4 悠二

 翌朝も快晴だった。

 その朝の光の中、ゆうは自分の現実を間違えることなく、ぼんやりとした頭で寝床を探る。

(……バット、バット……)

 そういえば、昨日はちゃんと持ってから寝たっけか、あれ、なんでベッドで寝てるんだ、ああ、戻って来たらシャナがまだ寝てなかったんだ、まあいいよな、いないんなら僕が寝てても、元々僕の部屋なんだし……などと薄い思考を巡らせながら、腕の中にあるものを抱え直す。

 ふにゃ、

 と、なぜかそれは柔らかくて暖かい。

 ほっとするような、いい匂いもする。

(……変な、バット……ま、いいか……気持ち……いい、し…………)

「……すう……」

 そのほおに、かすかないきがかかった。

「!?」

 ぎょっとなって目を開けると、目の前、いきのかかるほどに近く、というより自分が抱きかかえる格好で、

 シャナが隣に寝ていた。

 普段のしさや力強さが欠片かけらもない、

 繊細れんな、安らいだ寝顔。

「…………」

 その、恋すらためらわれる清らかさに、れること数秒、

「……はっ!?」

 ゆうは自分が昨晩以上の、それこそ絶体絶命の危地にあることに気付き、全速で後退した。

「っわ! っわわ、わ、んが!?」

 最後の叫びは、ベッドからずり落ちて後頭部を強打したものである。

「な、なな……ええと、なんだ?」

 頭を押さえてうめく悠二に、とんの中、シャナの胸元あたりから(確かめるほど命知らずではない)、これ以上ないくらいに不機嫌そうな〝の王〟の声がかかる。

「……ふん、目を覚ましたか」

「うぉわぅわぇ! こここ、これは不可抗力で、らちは決して、いや多分してないと!」

「当然だ。していたら、貴様に朝はない」

 ひたすらぶつそうな返答に、それでもほっとしかけたゆうだが、すぐに、

「さっきは危なかったがな」

 と追いちがかかって背筋が冷える。

「な、なんでここで寝てるんだ? しかもその」

 悠二の脳裏に、たった今見た寝姿が思い浮かぶ。

「……下着のままで」

 そのらちな想像を、アラストールの不機嫌な声が、ズガンとくだく。

「我が下に降りるよう言ったのだ。この子も寝ぼけていて、服を脱ぎ散らかすやとんにもぐりこんで寝てしまった。不本意ではあったが、わざわざ起こすのもはばかられた、それだけだ」

 悠二のそばもぐり込むときのシャナが、今まで見たこともないほどに緊張を解いた様子だった、ねむりについた顔があまりに穏やかだった、だからそのじやをしかねた……とまでは言わない。

「う、ん……なに、もう朝?」

 シャナが、二人の会話のせいか、目を覚ました。まとめず寝たために乱れた髪が、素の肩にばさばさとかかる。

 その胸元に下げられたままだったペンダント〝コキュートス〟から、アラストールが言う。

「起きたか」

「おはよ、アラストール……ん〜〜っ!」

 シャナは寝ぼけまなこをこすって、全身に強い力を行き渡らせるように伸びをする。つい、と視線を落として、自分の今の状態を確認、首をひねる。

「〜はれ? なんで私、ベッドで寝てるの?」

「我が勧めたのだ」

「ふ〜ん、そうだっけ…………え」

 シャナは、なぜか後ろ向きに正座している悠二と、今の自分の格好に気が付いた。

 部屋をながめれば、昨日のように悠二が壁際で寝ていたこんせきはなく、そのとき巻いて寝ていた毛布も、今ベッドの上にあるわけで、つまりこれが意味する所は。

「……」

「……」

「……」

 三者、それぞれの意味合いをもつ沈黙。

 やがて、その圧倒的不利な雰囲気の中……例えるなら、刑場のたんで事前通知無しの打ち首を待つ罪人のような気分……で正座していた悠二が、恐る恐る、シャナに背を向けたまま声をかける。

「あの〜……シャナ、さん?」

「……昨日といい、今日といい……」

 びしびしと青筋の立つ音が聞こえそうな、すごみと怒りに満ち満ちた声が、低くれる。

「い、いやだからこれは双方にとって幸せいや不幸な事故であって僕はやましいことはしてないとそれに昨日ほどじゃなかったいや気持ちよかったりしたけどそれはあくまで結果というやつで思わぬ所でうれしかったりいやそういう意味ではなくてどんな意味かというといやこれが」

 冷や汗と言葉を垂れ流すゆうの背後で、ズバッ、とフレイムヘイズのこくの広がる音がした。

 これの意味する所が何か、悠二が考える前に、

みねだぞ」

 というアラストールの声がして、その脳天におおが、ドバカ、と一撃。

 悠二はもんどりうってこんとうした。



 重傷寸前の一撃を受けた悠二が、いつもの起床時間に起きる……というよりかくせいすることができたのは、まさに習慣の勝利だった。

 脳天にっけた、生涯最大と思われるたんこぶをてのひらに感じながら、悠二はこうれいのように、朝日の中で思案している。ちなみに目覚めた後も、反省のほどを示すため、姿勢は正座である。

 その、いささか以上に間抜けな格好の彼を、日の光が照らしている。

 朝は変わらず、やってきていた。

 明日が無いように思えた身にも、変わらず。

 今日という形で。

 だとしても、

(……う〜ん、ここまで来たか)

 悠二は脳天をで付けながら、しばらく待つ。

 しかし、やはり、もう、ため息が出ない。

 絶望や恐怖が、静かに収まっていた。

 忘れたわけでも、なくなったわけでもない。たしかにあると感じるが、しかし、心を乱すことはなくなっている。

(ほんと、変だ……いつか来る消滅のときにおびえて、毎日ガタガタ震えて暮らす、そんなふうになると思ってたのに)

 みような話だが、実際には全く逆だった。

 ほとんど平然として、今の自分の境遇を受け入れている。

 最初の頃の、半ば強迫観念にとらわれて、、とおびえていた自分の姿を、しいとさえ感じる。そこまでの馬鹿ゆうが、今の自分にはある。

 慣れだけで、ここまでになるものだろうか。

 それとも、シャナが言ったようにあきらめたのだろうか。

 あるいは、これが燃え尽きてゆくことによる無気力の表れなのだろうか。

(……どうも、違うんだよな……なにか、つかみそうな……なんだろう……?)

「ちょっと、聞いてんの?」

 正座するゆうの正面、開けたガラス戸の向こうから、シャナがとげとげしい声をかける。

「ん? ああ、うん」

「頭のせんがどっかゆるんでんじゃない?」

「ぶったたいたやつが言う台詞せりふじゃ……いえ、なんでもありません」

 しやくがんではない眼光に打たれて、悠二は反論を即座に撤回する。

 そのまま、平然とき返す。

「……で、なんだっけ?」

 すでにセーラー服を着ているシャナは、ベランダの手すりに、小鳥のように腰掛けていた。不機嫌をあからさまにけんしわに残して、ため息をつく。

「はあ……こんなのの言うことを信用するの、アラストール?」

「当面はな」

 その胸元のペンダントから、アラストールが答える。彼の声も、まだかなり険悪である。

「現段階では、未だトーチの数は、フリアグネが『みやこらい』を発動させるだけ用意されていないはずだが、それでも早急に手を打っておくべきであることは変わらん。しかし彼奴きやつらも、我らに察知されることを恐れてか、一昨日以来、ふうぜつらんかくを行っていない」

「つまり両方とも手詰まりってことか」

 正座のまま腕を組んで言う悠二に、シャナが言う。

「いちおうは、おまえってえさを連れてうろうろするつもりだけどね。こうやってにらみ合ってる内に、トーチはどんどん消えてくから、その内、連中もれて出てくるでしょ」

 ところがこれに、思いもかけない答えが返ってきた。

「いや、それじゃだ」

「なんですって?」

 悠二が、シャナを見ていた。やはり平然とした表情で。

 シャナは、この反論にも不快さを感じない。ただ訊き返す。

「どういう意味よ?」

 悠二もそれを……シャナが、道理が通っていればそれを素直に受け入れる少女だということを、分かっている。

「向こうに主導権を与えちゃ駄目だ」

 悠二は、自分でも驚くほど、冷静になっていた。さっきの自己分析の副産物なのか、自分たちがやるべきこと、やれることが、明確に頭に浮かぶ。

「こっちが待つってのはつまり、相手に何か準備させたり、次に行動を起こすのを受け止めて動くってことだろ。それじゃ、わなの中に自分から飛び込むようなもんだ」

「じゃあ、どうしようっての? 向こうが動かないから、こっちは苦労してるんじゃない」

「呼び寄せる方法はあるよ」

 ゆうは、じゆうの選択であるはずの提案を、なぜかあっさりと口にすることができた。

「連中が『みやこらい』をたくらんでいてもいなくても、たぶん、み付いてくる」

「……?」

「どういうことだ」

 不審気なシャナの胸元から、アラストールがく。その声には、さっきまでの不機嫌さは欠片かけらもない。

「連中の企みのキモは分かってるんだ。だから、そのじやをしてやればいい」

「貴様、まさか」

 悠二の意図を察して、アラストールは驚いた。

 悠二は、うん、とうなずいて続ける。

「もう、手段を選んでるゆうはなくなってると思う。待ってれば、こっちが不利になるだけだ。

 ふうん、と同じく察したシャナが、楽しそうな声を上げた。

「ぶったたいてスイッチでも入ったのかな」

 アラストールも、かいに言う。

「かもしれん。とつではあるが、確かに効果的だ」

「じゃあ……」

 悠二に、シャナは頷いて見せた。とびきり明るく強い笑みが……名案を評価するだけではない、悠二という存在への言い知れないうれしさを感じた笑みが、その顔にある。

「うん、乗ったげる。昼食を取ったら、すぐに学校を出るわよ。忙しくなりそうね」

「あら、ひらさん?」

「あ」

 ベランダの下からかけられたのんな声に、悠二は今までの冷静さをすべて吹き飛ばされた。

 母・ぐさだ。

 うっかりしていた。

 悠二の部屋のベランダは、玄関の真上にある。

 新聞と牛乳を取りに出た千草が、上での会話に気付いたらしい。朝っぱらから息子の同級生(には見えないが)の少女が、その部屋のベランダに腰掛けていたら、あらぬ誤解を受け……

「おはよう。どうしたの、こんなに朝早くから?」

 なかった。千草の呑気さが、こんなときはありがたい。

「どうしてそんな所に?」

「えーと、ちょっとひとび」

 とシャナも、根本的なところでずれた答えを返す。

「あらあら、おてんさんね」

 ぐさも負けていない。

 ゆうは思わず脱力して正座をくずした。

 結局シャナは、朝食もさか家でごそうになった。



 三日目の授業は、三種類に割れた。

 初めてシャナの授業を受ける教師は、例によって壮絶な自爆で、プライドと権威をふんさいした。これは前日、前々日と同じ。

 けんちよな変化があったのは二度目以降の教師で、これは、正反対の反応を示した。

 かんぺきな無視か、対決である。

 前者は『さわらぬ神にたたりなし』の態度で、彼女を徹頭徹尾無視するという非常に分かりやすいもの。

 後者は、悔しさと熱意から自分なりの研究と勉強を行って、シャナにそのを問うという、なんだか主客転倒なもの。

 教師の方はともかく、生徒たちの方は、三日目ともなれば彼女の態度にも慣れ(昨日の、体育の授業の影響でもある)、授業をだけのゆうも出てきていた。

 教師という仕事がどう行われるべきものか、どういう人間がそれに向いているのか、そしてそれを考える教師がいかに少なかったかという、いわば子供が大人を観察する場所として、授業は機能し始めたのだった。

 この状況は、ただの職業として教師を選んだ者にとってはさいなん以外の何物でもなかったが、そうではない、教育への理念や情熱を持っていた者(少数派のようだが)は、まるで真剣勝負のように燃えた。

 シャナは相変わらずである。

 求められれば、ひたすらシビアな、反論の余地のない事実を突きつける。

 まるで授業に審判が現れたようだった。

 結果、三日目の午前四時間で、ふんさい一、無視二、対決一のスコアである。



 昼休みになったが、もう用事もなしに出て行く者はいなくなっていた。

 いけら三人とよしも、悠二やシャナと一緒に昼飯を取ることが当然のように、机を固めている。周囲のクラスメートも各々、昼食とおしゃべりを楽しんでいて、もうシャナが現れる前の光景と変わらない。

(やっぱ、慣れってことか)

 などと思いつつ、例によってコンビニおにぎりを、をパリパリ割って食べるゆうである。

「ところで、ひらさん」

 いけがホカ弁を開けつつ、何気なく切り出した。

「なに」

 シャナは例によって無愛想に答える。

 アラストールと大っぴらに話ができなくなるので、彼女は他人との同席を好まない。全く文字通りに、一緒に食べる、というだけで、ひたすら食料袋から取り出す昼食をほおっている。今食べているのは、もはや定番とも言えるメロンパンだ。

 もう彼女のそういう所に慣れたらしい池も構わず、悠二をはしす。

「いったいこいつのどこが気に入ったんだい?」

「ぶはっ!?」

 指された悠二は刺されたように、思い切りむせた。

 とうなかも興味しんしんで注視する中、しかしシャナは全く表情を変えない。

「気に入った? なんのこと」

「いやだって、昨日も放課後にずっとデートしてたろ」

「でーと?」

「……おまえ、つけてたのか」

 危ないことをする、と思って悠二は池をにらむ。

 すると、答えは意外な所から返ってきた。

「ご、ご、ごめんなさい……私が、二人がどこに行ったのかな、って、その、池君に、いたから……」

よしさん?」

 悠二は、『本物のひらゆかり』はそんなに吉田さんと仲が良かったっけ、と(気持ちの悪いことに)薄れつつある彼女の情景を思い出そうとする。

 ほとんど思い浮かんでこないが、それにしては彼女の様子はどうも深刻そうだ。あるいは彼女たちの間でしか話せないたぐいの悩みでもあるのだろうか。

 そんな彼女を、池がフォローする。

「まあ、追いかけたのは後になってからだよ。最初からつけようと思ってたわけじゃない。さきおおはしでちょうど追いついて、おもしろそうだから観察してたんだ」

 シャナの方を見て、こっちには賢明にも、はしで指さず言う。

「おまえらがどこかに寄ったら声をかけようと思ってたのに、延々歩くばかりだろ。その内、よしさんが疲れたんで、皆でジュース飲んで先に帰った、それだけさ」

「せっかくのデートだってのに。もっとほかに楽しみようはなかったのか?」

「このしようなしめ。全然見ごたえが無かったぞ。もっとサービスしろ」

 例によってとうなかが続ける。

「おまえらもか……」

 ゆうが頭を抱える。

 逆に、そもそも何が話題になっているのか理解していないシャナが、涼しい顔で吉田にく。

「なにか、私に用でもあったの?」

「う、ううん、そうじゃ、なくて……」

 吉田は複雑な表情をして顔を伏せてしまう。

「じゃあ、コレに用が?」

 シャナは、二人引く自分、の引き算から出た答えとして、悠二をぞんざいに親指でした。

 いきなり、伏せられた吉田の顔が、耳まで真っ赤になる。ほとんど中身の減っていない小さな弁当箱に、はしが刺さって止まった。

 池が、その吉田と悠二を、ついでにシャナの方をちらりと見て、情勢を計る。佐藤は物見高く楽しそうに、田中はかたを飲んで、吉田を見守る。この三人は昨日の同行で、おおむを察していた。

 昼休みのけんそうの中、不意に、この面々の間だけに、張り詰めるような緊張が生まれる。

(…………ん? ……まさか……)

 悠二は、この吉田の様子に、非常にいい気な想像、あるいはもうそうを抱いた。

(いや、まさかね)

 ははは、こういうことは、だいたいが恥ずかしい思い込みで終わってしまうもんさ、と悠二は(実は期待の裏返しである)心理的予防線を張る。

 しかし一方の吉田は、その悠二の予想をくつがえすように、伏せた真っ赤な顔の下で、しかし何とか声をしぼり出そうとがんっている。

 その間も、シャナだけがメロンパンをもぐもぐと食べていた。目線だけで、なぜか固まっている悠二たちの様子を観察している。

 結局、吉田が、

「あ」

 としぼり出すまでに、五秒はかかった。

「あの、昨日、その……格好よかった、です」

 必死に搾り出した言葉を切って、忘れていたように、息をぐ。

「え、でも、実際に何かしたのはひらさんで、僕は何も……してないけど」

 悠二は言いつつ、情けない台詞せりふだなあ、とげんなりしてしまうが、事実だからようがない。

 ところが、

「そんなことありません!」

 とよしが真っ赤な顔を上げて、ようやく吸った息を、また全部くように言った。叫ぶ、といえるほどに声量はないが、それでも教室にいた全員が、驚いて彼女を見た。

「格好よかったです、とっても!」

 クラスメートたちの注視の中、ゆうはその声に打たれたようにぼうぜんとなっていた。

 こういうシーンは、ドラマやマンガの中だけにしかないものと思っていた。現実は当然、そうではないのだが、十五年の人生経験しかない彼にとっては、実際に出くわすまでは、とにかく遠いそらごとでしかなかった。そして、いざそれが目の前に現れると、経験の浅さから、うろたえるしかない。

「私、助けてくれたり、せ、先生に、きちんと、ものを言ったり、すごく、格好よかったです、本当です」

「……はあ、ええ、と……あ、ありがとう」

 また倒れるんではないか、と思わせられる吉田の危なっかしい気迫に押されて、悠二はひたすら間抜けな答えを返した。どうしようもない気恥ずかしさと照れに、ほおゆるみ熱くなる。

 吉田の方も実は、にまで言葉が届いていないのだが、元来が内気な彼女としては、ここらが勇気の限界だった。また顔を伏せて、黙り込んでしまう。

 悠二も動転してしまって、居心地がいいのか悪いのか、それさえ分からない。なにか言うべきなんだろうか、でもなにを、どういうふうに、と思考だけが熱っぽさの中で空回りする。

 教室を沈黙が支配する。

 その中、一人、この雰囲気をよそにメロンパンを食べていたシャナが、自分の横で赤くなっている悠二を見た。次に、同じように真っ赤になって顔を伏せている吉田を見る。

 さっきのやり取りの意味が、教室が静かになった理由が、ちっとも分からなかった。昨日のこと、格好よかった、ありがとう……何かおかしなやり取りだったろうか。

「……」

 もう一度、悠二に目を戻した。

「…………」

 真っ赤な、笑う直前のような、困りきったような、変な顔。

 シャナはか急に、この悠二の顔に、むっとなった。

 怒り、だろうか。

 しかし……〝ともがら〟に歯応えがなかったとき、ほかのフレイムヘイズにけんを売られたとき、街でおろかな人間を見たとき、アラストールに甘いもの以外も食べろと叱られたとき……今まで感じてきた種々強弱のそれらと、なにか、どこか、違う。

 そう、『悠二が自分を怒らせたことに腹が立つ』とでもいうような、じんな気分。

 我知らず、口がヘの字に曲がっている。

 急に、ここにいたくなくなった。

 ゆうを、なんだか許せない生き物のようにギロリとにらんで、く。

「もう食べ終わった?」

 不意な声に悠二が、これもあわてて振り向く。

「え、あ、うん」

 返事なのかどうかも分からないその声を無理矢理、肯定と解釈して、シャナは席を立った。

「じゃ、行くわよ」

 二人とも、元々昼には出て行く予定だったから、帰る用意はしてある。

 シャナはかばんと食料袋を素早く取り、もたもたしている悠二の手を引く。

「ほら、なにぐずぐずしてんの」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ」

「やだ」

「やだ、って……」

 予想外すぎるシャナの答えに悠二は慌て、鞄を持ちつつ、よしの方を見る。

 彼女はシャナのけんまくに驚き、またわずかにおびえを走らせている。

 その顔が、光景が、横にすっ飛ぶ。

 シャナに手を引かれ、というより振り回されるように、悠二は教室から連れ出されていった。

 二人が教室を出て十秒はってから、いけがぽつりと、沈黙を破った。

「……これは、本物かな」

 今度は、吉田がむっとなって、二人の出て行った先を見つめていた。

 その二人は、出た勢いのまま、廊下を走っている。

 シャナはもう手を放しているが、悠二がついていくことに変わりはない。

「な、なんなんだよ、いきなり」

 せっかくいいとこだったのに、と言えるほど悠二もスレてはいないが、それでもわずかに不満は声に出る。

 横を走るシャナが、まだヘの字口をくずさず、答える。

「うるさいうるさいうるさい。予定通りの行動よ」

「そりゃ、そうだけど……」

 少し残念かな、と悠二は、自分がまともにものも言えなかったことも忘れて、吉田の顔を思い浮かべる。

 そのしりに突然、シャナのりが入って、悠二はつんのめった。

「っわ!? な、なにすんだよ!」

「なにユルんでんのよ、これから絶対に一戦やらかすんだから、しゃきっとしなさいよ!」

「だからってっ飛ばすか、普通!?」

「蹴っ飛ばすの! 普通は!!」

 すきまじい迫力で断言されたので、ゆうは黙って走ることにした。



 広がりを無限に思わせるくらやみに、数十を数える薄白い火がともり、彷徨さまよっている。

 それら薄白い火の一つが突然、大きくふくれ上がった。

 やがて火は、細いりんかくに白い輝きをまとった、優美な男の姿を取る。ちようの中で、灯火を逆に映す黒い鏡のような床を、細く軽くむ。

かりうど〟フリアグネだった。まどいを顔に見せ、しきりに首をひねっている。

「マリアンヌ、これは、いったい何事だい?」

 その調律の狂った声色は、いつにも増してはずれていた。

 ぼっ、とその前方の床に、巨大な箱庭がライトアップされるように浮かび上がった。玩具おもちやのブロックや模型をつなぎ合わせて作られたそれは、さき市の全域をせいこうに擬している。

 その中には、無数のおにのような灯火が散らばり、うごめいている。

 トーチを示す印だった。

「ご、ご主人様!」

りん〟マリアンヌが、動揺を声に表して言う。箱庭の一番高いビルを模したプラスチックの箱の上に、そのまつな人形の体をせている。

くずれているじゃないか? 私の『みやこらい』の布石が」

 フリアグネは平静な様子に変わって、その箱庭を見渡す。

 マリアンヌが答えて、指もないフェルトの手で、市街の一点をす。

「フレイムヘイズです! あのむすめが、ふうぜつでトーチをどんどん消費して……っは!?」

 言う間にこの、御崎市全域をモニターする道具である箱庭の一角に突然、封絶を示す光の半球が現れた。この封絶の印は、しかし発生するや、すぐに薄れて消える。

 その中に蠢いていたトーチを示す灯火も、同時に。

 封絶発生のエネルギー源として消費されたのだ。

「……どういうことなんだ?」

 フリアグネはまゆひそめた。

 フレイムヘイズがトーチを消費するなど、普通では考えられない。彼らはこの世界のバランスを保つために戦っているのだから当然だ。

 マリアンヌが短い手足をばたつかせて言う。

「まさか、トーチを消費して世界のゆがみを故意に生み、ほかのフレイムヘイズたちを、この地に呼び寄せようとしているのでは?」

「まさか……いや……そうか、やるものだね」

 フリアグネは、マリアンヌの言葉から相手の意図をかんした。それが、彼の線薄いれいようぼうに、やいばのような薄笑いを結ばせる。

「なるほど、あのおちびちゃんと恐い恐い魔神の〝王〟は、そういう危機的な状況を作ることで、私を誘っているんだ」

「誘う?」

「そうさ、君が言ったように、あの二人はほかのフレイムヘイズを呼び寄せるポーズを取りつつ、私の計画の根幹たるトーチをこれ見よがしに消して……ん」

 と言う間にも、また一つふうぜつが行われ、トーチも一つ消えた。

 がっくりした表情になって、しかしフリアグネは続ける。

「今は消えかけのトーチを使っているようだけど、それがなくなれば、今度はより強いものを使うのだろうね。私が出て行かなければ、トーチはどんどん消費され、計画は……私の望みはついえる。そして、それは同時に、周囲のフレイムヘイズの集結と私のとうめつをも意味する、というわけさ」

「そ、そんな」

 フリアグネはひるがえちように顔を隠して、箱庭の上へと舞い上がった。マリアンヌを、その浮遊の中で柔らかく拾い上げる。

 次に現れたのは、優しい微笑だった。

「マリアンヌ、そんなにおびえた顔をしないでおくれ」

 胸の中の、表情をい付けられた人形。その表情を、彼だけが知ることができる。優しく笑って、しかし鋭い声を出す。

「そんなに深刻になることはない。これはつまり、挑戦状なんだ。〝かりうど〟の前に、ものが見せた足跡さ。彼らは、こう言っているんだよ。『さあ、どうする?』とね」

 彼らが見下ろす、無数の灯火をうごめかす箱庭で、また一つ封絶が。

 フリアグネのまゆが上がり、口元が引き締まった。真剣そのものの顔で、言う。

「獲物に、こうまで言われたら……〝狩人〟として取るべき道は一つ、そうだろう?」

 マリアンヌは、うれしげに叫んだ。

「は、はい、ご主人様!」

 フリアグネは子供をあやすように、マリアンヌを宙に差し上げた。そのまま二人で、くらやみの宙をゆっくりと回る。

 そうして回る内に、フリアグネの左手薬指に、指輪が一つ、現れている。

 その銀色の指輪には、中心に線を引くようにかいな文字列が刻まれていた。それが一つ、また一つと暗闇に薄白く光り、光った文字は暗闇にこぼれるように残されてゆく。いつしか残された文字は、星空のように暗闇をいっぱいにめていた。

「もうすぐだよ」

 フリアグネがとうぜんとした面持ちで言うや、文字は一つ所へとしゆうそく、一個の巨大な球体を作り上げる。

 同時に、掲げられたマリアンヌの胸の内にも、同じ文字による、やや小さな球体がともった。まるでトーチのあかりのように見えるそれは、〝存在の力〟の結晶。〝りん〟が、喰えない力を内に宿しているのだった。

「もうすぐ、君に編み込んだ、この自在式を起動させることができる……そのために必要だったばくだいな〝存在の力〟が、もうすぐ手に入るんだ」

 この球体の文字列こそ、かつてふうぜつといういん孤立の自在法を編み上げ、〝ともがら〟を完全にこの世の人間の目から隠すことに成功した、天才的な自在師〝せんふうきん〟の遺産。

 内蔵するモノの在り様を組み換え、他者の〝存在の力〟に依存することなく、この世に適合・定着させる『転生の自在式』だった。

「この自在式が起動したとき、君は生まれ変わる。誰に頼ることもない、まごうことなき、一個の存在へと」

 繊細なぼうが、こうこつとろける。

 彼にとっては、秘法『みやこらい』さえも、この起動にばくだいな〝存在の力〟を必要とする自在式のための、エネルギー調達手段でしかなかった。

 大きな仕掛けの、小さな望み。

 それこそが、フリアグネの目的なのだった。

(……それにしても)

 フリアグネのこうこつに、小さな、しかし根本的な不審が黒くよぎる。

 こんな、世界のバランスと自分への挑発をてんびんにかけるような思い切った手を打つには、まず自分の計画の根幹が、数多く配置されたトーチであると、していなければならない。

 自分の仕掛けは、まずほかの〝徒〟に見破られたりはしないはずなのだが。

(ふ、まあいいさ、計画の準備自体は、ほぼのだ……今さら止められはしない)

 また表情が、優しい微笑に転じる。

「マリアンヌ、おまえはここで、全体のバランスを見張っているんだ。状況によっては、すぐに始めるからね」

「はい、分かりました……ご主人様は」

 マリアンヌの言葉は、問いではなく、確認。

 やみの中、輪舞する彼らを取り巻いて、薄白い炎が数十、浮かび上がる。

「もちろん、〝かりうど〟の仕事をするよ」

 炎に照らされたフリアグネの笑みが深まり、黒々とした影を作る。



 市街の一角、人通りの少ないとある路地裏で、す、といつついの目が閉じられ、

 そして開く。

 しやくがんきらめき、それと同じ色の、まさに目を焼くようなれんほのおが立ち上った。

 おうちするシャナを中心に、路地裏をめて、炎は上へと通り過ぎる。そのあとには、かいもんしようを路面に描き、かくはんされるばくのような陽炎かげろうの壁に囲まれた、直径にして三十メートルほどのドーム状の空間が残される。この内部にとらわれたモノは、まるでポーズボタンでも押されたかのように静止する。

 一時的に周囲の世界からいんの流れを切り離す孤立空間、〝ふうぜつ〟だった。

(……こればっかりは、何度体験しても慣れることができないな)

 ゆうは、自分のすべてを変えたこの光景を、おぞ気を感じながら見ていた。

 今見ているこれは、〝夕のゆらぎ〟や〝明のかすれ〟の力を借りない、フレイムヘイズ自身、つまりシャナの力で発生させたものだ。すでに二度見ている夕焼けの光とは違う、火線の紋章も陽炎の壁も、まさに炎の色であり、力感だった。

 この封絶に囚われた者は本来、世界から因果の流れを切り離されて、次の存在へとシフトできない、つまり動けなくなるのだが、身の内に何らかのほうを秘めた〝ミステス〟たる自分には、どういうわけか影響がない。普段どおりに動ける。まあ、それだけのことだが。

(でも、そのおかげで……いや、そのせいで、かな?)

 シャナに出会った。この世のものならぬ怪物に襲われるにもなったが。

 事実を知らされることになった。本物の自分は死んでいるという事実だったが。

 良い悪いで言うなら、明らかに悪い方の分が勝ちすぎているようだが、それでもゆうは、シャナに言ったように、すっとしていた。

 その気持ちがどういう意味を持っているのか、燃え尽きる前に知りたい、というのが、ささやかな、しかし恐らくは難しい、悠二に残された望みになっていた。

(残された、か……実際、どの程度の時間があるのかな)

 新しいか古いか程度の判別はつくようになっていたが、さすがに後どれくらい、とまでは分からない。慣れにもよるのだろうが、その慣れるだけの時間は、おそらくないだろう。

 そんな自分と同じ、燃え尽きる運命のモノが今、ふうぜつの中にぽつんと一人、あるいは一つ、止まっている。いざ襲撃というときに周囲を巻き込まないよう、ざつとうから離れるまで待っていた、それ。

〝存在の力〟を喰われた人間の残り火から作られただいたいぶつ

 存在のそうしつゆるやかに行い、世界にゆがみを生まないための道具。

 トーチ。

 自分との違いといえば、〝〟のほうが入っていない……ただ、それだけ。

 もはやしんの先の光点ほどでしかない、あかりの薄れたそのトーチは、出前中らしい、おかもちを手にした若い男。

 ゆうは思う。

(店の人だろうか、バイトだろうか、したいことがあったんだろうか、欲しいものがあったんだろうか、家族は、恋人は、友達は……)

 しかし、もう〝存在の力〟が、ない。それだけで、何もかもが無意味になる。

 ごうまんな哀れみか、単なる同情か、悠二はつい声をらしていた。

「……もう存在が薄すぎて、他人との接触にも実感を持たれないような消えかけ、か……」

 男のトーチが、一点に吸い込まれるようにぎようしゆくする。点となったそれは、ひんほたるのように宙をただよい、悠二の前に立つシャナの、天に突き上げられた人差し指の先にとまった。

「ふん、そうよ」

 しやくがんきらめかせて言うシャナは、おおはもとより、えんぱつも現さずこくもまとっていない。ふうぜつせいぎよ程度は、灼眼だけで十分できるということだった。

「自我も意欲もほとんどなくなった、ただ作業として残りの日を過ごすだけの残りかすよ」

 どうも昼からのシャナは、物言いがつっけんどんだった。

 悠二には、いつもは冷静さからくるその態度が、今はどうも、その逆のものからきているように思われた。もっともこれは、よしとのことで調子に乗っている自惚うぬぼれかもしれないが。

 ともかく二人して、なんともむずかゆい、顔を合わせづらい雰囲気の中で作業を行っている。

 やがて、シャナの指先で、凝縮されたトーチが消える。この路地裏をおおう封絶を保つための力として、使い果たされたのだった。

 悠二が同類のさいるように言う。

「これでまた一人、死んだ、か」

「言い出しっぺが今さら何を。だいたい、とっくに死んでるわよ」

 顔も向けずに言うシャナに、悠二はわずかに苦笑する。

「うん、分かってる」

「どうだか……これで四十三個目ね」

 シャナのしやくがんが、またたきとともに黒く冷え、封絶が解かれた。

 いんが再び外とつながって動き出す。といっても、今のトーチが人込みから離れるのを待って封絶したので、戻った場所はうらぶれた路地裏、大して違和感はない。

 そうもつぎはぎの路面を、古びたビルと長年放置された工事フェンスではさんだ、街の影。人一人の存在がひっそり消える場所としては、おそらく相応ふさわしい場所。

 悠二は、何でも深く考えすぎだな、とちように似たため息をついた。

「……そろそろ、向こうとしても痛くなってくる頃かな」

 シャナの言うとおり、自分が提案しての一連の行動ではあったが、それでも悠二は、早くそうなって欲しい、と思う。

 アラストールが答えた。

「うむ。貴様の言った通り、数や規模に意味があるのなら、それを減らしてゆくことで、遠からず彼奴きやつも出て来るだろう」

 今朝、ゆうはこう主張していた。

『その意図や使い道が分からなくても、使うものが分かっていれば、邪魔するのは簡単だ』

 これにはシャナも、アラストールさえ感心した。無論、表には出さなかったが。

 さらに悠二は、こう、付け加えもした。

『シャナ、アラストール、あんたたちも、僕が利用できるというなら、そうするのがいい』

『うん』

 と自分がためらうことなくうなずいたのを、シャナはほとんど驚きと共に感じていた。

 アラストールは、黙っていた。

 そのとき、シャナは自問していた。

 これは冷たいやり取りか、と。

 そして、自答していた。

 違う、むしろその反対だ、と。

 そのことを、はっきりと確信できた。そのことが、うれしくもあった。

 ところが、昼休みに悠二が、あのよしとかいうやつを相手に笑ったり困ったりしているのを見て、また何故か、その嬉しさが逆転してしまった。

 この辺りが、どうもよく分からない。考えるほどに、その思考はき乱され、立ち消えてしまう。こんなことは初めてだった。そんな思いのまま口を開けば、何か変な言葉が飛び出てしまいそうで、悠二とまともに顔を合わせることもできない。

 だからシャナは、早く出て来い、と思っていた。

 余計なものをすべて吹き払う戦いが、今、いちばん欲しかった。

「よおし、どんどん行くわよ」

 その欲求を声に出して、シャナがみ出した。

 せつ、悠二は、

 ズン、と自分の中で震えるものを感じた。

「!?」

 もはや奥深くではない。神経のように、その感覚は体中に染み通っていた。

 痛みやしようげきではない。巨大な存在に対する反響、あるいは共振だと、分かる。

 そして、今日一日で、それが何を意味するのかも実感していた。

 またたき一つ、シャナが踏み出した足を地に置く、実際にはそれだけの間に得た感触を声に出す。

「シャナ!」

「! ……へえ、分かってきたじゃない!」

 シャナが、ゆうの反応の意味を察した。

 わだかまりすべてを消し去るうれしさを、強い笑みに変える。

 その笑みの中に、しやくがんきらめいた。

 フレイムヘイズとしての彼女が、燃え上がる。

「〝かりうど〟のご登場ね」

 路地裏をめるように、薄白いほのおが真下から立ち上った。

 悠二が感じた、この世の流れの外にある存在の接近。それが起こす、いんだんれつ

 地にもんしよう、周囲に陽炎かげろうが残され、囲われた世界が止まった。

 薄白い炎、つまり〝狩人〟によるふうぜつだった。

 その中、

 シャナの長い黒髪が、火のを舞い咲かせて、しやくねつの光をともす。火の粉の向こうで、黒びたコートが体を包み、おお贄殿にえとののしや』が右の手ににぎられる。

 そのフレイムヘイズのけんげんを見下すように、調子っぱずれな声が降ってくる。

「いやはや、まったく困った子だね」

 シャナと悠二が同時に見上げた先、フェンスの支柱に結わえられた街灯に、薄白い火が一つ、ともっていた。

 火に焼かれた街灯が、すぐに乾いた破裂音をいてくだける。そのガラスの、薄白くまたたしずくのような破片が地に落ちる前に、火はふくれ上がって、人の形を取っていた。

 純白のスーツの上にまとった、やはり純白のちようが、火のいんのように大きくれた。わずかにまゆを寄せて見下ろすようぼうは、かすれんばかりのはかなさ。

 それとは全く対照的な、存在感に満ちあふれた強さで、シャナが言う。

の割りに、しんぼうが足りないんじゃないの? 〝かりうど〟フリアグネ」

 言いつつ、おおを片手持ちにしたまま、わずかに腰を落とす。

 その動作を知りつつも、〝狩人〟フリアグネは苦笑で答える。

「ふふ、せっかく描いた絵を、すいねずみの足跡で汚されては、いかに温厚をもって鳴る私でも怒るさ……最悪の気分だよ」

 すごみのいた最後の一声に、シャナもてきに返す。

「じゃあ、どうする?」

 フリアグネが一転、ぎようそうきようあくに変え、

「こ」

 の音をあげる内に、シャナは足裏に爆発を起こしてんでいた。

「ろ」

 の声をつむぐフリアグネは、大太刀のいつせんきんに、しかしゆうの表情でかわす。

「す」

 えんの舞うように下に跳びつつ体を返して、宙にあるシャナへと、手袋をはめたてのひらを差し出す。その表面から純白のほのおがほとばしった。

 シャナは刀のみねを体にたたきつけ、反動で大きく返しを振るう。その動きに連れて宙で体勢を回し、炎も太刀かぜ一振り、吹き散らす。

 この、絶技ともいうべきシャナの立ち回りを、フリアグネは小さく口笛で賞賛した。

 両者着地。

 シャナはどっしりと前、やや低めの体勢でおおを構える。

 フリアグネは優雅に長身を反らして、これにたいする。

 戦いでは完全におまけのゆうは、あわててシャナの背後に回った。

「今日は、お人形遊びじゃないの?」

 シャナがあからさまな挑発の声を投げるが、フリアグネはゆうの表情で、ショーの開幕を知らせるように両手を大きく広げる。

「もちろん、用意してあるとも」

 シャナを悠二を取り巻いて、数十もの薄白い炎が、狭い路地裏に所狭しとき上がった。

 その内から、『お人形』たちが姿を現す。

 頭身の大きい、しかしどこか頭が丸めの人形たち。なめらかな体のラインに、目立たない形で関節が仕込まれている。これらは、シャナはもちろん悠二も知らないが、アクションフィギュアという非常にマニアックな種類のものだった。もちろん、すべて少女型である。

「ふうん、なるほど。」

「か、かなり恐いかも」

 シャナがあざわらい、その後ろの悠二がひるむ。

 実際、顔をアニメ調にペイントされ、みようおおざつな縫製の服をまとった等身大の人形が群がり立つ光景は、悠二の言うように恐いものがあった。

 その格好も、カジュアルやゴスロリから、パンクルック、メイド、、水着(当然のようにスクール)、ナース、メガネにブレザー等々……。

 それら、まさしく趣味の産物が、可愛かわいく描かれた笑顔のまま、コキコキと関節を鳴らして詰め寄ってくる。武器こそ持っていないが、代わりにその両のてのひらに、薄白い炎が燃えている。

 得意げなフリアグネの声が、その包囲の向こうからかかる。

「うふふ、おちびちゃん、ご期待に添えたかな?」

「さあ? それは、やってみないと」

 シャナは、デザインなど、気にもかけない

 いささか以上にがっかりした顔になって、フリアグネが告げる。

「さみしい感想だねえ。じゃあ、やろうか」

 戦闘の開始を。

 三十は数えられそうなフィギュアがいつせいに飛び掛り、

 まずシャナの正面にいたナースが、眼前に突然現れたざんげきで両断、ばくさいされた。

 その乱風にれるえんぱつの中、しやくがんひらめき、次のものを探す。

 包囲の一角に割り込んだシャナに、その両脇のゴスロリとブレザーが襲い掛った。

 両者の動き出すと同時に、シャナは片方、ゴスロリのふところみ込み、その一歩目で横ぎにっている。

 両腕を振り上げたまま上半身を吹っ飛ばすゴスロリ。

 それを背にシャナは反転、もう一方、ブレザーへと火を引く切っ先を突き入れる。

「っだあ!!」

 気合一声、ブレザーが粉々に吹き飛んだ。

「わわわっ!?」

 その爆風にほんろうされ、さらにフィギュアに取り囲まれるゆうの耳を、シャナの声が打つ。

「伏せ!!」

 言葉がどうとか言う暇はない、言う気もない。悠二は体を、ひび割れたアスファルトの路面になげうった。

 その鼻先に、ズドン、と火のいてシャナの足がみ込まれ、頭上をかぜが鋭く広く抜ける。周囲で割れるような爆発が幾つも起き、またたきすれば鼻先の足はない。

 悠二の真上、次の獲物への最短距離を、シャナは大きく低くんでいた。

 首をひねって悠二が見れば、シャナは身のたけほどもあるおおを、まるで小枝のように軽々と、留まることない風のように振るっている。数的劣勢や自分という足手まといの存在など全く問題にしない、圧倒的な強さだった。

「はっ!!」

 りの一線を斜に引いて、ランジェリーとチャイナの上半身がまとめて斬り飛ばされ、ビルの壁にたたきつけられた。

 火花と化しつつある二つの下半身をらした向こうに、ようやく本命の薄白い影が見える。

 シャナは改めて大太刀の切っ先を右後方へと大きく振って、脇の構えを取ると、その本命・フリアグネを逆袈裟に斬り上げようと一歩、踏み切りの足を路面に打ち付ける。

「っふふ……!」

 それとほぼ同時に、フリアグネは純白の手袋をはめた右手のこぶし、そのにぎりこんだ親指を勢いよく上に向けてはじいていた。

 ピイン、

 と手袋で弾いたとは思えないほど澄んだ音色を響かせて、宙に舞ったのは一枚の金貨。しかしその金貨は、くるくる回るたびに残像を残し、どこまでも上がってゆく。

 シャナが踏み込んでくるタイミングに合わせて、その金貨の残像の根元である右のこぶしを、フリアグネは思い切り引き、振った。

 たんに、その残像は長くしなやかな金のくさりとなり、シャナの上に降りかかる。

「!?」

 シャナは、この真上から迫る金のくさりり上げたが、この残像の鎖は斬れなかった。どころか、おおの刀身をいくにも巻きからめてしまう。

 押しのように、鎖のせんたんであるコインが刀身の平の部分に、しやくのように張り付くに至って、シャナはようやくこれが、武器殺しのほうであることを理解した。

「ちっ!」

 両者、わずかな間を置いて、互いの武器で引き合う。

「うふふ、どうだい、私の『バブルルート』は。その剣がどれほどの業物でも、こいつを斬ることはできないよ」

 金の鎖のはしを引くフリアグネが、自分の宝具を誇る。

(なら、持ち主を斬る)

 と当然のように思うシャナも、大太刀を立ててフリアグネを引き、互いの間を計る。

 周りからフィギュアがにじり寄り、引き合う二人の間にも幾体か入る。

 有利か不利か、みような状態。

 背後、わずかに気を張ると、ゆうは……まだ少しの間は、大丈夫。

 そう判断しつつ見る先、フリアグネがいた手で、つい、とちようそでぐちからまた一つ、ほうらしき物を取り出した。

 指先につままれているのは、簡素な、しかし上品な作りのハンドベル。

 なにかをさせる前に、とシャナは一瞬、引きを強めた。フリアグネも引き返す。瞬間、その力に乗せてみ切る。足裏の爆発も加えての、前への突進。

 間に入っているフィギュアたちなど問題ではない。一気にり進んで、フリアグネにやいばを突き立てるだけ。

(!)

 悠二は感じた。

(共鳴?)

 前にぶシャナ・間に入るフィギュアたち・その向こうで笑うフリアグネ・笑う?・その手でれるハンドベル・そこに感じる・せんりつの共鳴・フィギュアたちに同じ響きが……

「下がれ!!」

 流れる思いも半ば、危機感だけを拾って、悠二が叫んだ。

 ベルの一音を鳴らしたフリアグネがきようがくした。

「な!?」

「!!」

 前へと進んでいたシャナは、次の一歩を地に突き立てて爆発させ、とつに逆進した。

 刀身にからみ付いていた金のくさり、武器殺しの『バブルルート』が、なぜかそれだけでほどけた。

 それを危機のあかしと感じるシャナの眼前で、目の前のフィギュアたちがぎようしゆくされ、れつする。

 大爆発が巻き起こった。そのしようげきに、びたフェンスが押し倒され、路面がめくれ上がる。

「ぐ、あうっ!!」

 シャナも、爆風とほのおの中、地面にたたきつけられた。体に、常にない痛みとせんりつが走る。

(もし突っ込んで、きんで巻き込まれていたら……!)

 一方、手の内に『バブルルート』の金の鎖を引き戻し、コインへと戻したフリアグネは、ついに気付いた。

!!)

 このハンドベル型のほう『ダンスパーティ』の共鳴にとつに気付けるものなど、まずいない。自分がトーチに仕掛けたものは、このみような探知機のような〝ミステス〟、その中の宝具によってけんしたに違いない。

 計画をじやしたちようほんにんへの怒りとともに、

 コレクターの血が沸き立った。

「は、は、ははは!!」

 興奮を面に表して、フリアグネはまた、『ダンスパーティ』を一振りする。

 シャナは、またきんで数体のフィギュアの多重爆発を受けた。

「っうぐ!」

 ふうぜつ全体をるがすような爆風の中、今度は地面を転がって、とどめを刺そうと近付いたフィギュアを一体、起き上がりざまり捨てる。

「っこの、めるな……痛っ!」

 そのまま走ろうとしたが、体中を走る激痛に思わずひざをつく。

 得意気なフリアグネの声が、その耳に届く。

「はは、らしい威力だろう、私の『ダンスパーティ』は。〝りん〟をはじけさせて、爆弾にする宝具さ!!」

 さすがに〝かりうど〟のは、ではなかった。一筋縄でいかない、どころか宝具を使した予想外の攻撃ばかりを繰り出してくる。

 それを思い知ったシャナのわずか後方で、また一体、爆発した。

 爆発した場所の意味を、爆発させたフリアグネの意図を、シャナはさとり、あせった。

「っく!!」

 そこは、自分とゆうの、ちょうど中間。

 爆発の反対側にある悠二は、最初のフィギュアのれつで、すでに路面に突っ伏していた。あとはただ、ほんろうされるだけ。ほおを路面でけずるように、爆風に引きずられる。

「……ッカ、ハ……!!」

 と、突然、そのゆうの周り、息もできないしようげきが、消えた。

 不審に思い、目を開けると、自分の周りに、小さな見えないドームでもあるかのように、爆風ともうが避けて通っていた。

「…………?」

 その現象の理由が、目の前にある。

 見慣れた、存在感が地に根を張っているような、力強い足ではない。

 気の抜けた風船が地にただよっているような、あやふやな輝きを持つ、すべてが純白の足。

 調子っぱずれな、好奇心をあらわにした声が、頭上からかかった。

「……中に、なにが、あるのかな?」

 たんできえつれいようぼうゆがめる〝かりうど〟が、悠二の目の前にいた。

 その背後から、銀光が迫る。

 えんぱつを爆風に流し、しやくがんものを捕らえるシャナ、横ぎ必殺の一刀。

 その軌道に、

 フリアグネは首をわしづかみにした悠二を、無造作に突き出していた。

 これまでにないことが起こった。

 シャナが、ちゆうちよした。

 おおの運びを一瞬、止めてしまっていた。

「っ!?」

 彼女は、驚き、まどう。

 その一瞬の間に、フリアグネは悠二を連れて飛び上がっていた。

「は……はは、はははははは!!」

 フリアグネは、全く予想外の展開を、狂った音程であざわらう。彼女にらせて、そのすきに中のほうを持ち去ろうとしただけなのに。この〝ミステス〟の消滅と中の宝具の奪い合いをてんびんにかけた、互いの秘技のおうしゆうにこそ、備えていたというのに。

 まさか、まさか!!

 おかしくてたまらない。この〝ミステス〟には、どうやら利用価値がありそうだった。

「ははは! アラストールのフレイムヘイズ! まだ戦う気があるのなら、この〝ミステス〟がしければ、街の一番高い場所まで来るがいい……最高の舞台を用意して待っているよ!!」

 そのしようこうしゆけいのようにられ、もんする悠二の眼に、一つの顔が焼きついていた。

 シャナの躊躇、その一瞬後の、顔が。

 せいぜつな、後悔の表情。

 炎髪灼眼のち手たる自分自身への、怒りと失望の表情。

「っ──!!」

 どういうわけか、ゆうは絶叫していた。首をつかまれている苦しさも忘れて。

「─────────!!」

 助けを求めたわけでも、恐怖を声にしたわけでもない。

 シャナのことを、意味をなさない、ただ感情を声に変えた叫びを、あげていた。

 そのさまちようしようするフリアグネが、自分の力を消費して行っていたふうぜつを解く。

 そして、ハンドベルを振った。

「っくく、そぉれ!!」

 動き出した世界の中、遠ざかるシャナの小さな姿を中心に、残ったフィギュアたちがいつせいはじけた。大爆発が起こり、路地をほのおめ、ビルを一瞬でくだいた。

 市街を襲うごうおんに、悠二の叫びはき消され、

 やがて、れた息とともに意識はやみに沈んだ。

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