エピローグ

 翌日も、空は快晴だった。

 シャナ、本日のスコア、午前四時間で無視三、対決一を経た昼休み。

 今日は誰も、外に出て行かない。

 昨日起こった、よしかずの告白未遂、さかゆうの敵前逃亡、ひらゆかりの強制連行という三大事件によって、教室は朝からみような緊迫の内にあった。それなりに会話もしているが、声のボリュームはどこかしぼられがちである。

 その雰囲気の中にあっても、悠二は全くいつものように、かばんからおにぎりを取り出す。

(僕の中に『れいまい』が転移してきたのは、偶然だ)

 悠二はこの雰囲気を、あえて無視している。正直、昨夜のことで頭がいっぱいだった。

(僕が、自分の人格を無くすほど弱っていない内に転移してきたのも、偶然だ)

 その悠二の代わりに、メガネマンいけが机を寄せたりを持ってきたりしている。ああいうことがあった後でも、一緒に昼飯を食べさせるつもりらしい。うま根性かショック療法か、いずれにせよ大きな御世話ではある。

(そういう僕の所にシャナが来たのも、それでフリアグネのたくらみに気付けたり、倒せたりしたのも全部、偶然だ)

 シャナは、これも例によってというべきか、ほかが集まってくるまで待ったりせず、さっさとメロンパンをうれしそうにほおっている。昨日のようなことがあっても、呼び方以外に特別、扱いが変わっていないのは、喜ぶべきか悲しむべきか。

(でも、そんなことに感謝したり運がよかったとか言っても意味がない……僕が今こうやって、自分のことを考えられるだけの力を持っている、その中でできることをする、それだけを分かっていれば十分なんだ……そう、僕がなんであるのかさえ、どうでもいいことなんだ)

 シャナが、ゆうの視線に気付いて、にらみ返してくる。

(結局、なんでもないことなんだよな……あの戦いで気付いたことは)

 はたには『見つめ合う二人』とでも見えたのだろうか、前のに座ったいけが、ゴホン、とせきばらいしたが、無視する。

(……今あることがすべて、か……改めて言葉にするとちんだけど、まあ『本当のこと』なんて、そんなものなのかもな)

 さらにとうが、わざとらしく口笛を吹きながら横の席についたり、その向こうに座ったなかが足でつついてきたりもするが、やはり無視する。

 が、

「……あ、あの……ゆかり、ちゃん」

 唯一無視できない声が、悠二を物思いから引き戻す。

 よしかずだった。見れば、彼女は、なぜか悠二ではなくシャナの前に、か細い体を一杯に緊張させて立っている。くちびるを強く引き結び、シャナを必死の気迫を振りしぼって睨んでいる。

 無論シャナは、そんな視線をそよ風ほどにも感じない。げんな顔で、簡潔にく。

「なに」

「……わ、わ、私……」

「?」

 もつれながらの声は、最後だけはしっかりと、響いた。

「負けないから」

 教室内がどよめく。

 吉田一美が、ひらゆかりに。

 教室中が、この吉田の宣戦布告と、それが巻き起こすかもしれないそうどうせんりつした。

 ところが、宣戦布告を受けた当のシャナは、その言葉の意味がさっぱり理解できない。首をかしげてから、悠二にく。

「何の話?」

 よりにもよって僕に振るな……とゆうは言いかけて、よく考えると自分がちようほんにんらしいことに思い至った。もちろん、こういう状況をうまく切り抜けられるだけの経験はない。

 あわあわと、どう説明すべきか迷っている間に、よしはシャナの対面に座っていた。シャナも、悠二に返答を強要するわけでもなく、不審気に吉田を観察している。

 不穏な局面がとりあえず流れて、悠二はほっとする。そんな情けない自分を、

(……しようがないだろ、こんなこと、僕は色々と初めてで……)

 と心中で自己弁護する、その前に、細い指に押された小さな包みが一つ、机の上をすべってきた。カチカチになった細い指は吉田のもので、押されてきた包みは、弁当箱だった。

「……ええ、と……」

 悠二が顔を上げると、吉田は逆に顔を伏せている。今にも机に突っ伏しそうに緊張した声で言う。

「……いつも、その、おにぎりばっかり……だから」

「ど、どうも、ありがとう」

 吉田のようにしどろもどろに、悠二は礼を言う。

 吉田とおそろいの物らしい、小さな弁当箱。可愛かわいはしばこまで付いている。

 この非常にぼくな好意に、思わずジンとなる悠二だが、同時にもうれつな後ろめたさも襲ってくる。恐る恐る隣を見ると、シャナがこっちをジロジロ見ている。弁当箱を追って、こっちに視線を移したらしい。

?」

「あ」

 その強く響きすぎる声で発された言葉は、教室内に、今度は不穏などよめきを起こした。

 悠二の全身に、だらだらと冷や汗だか脂汗だかが流れる。

 シャナは単純に、吉田の行為の説明を求めただけだ。そして悠二にとっては、この呼ばれ方こそ、晴れて彼女に一人格として認められたあかし(推測)……なのだが、悲しいかな、今の状況で、そう受け取ってくれる者は、まずかいだろう。

 あんじよう、戦況の複雑な推移を静観していたいけが、まゆひそめて言った。

「……さか、おまえ、そうか」

「いや、これはそういう意味じゃ……」

 と否定しようとして、ふと考える。

 昨日のこと、あのときのこと、自分は、シャナのことを、どう思っていたか。

 そういう感情なのか、違うのか、よく分からない。

 もっと深いような、もっと強いような、でも、そもそも自分は、そういう感情を知らない。

 あれが、そうなのだろうか。

 ……などと色々思う内に、ほおが熱くなってきた。自分でも、どうしようもない。顔が真っ赤になっていると自分で分かるほどの、ちやちやな熱さだった。

「な〜るほど、うんうん、やっぱり。がんれよ、色々と」

 と隣席のとうが、ニヤニヤして肩をたたく。

「……我々に黙って、そういうアレをナニするとは……いい度胸だ」

 田中はほおを怒りに引きらせている。

 周囲でも、

「まあ、聞きまして、奥様?」(男)

「なんてことざーましょ!」(これも男)

 などと、今までの重苦しい沈黙の反動のような騒ぎが、あえて彼らの方に顔を向けずにき起こっていた。口笛まで多重奏される。ほとんど昼飯のさかな扱いである。

 その騒ぎの中、それでもよしゆうを見て、宣言した。

「……負けませんから」

 彼女は顔を伏せずに、正面から悠二を見ていた……むっときてはいるようだったが。

「は、はあ、はい」

 悠二は、おどおどと答える。

 シャナが、その様子にピンとくる。悠二が、またあの表情を、吉田に向けている。笑う直前のような、困りきったような、変な顔。その手は、もらった弁当箱に添えられている。

「……」

 なんだか、非常におもしろくない。昨日のように、悠二を連れて飛び出したくなったが、今日はその理由がない。どうしようか、と冷静を装った顔の内で考える……そして半秒の後、自分の前に置かれたものが目に入って、ぱっ、とやるべきことが浮かぶ。名案のように思われた。

「……」

 シャナは、おもむろに食料袋からチョコスティックの箱を取り出すと、悠二の前に放った。

「…………?」

 このとうとつかつ予想外の、まるではとえさでもやるかのような行動に、悠二はぽかんとなった。

 こればかりはいつものように、簡潔に状態を表す声がかかる。

「あげる」

「へ?」

 悠二が見れば、シャナはもう知らん顔をしてメロンパンの残りをかっ喰らっている。どこかうれしそうな、というか得意げな様子なのは、たぶん、気のせいではない……と、その前に座る吉田が、ますますむっとなっているのに気が付いた。あわてて弁当箱を開く。

「い、いただきまーす」

 そうすると、今度はシャナが横目でけわしい視線を送ってくる(のを感じる)。

(い、いったい僕にどうしろってんだ……)

 ゆうはこのはつぽうふさがりの状況をすように、やけにおかずが多くてしい弁当の賞味に専念する。味は最高……なのにどこか、ほろ苦かった。

 やがて、しようこう状態に入ったらしいさかなに飽きたクラスメートたちも、それぞれの話題に戻っていった。朝からの緊張も忘れて、いつものように、昼休みを楽しみ始める。

 このざわめきの中、悠二は、自分の置かれた立場に、改めて嘆息する。

 昨日までのものとは違う、今への思いを込めた、ため息だった。

(……つまり、『本当のこと』だろうがなんだろうが、気付いた所で、らくができるわけじゃないってことか……)

 でも、楽が楽しい、とは限らないわけで。

(言い訳かなあ、これは)

 悠二は、ほんの少しだけ、笑みを作る。

 だんくしくわえたシャナが、その悠二の表情を見て、こっちもほんの少しだけ、ほおゆるめる。

 話し声にく教室の窓からのぞく空は、今日も快晴。

 世界は変わらず、ただそうであるように、動いている。

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灼眼のシャナ @YASHICHIROTAKAHASHI

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