5 フレイムヘイズ

 思ってしまった。

 アラストールのフレイムヘイズが。

 と。なくしたくないと。

 そう、少しでも、思ってしまった。

 思ってしまっていた。

 そのことが、恐さを生んだ。

 ふと、おおを止めてしまうほどの、恐さを。

 でも、私は、アラストールのフレイムヘイズ。

 私がそうあるよう望んだ、だからある存在。

 それが、すべて。それが、私。

 私がそうあるよう望んだ、だからある存在として、私は選ぶ。

 戦うと。

 でも、あの〝ミステス〟は、どう言うだろう。

 助けて、と言うだろうか。

 あの〝ミステス〟に、助けて、と言われたら。

 私は、どうするだろうか。

 大丈夫、フレイムヘイズとして、戦う。

『シャナ、アラストール、あんたたちも、僕が利用できるというなら、そうするのがいい』

 なんて言葉。でも、私はそれに、なんと答えたか。

 そう、

『うん』

 と答えていた。

 そうだ、そういうことなのだ。

 私がそうあるよう望んだ、だからある存在として、私は選ぶ。

 戦うと。

 そのはずだ。

 でも、とても恐い。

 恐い、この私が、恐い。

 でも、恐いなら、かくしよう。

 私は、戦うことを、覚悟しよう。

 私は、アラストールのフレイムヘイズ。

 私がそうあるよう望んだ、だからある存在。

 ……

 戦うよ?

 なにを、言うつもり?

 私は、戦うよ?

 でも、胸が、すごく痛いよ。

 ……ゆう



 市街地と住宅地を結ぶ大鉄橋のたもとに、周囲から頭一つ抜いて、高くそびえるデパートがある。

 正確には元デパートで、今現在、営業しているのは地下街の一部となっている食品売り場だけ。地上部分は親会社の事業てつ退たいほうされていた。不況下で新たなテナントも入らず、いたずらに高いだけのビルは完全に空家である。

 もっとも、それは人間にとっての話。

 地上階の中ほどから上は、フリアグネ一党が運び込んだ無数の玩具おもちやや雑多な道具類によってめ尽くされていた。普段は、その合間や上を〝りん〟がゆらゆらと彷徨さまよっているところだが、今は完全なやみに閉ざされている。

 一党は全員、屋上のびれた遊戯場につどっていた。

 破れた丸テントやび付いたレール、ちたカート、雨水を溜めたアイスボックス……それら、楽しさのはいきよの中に、背景用の壁が取り払われた、アトラクション用の舞台がある。

 屋上のはしでもある、そのあちこち破れくぼんだ舞台からは、活力を表す市街地、だんらんを浮かべる住宅地、カーランプを行き来させるさきおおはしとその下をとうとうと流れる川、すべてが一望できる。

 その御崎市の頂点とも言える夜の舞台上に、整列するモノたちがいる。

 マネキン人形の群れだった。

 これらはもちろん、フリアグネの〝燐子〟である。皆、凹凸だけの顔と抜群のスタイルを、とりどりの様式と色彩によるウエディングドレスで着飾っていた。

 きらびやかさ以外、何も求められないドレスを着たマネキンが、夜風の中、身動き一つせず無言で居並ぶさまは、まるで悪夢の中のファッションショーのようだった。

 それらが薄く明かりを受ける夜景は、時がつにつれ、風が行くにつれ、まばらになってゆく。

 ただ静かに、夜が更けてゆく。

 その同じ、吹きさらしの舞台の片隅に、ゆうも座り込んでいた。もう何時間も、人ならぬ人垣の合間かられるあかりに、ぼんやりと向かい合っている。

 こうそくさえされていない。無力な〝ミステス〟程度に、そんなものは無用ということだろう。フリアグネは彼を軽く扱っていた。彼という存在がまだある、それが何よりのあかしだ。

 ここで意識を取り戻した悠二は、すぐにでも自分の中のほうを取り出され、消滅させられるのでは、と構えたが、彼を見下ろしたフリアグネは、薄笑いとともに、こう告げた。

『君の目の前であの子を殺す、あるいは、その逆になるかもしれないが……いずれにせよ、ただ戦うだけじゃあ、物足りない。私のじやをしてくれた報いを、戦うだけではない苦しみを、誰かが味わうのを見なければ気が済まない……』

 薄笑いの向こうには、まさにほのおのような怒りがちらついていた。

 そして悠二は、そう告げられてからずっと、穴もきそうな舞台の上に座り込んでいる。

 頭の中では、あの少女が最後に見せた表情が、ぐるぐると回り続けていた。

 まずって、中の宝具をフリアグネから守って、その後でなおす、そうすればよかったのだ。

 最初に会ったときは、そうしていた。

 自分は、一個のトーチに過ぎない存在なのだから。

 ただ、身の内に宝具を秘めた〝ミステス〟という変わり種だった。

 そう、それだけ。

 それだけに過ぎなかった、はずなのに。

 おおが、止まった。

 止まってしまった。

 変えてしまったのだ、自分が、彼女を。

(僕が、あんな顔をさせてしまったんだ)

 ゆうはそのことを、どうしようもなく重く感じていた。自分のことになど、頭が回らない。いや、これは……彼女が変わったことは、自分の問題なのだ。彼女を変えてしまった、彼女にあんな顔をさせてしまった自分の問題なのだ。

 ほんの一瞬の気の迷いだったとしても、止まってくれたこと自体は、うれしかった。抱きしめたいほどのいとおしささえ覚える。

(でも、それはそれ、だ)

 あのときの彼女の顔。

 あれは、己の本質をるがされたことへの驚き、変わってしまった自分への怒り、そうさせたものへの恐怖、そして、取った行動への後悔と失望……それらを感じてしまった顔だった。

(なんてこった)

 と思う。どんなひどいことをするよりも、されるよりも、こたえた。

 そうさせてしまった自分が、彼女に、今さらでもしてやれる……いや、すべきことはあるか。

 ある。

 それは、彼女を、彼女として。

 フレイムヘイズたる彼女を、フレイムヘイズたる彼女として。

 彼女が、その自分を貫き通し、これからも強く生きていけるように。

 せめて自分が、そんな彼女の強さを受け入れるかくを持っている、と伝えるのだ。

 

(……やれやれ)

 悠二は、危うく浮かべそうになった苦笑を何とかしずめる。

(ずいぶんとしょってるなあ、僕は)

 また風がいちじん吹いて、古い舞台がきしみを上げる。

 それにられてか、マネキンたちの向く先、屋上の手すりの上に純白の姿を立たせるフリアグネが、首をかしげ、言った。

「……来ないね……?」

 その一番近くに立つ、純白のウエディングドレスで着飾ったマネキンが、あのマリアンヌとかいった人形の声で言う。

「ご主人様。もしかして、先の爆発で死んでしまったのでは……?」

 フリアグネはそれに、とろけるような甘い顔を向けて答える。

めてはだよ、マリアンヌ。アラストールのフレイムヘイズだ、生きているのは間違いない。それよりも考えられるのは、おじづいて逃げ出したってことだろうね……コレを見捨てて」

 このちようろうに、しかしゆうは反応しない。

 フリアグネは肩をすくめて、つまらなさそうな表情を見せる。

「……ふう、張り合いのないやつだなあ。せっかく色んなほうをそろえておもてなしの用意をしていたのに、残念だよ」

 突然、ちようを広げて悠二の前に降り立った。いたずらをたくらむ悪ガキのような顔を近づける。その両手には、いつしか宝具が現れている。

 右手には銃、左手には指輪。

「この二つ、なんだか分かるかい?」

 フリアグネは左手薬指、手袋の上からはめられた銀色の指輪をかざす。

 自分が集めた珍品を他者にひけらかし、おしやべりをするのが楽しいらしい。コレクターにはありがちな性格だった。自分が消されていないのは、実はこっちの理由によるところが大きいのではないか、と悠二はかん繰った。

「これは『アズュール』っていう、火けの指輪なんだ。さっきの爆発や、フレイムヘイズのほのおを防ぐ……もっとも、あの子には使うまでもないけれど」

 今度は、右手ににぎった銃のつつさきを、悠二のけんに突き付ける。ひどく古臭い、西部劇にでも出てきそうなフォルムのリボルバーだった。

「で、これがしんうち。百年くらい前に作られた、物すごい宝具なんだ。『トリガーハッピー』って言ってね……私の愛銃さ」

 その言葉の意味からすると恐ろしい状況で、フリアグネは得意気に説明を続ける。

「ほうら、ご覧の通り、弾はない」

 と弾倉を横に出して見せる。六つの穴の向こうに、フリアグネの顔が見えた。

「けど、この銃の形はただの、撃つという行為を表すための様式さ。弾なんかいらない。撃つ意思を持つ者が使えば、いくらでも撃てる。その効果は……なんだと思う?」

 不気味で薄い笑みを作りつつ、手首を返して弾倉を直す。

「実は」

 と、一秒も置かずに秘密を明かしにかかる。自慢したくてようがないのだ。

「この銃は、対フレイムヘイズ用の宝具なんだよ……っはは!」

 悠二は内心のしようげきを、かろうじて隠した。

 フリアグネは突然、深刻な面持ちとなる。相手のことなど考えない、自己満足のための説明。

「フレイムヘイズは、契約者が『過去・現在・未来』で自分が占めるはずだった存在のすべてを〝王〟にささげ、かわりに〝王〟が、空っぽになった契約者という器に、その力を満たすことで出来上がる」

 ゆうにとっては、意外に興味をそそられる内容だった。

「そうやって〝王〟の力を得た契約者は、持てる意思力と技量で〝王〟の力をこの世に引き出す。そして、この器の中に入るとき、〝王〟は己が存在を、その内に収まる程度にまで休眠させるんだけれど、この『トリガーハッピー』は、その休眠を破ることができるんだ。すると、どうなるか、分かるかい?」

「……」

 フリアグネは突然、悠二の目の前で、左のにぎこぶしを開く。

「ボン、と器は割れて契約者は爆死する……楽しいだろう?」

 にんまり笑うと、フリアグネは銃口を悠二からはずして、天に突き上げる。

 悠二はそれを見ないが、フリアグネは構わず続ける。

「そして〝王〟は、この世に無理矢理に現れることになる。ところが彼らは、この世に在り続けるだけの〝存在の力〟を、そもそも持っていない。だから、両界のバランスをくずすのを恐れる彼らは、すぐ〝〟へと帰ってしまう……つまり、私の完勝、というわけさ」

 と、不意に得意げな笑みが、苦笑に変わる。

「でも、街中でそれをやったらまずいんだ。なんせ、おちびちゃんの中に入っているのは、あの〝てんじようごう〟アラストールだ。街中でかつに器を割って出現させたりしたら、せっかく作ったトーチの多くを吹き飛ばしてしまうほどの大爆発が起きるだろう。だから、わざわざ決闘場を指定したんだ。ここなら、爆発が起こっても市街への被害は最小限で済むし……」

 悠二のあごに、いた手を添えて上を向かせる。

「呼びよせるためのえさとして、君も持ってきた」

 真夜中の月が、拳銃を手にして目を細める、純白の男の姿を浮かべている。

「そうして、ほのおも喰らわず、一撃で必殺する私が、確実に完全に、勝利する」

 なのに、と一転、への字口を作って、声の調子を落とす。

「あのおちびちゃんの性格なら、すぐにでも追ってくると思ったのに、正直ひよう抜けだよ。あれからトーチを消して引っき回すでもなし……なにを考えてるんだろうね?」

 要するに、それがきたかったらしいが、もちろん悠二が答えるわけもない。

 フリアグネも、さして期待していない。ぴっ、と手を払い、悠二から離れる。

(たしかに、なにを考えてるんだろうな……?)

 という悠二の思いは、フリアグネのものとはみように違う。

 実は悠二は、ここに来てから、ずっと感じている。

 どきん、どきん、

 という、胸を破るほどに、激しいどうを。

 ずっと。近くに。

 誰のものかは、分かりきっていた。今の自分には、はっきりと分かる。

 彼女だ。

 何をねらっているのか知らないが、ひたすらに待っているらしい。

(そんなに緊張するなよ)

 今度こそ、彼女は思い切りやるだろう。これも、はっきりと分かる。

(だから、緊張してるんだな)

 ただ自分をれいこくに見捨てるつもりなら、こんなに緊張はしない。

 自分に構わず戦うことを決意している、そのことに緊張してくれているのだ。

 彼女が戦いで、それ以外の理由で緊張することなどありえない。

 うれしかった。

 また、笑いをみ殺す。

(……ふふ、僕も相当、おかしくなってるな……)

 彼女が、自分に構わず全力で戦う。

 それは、自分が間違いなく、巻き込まれて死ぬ、ということだ。

 彼女が、自分を殺してでも戦うと決意している、ということだ。

 しかし、それでも嬉しく思う。

 彼女が自分を心にかけてくれている。それを実感できる。それを嬉しく思う。

 悠二はそういうさつばつとし過ぎている、いかにも〝彼女とのこと〟らしい自分の気持ちを、ごく自然に受け入れていた。納得さえできる。

(そう、あの子を変えてしまった、その責任というやつ…………、っ?)

 今、何かに触れたような気がした。

 大事な何かに。

 悠二がそれに思いを巡らせようとしたとき、彼女のどうが、さらに高まった。

(!)

 見つけた小さなとっかかりは、感じた鼓動の強さに流され、また胸の奥底に消える。

 フリアグネも、何らかの気配を感じ取ったらしい。ぴくりとまゆね上げる。

「ふふ、なにをモタモタしていたのやら……ようやく来たね?」

 その体の、薄白いちようらぎが大きくなる。

「さあ、おまえたちも」

 フリアグネが指輪をきらめかせる左腕を大きく払うと、長衣の影から様式も形状もまちまちな剣が数十本飛び出し、舞台の床に深く突き立った。

 ウエディングドレスを着込んだマネキンたちが不気味に動いて、各々剣を取り、戦闘体勢を整えていく。

 その中で、マリアンヌだけが動かず、その場にたたずんでいる。

 まるで、そんなものは必要ないとでも言わんばかりに。

 フリアグネは、そのかたわらに進み、とうぜんとした顔で語りかける。

「マリアンヌ、もうすぐ君を、一個の存在にしてあげることができるよ……君と私と、いつまでもいつまでも、一緒に生きよう」

 マリアンヌは、一言だけで答える。

「ご主人様」

 フリアグネは『トリガーハッピー』を持った手で純白の花嫁・マリアンヌを抱き寄せ、もう片方の手を、夜景に向かって突き出した。

 その指先には、あの〝りん〟を爆発させるハンドベルがある。

 戦闘準備は万全、というわけだった。

 その両脇に、剣を掲げたウエディングドレスのマネキンたちをかしずかせ、舞台の中央で花嫁を抱く優美な長身が、告げる。

「さて……えんぱつの子を、狩るとしようか」

 ゆうは、戦いの始まりを、感じる。

 非力な自分を巻き込むに違いない戦いの、始まりを。

(さあ)

 しかし、その顔には、笑みが浮かんでいた。

 強烈な期待と欲求の、笑みが。

 彼の目の前に来る、少女への期待と欲求の、笑みが。

(やれ!)

 ただそれだけが、心を満たす。

 自身気付かない、少女と同じ強い笑みが、悠二の満面に刻まれていた。

(いいから、思い切り、やれ!!)

 感じた。

 少女が答えるように、どうを痛いほどに早く、大きくする。

 そして、

(来た!!)

 舞台の、フリアグネたちの、真正面。

 きらめく夜景を背に、飛び上がった。

 しやくがんが、〝かりうど〟を、居並ぶマネキンたちを、出迎えのようにへいげいする。

 炎髪が、舞い咲く火のを流星の尾のように引く。

 こくがなびき、おおひらめく。

 それは、アラストールのフレイムヘイズ。

「シャナ!!」

 悠二は、一声だけ。

「銃に当たるな!!」

 その叫びが、マネキンのりで途切れた。

「……」

 その声を聞いたシャナは、笑った。

 泣きそうなほどに強く、燃えそうなほどに強く。

「……っはは!!」

「む、『フレイムヘイズ殺し』のほうか」

 その胸元、夜光を〝コキュートス〟に受けるアラストールが、状況を理解する。

 屋上に着地したシャナはうなずいて、しかしゆうを助けになど行かない。

(私がそうであるよう望んだ、だからある存在として、私は選ぶ)

 悠二の意思も、すべて感じた。

 決意もかくうれしさも……そして、それらを生み出す、小さな一つの気持ちも、感じた。

(戦う、と!!)

 もはや、自分のやるべきことを、

 マネキンたちの向こうに下がる〝かりうど〟フリアグネを追う。

 それだけだった。

 フリアグネの銃口が自分を指向したと見るや、シャナは横っ飛びに飛んだ。残した火のを貫いて飛ぶ弾丸を肩の横にすかすと、地をんで足裏を爆発させる。おお、必殺のとつが〝かりうど〟に向かう。

 が、その前をマネキンがふさいだ。

「っじや!!」

 攻撃は止まらず、足は留まらない。マネキンを大太刀でぶち抜くと、そのまま横に引きいて刀身を抜き、影から撃って来るフリアグネの第二弾から逃れる。その横り体勢のまま半回転、背後の一体の首を斬り飛ばす。

 フリアグネは、その間にシャナとの距離を取っていた。今度はハンドベルを振る。

はじけろ!」

 前方からシャナに迫っていたマネキンが一体、ぎようしゆくし、爆発した。

 シャナは、これを跳躍して、かわした。爆風が背を襲い、同時に前へと加速させる。

「!?」

 驚いたフリアグネは、別のマネキンの影に、飛んで逃れる。

 そのマネキンが、ブーケと一緒ににぎった剣を振ってシャナに迫る。

「っち!!」

 舌打ちしてシャナはマネキンの胴を断ち切り、またすぐ低く横に飛ぶ。

 半秒前にシャナの体のあった場所を、弾丸が抜けた。

 双方とも、ゆうの存在を無視している。

 フリアグネは、もう非力な〝ミステス〟などに、目もくれない。

 シャナはすでに巻き込むかくの上で戦っている。

「っと!?」

 もちろん悠二自身も、そのことを理解している。爆発にまぎれて、舞台から転げ落ちた。コンクリートをめるようにいつくばった自分のざまさに、思わず苦笑がれる。なぜか、恐怖は大して感じなかった。

(はは、まったく、格好悪いな)

 そのとき、

 キーン、とフリアグネのハンドベルが鳴った。

「!」

 悠二は、そのベルの音を感じた。

 何かを内に秘めた〝ミステス〟たる彼だけが持つ感覚で。

(……なんだ?)

 その音には、みような違和感があった。

 また、キーン、とフリアグネのハンドベルが鳴った。

りん〟が爆発した。

 頭を低くして、その爆風から逃れる。

(違うぞ、どういうことだ)

 今鳴った、二つの音色が、みように違っていた。

 ゆうは、これまでぎ澄ましてきた感覚で、その違いの意味を探る。

(鳴らせ!)

 鳴った。〝りん〟が爆発して、ほのおしようげきが頭上を抜ける。肩口が熱く焼ける感覚がある。

(くっ、知ったことか……鳴らせ!!)

 鳴った。今度は爆発しない。

 代わりに、その音色は深く広く、夜を渡ってゆく。

 また、鳴った。今度も爆発しない。

 ドクン、

 と悠二は感じた。感じたものに、そうけだった。

(これは……!)

 悠二はこの、感じたものを、知っていた。

 トーチの中にともっていたあかり、それに宿っていたどう

 フリアグネはさらに、マネキンを爆発させる以外に、ベルを鳴らし続ける。

 その度に、澄んだ音色がさき市全域へ、そこにひしめく無数のトーチへと響き渡ってゆく。

 トーチに宿る、弱いものには遅い、強いものには早い鼓動が、それを受けている。

 悠二は、自分の鼓動がやはり、その影響を受けないことも感じていたが、はもう、どうでもよかった。今、御崎市に起きていることを、考えねばならなかった。

(どういう意味が……?)

 また一つ、ベルが鳴って、

(!!)

 そして今度こそ、悠二はたどり着いた。

 トーチに込められていた鼓動が、ベルの音を受けて、加速されていた。

(……そ、そうか)

 悠二はせんりつとともに、知った。

 目の前で起きている爆発と、本質は同じなのだ。

 鼓動が加速される先に、ずべてが同時に迎える、一つの崩壊点があるのだ。

いつせい爆発させるための仕掛けだ!!)

 アラストールの声が、脳裏によみがえる。

『〝ひつぎおり〟は、己の喰ったトーチに〝かぎの糸〟という仕掛けを編み込んでいた。彼奴きやつの指示一つで、だいたいぶつけいがいを失って分解し、元の〝存在の力〟に戻るという仕掛けだ』

(単なる分解どころじゃない、爆発だ)

彼奴きやつは、ひそんだ都の人口の一割を喰らうと、仕掛けを発動させた。トーチはいつせいだいたいぶつとしての機能を失って元の力へと戻り、そうされていたつながりを突然大量に失ったその都には、人を物を巻き込む、巨大な世界のらぎが生じた』

(感じる、その大きさを……一割に満たなくても、この威力なら)

『その巨大な揺らぎは、トーチの分解に触発され、雪崩なだれを打つように都一つ、丸ごとがばくだいかつ高純度な〝存在の力〟へと変じた』

(十分、『みやこらい』を起こせる……!)

 あのハンドベル。

 あのハンドベルこそが、フリアグネの切り札だったのだ。

(くそっ、こうかつってのはまさにこいつのことだ!)

 連中は一見、戦力を自分で減らすだけでしかない自爆戦法を取り続けている。シャナにとって、フリアグネのハンドベルは、マネキンを爆発させる物でしかない。しかし、実はそれは、ハンドベルを鳴らすことの真意を隠すためのそう工作だったのだ。フリアグネは、自爆戦法の陰に隠れて、市全域でのトーチ一斉爆発を……『都喰らい』の成就を、着々と進めている。

 この狡猾な〝かりうど〟にとっては、前の自爆戦闘さえ、最後の戦いのための伏線だったのだ。

 フリアグネは、シャナと戦うために待っていたのではない。

 馬鹿正直にハンドベルを使って『都喰らい』を発動させていたら、シャナはそれを、しやねらってきただろう。最悪、先手を打って、自分が提案したトーチの消費をどんどんやってしまっていたかもしれない。

 だからフリアグネは、まだ『都喰らい』の準備は終わっていない、今は戦いに集中している、そう見せかけるための、を欲していたのだ。

 戦意にあふれるフレイムヘイズが、目前の戦いを優先させることを見越しての、はずれようのない計略だった。

(僕でなければ、このどうも、その意味も、感じられなかった……!)

 シャナたちは目の前の戦闘に集中している。必殺武器が自分をねらっているのだから当然だ。あるいはそれをゆうにひけらかしたことさえ、計算の内なのか。

(でも……逆転は、できる)

 悠二は、目の前の夜景を見る。

 今まで、全く気がつかなかったが、フリアグネが行わず、シャナが完全に失念していることを、やればいい。とにかく、ハンドベルの音を街に届かせなければいいのだ。

 そのために、行うべきことは、一つ。

(知らせないと!)

 それを叫ぼうとした瞬間、きんで爆発が起こった。

 叫びもかき消されて、悠二はコンクリートの床にたたきつけられた。

「…………っ、っ……!!」

 数秒の暗転。ゆうもうろうとした意識に、なんとか力を込めようとく。

(せめて、一声だけでも、力が)

 助けを求める声ではない、助けるための声を。

(……シャ、ナ……)

 あの顔を、見てしまったから。

 彼女を変えてしまった、自分の……、

(……)

 彼女を、変えた……?

(……ああ、そうか……)

 朦朧とした意識の中で、

(僕が、シャナを変えた)

 悠二はとうとう見た。

 そしてつかんだ。

 そう、消える運命にある、それがなんだ。

 自分が動かなければ、彼女が死ぬかもしれない。

 自分が動けば、彼女を助けられるかもしれない。

 そういうこと、それだけのこと。

 自分が本当に生きているかどうかなんて関係ない。

 自分が動くことで、変わるのだ。

 そういうこと、それだけのこと。

 死んでいる事も、死んだあとの事も、動ける今があるのなら、関係がない。

(生かす、か……なんだ、分かってたんじゃないか……)

 倒れる彼を再び爆風が襲い、ようしやなく転がした。

(動こう……ああ、そうとも、動けるさ)

 煙にき込み、じんみ、それでもさか悠二は、ほかすべて捨てて、一声の力を溜める。

 自分を、彼女を、生かすために。



 すでに残りのマネキンは、四体にまで減っていた。

 フリアグネを守る壁も薄い。

 実は、悠二にふいちようしたほどにフリアグネ主従は有利なわけではなかった。それどころか、自分たちが予想した以上の苦戦をいられていた。

 そもそも彼らは、自爆戦法を取る内に『みやこらい』が発動すれば、その混乱に乗じて逃げることさえ考えていた。彼らの目的は、マリアンヌの中にある『転生の自在式』の起動であって、フレイムヘイズとの戦いなど、そのついでに過ぎないのだから。しかし逆に言えば、彼らはその成就のない限り逃げることができない、ということでもあった。そして、何より欲しいその時間が、自分たちの命を守る戦力を目減りさせてしまう。

 この苦戦の原因は、簡単に言うと、誤算、だった。

 フレイムヘイズ必殺のほう『トリガーハッピー』がヒットしさえすれば終わる、という楽観的な前提を、彼らは持っていたのだ。実際ほかの、ほのおを自在に操る相手なら、とっくに勝負はついていたはずだった。

 ところが今、ゆうやくして彼らに襲い掛かってくる少女は、違っていた。

 相性というものの、これは最悪の展開だった。

 他のフレイムヘイズなら、まず炎を主力に使ってくる。だから、けの指輪『アズュール』でこれを防いでいる内に、必ずすきができた。

 しかし、この少女、は、剣しか使わない。いや、使えない。最初から隙などできようはずもないのだった。そして、その剣の腕、それだけは圧倒的なまでに、強い。

 大した敵ではないという認識が、自分たちの優位性が、本来どこに根ざしていたのかを、フリアグネ主従はから、見落としていたのだった。

 彼らは、苦戦する内にようやくそのことに気付いたが、もはや退しりぞくには遅かった。今や『みやこらい』の発動とフリアグネの命は、ぎりぎりの死線の上で綱引きをしている。からみに絡めたさくぼうが、いつしか自分たちをもそくばくしてしまっていたのだった。

 シャナの方は、全く単純である。どんなたくらみをしていようと、とにかくフリアグネをたたつぶせば終わりだ、と断定している。目の前の戦闘に勝ちさえすればいい、そう思っている。その単純さが、結果的に戦況を有利に展開させていた。


(……ご主人様)

 純白の花嫁が、かたわらで、わずかにあせりを顔に浮かべる主に語りかける。

だ、マリアンヌ)


 シャナのみ込んだ先に、またドレスのマネキンが立ちふさがる。

「どけ!!」

 強い笑みが浮かぶ。どいつもこいつも、全くの無能だった。剣の腕も力も、せいぜいフリアグネの射撃の援護としてしか使えないようなばかりで、ごたえというものがまるでない。


(しかし、このままでは、ご主人様のお命まで……逃げることも、今となってはなんわざです)

 フリアグネが、をこねるように首を振る。

だ、マリアンヌ!)


 マネキンが振り回す剣に、シャナは軽くおおを合わせてその切っ先を巻き込み、やいばらす。そのかんげきみ込んで、肩から一撃、体当たりを喰らわせる。

「っは!」

 吹っ飛ぶマネキンを、返しで二つにって飛ばす。


(ご主人様がち滅ぼされれば、私も生きてはいられません……しかし、その逆は違います)

 純白の花嫁、その内にあるいとしいぬいぐるみに、哀願するように顔を向ける。

(駄目だ、マリアンヌ!!)


 マネキンたちの剣にも、それぞれいわくや特別な効果があるのだろうが、シャナが持つじんつうの大太刀『贄殿にえとののしや』は、そういうちからすべて打ち消す、ある意味最強の武器だった。特定の、あの武器殺しのほうでもなければ、何も恐れることはない。

「あと三つ!!」

 ただの剣術でも、こんなやみくもに突っ掛かってくるだけの、動きにくそうな格好の人形に遅れをとるわけもない。


(マリアンヌ、私は君のために、すべてを……!!)

 二人の夢の姿、マリアンヌの花嫁しよう。その白絹の手袋に包まれた左手が、フリアグネの泣き顔に触れ、右手がハンドベルに添えられた。ベルを、らす。

(ええ、ご主人様……私も、同じなのです……それができることを、私はうれしく思っています)


 シャナの前に映る、残り三体のマネキン、その内の、前に立ちふさがる二体がぎようしゆくする。しかし、もうその手は通じない。

「むっ!」

 シャナは爆発に備えるため、こくすそを、いくにも身の回りに巻いた。フリアグネの銃撃の目標にならないよう、ステップを横にむ。すさまじい爆発のしようげきたたかれ、黒いつつのように転がるが、傷というほどのものは負わなかった。素早く体勢を立て直す。


(ご主人様の持つ、オリジナルの自在式があれば大丈夫、同じ式で組み立てられた私の修復も可能でしょう)

 できるかどうかも分からないことを、それでもマリアンヌは口にして、け出した。

(マリアンヌ!!)


 こくぼうぎよを解いたシャナの正面、爆発の真中から、純白のウエディングドレスを来たマネキンが突然、もうしんしてきた。

 しかし、

(破れかぶれ!)

 とシャナは判断した。後続はない。この一体だけ。しかも、このマネキンは何も持っていない。爆発するつもりだとしても、その前に、る。

 斬れば、火花となって散る。爆発は起こらない。


(きっと、修復してください。約束ですよ、ご主人様……私も、と……)

 誓うことで、マリアンヌは、愛する主を守るための行動を、許してもらう。

 誓いのこうなど、重要ではなかった。

 主のためにできることすべて、今こそがまさにその、全て。

(マリアンヌ!!)


 シャナのおおが、真正面から純白の花嫁を両断した。

 これで、爆発はしない。

「あとは……!」

 フリアグネだけ。

 シャナは、真っ二つになったマネキンの間を抜けるように、前にみ出した。

 その、わずか一歩の、油断。


(ご主人様のために……が、欲しかったのよ!!)


 分かれたマネキンの体の中から、伸びた。

 金のくさりが。

「う!?」

 シャナが思わずかざした刀身に、がりり、とそれはからみ付いていた。

 散った薄白い火のの中から、まつな人形の〝りん〟マリアンヌが現れた。その手からは、武器殺しのほう『バブルルート』が伸びている。

 シャナは、彼女が最初のときのように、体を二重に持っていたことを思い出し、あせった。

「っく、しまった!?」

!!」

 たましいの叫びが、想い人を動かした。

「マリアンヌ!!」

 ハンドベルが、鳴る。

(まずい!!)

 シャナはとっさに、人形に引き寄せられるおおから手を放す。

 マリアンヌがぎようしゆくし、シャナをきんからの爆発で吹き飛ばした。



 破裂の余韻を残す夜気の中、

「……う、う……」

 金網も吹き飛んだ屋上の縁で、ぼろぼろになってひざをつくシャナは、えつを聞く。

「……ううう、うう……私のマリアンヌ……私の、マリアンヌ!!」

 嗚咽は、銃口の向こうから来ていた。

 けんに突きつけられた銃口の向こうで、白いゆうのように立つフリアグネが、泣いていた。

「できるとも、するとも、マリアンヌ! ここで得られる力、すべてを使ってでも、君をよみがえらせてみせる……そして」

 その右手には、フレイムヘイズ必殺の銃、『トリガーハッピー』がにぎられている。

「この世で一個の存在にしてみせる!!」

 その左手には、『みやこらい』を起こすハンドベル、『ダンスパーティ』が握られている。

「……そして、いつまでも二人で生きよう、二人で……」

 フリアグネは、噴出する悲しみに狂喜を混ぜた。

 差し出す銃口の前に、ぼろぼろになってひざをつく、憎きフレイムヘイズがいる。

 秘法『都喰らい』は、最後の仕上げ、一打ち、二打ちを残すまでになっている。

 右手と、左手。

 フレイムヘイズ殺しと、『都喰らい』の成就。

 フリアグネは、じや者を排除し、愛する者の復活を望む。

「……だから、まず、死ね」

 満面を満たす悲しみと狂喜に、さらに怒りが混じる。

 トリガーにかけられた指に、力がもる。

「フレイムヘイズ……この、討滅の道具が!!」

「……っ!!」

 シャナは全身をさいなむ激痛の中、みする。

 さっきの〝りん〟の爆発を至近に受けて、体はぼろぼろだった。もう、走るどころか、立ち上がることさえできない。腕も、せいぜい一撃の力が残っている程度。しかも手にはおおがない。けんに必殺武器が突きつけられている。

(……なにも、できない……!?)

 いらちと怒りが立ちのぼる。しかし今、何をなすべきか、それさえ分からない。

 そのとき、

ふうぜつだ!!」

 れきの中からい出たゆうの叫びが上がった。

「っな!?」

 フリアグネが、その突然の声に、彼のたくらみを看破した声に、きようがくした。わずかに視線が悠二の方へと流れる。

 その、ほんのわずかな間に、シャナは悠二の指示を実行していた。

「……!!」

 しやくがんが、力を振りしぼる。

 れんもうが視界をめ、彼らをこの世のいんから孤立させる。

 さき市をるがすハンドベル『ダンスパーティ』の音は、もう外に届かない。

やつの企み、封絶、まだベルを持ってる、トーチのどう、〝りん〟の爆発、ねらいは!!)

 シャナは封絶の意味を、フリアグネの思惑を、流れるような思考の末に、さとる。

め…!!」

 フリアグネが制止の声をかけ、トリガーに力を込めた。

 せつ

「っはあ!!」

 シャナは、自分に残された最後の力で、床にあったガラスの破片をつかいつせんっていた。

 目の前にあるものは、二つ。

 自分の命を確実に奪うだろう、銃をにぎった右手。

 悠二が叫んだことの意味、ハンドベルを持つ左手。

「そう。私はフレイムヘイズよ」

 シャナは、自身を誇り、斬っていた。

 左手を。

 ハンドベルを。

 宙高くばらける指とともに、ハンドベルが、真っ二つになっていた。

「き」

 フリアグネは、ばらけ飛ぶ自分の指と、秘宝『ダンスパーティ』を、見る。

「っ」

 この光景の意味を、理解する。

 もう、ふうぜつが解けても、意味がない。

 計画を、『みやこらい』を、発動できない。

 マリアンヌも、帰ってこない。

 自分と、マリアンヌの、永遠も。

 すべてが、ついえた。

「っあああああああああ!!」

 フリアグネは何もかも、すべての感情を乗せた絶叫をあげ、トリガーをしぼった。

 ゆうは、シャナを見て、笑っていた。

 シャナも、悠二を見て、笑って撃たれた。

 二人は、叫びの意味を、取った行動の意味を、全て理解し合って、

 笑っていた。

 そして、胸の中央に弾丸を受けたシャナの体が、屋上の縁から、落ちた。

 彼女の張った封絶が、解けた。

 彼女の体が、再び動き出した世界へ、

 震源を失い、どうしゆうそくさせた街へ、

 デパートの背後に流れる川へと、

 えんぱつから火のを舞い散らせて、落ちてゆく。

「こわれてしまえ!! ばくはつしろ!! すべて!! すべてえ!!」

 あらん限りの声で、フリアグネは狂気の悲鳴を上げる。

 さき市の、まさに中心である川。

 〝てんじようごう〟アラストール、一瞬のけんげんによる大爆発が、どれほどの破壊を街に人にトーチにもたらすことになろうと……もう、どうでもよかった。

 その狂乱の中、

「…………?」

 フリアグネは、予想外の光景を見た。

 彼女が落ちたらしい、はるか下方、真南川のみな

 そこに、赤い火のからなるもんができた。

 そしてそれが、広がる。

 せんじきを越えて堤防を登り、

 鉄橋を包んで市街へ伸び、

 住宅地をおおい道を走り、

 遠く遠くへと赤い波紋は広がってゆき、

 それが地平線に達した瞬間、

 一気に燃え上がった。

 御崎市の全域を巻き込んで燃え上がった、

 ほのおの色は、れん

 ゆうは、この感触を、知っていた。

「……ふうぜつ……?」

 夜景に遠く、星空をゆがませて、すさまじい陽炎かげろうもうもうと上がっている。

 地面に広く、すべてをとらえて、かいもんしようが火線で描かれている。

 巨大な、あまりに巨大な封絶が、御崎市全域を覆っていた。

 そしてその中心、これだけは本当に燃え上がっていた真南川の広い水面から、

 ゆっくりと、が身を起こした。



 屋上を見下ろすほどに巨大な、それ。

「……〝かりうど〟フリアグネ……」

 名を呼ばれたフリアグネは、その遠雷のようなとどろきに、しばられたかのように立ち尽くした。

 れきの中でへたり込む悠二は、その轟きの元となった声を、知っていた。

「ア、アラス……トール?」

 巨大な、しつこくかたまりを奥に秘めたしやくねつの衣たるほのおが、何かの形を取っている。大きすぎて、全体の形が分からない。屋上を、身をかがめてのぞき込んでいるらしい。視界の前一面を広くおおっているのは翼か。

 あまりに圧倒的な〝の王〟……〝てんじようごう〟アラストール、そのけんげんだった。

「……己が持てるほうもてあそんだがゆえに、墓穴を掘った愚かな〝王〟よ……」

 再び、腹の底を震わせるような、重く低い声がとどろく。

「……その宝具……我が身を目覚めさせることで、契約者の器を破壊するものだったとは……恐れ、かわしていたことも、今となっては笑うべきか…………」

 わずかに苦笑らしき轟きを声のはしに残すと、アラストールは、かろうじて腕と分かるほのおかたまりを、屋上に立ち尽くすフリアグネに向けた。それにつれて、すさまじい熱波が、すべてを焼き付かせるように襲ってくる。

「……貴様には、我が身の顕現が、何を意味するか分かるか……? 我が身が目覚めてなお、我がここに顕現し続けていられる理由が分かるか……? その宝具によるざいは、ほかのフレイムヘイズには通じても、この子には効かぬ……」

 アラストールは、己を宿した少女をごうぜんと誇る。

「この子、本来の末は……後世に名を刻む芸術家か、ばんみんを動かす政治家か、勇を戦場にせる武人か、悪業人心に轟かすとがにんか……あるいは、それらの母か……この子は、この子こそは、我〝天壌の劫火〟の〝王足る存在〟を容れるに足る器を時空に広げる『偉大なる者』なのだ」

 フリアグネには、もはやその説明を理解できるだけのゆうがない。己をじわりとがす熱波の中、そびえるそれを、表情の抜け落ちた顔で見上げている。

「……この〝天壌の劫火〟が、契約者を選ばぬとでも思ったか……」

 この世に顕現した本物のしやくがんが、愚かな〝王〟をにらえた。感情をあらわにさせてもらえるほど、身動きを許してもらえるほど、その威圧感は弱くはなかった。

「受けよ……むくいの、火を」

 その、いきひとで。

 たったそれだけで、デパートの屋上が、丸ごと吹き飛ばされた。

 ゆうは一瞬、フリアグネの細いりんかくくだけたのを、

 薄白い炎が鳥の形を取って、れんの炎に押しつぶされ、流されていくのを、見た気がした。

 彼の、こぼれるように小さなだんまつは、一つの名前だったが、

 それを聞いた者はなかった。



 復元を終え、ふうぜつが解かれたデパートの屋上で、ゆうは今まさに燃え尽きつつあった。

 弱々しく、ところどころりんかくも薄れる体をあおけに寝かせ、右手を胸の前にかざしている。

(……すごいんだな、アラストールって……フリアグネのやつ、フレイムヘイズの火は防げる、って言ってたのに)

「この、有様、か……」

 誰にともなく、声を出す。

 自分が、まだここにいることを確かめるように。

 ゆうはその右手に、り飛ばされたフリアグネの指を……正確には、指が火のとなって散った後に残された、けの指輪『アズュール』をにぎっていた。

 彼の前にそれが降ってきたのは偶然か、それともシャナのしゆうねんのおこぼれか……まあ、どっちでもいい。

 その、らいで落ちそうになった手を、誰かが取った。

 悠二は目線だけで、その誰かを見る。

「……やあ」

 こくえりもとをきっちりと合わせた、傷もなおっているらしいシャナが、かたわらに座っていた。背後には、いつ回収したのか、おおが突き立っている。

 わずかに前かがみになって自分を見つめるその表情は、けんの取れた穏やかなもの。なんの名残なごりか、黒髪が幾筋かほおでほつれていた。

(……れいだな……)

 と悠二は素直に思った。そのとうぜんとした気持ちのまま、言う。

「……どうだい? 僕、治せる?」

 シャナはゆっくりと、首を振る。

 再び彼女の内に戻ったアラストールが、胸元の〝コキュートス〟を介して告げる。

「もはや残り火とも言えぬ。消えつつある陽炎かげろうだ……我らと意識を交えることができるのは、貴様が我らと長く接していた、そのろくに過ぎぬ」

「そう、か」

 案外、気持ちは静かだった。まあ、戦いにみ込んだとき、すでに決心はついていた。

 

「シャナ」

「なに」

「ずっと考えてたことの答えが……やっと出たよ……消えてしまういつか、なんて、どうでもよかったんだ……今いる僕がなにをするか、だったんだ」

「……」

 途切れ途切れの声がつむがれていくのを、シャナは静かに待つ。

「……自分が何者でも、どうなろうと、ただやる、それだけだったんだ……」

 言葉が終わったと見るや、

「バカな悩み」

 とシャナは、いつもの調子でり捨てた。

「そうだな……やったことも、あんまり格好よくなかったし」

 ゆうは、笑った。ちようではない。

「うん、格好悪かった」

 シャナも、くすりと笑い返した。ちようしようではない。

 そして、付け足す。

「でも……笑ってくれたね、最後に」

 穏やかな顔で。

「ありがと」

「……うん、どうが、聞こえたからね……」

 シャナは少し驚き、それから赤くなってうなずいた。

 笑っていた。あのときのように。

 少しくらい調子に乗ってもいいよな、と悠二は思う。

「シャナ」

「なに」

「お願いが……あるんだ、けど」

「なに」

「シャナって、名前」

「……?」

「ずっと、使って……くれないかな」

 シャナは返事をしなかった。

 ただ笑って、頷いた。

 ありがとう、と悠二は言えない。

 その力が、もうなかった。

 シャナの笑顔が、薄れていく。

 自分も笑っていることを感じて、その心地よさの中、悠二は目を閉じた。

 ……これが、死なのか……

 ……なんだ……悪くない、気分……だ……

 ……



 ……

 ……ここはどこだ?

 死んだのかな?

 でも、僕はさかゆうじゃない。

 人間じゃない。

 死んでしまったら、どこへ行くんだろう。

 僕が死んだら。

 消えるだけじゃなかったのかな。

 消えた後があるなんて。

 不思議な感じだ。

 でも、聞こえる。

 なんだろう。

 聞こえる。

 動いている。

 どう

 ああ、ずっと聞こえていた、音だ。

 どこかでずっと。

 いや、僕の奥で。

 動いている。

 規則正しく、いつまでも変わらず。

 なんだろう、これは。

 動いている。

 ……



 ……

「……っくく」

 こらえるような笑い声。それはすぐにはじけた。

「っあははははは!!」

 無邪気で明るい笑い声が、夜風と渡り、月夜に響く。

 聞こえる。

「…………?」

 悠二は目を開けた。

「………………え?」

 見える。

「っはは、あはははは!!」

「ふ、ふ、ふ」

 アラストールまで、しのび笑いをらしている。

 半ば放心状態のゆうは、ゆっくりと身を起こした。自分の手を見る。

 手が、ある。薄れていない。胸元を見れば、あかりも元の明るさを取り戻している。

「驚いた? なぜ私たちが襲撃を待ってたと思う?」

「ふ、ふ、万が一のときを考えての措置だったが、こうも場面と時間が重なると、あんよりも笑いが出るというものだ……ふ、ふ、ふ」

「ほら、完全に元通り!」

 シャナが、いつもの強さを取り戻したシャナが、悠二の背中を思い切りたたいた。

「ぶはっ!? な、なな、なにがどうなって……?」

「おまえ、一つ忘れていたでしょう? 大事なこと」

「?」

「貴様の、〝ミステス〟としての中身のことだ」

 アラストールが、笑いを声に込めて言う。

「……ああ、そういえば……それが、これと……?」

 疑わしげに自分の体をながめてみる。

 胸の内の灯は、相変わらずともっている。

 しかしその奥に、何かがあるのを感じる。

 ふと、さっき、どこかで感じたどうを思い出した。

「それが、『れいまい』の力だ。ふうぜつの中で動けるのも、鼓動を感じるのも当然……時の事象すべてにかんしようする〝ともがら〟秘宝中の秘宝だからな」

『零時迷子』。

 かつて一人の〝王〟が、恋に落ちた人間を『永遠の恋人』とするために作ったといわれる永久機関だった。

 これをトーチの中にめ込むと、そのトーチの〝存在の力〟は、一日という単位で時の中にくくりつけられる。その日の内にどれだけ力をしようもうしても、翌日の零時になれば再び次の一日へと存在は移り、初期値の力を取り戻すことができるという。

「その〝王〟は、かなり前に消息を断っている。貴様にそれが転移してきた以上は、『永遠の恋人』もろともに、なんらかの異変があったのだろうが……まあ、今はどうでもよいことだ」

「おまえにはまだまだ、私たちに見届けてもらえるだけの未来があるってことなのよ、

 決定的なことが起こった。

「……あ……今……」

 ふふふ、とシャナは悪戯いたずらっ子のように笑って、

「おまえの中にあるそれは、〝紅世の徒〟が持てば、ほとんど〝存在の力〟の消耗を考えずに力を振るえるっていう、ぶつそうしろものなの」

「うむ、の言う通り、『れいまい』は、らんかく者にとっては最高の物。そして我らフレイムヘイズにとっては無用の物。しかし絶対に渡せぬ物だ」

 ゆうは、二人が何を言いたいのか、ようやく理解した。

「……あ、それじゃあ……」

「うむ、しばらく貴様という危険物を、この街で見張ることにする」

「そういうこと。なによ、文句あるっての?」

 悠二は確信とともに。

「ない」

「よろしい」

 その断言に満足したシャナは立ち上がり、悠二に手を差し出した。

 悠二はその手をしっかりと取り、立つ。

 ふとその胸元が目に入って、気が付いた。

 さっきから、やけにこくをがっちり着込んでいると思ったら……そういえば、足も裸足はだしだ。

「……ちゃんと下着の替え、持ってるか?」

 真っ赤になったシャナのアッパーカットが真下から入って、悠二は再びひっくり返った。

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