさわぐオタクどもを、この目で見ちまったから。捨てたもんじゃねえって、思っちまったから。

 だから、俺は、こんな、ガラでもなく──

「……おや。ここは俺に任せてくれ……俺が、あいつと話してみるから。せめて、それまでは待ってやってくれよ。自分がいないときに、大切にしてたもんが勝手に捨てられちまってるのなんて──かわいそうじゃねえか。な? 頼むよ……!」

 必死になって訴えると、親父はいぶかるような目で俺を見た。

「おまえ……」

 アンタが言いてえことは分かってるよ、親父。この俺が、こんな必死こいて不仲な妹をかばうのがおかしいってんだろ? ああ、ああ、そうだろうよ……おかしいよなあどう考えても。

 でも、んなこた俺が一番よく分かってんだよ!

「…………」

 俺たちは、しばし無言でにらみ合った。親父は、きびしい顔で何事か考えていたようだったが、やがて……つかんでいた俺の手首から、手をはなした。

「──いいだろう。待ってやる。俺は、きりには入らん」

 親父は自分が一度口にしたことは、どんなことがあっても守る。二言はない。

「その代わり、きようすけ、おまえが責任を持って捨てておけ。全部、一つ残らずだ。分かったな?」

「──分かった。桐乃と話して……必ず、そうする」

 そう答えるしか、俺にせんたくは残されていなかった。先の台詞せりふでも分かるとおり、親父は、部屋に入らなくたって、桐乃の部屋に〝あってはならないしろもの〟があるだろうってかくしんしてる。

 仕方ないこととはいえ、これだけ親父の捜索を強くこばんじまったんだから、逆に〝ある〟ってでかい声で叫んでるようなもんだしな……。

 この約束をもしもたがえたら、親父は俺を許さないだろう。まったく誇張せずに言うが、殺されたっておかしくない。男と男の約束だからな。

 あのコレクションを全部、一つ残らず捨てろ──俺はそれを、妹に告げなくちゃならないってわけだ。

 責任重大な上に、えらくこんなんで、しかも何の見返りもねーミッションだ。

 こんなの、俺のガラじゃあねえ。やってられっかってんだ。

 ったく。ホラよ、桐乃……とりあえず、時間はかせいでおいてやったから──

 かんしや……するわけねーよな。はぁ……。


 おやを何とか止めたおれは、買い物から帰ってきたお袋に後を任せ、改めてきりを捜すべく外に出た。が、家を飛び出していったあいつがどこに行ったのかなんて、俺に分かるわけもない。心当たりさえない。

 夕焼けの中、もなく駆け出す。

 けいたいに電話かけりゃあいいだろうって思うか? 知らね──よ! あいつの電話番号なんかさ。お袋が言ってただろ? 俺たち兄妹は、仲がりぃんだ。桐乃は俺のことをゴミみてーに嫌っているし、俺は妹のことを、どうでもいいヤツだと無視している。

 会話はない、目も合わせない──見知らぬ他人と同様の、冷えきった関係。

 だから俺は、妹の携帯番号なんて知りゃあしねえし、知りたくもねえし、知る必要もねえ。

「くそっ……どこ行きやがったんだ、あいつ……」

 なのに俺はいま、そんなどうでもいいヤツを捜して、町をやみくもに駆け回っている。

 公園、商店街、ゲーセン、学校、駅前──れいで目立つ妹の姿は、どこにもない。

 ここにもいねえ……! くそっ! あとは、どこだよ……ちくしょう。

 胸をがすいらちは、断じて、絶対、アイツの心配をしているからじゃあないぜ。

 ムカつきの正体は自分でも分からんが、俺はいま、めちゃくちゃ俺らしくないことをしている。だからこんなに、苦しいのか? イライラしてんのか?

「わけ分かんねーよ……バカじゃねえの?」

 ガラじゃあねえ……ほんっとガラじゃあねえ。ああっ、くそっ……くそくそくそっ!

 もう、いい。とりあえず考えんのやめた──バカらしい。

「知るかよ……」

 こんとんとしたおもいをみ込み、歯を思い切りめながら、俺は走った。

 まるで妹から借りたゲームの主人公みたいに、こうさかきようすけは、飛び出していっちまった妹を捜して、夕焼けの町を駆けていく。頭ん中は、妹のことでいっぱいだ。

 ゲームと異なるのは、妹の、俺への好感度がマイナスに振り切れているところと。

 あのシスコン野郎と違って、俺が妹のことを、大っキレ──だってことだよ。

 やってることは同じだけどな!

 ゲームの高坂京介は、黄昏たそがれに染まった町で、捜し求めた妹と再会する。

 息を切らして夕日を見上げた主人公の前に、タイミングよく、妹が現われるのだ。

 ま、それはあくまでゲームの話。

 この現実において、俺が妹を見付けた場面は、そんな浪漫ロマンとお約束にあふれた展開とはかけはなれたものであった。

 夕方の駅前商店街。俺が、ゲーセンのわきを走り抜けようとしたとき──

「あ」

 どっかで見たよーな茶髪娘が、八つ当たりみてえなはげしさでたいゲームのバチをたたいていやがったのさ。リズムなんざ完全無視で、ガンッ! ガンッ! ガンッ! ガンッ!

 ぶっこわす気かよ!

「………アイタタタ……」

 つい、つぶやいてしまうおれ

 このバカ。こっちが必死で捜してやってるってのに……こめかみ痛くなってきた。

 ま、現実ってのはこんなもんだよな。そーそードラマチックな展開にゃあならねーって。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ねッ! みんな死ねぇっ!」

 なーんかボソボソ言ってんなーと思ったら、この台詞せりふ! おっかねえ女だなオイ。

 俺は、妙に脱力した気分で、ゲームに絶賛八つ当たり中のきりに近付いていった。

 背後から、軽く後頭部をひっぱたいてやる。

「こら、おめーが死ね」

「っだれ!?」

 ブンッ! 桐乃は振り向きざまにバチを振り回した。またしてもがんめんらう俺。

「ぐあ……っ」

「…………なんだ……アンタか……」

 てめぇ……っ。相手かくにんもせずにブッ飛ばしたのかよ!? らんぼうなプレイを注意しに来た店員だったらどうすんだ!? ったく、よっぽどハラに据えかねてるらしいな!

 だが、振り向いた桐乃の態度は、死ね死ね言ってた人間と同一人物とはまるで思えないものだった。こわいろも表情も、めちゃくちゃ暗い。

「……なにしにきたの」

「なにしにって……オメーが飛び出していっちまうから……捜しに来てやったんじゃねえか」

「………………キモ。……なにそれ? ゲームと現実……ごっちゃにしないでよね」

 あたしはアンタなんかにれないからね、と言いたいんだろうが、こっちからねがい下げだっての。妹もののギャルゲーをやってみて、俺は改めて理解したんだ。

 三次元の妹なんぞ、マジでいらねーとな。

 クソ生意気な妹を持つ兄貴しよくんならば、必ずや同意してくれるはずだ。

 本当、俺は、こいつを見付けてどうするつもりだったんだか。もう思い出せねーよ。

 にしてもコイツ、見事にふて腐れてやがんな。鼻声になってるじゃん。

「うっせえよ。それよかオマエ、俺にかんしやしろよな」

「……は? なんでそんなことしなくちゃなんないワケ?」

「あのあと大変だったんだかんな? おやが、おまえのに入ろうとして──」

「……な、え……」

 きりらした目を見開いて、おれえりくびめ上げてきた。うげげ、超苦しい。

「………………ちゃんと止めたんでしょうね」

 てめえ、なんで俺が止めるのが当たり前みたいな言い草なんだよ。俺は、おまえの兄貴であって、下僕じゃねえんだからな? おい、分かってんのか、ああ?

「も、もちろん止めたっス……身体からだ張って」

「よし」

 よくやったワンころ。そんな感じの『よし』だった。半分自業自得とはいえ、俺のそんげんは跡形もないぜ。桐乃は俺から手をはなすや、むずかしい顔で腕を組んだ。

「……とりあえず、場所変える。ここ、目立つし」


 俺たちは近くのスタバへと場所を変えた。

 初夏とはいえ、そろそろ暗くなってくる時間。

 私服姿の俺と桐乃は、小さな丸テーブルを挟んで腰掛け、コーヒーを飲んでいる。

 客入りはそこそこといったところで、大学生ふうのにいちゃんやら、仕事帰りのリーマンやらがメインの客層。部活帰りの中高生なんかは、もうこの時間になると見かけない。

 そんな中。俺たちは、周りからどう見えているのだろう。

 さっきから俺たちひとっこともしやべってねーし。

 桐乃は怒りのオーラをまとって、充血した目で、ずーっと俺をにらんでやがるし……。

 しゆ中のカップル、しかも原因は俺の浮気うわきとかに見られてそうでスゲーイヤだ。

 ちんもくに耐えかねた俺は、ろくに考えもせずに喋りかけた。

「なぁ……桐乃」

「……なによ」

「おまえ、どうすんだ。これから?」

 桐乃はムスっとした顔でコーヒーを一口飲み、こうつぶやいた。

「……分かんない」

 だろうな。家に帰ったら、おやがいるし。どうしていいか分からないだろうよ。

 実際、桐乃はそう口にした。「……どうしたらいいと思う?」と。

 妹の口からその台詞せりふを聞くのは、これで二度目だった。

 俺は、自分でも、頼れる兄貴なんかじゃないと思う。そんな俺に頼らざるを得ないほど、こいつは悩んで、追い詰められているってわけだ。あんときと同じさ。

 だからここで俺は『知ったことか』とは、言わない。たとえ思っていても。

 一つ残らず捨てろ。そう言われたことは、まだ伏せておくか。親父の台詞は、ウチじゃあ絶対だ。大事なコレクションが死亡かくていだと知ったとき、こいつがどうおもうか──。

 ふん、ここでキレられてもやつかいだしな。とりあえず聞くこと聞くのが先だろうよ。

「その前にきり。幾つか聞いておきたいことがあるんだが、いいか?」

「……なに?」

「おまえ、おやになんて言われたんだ? 結構話し込んでたみたいだったけどよ」

 親父の言い草からすっと、捨てろとは言われてねえはずだよな……。

 これは現在、桐乃が置かれている立場をよりハッキリさせるための問いだったのだが。

「……お、おい……桐乃……?」

 桐乃の思いもよらない反応に、いつしゆん、頭の中が真っ白になっちまった。

「……っ……っ……!?」

 おれの問いを聞いた瞬間。桐乃は顔をに染めて、全身をぶるぶるとふるわせ始めた。

 片手で胸を押さえ、もう片手はテーブルの上でこぶしにぎめている。

 かわいい顔はぐちゃめちゃだ。俺はすぐに目をらしたが、それでも、こいつの胸中で荒れ狂っているげきじようがなんなのかくらいは、いやになるほど分かった。

 ふんかいこんわずかばかりのていかん

 悔しくて。悔しくて。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて──かなしくて。

 そんなやりきれない気持ちが、ひしひしと伝わってくる。

 あのときリビングで何があったのか。何を話したのか。依然として俺には分からない。

 だが、桐乃がこんなふうになってしまうだけの何かがあったのだろうとは察した。

「…………たの」

 うつむいた妹の口元から、黒いいきのようなささやきが漏れた。

 俺が死ぬほどビビりながら「な、なに?」と問い返すと、桐乃はテーブルをはげしくたたいた。

 ガンッ!

「くだらんって言われたのっ!? あたしが好きなアニメも! ゲームも! 今日きよう行ってきたオフ会も! 全部全部全部全部っ!? ……がうのに! ……っ……んなんじゃないのに……っ……あたし……な、なに……も…………っ…………」

 その先はもう、ほとんどえつに変わっていて、ほとんど聞き取れなかった。

 桐乃は拳を叩き付けたままの体勢で、俯き、しゃくり上げている。

「なにも言い返せなかった──のか」

「……うん……」

 ぽつ、ぽつ、とテーブルに涙のしずくが落ちた。

 ここしばらく、妹の人生そうだんに付き合ってきた俺には分かる。

 桐乃は、今日、げきりんにふれられた。俺があのときかいた『大切なもの』を、踏みにじられた。

 だから桐乃は、いま、こんなにもキレている。死ぬほど悔しくて、涙を流している。

 比較するのはバカげているのかもしれないが、俺にだって『大切なもの』くらいある。

 そいつをくだらんと否定されたなら、俺だって同じようにブチキレるだろう。

 ぜってーだ。相手がおやだろうが必ずブッ飛ばす。そうしなきゃ気が済まねえからだ。

 きりも、同じ気持ちなんじゃねーかな?

「あたし、なにも言い返せなくて……さ……クリスタルの灰皿つかんで殴りかかったんだけど……取り押さえられちゃって……ハッ……くやしいなあ……」

 そこでとつどんを持つのが、こいつのおっかないところだな。ほとんど音は聞こえてこなかったけど、あのとき中でそんなバトルがり広げられていたとは……

 同じ気持ちっつったの取り消すわ!

 こいつの場合、ブッ飛ばすじゃなくて、あくまでブッ殺すなんだな!?

「ホラ、桐乃、ハンカチ使え」

「……ん。……やだ……化粧、ぐちゃぐちゃ……」

 おれがハンカチを貸してやると、桐乃は顔をいて、それからいつたん、席を中座した。

 化粧直し。感情を落ち着けて、仕切り直し──俺も、桐乃も。

「ふぅ……」

 おい、てめーら。なに見てんだ、あ? 周囲をぐるりとにらみ付けて、好奇のせんらす。

 時間帯がいまでよかったな。この時間なら、桐乃や俺の同級生に、いまのやり取りがもくげきされているということはないはずだ。

 すっかり冷めたコーヒーを全部飲み干したころ、すっぴんになった桐乃が戻ってきた。

 ちょこん、とおれの対面に座る。

 ……絶対言うつもりはないけどさ。こいつ、すっぴんの方がかわいいんじゃないか?

 そんなことを考えてたもんだから、

「……ねぇ?」

「ん、んっ? な、なんだ?」

 俺はいきなり話しかけられて、キョドっちまった。

 すっぴんになったきりは、弱々しい調ちようで、こう聞いてきた。

「……あたしさ……おかしいかな? ああいうの……好きでいちゃ、悪いのかな?」

「桐乃……」

 らした目で、そんなこと言われたら……俺はなんて答えりゃいいんだ?

「少なくとも、おやは、そう言うだろうな。親父が特別きびしいからってわけじゃない。普通の親なら、だれだってそう言うし、それが当たり前だ。自分でも分かってるはずだろう──けんていがあるから、バラすわけにゃいかなかったんだって」

「でも……だって……もう……バレちゃったじゃん……」

「ああ。だから、もう、遅い。バレちまったもんは、もう、なかったことにゃできねえ」

 俺はできる限りの誠意を込めて、言った。

「おまえは選ばなきゃならねーんだ」

 俺はそこで、いつたん言葉を止めた。妹の目を、しっかりと見据える。

「このしゆを、やめろって……こと?」

「それができんなら、全部丸くおさまるわな。おまえがオタクをやめりゃあ、何の問題もねえんだよ。親父の怒りは静まるし、おまえの世間体を常におびやかしているばくだんも、なくなるんだから。……俺は最近、おまえのうわさをたくさん聞いたよ。スゲーんだってな。スポーツ万能、学業ゆうしゆう、モデルやって、部活やって──たいしたもんだ。マジでそう思う。これで例の趣味がなくなりゃ、ホントかんぺきじゃねえか。……俺の言いたいこと、分かるよな?」

「……分かってるよ。あたしがすごいのは、あたしが一番よく知ってる。オタクやめれば、何もかも、全部くいく──そんなの最初から分かってる」

 桐乃は、今度は軽く、こぶしでテーブルをたたいた。落ち着いた声で、言う。

「でも、やめないよ。絶対やめない。だって……好きなんだもん……すっごい好きなんだもん! それなのにやめるなんて……やだよ。できないよ……」

「そうか。でも、親父にとっちゃ、おまえの感情なんて関係ないぜ。よくないものは正さなくちゃならん──耳が腐るほど言われただろ? おまえがどんなに好きだろうが、親父にとっちゃ『くだらない、感心しない趣味』なのさ。にでもやめさせられるだろうし、俺たちにゃあ何の抵抗もできないだろうよ」

「それでも!」

 桐乃は真剣なツラで叫んだ。いつかおれが感心した、あの表情だ。

「あたしは、やめない。好きなのを、やめない。前にアンタに言ったじゃん。両方があたしなんだって。どっちか一つがなくなっちゃったら……やめちゃったら、あたしがあたしじゃなくなるの。たしかに、あたしは子供だし、おとうさんの言うことは聞かなくちゃいけないと思う。それが当たり前だし、抵抗なんてできないと思う。……でも、もしも、全部捨てられて……なくなっちゃっても。いままでのあたしが、なかったことになるわけじゃ、ないから。……だから、好きでいることだけは、絶対、やめない」

 ……だとさ。

 コレクションが全部捨てられても。

 ケータイやらパソコンを捨てられて、インターネットにつなげなくなっても。

 オタクはやめない。絶対やめない。だって好きなんだもん。

 どっちか一つがなくなったら、あたしがあたしじゃなくなるの──。

「……そっか」

 バッカだなあ──おまえ。本当、バカだよ。信じらんねーほどのバカ。アホ。

 アニメやエロゲーがそこまで大事か? そこまでかたくなにして、まもらなくちゃならないもんなのか? 俺にゃあ分からん。さっぱり、分からん。それは絶対、だれかに誇れるようなしゆじゃないってのに、どうしてそんなに大切にして、楽しんで、集まって、さわいでさあ。

 ああ──ったく……オタクってのは、みんな、こんなんなんかねえ……。

 だとしたら、やっぱり、俺が思ったとおりじゃねーか。

「悪くねえ」

「え?」

 きょとんとした妹に、俺は不敵なみで言ってやった。

「悪くねえって、言った。おまえがしたさっきの質問への、それが、俺の答えだ」

 どうしちまったんだろうな? おかしいぜ、今日きようの──いや、最近の俺は。普段ふだんの俺……つい先月くらいまでの俺なら、さっき、おやを止めようなんてほども思わなかったはずだ。

 大キレーでどうでもいい妹なんて、捜そうとも思わなかったはずだ。

 そして、こいつの痛々しい宣言聞いて、こんな気持ちになることもなかったはずだ──。

 チッ。舌打ちひとつ、俺は妙に吹っ切れた気分で、おもむろに立ち上がった。

「桐乃──」

 妹のツラ見て、親指で自分のツラをぐっと指差す。

「俺に任せろ」

 十七年の人生で、俺は、もっとも自分らしくない台詞せりふを吐いた。

 まるでこいつの、兄貴みてえに。


 ──なに言ってんだろうな、おれ。バッカじゃねーの?

 俺は帰途を急ぎながら、猛烈なけんと戦っていた。

 きりは店に置いてきた。一時間ったら帰ってくるよう、言い含めてある。一方的にしやべって、返事も聞かずに出てきたから、アイツが言うことを聞くかどうかは分からんが。

 どちらにせよ、家に帰る決心がつくまで、戻ってくるこたあないだろう。

 だから俺はその前に、おやと話をつけるつもりだ。

「へっ……」

 笑ってくれて構わないぜ。自分でもバカだと思うよ。本当にバカだと思うよ。

 何が『俺に任せろ』だ。あつくなっちゃってまー、恥ずかしいったらねえぜ。

 顔から火が出そうだよ。カッコつけてんじゃねーっての、地味ヅラのくせによ……

 これから俺は、分不相応にも、あの親父と対決しようってわけだ。

 当たってくだけて、まるぼうにされる未来しか見えねえよ。

 でもさあ! しょうがねえじゃんか!

にあるもん、全部捨てろ』『もうオタクなんてやめちまえ』

 んなことアイツに言えるか! アイツの気持ちを知っちまった以上、そんなことを言うヤツは、この俺が許さねえよ! たとえそれが親父でもだ!

 ──たしかに俺は、あのクソ生意気な妹のことが大っキレーだ。

 あんなに非凡な登場人物は、俺の人生にゃあ必要ない。あっちも俺のことが嫌いみたいだし、折り合い付けて、お互いに無視していりゃあいい。

 それらの点に関しちゃあ、最初っから、まったく意見は変わらないんだな。

 あんなヤツはどうでもいい。本当に、心底、どうでもいい。

 おかしいと思うか? ウソをついていると、じゆんしてると思うか?

 ……どうだろうなあ。自分でも、今日きようの自分のこたあ、ちょっと分かんねえ。

 全部が全部、本音ではあるんだが……もしかしたら、自分でもしきできてないが、あるのかもしれん。胸の内からき上がってくる妙な気持ちの正体だって、まだ判然としねえよ。

 ああ、だから、いま分かってんのは一つだけだ。

 桐乃は、一度だって、そんなふうに呼んでくれたことはないけどな……

 俺は、あいつの兄貴なんだ。

 大キレーだろうが、どうでもよかろうが、クソ生意気でかわいくなかろうが。

 妹は、助けてやんなくちゃならんだろうよ。

 そうだろう?


 三十分後、俺はリビングの扉の前に立っていた。

 片手に提げたバッグには、ちょっとした秘策が入れてある。帰途を走りながら、足りないのう振り絞って、必死こいて考えたもんだ。

 お袋にも手伝てつだってもらって、何とか思うとおりのものをそろえることができた。仕上げに、お袋にはに入って来ないよう言い含めておいて、準備完了。

 が……正直なところ、これでくいく保証はなにもない。にべもなくねつけられる可能性の方が、よっぽど高いだろうよ。

「へっ……」

 だが、あえてやる。妹のためなんかじゃなく、そうしようと決めたおれ自身のためにだ。

 ちっくしょう! やるだけやってやるぜ!!

 俺は気合も新たに、リビングへの扉を開けた。

 つん、とかおしゆせいほうこうしゆてんどうしきにたどり着いた、みなもとのよりみつの気分。

 おやはソファに腰掛けて、おちょこで酒をんでいた。入ってきた俺に気付くや、ジロリとこちらをめ付けてくる。

きようすけあいさつはどうした」

「た、ただいま」

 無理無理無理無理! 洒落しやれにならんて!? なんだよこのド迫力……。

 ただでさえごくどうヅラだってのに、怒りがじゆくせいされてきたせいか、さっきよりさらにとんでもない極悪ヅラになってやがる。

 せっかく気合入れてきたってのに、んなもん一気に吹っ飛んじまったよ……。

 俺は、肌がびりびりとあわつのを止められなかった。ごくりとなまつばを吞み込み、そーっとそーっと足を進める。とても親父の正面にゃ立てなかったね。

 こっち向いてくれんなよ~と祈りながら、三メートルくらいはなれた側面に立つ。

 情けないと思ったか? フッ、これだから素人しろうとは困る……。実際にここに立ってみりゃ分かるって。空腹のもうじゆうが、すぐそばでグルグルうなってるようなもんなんだ。これ以上、一歩たりとも近づきたくねえ。……もう、なんかね、バラしちゃうけど、スデに涙目なんすよ。

「お、親父……話がある」

 声のふるえを必死になって抑えながら、俺は切り出した。

 親父は返事をせず、くい、と酒を口にした。

きりは見付かったのか?」

「……ああ……話、してきたよ、アイツと」

「それで?」

 俺にいちべつもくれずに、うながしてくる親父。正直、ありがたい。最終的にはきっちり目を見て訴えなきゃならんのだろうが、いまこの時点で目を合わせるのはけたかったからだ。

 こわいから。

「………………」

 周囲の空気が、ずしりと重くなった。妙に暑く、息苦しい。なのにふるえが止まらない。

 いやな汗が、がんめんからだらだらとあふれ、あごの先からこぼれ落ちる。

「それで?」

 もう一度、同じ言葉でうながされた。おれは、だんがいぜつぺきから飛び降りるような気分で口を開く。

きりしゆを……認めてやって欲しい」

 言ったしゆんかんさつかくなんだろうが、の中が、しんと静まりかえった。

 聞こえるのは自分のしんぞうの音と、荒い呼吸音のみ。

きようすけ

 低く、無感情な声で返事が来た。

「俺はさっき、『おまえが責任を持って捨てておけ。全部、一つ残らずだ』と言った。そして、おまえは、こう答えた。『分かった。桐乃と話して、必ず、そうする』。そうだな?」

「ああ」

「自分が口にしたことは守れ」

 短く告げて、再びおやだまり込んだ。……そうだな。親父の言うことは、正しいよ。間違ってんのは、どう考えたって俺の方さ。分かってる。

 けどよ……ここで引くわけにゃあいかねーんだ。

「あれはなしだ」

「おまえは、一度口にした約束を破るのか? 俺が、いつ、そんなことを教えた?」

 親父の言葉が、一つ、一つ、重くひびく。俺は下唇に歯を立ててから、でかい声を張り上げる。

「知ったことかよ。アイツの趣味はやめさせねえし、隠してるブツも捨てさせねえ。たとえ道理をっ飛ばしてでもだ。聞いてくれ、親父。俺が、そうしようと思った理由を」

「……言ってみろ。しつけるのは、それからにしてやる」

 ひいっ。せいのいい口たたいたけど、言ってる本人はマジ泣き入ってるぜ!

 自分で自分の顔は見えねーけどさ、こんな情けないツラさらしてたら、たぶん話聞いてもらう前にブッ飛ばされてたわ。親父の正面に立たなくて、ホントによかった!

 ヘッ、見たか素人しろうとども、これが玄人くろうとの作戦よ!

 ……ふん。情けなさを増幅するのはこの辺にしておいて、だ。俺はTシャツで顔面をく。

たしかに……桐乃は、普通の女の子とは違う趣味を持っている。でも、いつもいつしよにいるやつらの中にゃ、趣味が合うやつなんているわけがない」

 一呼吸を置いて、先を続ける。

「……だからあいつはさ、自分と同じ趣味の友達を、見付けようとしてたんだ。……で、いろいろと探して、どうにかいこと見付けられて……初めて会うところまでこぎつけた」

「…………」

 親父はかなりのペースで酒をみながら、俺の話を黙って聞いている。いまの俺は、自分の保身をまったく考えずにしやべっているので、おやの中で死刑がかくていしていてもおかしくない。

 無言の圧力が、ただただ恐ろしい。考えてみれば、親父にとっても今日きようさんざんだ。

 大切に育ててきたまなむすめにゃあ『実はエロゲー大好きです』ってカミングアウトされるわ。

 きっちりしかってしつけ直そうとしたら、灰皿でぼくさつされそうになるわ。

 その上さらに、出来の悪い長男がしゃしゃり出てきて、べらべらと、けしからんしゆようするようなことをくっちやべり始めるわ──。

 そりゃあ、酒もぐいぐいむわな。本当にもうわけない。心からそう思うよ。

 いますぐおれを殴りたいだろうが、もう少しだけ付き合ってくれ。

「……それが、ついこの間のことだ。今日きよう、そんときにできた友達と、いつしよにオフ会……趣味の会合に行ってきたんだ、アイツは。……親父も聞いただろ?」

「……ああ」

「で、くだらんって言ったんだってな。……がんって友達見付けたきりに向かって……ふざけんなよ! よく知りもしねーのに、勝手に決めつけてんじゃねーよ!」

 俺は、何も言えなかったと悔しがっていた妹の代わりに、アイツのおもいをぶつけてやった。

 自分の気持ちじゃないはずなのに、俺はカンケーねえはずなのに、本気でハラを立てていた。

 いつの間にか、ごとじゃあなくなっていた。

「俺は、この目であいつの『大切なもの』を見てきた。同じもんを大切にしているやつらに、会ってきた。ああ、たしかにへんけんを持たれたってしょうがねえ、妙ちきりんなやつらだったさ。言動も格好もとにかく変テコでよ──正直、俺にゃあ理解できねーと思ったわ。でもさあ!」

 俺は思い出す。あのときの光景を、それを見た、自分の想いを。

「悪くねえって、思った。だってあいつら、アホみてーに楽しそうなんだもんよ。初めて会ったのに、いきなりバカデケー声でこうろん始めて、おおさわぎしてさあ。どんだけ大好きなんだっつーのな! 桐乃も、そいつらも、あんなに真剣に怒れるなんて、ただごとじゃねえよ! 桐乃も、そいつらも、そんくらい自分の好きなもんに夢中だった! 見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらいにな! でも、もうそんときにゃあ、あいつらは仲間だった! ハラ割って話せる友達だった!」

 ちょっと前の俺なら、自分がこんな暑苦しいするとこなんざ、想像もできなかっただろうよ。いまのいまだって、一言一言、自分が口開くたびおどろいてるさ。

 まさかこの俺に、こんなはげしいところがあったなんてな。普通に、平凡に、ぼんように──のんびりまったり生きていくのが俺の信条だ。それはいまも変わんねえ。

 でも、ちょっと前の俺と、いまの俺とでは、かくじつが違っている。

 アイツからそうだん受けて、いろいろめんどう見てやって、いままで知ろうともしなかったモンをたくさん見て、えいきよう受けてさ。変わっていったのは、俺の方だった。

 あんな変テコな連中やら、理解できねえもろもろに、自分が影響されていたなんて、認めたくはないけどな。事実なんだから、しょうがねえ。

 おれはあいつらからを得て、変わった。バカになった。恥ずかしいやつになった。

 だからこそ、涙目でもなんでも。

 このおっかねえおやに、こうやって立ち向かえるんだろうよ。

「もちろん俺にゃあ、あいつらのしゆはサッパリ理解できねえよ。できねえけど! 夢中になるのって、そんなに悪いことかよ!? そういうのってさ、大事なもんじゃねえのかよ! なあ! そうかんたんに、捨てていいもんじゃねーだろうが!」

「だから……許してやれと言うのか? 悪影響しか及ぼさない、くだらん趣味を?」

 親父が立ち上がって、俺を見た。きりの百倍おっかないせんが、しんぞうつらぬいた。

 ちびっちまいそうだ。いますぐしちまいてえ。

「悪影響しかない、くだらん趣味って言ったな……?」

 ここだ──俺はふだを使う覚悟を決めた。ずんずん親に近寄って、テーブルの上に、バッグの中身をぶちまける。ばんっ! まず、俺が親父にたたき付けたのは、桐乃のせいせきひようだ。

「じゃあ……見ろよ、このとんでもねえ成績を。県でも五指に入ってるんだってな。それも今回に限った話じゃねーんだろ? あいつの成績がずっとどうだったのかなんて、親父が一番、よく知ってるはずだよな」

「だからなんだ。桐乃が、俺との約束を守っている。それだけのことだろう。だからこそ、あのようなけいはくな格好を許している。モデル活動とやらを認めてもいる」

「まだあるぜ……」

 続いて叩き付けたのは、トロフィーや賞状の数々。

 最新のものは、去年の陸上なんたら大会のもんだ。

「これも。これも。これもこれも……! 見ろよ! 全部二位だのゆうしようだのばっかじゃねーか! こっちは小学校時代のやつな! こっちは幼稚園時代のやつ! ……なんでこんなにあんだよチクショウ!? 集めた俺がビックリだぜ! なあ! 親父! あんたの娘は、こんなにも、スゲエやつだろうが!?」

「知っている。それがどうした」

「どうしたじゃねえ! ケツの穴が小せえってんだよ! あんだけ頭良くて、運動もできて、こんだけいろいろ才能あって──俺とは大違いのできた娘だろうが! たいしたヤツじゃねえか! 一つっくれー変テコな趣味があったからって、それがなんだよ! いいじゃねーかそんくらいさあ! 多めに見てやれよ! 自慢の娘に、たった一つ、気にくわないトコがあったくれーのことで、こっぴどく説教して、泣かせて、大事にしてたもんを捨てるって──そりゃあねえだろう!?」

「それがしつけというものだ」

 クソ。勢い込んで訴える俺だったが、親父はまったく動じやしねえ。

 だが、まだ終わりじゃねえぞ……。バンッ! おれは分厚い本をたたき付ける。

「……きりのアルバムか。これがどうした」

 おや調ちようが、ほんの少しだけ柔らかくなった。豪華で分厚いアルバムには、桐乃が生まれてから今までの姿が、大量に写真として収められている。

 赤ん坊の桐乃が、ベビーベッドで寝ている写真。お袋に抱かれている写真。

 幼稚園のおゆうかいで、主役を張っている写真。七五三の写真。卒園式の写真。小学校の入学式の写真。運動会で一着になっている写真──などなど

 もちろんすべて、親父手ずから、一眼レフのバカ高いカメラを使ってったもんだ。

 親父が桐乃のことをどう思っているか、これだけでもよく分かろうってもんだよ。

 しかしホントに俺の写真は一枚たりともねえな。

きようすけ……これがどうしたと聞いたんだが?」

あわてるなって……」

 バンッ! 俺は、さらに一冊のうすい本を叩き付けた。親父の顔色が、明らかに変わる。

「……!?」

「……お袋に頼んで、貸してもらったぜ。こいつは親父の、宝物なんだってな」

 俺が親父に見せつけたのは、スクラップブック。収められているのは、ティーン誌の切り抜きだ。よく見知った茶髪のモデルが、流行の服着て、ポーズ決めて、堂々と写っている写真。

 何枚も、何枚も。何十ページにもわたって。

 おそらく桐乃がデビューしてからいままでの写真が、すべて大切に保管されていた。

 親になったことのない俺には、娘を持つ親父の気持ちなんて、分からねえ。

 だけどな、想像することくらいはできんだよ。

うれしかったんだろ? 感心しねえとか口ではいいながら、桐乃が写った雑誌買って、切り抜いて、集めてさ……」

「……鹿なことを言うな。娘の仕事とやらがどんなものか、俺がかくにんしなくてどうする」

 この言い草……。桐乃と血がつながっているだけのことはあるな。

「それで? 確認して……どうだったんだよ。親父がへんけん持ってたような、ちゃらちゃらした仕事だったのか」

 俺は、スクラップブックのページを一枚一枚めくりながら、言う。

「違ったんだよな。でなきゃ、アイツの仕事ぶりを、こうして宝物みてーに取っておいたりしねえ……そうだろうが」

 つなわたりのようなきんちようかん。俺と親父の目が合う。おっかねえ。俺はひるまず、目をらさない。

 親父は長い息を吐いた。

はばかる必要のない仕事だ。あの格好は、いまもどうかと思うがな」

「じゃあ、これはどうだ」

 おれは胸ポケットから、最後の写真を取り出した。

「!」

 そこに写っているのは、きりと、黒猫と、おりの三人。

 これは沙織が今日きようけいたいカメラでったばかりの写真なんだそうだ。

 スタバで桐乃と話したとき、あいつの携帯に入っていた画像データを、預かってプリントアウトしたもんさ。……画像を借り受ける際、かなりもめたけどな。

「これは、はばからなきゃならないようなもんか?」

「…………」

 オフ会で撮られた、桐乃と、友達の写真。

 三人が寄り添って小さなフレームに収まっている。

 一人ひとりは前に腕をのばし、ひようひようと携帯カメラを構えていて。

 あとの二人ふたりは、いがみあいながらも、なんだかんだ言ってカメラにせんをくれている。

あくえいきようしかねえ、くだらないしゆか?」

 さわがしいおしやべりがいまにも聞こえてきそうな……しかめっつらの中に本心が見え隠れしているような……そんな微笑ほほえましい写真だった。少なくとも、俺にはそう見えた。

おやは認めたくないのかもしれないがな──これがあいつが得たもんなんだよ!」

 それは──

「このアルバムで家族といつしよに笑ってる桐乃も……モデルの仕事で、流行の服着て、格好良くポーズを決めてる桐乃も。オフ会でオタク友達と並んで、しかめっ面でさわいでる桐乃も──! 全部があって、初めてアイツなんだよ! 一つでもかけたら、アイツじゃなくなっちまうんだよっ!」

 いま俺が叫んだのは、いつか聞いた桐乃の言葉だ。

 だけど俺は、あいつの代わりに言ってやったわけじゃない。

 いま親父にぶつけたこれは、腹の底からき上がってきた、俺自身の言葉と感情だ。

 胸ぐらをつかみあげて訴えた。

「いいか……! これを見て、まだアイツの趣味を認めねえってほざくんなら……! 桐乃の代わりに俺が親父をぶっ飛ばすぜ!? なんも知らねぇくせに、テキトー言ってんじゃねえよ!」

 親父はげんぜんと俺を見据えたまま、ほんのわずかに……目を見張ったようだった。

 やがて感情をまじえない声で、こう返事が来た。

「……おまえの話は分かった」

 ごくどうヅラに血管が浮かび上がって、すさまじいぎようそうになっている。

 マジ鬼そのもの。胸ぐらを摑みあげている俺の方がひるんじまう。

「くだらんと言ったのは、ひとまず取り消してやる。たしかに俺は、何も知らん。へんけんでものを言ったことは、認める。いいだろう。おまえに免じてきりしゆを許してやってもいい」

「……ほ、本当か!?」

 おれはいま、おやに向かって自分の気持ちを全部ぶちまけた。

 勢いまかせに叫ぶばかりで、筋道だったろんなんざカケラもない、ぐちゃめちゃのたんがん

 それでも、必死に訴えかけりゃあ、伝わるもんはあったんだろう。

 桐乃の趣味を許してやってもいい──この台詞せりふを引き出せた時点で、この勝負は俺の勝ちだ。

 しかし親父は、こう続けた。

「同じことを言わせるな。ただし一部だけだ。あのケースに入っていたような、いかがわしいしろものは許すわけにはいかん。これは良い悪いの問題ではない。俺がそういったものに無知なのも、へんけんを持っているのも関係ない。18禁という表記の意味を考えろ」

 ついにこの台詞が来たか……。俺は親父の胸ぐらから手をはなし、にがい顔でちんもくした。

 親父の台詞はちようせいろんではある。18禁なんだから、そりゃあ18歳未満のヤツが持ってちゃまずいだろうよ。

 だが仮にここで親父の言うとおりにしたなら……桐乃のコレクションの大半を捨てることになっちまう。それじゃ意味がねーんだ。

 どう考えても、これは親父が正しい。正しいが……反論の余地はある。たぶんこの台詞が来るであろうことは、おれにも分かってたからな。一応……対応策くらい考えてあったさ。

「…………」

 考えてあるんだけど……な。正直言って、これだけはやりたくなかった。

 かつてないかつとうが、俺の中で荒れ狂っている。

 本当に、いいのか? あんな妹のために、俺がそこまでしてやることがあるのか──と。

 だが、今日きようの俺は、どこまでもおかしかった。ありえないほどいかれていた。

 なもんだから……俺ののうは、この方向性で突き進むことについて、と承認したんだよ。

 俺は言った。

「…………き、きりねんれい制限のあるモノなんて、持ってないぜ?」

 以上の台詞せりふを聞いたおやは、心を落ち着けようとしているかのように両目をつむり、ぶたふるわせている。そして突然、くわっと目を見開いた。

「ぐぇっ!」

 俺は、えりくびを引き千切る勢いでつかみ上げられ、それから後頭部をメリッとロックされ、DVDケースへと目を向かせられた。うぎぎ、超痛いっす。

 ケースの中には例のブツ。さんぜんかがやく18禁の表記。

「貴様……このにおよんでウソを言うのか……!?」

「ち、違うんだって!」

 俺はあいつらからを得て、変わった。バカになった。恥ずかしいやつになった。

 だからこそ、こんなムチャクチャな策を実行しちまうんだろうよ。

!」

 われながら、しようがい最悪の台詞だったね。

「だからこれは絶対桐乃のじゃねえ! 俺が預かってもらってた俺のもんなんだって! だったら捨てなくてもいいだろ!?」

 もう二度と見られない光景だろうから、かつもくするといいぜ。

 デコに血管ビキビキ浮かべた悪鬼が、無表情で突っ込みを入れてくるところをな。

「……よく知らないが、これはパソコンに入れて遊ぶゲームなのだろうが……この家で、パソコンは……桐乃しか持っていないはずだ……」

 お、思ったより詳しいじゃねえか……。俺の脳は、しゆんわけを思いついた。

「そ、それは、桐乃にパソコン借りてやってたんだって!」

「……ほ、ほほう。……お、おま、おまえは妹ので、妹のパソコンを使って、妹にいかがわしいことをするゲームをやっていたというんだな?」

「超おもしろかったぜ! 文句あっか!」

 がんめんをブッ飛ばされた。俺は盛大にスッ転がって、かべにぶつかった。

 ドアホか俺は!? そこはせめてノーパソ借りて部屋でやったとか言っておけよ!?

「…………ぐうっ……うう……」

 視界がチカチカしやがる。口の中に血の味が広がっていく。ぐらんぐらん頭痛がして、しきが急速にぼやけていく。あ、も、ダメだな……コレ……死んだかも……。

 だが、まだだ。ここで終わってたまるかよ……!

 おれは、ぶったおれたままキッと顔を上げ、涙ながらに訴える。

 さあ聞くがいい……! 俺の聖人のごとき、清らかなるわけを──!

「とにかく、アレは俺のなんだって! 高校生だって、18禁のエロ本くらい持ってたっていいだろ!? お袋だって、ベッドの下のコレクション、持ってていいって認めてくれてるもん! そのゲームだってエロ本と同じようなもんだろが! なんか違いがあんのかよ!? えぇオイっ! ねーよなぁ!? だからゼッテー捨てねぇ──よ! ふへアはは! だれになんと言われようがな、命をけてまもり抜くぜ! よっく聞けよ、おや。俺はなあ、アニメも、エロゲーも、超・大・好き・だぁ────っ! 愛していると言ってもいいね! こいつを捨てられたら、俺は俺じゃなくなっちまうんだよ! エロゲーは俺のたましいなんだよ……っ!」

 俺は最後の力を振り絞り、ヤケクソ混じりに叫んだ。


「分かったかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!」


 魂の叫びをその身に受けた親父は、立ちくらみを起こしたようによろめいた。

「こ、この……この……」

 頭部に強烈ないちげきわれたかのようにこめかみを押さえ、

「バカ息子むすこが!! 勝手にしろ!! 俺はもう知らん!!」

 かつてない大絶叫! ここまでブチキレた親父を見たのは生まれて初めてだ。

 だが、俺を殺すつもりはないらしい。はぁはぁと肩を上下させていた親父は、くるっと背を向けて、足音を立てて去っていく。

 よし、勝った。俺は鼻血まみれのがんめんを押さえ、にやりとみを浮かべる。

 フッ……どーよ、きり……おまえのコレクション……一つ残らずまもってやったぜ?

 へっへっへっ……まったくしまらねえ、俺らしいてんまつだけどな。


 こうさかにぎわせたそうどうが一件落着した、翌日の朝。

 俺がいつもの待ち合わせ場所に着くと、眼鏡めがねおさなみは、いつものようにすでに先に着いて待っていてくれた。そしてやはりいつものように、かばんをスカートの前で、ぱたぱた振りながら、にこやかに俺を呼ぶ。

「きょうちゃん、おはようっ」

「おう、おはよう、

 ごくごくありふれた、どこにでもある朝の一幕。

 あー、安らぐ。やっぱおれの日常は、こうでなくっちゃいけねーよ。

 俺の名前は、高坂きようすけ。近所の高校に通う十七歳。

 自分でいうのもなんだが、ごく平凡な男子高校生である。

 地味で普通なおさなみと、も、のんびりまったり学校に行く。

 どうだい、ちょっとうらやましいだろう? 普通っていうのは、周りと足並みそろえて、地に足つけて生きるってことで。なんってのは、危険が少ないってことだ。

 ぼんようばんざい。ビバ、普通の人生だ。

 でもまあ、非凡で危険な生き方も、あれはあれでいいもんだよな。

 と──最近はそんなふうにも思えるようになってきた。

 楽しくて、にぎやかで、ときに痛々しくて恥ずかしい。

 みちつらぬく、地に足つけない、空を飛ぶような生き方。

 俺はそいつを、この身をもってたいけんしたってわけ。

「きょ、きょうちゃん。どうしたのーっ、その顔」

「ん? ああ、これか」

 そんなにおどろかれるほど地味なツラをしてるのかと思ったわ。ま、それは否定しねえけど、が言ったのは、俺のがんめんにでかでかと張られた湿布薬のことだろう。

「まあ、なんだ。……いろいろあってな」

 まったくなあ。ほんっと色々あったもんだ……。俺の人生の中でも、ここしばらくの出来事は、特別のうこうで──たぶん一生忘れられない。

 クソ生意気で、俺のことをゴミみてーに嫌っている妹。秘密のしゆと、人生そうだん

 俺はあいつと、ここしばらくで何十年分もの会話をかわした。いままで知ろうともしなかったあいつのことを、ほんのちょっぴりくれーは、分かった気がする。

 だけどな。それで俺たちの冷めた関係が変わったかというと、そんなわけもない。

 相変わらず俺は、妹のことが大キレーだし、どうでもいいと思ってるし。

 あいつはあいつでいままでどおり、も俺を、ぼうの石ころみたいに無視してくれたぜ。

 ま、世の中そんなもんよ。そうそう変わりゃしねえって。

 ふん、おかしいと思うかい? あんだけイベントこなして、あんだけじんりよくしてやったんだから。妹の好感度は、その分ぐーんと上がってなきゃあワリに合わねーだろうって?

 冗談じゃねーよ! 気味悪い想像させんなや! 第一ゲームじゃねえんだからさ、人生ってのは基本ワリに合わねーもんだと思うよ? 特になぜか俺の人生はな!

 おおっと、こうふんして話がれたな。戻そう戻そう。えーとな。たしかに昨日きのう、俺は、妹を助けてやったさ。おやを説得して、あいつの趣味を認めさせてやった。

 だけどそんなのはさ。別に、かんしやされたくてやったわけじゃねーのよ。見返りを求めてやったわけじゃあない。どっかのだれかの台詞せりふじゃねーけどさあ。

 おれは、俺のやりたいようにやっただけなんだ。自分勝手に、おせつかいを焼いただけ。

 だからその結果、得られる対価ってのは、自分の中にある。誰かにもらうもんじゃあない。

「そっか……。色々あったんだぁ……」

「おうよ。色々あったのさ」

 もらうもんじゃあねえんだけど。

「お疲れさま、きょうちゃん。……がんったねぇ」

 事情を全然知らないおさなみの、そんなゆるーいねぎらいだけで。

「まーな」

 俺は、十分にむくわれた。


 その日のほう。学校から帰宅すると、いつぞやと同じように、妹がリビングで電話をしているところだった。

「ただいま」

 一応のれいとしてあいさつしてみるが、返事がないどころか、こっちをチラリとも見やしない。

 セーラー服姿のきりは、ソファに深く腰掛け、超短いスカートで足を組み、けいたいに向かって何やら楽しそうにけらけら笑いを振りまいている。

 その笑顔えがおはなるほどかわいかったが、それが俺に向けられることは今後もないだろう。

 とか思っていたら、

「はああっ!? ちゃんとたのアンタ!? DVD版の方だよ!? じゃあどうしてそういうけつろんになるワケ!? 信じらんないっ、これだからじやがん女の感性はさあ──! ……も、いい。……アンタいい加減、ちゆうびよう卒業した方がいいよ。じゃあね」

 どんな会話だよ……。

 電話を切るや、らんぼうに携帯を放り投げた桐乃に、俺はかなり引いてしまった。

 ま、こいつはこいつで、以前とは、少し変わったのかもしれねーな。

 俺なしでもくやってんじゃん……なぁ?

 なにはともあれ、これで桐乃の悩みは解決だ。

 だから今度こそ、ガラでもねえ人生そうだん……俺の役目はおしまいだ。

 俺は心の中で独りごち、ぱかんとれいぞうを開けた。パックの麦茶を取り出し、グラスに注いで一気にあおる。

 ふぅ……万感のおもいで息を吐く。

 安心感と、満足感と、ほんの少しのさびしさがのうぎる。

 俺は肩をすくめて、その場を後にしようとしたのだが。

「ねぇ」

「……あん?」

 ドアノブに手を掛けたところで呼び止められ、おれは振り向いた。

 すると妹は、いつものすげない調ちようで、とんでもねえことを口走った。

「人生相談、まだあるから」


 ……………………マジで?


 あまりの絶望に、俺は、じわ……と、目に涙をにじませた。

 ドアノブをにぎめたまま、固まる。

「それと──一応、えと……」

 そんな俺に、きりは、口ごもりながら目を合わせる。

 たった一言。照れくさそうに微笑ほほえんで、

「ありがとね、兄貴」

 はっきりと、そう言った。

 それから、ふいっとそっぽを向いてしまう。

 心なしか、ほおが赤かったかもしれない。

「…………………………」

 おれは、大口開けて、目ぇ見開いて、ぜんとするしかなかったね。

 だってよ。幾らなんでも、ありえねぇだろうが……。

 自分の目と耳を盛大に疑いながら、俺はこうおもったのさ。

 俺の妹が、こんなに可愛かわいいわけがない──ってな。

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俺の妹がこんなに可愛いわけがない @TSUKASAFUSHIMI

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