4 悠二
翌朝も快晴だった。
その朝の光の中、
(……バット、バット……)
そういえば、昨日はちゃんと持ってから寝たっけか、あれ、なんでベッドで寝てるんだ、ああ、戻って来たらシャナがまだ寝てなかったんだ、まあいいよな、いないんなら僕が寝てても、元々僕の部屋なんだし……などと薄い思考を巡らせながら、腕の中にあるものを抱え直す。
ふにゃ、
と、なぜかそれは柔らかくて暖かい。
ほっとするような、いい匂いもする。
(……変な、バット……ま、いいか……気持ち……いい、し…………)
「……すう……」
その
「!?」
ぎょっとなって目を開けると、目の前、
シャナが隣に寝ていた。
普段の
繊細
「…………」
その、恋すらためらわれる清らかさに、
「……はっ!?」
「っわ! っわわ、わ、んが!?」
最後の叫びは、ベッドからずり落ちて後頭部を強打したものである。
「な、なな……ええと、なんだ?」
頭を押さえてうめく悠二に、
「……ふん、目を覚ましたか」
「うぉわぅわぇ! こここ、これは不可抗力で、
「当然だ。していたら、貴様に朝はない」
ひたすら
「さっきは危なかったがな」
と追い
「な、なんでここで寝てるんだ? しかもその」
悠二の脳裏に、たった今見た寝姿が思い浮かぶ。
「……下着のままで」
その
「我が下に降りるよう言ったのだ。この子も寝ぼけていて、服を脱ぎ散らかすや
悠二の
「う、ん……なに、もう朝?」
シャナが、二人の会話のせいか、目を覚ました。まとめず寝たために乱れた髪が、素の肩にばさばさとかかる。
その胸元に下げられたままだったペンダント〝コキュートス〟から、アラストールが言う。
「起きたか」
「おはよ、アラストール……ん〜〜っ!」
シャナは寝ぼけまなこを
「〜はれ? なんで私、ベッドで寝てるの?」
「我が勧めたのだ」
「ふ〜ん、そうだっけ…………え」
シャナは、なぜか後ろ向きに正座している悠二と、今の自分の格好に気が付いた。
部屋を
「……」
「……」
「……」
三者、それぞれの意味合いをもつ沈黙。
やがて、その圧倒的不利な雰囲気の中……例えるなら、刑場の
「あの〜……シャナ、さん?」
「……昨日といい、今日といい……」
びしびしと青筋の立つ音が聞こえそうな、
「い、いやだからこれは双方にとって幸せいや不幸な事故であって僕はやましいことはしてないとそれに昨日ほどじゃなかったいや気持ちよかったりしたけどそれはあくまで結果というやつで思わぬ所で
冷や汗と言葉を垂れ流す
これの意味する所が何か、悠二が考える前に、
「
というアラストールの声がして、その脳天に
悠二はもんどりうって
重傷寸前の一撃を受けた悠二が、いつもの起床時間に起きる……というより
脳天に
その、いささか以上に間抜けな格好の彼を、日の光が照らしている。
朝は変わらず、やってきていた。
明日が無いように思えた身にも、変わらず。
今日という形で。
だとしても、
(……う〜ん、ここまで来たか)
悠二は脳天を
しかし、やはり、もう、ため息が出ない。
絶望や恐怖が、静かに収まっていた。
忘れたわけでも、なくなったわけでもない。たしかにあると感じるが、しかし、心を乱すことはなくなっている。
(ほんと、変だ……いつか来る消滅のときに
ほとんど平然として、今の自分の境遇を受け入れている。
最初の頃の、半ば強迫観念に
慣れだけで、ここまでになるものだろうか。
それとも、シャナが言ったように
あるいは、これが燃え尽きてゆくことによる無気力の表れなのだろうか。
(……どうも、違うんだよな……なにか、つかみそうな……なんだろう……?)
「ちょっと、聞いてんの?」
正座する
「ん? ああ、うん」
「頭の
「ぶっ
そのまま、平然と
「……で、なんだっけ?」
すでにセーラー服を着ているシャナは、ベランダの手すりに、小鳥のように腰掛けていた。不機嫌をあからさまに
「はあ……こんなのの言うことを信用するの、アラストール?」
「当面はな」
その胸元のペンダントから、アラストールが答える。彼の声も、まだかなり険悪である。
「現段階では、未だトーチの数は、フリアグネが『
「つまり両方とも手詰まりってことか」
正座のまま腕を組んで言う悠二に、シャナが言う。
「いちおうは、おまえって
ところがこれに、思いもかけない答えが返ってきた。
「いや、それじゃ
「なんですって?」
悠二が、シャナを見ていた。やはり平然とした表情で。
シャナは、この反論にも不快さを感じない。ただ訊き返す。
「どういう意味よ?」
悠二もそれを……シャナが、道理が通っていればそれを素直に受け入れる少女だということを、分かっている。
「向こうに主導権を与えちゃ駄目だ」
悠二は、自分でも驚くほど、冷静になっていた。さっきの自己分析の副産物なのか、自分たちがやるべきこと、やれることが、明確に頭に浮かぶ。
「こっちが待つってのはつまり、相手に何か準備させたり、次に行動を起こすのを受け止めて動くってことだろ。それじゃ、
「じゃあ、どうしようっての? 向こうが動かないから、こっちは苦労してるんじゃない」
「呼び寄せる方法はあるよ」
「連中が『
「……?」
「どういうことだ」
不審気なシャナの胸元から、アラストールが
「連中の企みのキモは分かってるんだ。だから、その
「貴様、まさか」
悠二の意図を察して、アラストールは驚いた。
悠二は、うん、と
「もう、手段を選んでる
ふうん、と同じく察したシャナが、楽しそうな声を上げた。
「ぶったたいてスイッチでも入ったのかな」
アラストールも、
「かもしれん。
「じゃあ……」
悠二に、シャナは頷いて見せた。とびきり明るく強い笑みが……名案を評価するだけではない、悠二という存在への言い知れない
「うん、乗ったげる。昼食を取ったら、すぐに学校を出るわよ。忙しくなりそうね」
「あら、
「あ」
ベランダの下からかけられた
母・
うっかりしていた。
悠二の部屋のベランダは、玄関の真上にある。
新聞と牛乳を取りに出た千草が、上での会話に気付いたらしい。朝っぱらから息子の同級生(には見えないが)の少女が、その部屋のベランダに腰掛けていたら、あらぬ誤解を受け……
「おはよう。どうしたの、こんなに朝早くから?」
なかった。千草の呑気さが、こんなときはありがたい。
「どうしてそんな所に?」
「えーと、ちょっと
とシャナも、根本的なところでずれた答えを返す。
「あらあら、お
結局シャナは、朝食も
三日目の授業は、三種類に割れた。
初めてシャナの授業を受ける教師は、例によって壮絶な自爆で、プライドと権威を
前者は『
後者は、悔しさと熱意から自分なりの研究と勉強を行って、シャナにその
教師の方はともかく、生徒たちの方は、三日目ともなれば彼女の態度にも慣れ(昨日の、体育の授業の影響でもある)、授業を楽しむだけの
教師という仕事がどう行われるべきものか、どういう人間がそれに向いているのか、そしてそれを考える教師がいかに少なかったかという、いわば子供が大人を観察する場所として、授業は機能し始めたのだった。
この状況は、ただの職業として教師を選んだ者にとっては
シャナは相変わらずである。
求められれば、ひたすらシビアな、反論の余地のない事実を突きつける。
まるで授業に審判が現れたようだった。
結果、三日目の午前四時間で、
昼休みになったが、もう用事もなしに出て行く者はいなくなっていた。
(やっぱ、慣れってことか)
などと思いつつ、例によってコンビニおにぎりを、
「ところで、
「なに」
シャナは例によって無愛想に答える。
アラストールと大っぴらに話ができなくなるので、彼女は他人との同席を好まない。全く文字通りに、一緒に食べる、というだけで、ひたすら食料袋から取り出す昼食を
もう彼女のそういう所に慣れたらしい池も構わず、悠二を
「いったいこいつのどこが気に入ったんだい?」
「ぶはっ!?」
指された悠二は刺されたように、思い切りむせた。
「気に入った? なんのこと」
「いやだって、昨日も放課後にずっとデートしてたろ」
「でーと?」
「……おまえ、つけてたのか」
危ないことをする、と思って悠二は池を
すると、答えは意外な所から返ってきた。
「ご、ご、ごめんなさい……私が、二人がどこに行ったのかな、って、その、池君に、
「
悠二は、『本物の
ほとんど思い浮かんでこないが、それにしては彼女の様子はどうも深刻そうだ。あるいは彼女たちの間でしか話せない
そんな彼女を、池がフォローする。
「まあ、追いかけたのは後になってからだよ。最初からつけようと思ってたわけじゃない。
シャナの方を見て、こっちには賢明にも、
「おまえらがどこかに寄ったら声をかけようと思ってたのに、延々歩くばかりだろ。その内、
「せっかくのデートだってのに。もっと
「この
例によって
「おまえらもか……」
逆に、そもそも何が話題になっているのか理解していないシャナが、涼しい顔で吉田に
「なにか、私に用でもあったの?」
「う、ううん、そうじゃ、なくて……」
吉田は複雑な表情をして顔を伏せてしまう。
「じゃあ、コレに用が?」
シャナは、二人引く自分、の引き算から出た答えとして、悠二をぞんざいに親指で
いきなり、伏せられた吉田の顔が、耳まで真っ赤になる。ほとんど中身の減っていない小さな弁当箱に、
池が、その吉田と悠二を、ついでにシャナの方をちらりと見て、情勢を計る。佐藤は物見高く楽しそうに、田中は
昼休みの
(…………ん? ……まさか……)
悠二は、この吉田の様子に、非常にいい気な想像、あるいは
(いや、まさかね)
ははは、こういうことは、だいたいが恥ずかしい思い込みで終わってしまうもんさ、と悠二は(実は期待の裏返しである)心理的予防線を張る。
しかし一方の吉田は、その悠二の予想を
その間も、シャナだけがメロンパンをもぐもぐと食べていた。目線だけで、なぜか固まっている悠二たちの様子を観察している。
結局、吉田が、
「あ」
と
「あの、昨日、その……格好よかった、です」
必死に搾り出した言葉を切って、忘れていたように、息を
「え、でも、実際に何かしたのは
悠二は言いつつ、情けない
ところが、
「そんなことありません!」
と
「格好よかったです、とっても!」
クラスメートたちの注視の中、
こういうシーンは、ドラマやマンガの中だけにしかないものと思っていた。現実は当然、そうではないのだが、十五年の人生経験しかない彼にとっては、実際に出くわすまでは、とにかく遠い
「私、助けてくれたり、せ、先生に、きちんと、ものを言ったり、すごく、格好よかったです、本当です」
「……はあ、ええ、と……あ、ありがとう」
また倒れるんではないか、と思わせられる吉田の危なっかしい気迫に押されて、悠二はひたすら間抜けな答えを返した。どうしようもない気恥ずかしさと照れに、
吉田の方も実は、本当に言いたいことにまで言葉が届いていないのだが、元来が内気な彼女としては、ここらが勇気の限界だった。また顔を伏せて、黙り込んでしまう。
悠二も動転してしまって、居心地がいいのか悪いのか、それさえ分からない。なにか言うべきなんだろうか、でもなにを、どういう
教室を沈黙が支配する。
その中、一人、この雰囲気をよそにメロンパンを食べていたシャナが、自分の横で赤くなっている悠二を見た。次に、同じように真っ赤になって顔を伏せている吉田を見る。
さっきのやり取りの意味が、教室が静かになった理由が、ちっとも分からなかった。昨日のこと、格好よかった、ありがとう……何かおかしなやり取りだったろうか。
「……」
もう一度、悠二に目を戻した。
「…………」
真っ赤な、笑う直前のような、困りきったような、変な顔。
シャナは
怒り、だろうか。
しかし……〝
そう、『悠二が自分を怒らせたことに腹が立つ』とでもいうような、
我知らず、口がヘの字に曲がっている。
急に、ここにいたくなくなった。
「もう食べ終わった?」
不意な声に悠二が、これも
「え、あ、うん」
返事なのかどうかも分からないその声を無理矢理、肯定と解釈して、シャナは席を立った。
「じゃ、行くわよ」
二人とも、元々昼には出て行く予定だったから、帰る用意はしてある。
シャナは
「ほら、なにぐずぐずしてんの」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
「やだ」
「やだ、って……」
予想外すぎるシャナの答えに悠二は慌て、鞄を持ちつつ、
彼女はシャナの
その顔が、光景が、横にすっ飛ぶ。
シャナに手を引かれ、というより振り回されるように、悠二は教室から連れ出されていった。
二人が教室を出て十秒は
「……これは、本物かな」
今度は、吉田がむっとなって、二人の出て行った先を見つめていた。
その二人は、出た勢いのまま、廊下を走っている。
シャナはもう手を放しているが、悠二がついていくことに変わりはない。
「な、なんなんだよ、いきなり」
せっかくいいとこだったのに、と言えるほど悠二もスレてはいないが、それでもわずかに不満は声に出る。
横を走るシャナが、まだヘの字口を
「うるさいうるさいうるさい。予定通りの行動よ」
「そりゃ、そうだけど……」
少し残念かな、と悠二は、自分がまともにものも言えなかったことも忘れて、吉田の顔を思い浮かべる。
その
「っわ!? な、なにすんだよ!」
「なにユルんでんのよ、これから絶対に一戦やらかすんだから、しゃきっとしなさいよ!」
「だからって
「蹴っ飛ばすの! 普通は!!」
広がりを無限に思わせる
それら薄白い火の一つが突然、大きく
やがて火は、細い
〝
「マリアンヌ、これは、いったい何事だい?」
その調律の狂った声色は、いつにも増して
ぼっ、とその前方の床に、巨大な箱庭がライトアップされるように浮かび上がった。
その中には、無数の
トーチを示す印だった。
「ご、ご主人様!」
〝
「
フリアグネは平静な様子に変わって、その箱庭を見渡す。
マリアンヌが答えて、指もないフェルトの手で、市街の一点を
「フレイムヘイズです! あの
言う間にこの、御崎市全域をモニターする道具である箱庭の一角に突然、封絶を示す光の半球が現れた。この封絶の印は、しかし発生するや、すぐに薄れて消える。
その中に蠢いていたトーチを示す灯火も、同時に。
封絶発生のエネルギー源として消費されたのだ。
「……どういうことなんだ?」
フリアグネは
フレイムヘイズがトーチを消費するなど、普通では考えられない。彼らはこの世界のバランスを保つために戦っているのだから当然だ。
マリアンヌが短い手足をばたつかせて言う。
「まさか、トーチを消費して世界の
「まさか……いや……そうか、やるものだね」
フリアグネは、マリアンヌの言葉から相手の意図を
「なるほど、あのおちびちゃんと恐い恐い魔神の〝王〟は、そういう危機的な状況を作ることで、私を誘っているんだ」
「誘う?」
「そうさ、君が言ったように、あの二人は
と言う間にも、また一つ
がっくりした表情になって、しかしフリアグネは続ける。
「今は消えかけのトーチを使っているようだけど、それがなくなれば、今度はより強いものを使うのだろうね。私が出て行かなければ、トーチはどんどん消費され、計画は……私の望みは
「そ、そんな」
フリアグネは
次に現れたのは、優しい微笑だった。
「マリアンヌ、そんなに
胸の中の、表情を
「そんなに深刻になることはない。これはつまり、挑戦状なんだ。〝
彼らが見下ろす、無数の灯火を
フリアグネの
「獲物に、こうまで言われたら……〝狩人〟として取るべき道は一つ、そうだろう?」
マリアンヌは、
「は、はい、ご主人様!」
フリアグネは子供をあやすように、マリアンヌを宙に差し上げた。そのまま二人で、
そうして回る内に、フリアグネの左手薬指に、指輪が一つ、現れている。
その銀色の指輪には、中心に線を引くように
「もうすぐだよ」
フリアグネが
同時に、掲げられたマリアンヌの胸の内にも、同じ文字による、やや小さな球体が
「もうすぐ、君に編み込んだ、この自在式を起動させることができる……そのために必要だった
この球体の文字列こそ、かつて
内蔵するモノの在り様を組み換え、他者の〝存在の力〟に依存することなく、この世に適合・定着させる『転生の自在式』だった。
「この自在式が起動したとき、君は生まれ変わる。誰に頼ることもない、まごうことなき、一個の存在へと」
繊細な
彼にとっては、秘法『
大きな仕掛けの、小さな望み。
それこそが、フリアグネの目的なのだった。
(……それにしても)
フリアグネの
こんな、世界のバランスと自分への挑発を
自分の仕掛けは、まず
(ふ、まあいいさ、計画の準備自体は、ほぼ完了しているのだ……今さら止められはしない)
また表情が、優しい微笑に転じる。
「マリアンヌ、おまえはここで、全体のバランスを見張っているんだ。状況によっては、すぐに始めるからね」
「はい、分かりました……ご主人様は」
マリアンヌの言葉は、問いではなく、確認。
「もちろん、〝
炎に照らされたフリアグネの笑みが深まり、黒々とした影を作る。
市街の一角、人通りの少ないとある路地裏で、す、と
そして開く。
一時的に周囲の世界から
(……こればっかりは、何度体験しても慣れることができないな)
今見ているこれは、〝夕のゆらぎ〟や〝明のかすれ〟の力を借りない、フレイムヘイズ自身、つまりシャナの力で発生させたものだ。すでに二度見ている夕焼けの光とは違う、火線の紋章も陽炎の壁も、まさに炎の色であり、力感だった。
この封絶に囚われた者は本来、世界から因果の流れを切り離されて、次の存在へとシフトできない、つまり動けなくなるのだが、身の内に何らかの
(でも、そのおかげで……いや、そのせいで、かな?)
シャナに出会った。この世のものならぬ怪物に襲われる
事実を知らされることになった。本物の自分は死んでいるという事実だったが。
良い悪いで言うなら、明らかに悪い方の分が勝ちすぎているようだが、それでも
その気持ちがどういう意味を持っているのか、燃え尽きる前に知りたい、というのが、ささやかな、しかし恐らくは難しい、悠二に残された望みになっていた。
(残された、か……実際、どの程度の時間があるのかな)
新しいか古いか程度の判別はつくようになっていたが、さすがに後どれくらい、とまでは分からない。慣れにもよるのだろうが、その慣れるだけの時間は、おそらくないだろう。
そんな自分と同じ、燃え尽きる運命のモノが今、
〝存在の力〟を喰われた人間の残り火から作られた
存在の
トーチ。
自分との違いといえば、〝
もはや
(店の人だろうか、バイトだろうか、したいことがあったんだろうか、欲しいものがあったんだろうか、家族は、恋人は、友達は……)
しかし、もう〝存在の力〟が、ない。それだけで、何もかもが無意味になる。
「……もう存在が薄すぎて、他人との接触にも実感を持たれないような消えかけ、か……」
男のトーチが、一点に吸い込まれるように
「ふん、そうよ」
「自我も意欲もほとんどなくなった、ただ作業として残りの日を過ごすだけの残り
どうも昼からのシャナは、物言いがつっけんどんだった。
悠二には、いつもは冷静さからくるその態度が、今はどうも、その逆のものからきているように思われた。もっともこれは、
ともかく二人して、なんともむずかゆい、顔を合わせ
やがて、シャナの指先で、凝縮されたトーチが消える。この路地裏を
悠二が同類の
「これでまた一人、死んだ、か」
「言い出しっぺが今さら何を。だいたい、とっくに死んでるわよ」
顔も向けずに言うシャナに、悠二はわずかに苦笑する。
「うん、分かってる」
「どうだか……これで四十三個目ね」
シャナの
悠二は、何でも深く考えすぎだな、と
「……そろそろ、向こうとしても痛くなってくる頃かな」
シャナの言うとおり、自分が提案しての一連の行動ではあったが、それでも悠二は、早くそうなって欲しい、と思う。
アラストールが答えた。
「うむ。貴様の言った通り、数や規模に意味があるのなら、それを減らしてゆくことで、遠からず
今朝、
『その意図や使い道が分からなくても、使うものが分かっていれば、邪魔するのは簡単だ』
これにはシャナも、アラストールさえ感心した。無論、表には出さなかったが。
さらに悠二は、こう、付け加えもした。
『シャナ、アラストール、あんたたちも、僕が利用できるというなら、そうするのがいい』
『うん』
と自分がためらうことなく
アラストールは、黙っていた。
そのとき、シャナは自問していた。
これは冷たいやり取りか、と。
そして、自答していた。
違う、むしろその反対だ、と。
そのことを、はっきりと確信できた。そのことが、
ところが、昼休みに悠二が、あの
この辺りが、どうもよく分からない。考えるほどに、その思考は
だからシャナは、早く出て来い、と思っていた。
余計なものを
「よおし、どんどん行くわよ」
その欲求を声に出して、シャナが
ズン、と自分の中で震えるものを感じた。
「!?」
もはや奥深くではない。神経のように、その感覚は体中に染み通っていた。
痛みや
そして、今日一日で、それが何を意味するのかも実感していた。
「シャナ!」
「! ……へえ、分かってきたじゃない!」
シャナが、
わだかまり
その笑みの中に、
フレイムヘイズとしての彼女が、燃え上がる。
「〝
路地裏を
悠二が感じた、この世の流れの外にある存在の接近。それが起こす、
地に
薄白い炎、つまり〝狩人〟による
その中、
シャナの長い黒髪が、火の
そのフレイムヘイズの
「いやはや、まったく困った子だね」
シャナと悠二が同時に見上げた先、フェンスの支柱に結わえられた街灯に、薄白い火が一つ、
火に焼かれた街灯が、すぐに乾いた破裂音を
純白のスーツの上にまとった、やはり純白の
それとは全く対照的な、存在感に満ち
「
言いつつ、
その動作を知りつつも、〝狩人〟フリアグネは苦笑で答える。
「ふふ、せっかく描いた絵を、
「じゃあ、どうする?」
フリアグネが一転、
「こ」
の音をあげる内に、シャナは足裏に爆発を起こして
「ろ」
の声を
「す」
シャナは刀の
この、絶技ともいうべきシャナの立ち回りを、フリアグネは小さく口笛で賞賛した。
両者着地。
シャナはどっしりと前、やや低めの体勢で
フリアグネは優雅に長身を反らして、これに
戦いでは完全におまけの
「今日は、お人形遊びじゃないの?」
シャナがあからさまな挑発の声を投げるが、フリアグネは
「もちろん、用意してあるとも」
シャナを悠二を取り巻いて、数十もの薄白い炎が、狭い路地裏に所狭しと
その内から、『お人形』たちが姿を現す。
頭身の大きい、しかしどこか頭が丸めの人形たち。
「ふうん、なるほど。」
「か、かなり恐いかも」
シャナが
実際、顔をアニメ調にペイントされ、
その格好も、カジュアルやゴスロリから、パンクルック、メイド、
それら、まさしく趣味の産物が、
得意げなフリアグネの声が、その包囲の向こうからかかる。
「うふふ、おちびちゃん、ご期待に添えたかな?」
「さあ? それは、やってみないと」
シャナは、デザインなど、気にもかけない
いささか以上にがっかりした顔になって、フリアグネが告げる。
「さみしい感想だねえ。じゃあ、やろうか」
戦闘の開始を。
三十は数えられそうなフィギュアが
まずシャナの正面にいたナースが、眼前に突然現れた
その乱風に
包囲の一角に割り込んだシャナに、その両脇のゴスロリとブレザーが襲い掛った。
両者の動き出すと同時に、シャナは片方、ゴスロリの
両腕を振り上げたまま上半身を吹っ飛ばすゴスロリ。
それを背にシャナは反転、もう一方、ブレザーへと火を引く切っ先を突き入れる。
「っだあ!!」
気合一声、ブレザーが粉々に吹き飛んだ。
「わわわっ!?」
その爆風に
「伏せ!!」
言葉がどうとか言う暇はない、言う気もない。悠二は体を、ひび割れたアスファルトの路面になげうった。
その鼻先に、ズドン、と火の
悠二の真上、次の獲物への最短距離を、シャナは大きく低く
首を
「はっ!!」
火花と化しつつある二つの下半身を
シャナは改めて大太刀の切っ先を右後方へと大きく振って、脇の構えを取ると、その本命・フリアグネを逆袈裟に斬り上げようと一歩、踏み切りの足を路面に打ち付ける。
「っふふ……!」
それとほぼ同時に、フリアグネは純白の手袋をはめた右手の
ピイン、
と手袋で弾いたとは思えないほど澄んだ音色を響かせて、宙に舞ったのは一枚の金貨。しかしその金貨は、くるくる回るたびに残像を残し、どこまでも上がってゆく。
シャナが踏み込んでくるタイミングに合わせて、その金貨の残像の根元である右の
「!?」
シャナは、この真上から迫る金の
「ちっ!」
両者、
「うふふ、どうだい、私の『バブルルート』は。その剣がどれほどの業物でも、こいつを斬ることはできないよ」
金の鎖の
(なら、持ち主を斬る)
と当然のように思うシャナも、大太刀を立ててフリアグネを引き、互いの間を計る。
周りからフィギュアがにじり寄り、引き合う二人の間にも幾体か入る。
有利か不利か、
背後、
そう判断しつつ見る先、フリアグネが
指先につままれているのは、簡素な、しかし上品な作りのハンドベル。
なにかをさせる前に、とシャナは一瞬、引きを強めた。フリアグネも引き返す。瞬間、その力に乗せて
間に入っているフィギュアたちなど問題ではない。一気に
(!)
悠二は感じた。
(共鳴?)
前に
「下がれ!!」
流れる思いも半ば、危機感だけを拾って、悠二が叫んだ。
ベルの一音を鳴らしたフリアグネが
「な!?」
「!!」
前へと進んでいたシャナは、次の一歩を地に突き立てて爆発させ、
刀身に
それを危機の
大爆発が巻き起こった。その
「ぐ、あうっ!!」
シャナも、爆風と
(もし突っ込んで、
一方、手の内に『バブルルート』の金の鎖を引き戻し、コインへと戻したフリアグネは、ついに気付いた。
(こいつか!!)
このハンドベル型の
計画を
コレクターの血が沸き立った。
「は、は、ははは!!」
興奮を面に表して、フリアグネはまた、『ダンスパーティ』を一振りする。
シャナは、また
「っうぐ!」
「っこの、
そのまま走ろうとしたが、体中を走る激痛に思わず
得意気なフリアグネの声が、その耳に届く。
「はは、
さすがに〝
それを思い知ったシャナのわずか後方で、また一体、爆発した。
爆発した場所の意味を、爆発させたフリアグネの意図を、シャナは
「っく!!」
そこは、自分と
爆発の反対側にある悠二は、最初のフィギュアの
「……ッカ、ハ……!!」
と、突然、その
不審に思い、目を開けると、自分の周りに、小さな見えないドームでもあるかのように、爆風と
「…………?」
その現象の理由が、目の前にある。
見慣れた、存在感が地に根を張っているような、力強い足ではない。
気の抜けた風船が地に
調子っ
「……中に、なにが、あるのかな?」
その背後から、銀光が迫る。
その軌道に、
フリアグネは首を
これまでにないことが起こった。
シャナが、
「っ!?」
彼女は、驚き、
その一瞬の間に、フリアグネは悠二を連れて飛び上がっていた。
「は……はは、はははははは!!」
フリアグネは、全く予想外の展開を、狂った音程で
まさか、まさかフレイムヘイズが刃を止めるとは!!
おかしくてたまらない。この〝ミステス〟には、どうやら利用価値がありそうだった。
「ははは! アラストールのフレイムヘイズ! まだ戦う気があるのなら、この〝ミステス〟が
その
シャナの躊躇、その一瞬後の、顔が。
炎髪灼眼の
「っ──!!」
どういうわけか、
「─────────!!」
助けを求めたわけでも、恐怖を声にしたわけでもない。
シャナのことを、意味をなさない、ただ感情を声に変えた叫びを、あげていた。
その
そして、ハンドベルを振った。
「っくく、そぉれ!!」
動き出した世界の中、遠ざかるシャナの小さな姿を中心に、残ったフィギュアたちが
市街を襲う
やがて、
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