首の舘

沈丁花

首の舘

「うわ、最悪」

 コンビニを出るとちょうど雨が降り始めた。部屋にいるときは付けっぱなしのテレビで、今日は夕方から雨が降ると言っていた。もう少しくらい大丈夫だと思ったのに。

 俺は視線を店先の傘立てにやる。ビニール傘が2本、黒くて高級そうな傘が1本、青色のポリエステル製の傘が1本。

 俺は青い傘の柄を手に取って、留め具を外し外に向かって開いた。バンッという振動が腕に伝わり、そのまま頭の上にかざすとパラパラと雨音が生地を叩く。どうせならちょっといいもの、と選んだ。

 最近、彼女と些細なことで喧嘩し、向こうから一方的にフッてきて話し合いもなくそのまま別れた。いま思い出してもイライラする。

 期間限定のアイスクリームが入った袋を振り回しながら、足取りはだんだん早くなる。薄暗いアスファルトにうちつける雨が少しずつ黒い水溜まりとなり、それを避けながら歩く。ふと足元から顔を上げると歩行者用信号が点滅していた。

 反射で走り出す。信号は既に点滅から赤に変わっていた。止まることは考えなかった。

 そのまま横断歩道に突っ込む。眩しい光が全身に当たり、クラクションが割れるように響いた。



 ***



 次に目が覚めた場所は、薄暗かった。目の前をぼんやりとした灯りが揺れる。その灯りを追って、何度もまばたきした。視界がはっきりしてくると、それが蝋燭だと分かる。

 辺りからは何人もの人の声がする。笑い、泣き、呻き、怒り、囁き、喚き。様々な声。

 意味が分からず、体を動かそうとする。動かない。感覚がない。首は多少は回るらしいが、最も動くのは眼球、視界だった。

「おぅ、起きたかい?」

 右隣から酒に焼けた声がした。首を回し、視線をそちらへ送る。

 そこには、男の首があった。

「うぁ、わあああああ!!!」

 叫んだつもりだったが、声は出なかったらしい。口を金魚のようにパクパクさせる俺を見て、男は首だけでケラケラと笑い転げた。実際には首はよく分からない木の板に置かれていて、男がどう笑っても転がったり倒れたりしなかった。

「ははは、久しぶりに良い悲鳴を聞いたぜ。他の奴らァ、おれなんかとは話してくれねぇか、ひとりでブツブツ言ったり泣いたり。こんなに大勢いるのに独りきりなんだ、飽きも来る」

 首は喋っている。首だけなのに、俺に向かって喋っている。

「あ、あんた……なんだよ……なんでそんななのに喋って……」

 首だけの男は「はぁ?」と大袈裟に眉を動かすと、次に「あんたァ、自分を見なよ」と口をへの字に曲げた。

 言われるままに視線を下へ向ける。

 俺の体も無かった。見えるのはが置かれている木の板。体の感覚が無いんじゃない、体が動かないんじゃない、俺も首だけだった。

「なんだよ、これぇ……!」

 俺はもう泣きそうだった。どうして。俺が何をしたんだ。ここはどこで、どういう状況なんだ。

「落ち着けよぅ、あんちゃん」

 隣の男がなおも話しかけてくる。

「ここで正気を保ってるやつは稀有なんだ。狂うにしてももうちょい先にしてくれよ。言ったろ、おれァ暇なんだ」

 こいつに話を聞くしかない。夢かもしれないが、帰る方法があるなら。これが都市伝説とかいうやつなんだろうか。

「わかっ、た、よ……話をしよう」

 俺が言うと、

「おぅ、そうか! そう来なくっちゃなァ!」

 と笑って返した。どうして笑えるんだろう。


 男は卯吉うきちと名乗った。動転していて気付かなかったが、髷を結っている。時代劇ドラマで見る、侍じゃなく町人風の髷。首だけなのに人懐こく笑うおっさんだ。

「おっさんだなんて嬉しいねぇ。おれが生きてた頃にゃ、もうじじい呼ばわりだった」

 確かに髪に白髪は見えるが、そこまでの年齢には見えない。

「卯吉、さんは、いつからここにいるんだ」

「さぁなァ。随分と長ぇことは確かだよ。だからみぃんな狂っちまう」

 言われ、改めて辺りを見回した。

 周りにあるのは全て首だった。老若男女のおびただしい数の首。それらが、笑っていたり、泣いていたり、呻いていたり、怒っていたり、囁いていたり、喚き散らしていたり。それぞれに感情を曝露させている。

「ここにいる人たちはどうして」

「そりゃ死んだからだよ」

 しんだからだよ。

 さも当然のように卯吉の口から吐き出された言葉に絶句する。

「ここは首の館だ。おれが勝手にそう呼んでるだけだがな。全員、

「くび……」

「例えば首吊り。あっちで泣いてる娘がそうだ、そうそう、あの髪を2つで結ってる。例えば殺人。みっつ上の段で怖ぇ顔をしてる好い男、理由は知らんが誰かに掻っ切られたらしい。例えば事故。最近はでけぇ鉄の牛や大蛇に襲われたって話を他の首から聞いたが、そんなもん鳥山石燕が描きたがったろうぜ」

 事故。

 降り出した雨、点滅する信号機、全身を包んだハイビーム、耳を引き裂かんばかりのクラクション。

「俺、それだ……」

「事故なのか、気の毒になァ。牛かい? 大蛇かい?」

「鉄の牛とか蛇とか何の話だよ。たぶんトラック」

「トラックってなァ、どんなんだ?」

「どんなんって、生き物じゃないし」

 卯吉は眉と口を八の字にするとくるくると目玉を動かす。考え込むときの表情らしい。

「卯吉さんはどう、死んだんだよ」

「おれァお侍の刀で首をスパンとな」

 卯吉はやはり笑って言った。


「俺は、死んだのか」

「そうとも。だからここで成仏のときを待ってる」

「成仏?!」

 ここを出たいと思った。当然の感情だ。

「成仏ができるなら、ここから出られるってことだよな!」

「当たり前ぇよ。むしろ、成仏するしか館から出る方法はねぇんだ」

「それ、どうすれば良いんだ?」

 俺は首だけで卯吉の方へ前のめりになった。

「死んだ時のまんま、気合と根性で体が首を探しに来るから、体に見つけてもらやァ良いんだ」

 体に、首を見つけてもらう。どこかで聞いた怪談話だった。事故で亡くなった人が、見つからない首を探してさまよっている、とか。

「そんな安い怪談マジなのかよ……しかも気合と根性って……」

「生きてる奴らが見ちまうのは、首を探して館をウロウロしてる体が、なんでか偶に現世に出ちまうからだぜ」

「まさか首なしライダーとかの正体それ?」

「らいだ? あ、分かった、鉄の馬に乗る奴らだろ! あの馬はぐぅるんぐるん五月蝿ぇんだよなぁ。小せぇ馬は、風鈴みたいに鳴くってのに。ここもたまーに通るぜ」

 前者はおそらくバイク、後者は自転車のことだろうか。しかしそんなことより、

「たまに出ちまうとか、それこそ完全に事故じゃん」

「違ぇねぇや」

 卯吉は笑う。つまり、俺の目の前の狭い通路は体のための道だったのか。しかも死んだ時の姿のまま。

 しかし、体が探していて、見つけて貰えれば成仏するという割にはここにいる首の数が多すぎやしないか。

「もしかして難易度高い?」

「お、気付いたねぇ。高ぇも高ぇよ、なんたって向こうは文字通り手探りだ。目も耳もこっちに置いてあるんだからな」

「あ!」

 手探りで、この膨大にある首の中から自分の首を探す。蝋燭と通路は上下左右にどこまでも続いていて、体は闇雲に移動して首を見つけるしかない。

 無理ゲー、という言葉が頭に浮かぶ。

「……卯吉さん、だからずっとここにいんの……」

「はは、仕方ねぇ。それだけのことをしたってぇ意味だろ」

 眉が再び八の字に下がり、口元の皺に影が落ちる。

 つまらねぇと思うが、と前置きをして卯吉は話し始めた。

「おれァ、ケチな奴でよぅ。自分のもんを持ったり使ったりするんでなくて、人様のもんを持ったり使ったりしてたんだ。置き引きにスリ、店先のもんをいただいたり。でもお役人には捕まらなくてなァ、逃げる様がまさに脱兎のごとくってんで、跳びの卯吉なんて呼ばれたんだよ」

「それ泥棒じゃん」

「そうさ、泥棒さ。ただ、押し込み強盗なんて大それたことはしなかった」

 それでも泥棒に違いは無いだろうに。自然と眉間にシワがよった。

「傘なんかもよくお借りしたなァ。てめぇのよりいいもんがあると、そっちのが見栄えがして良いじゃねぇか」

 ここにないはずの心臓が跳ねた。

「あの日もなァ、借りるだけのつもりだったんだよ。でも相手が悪くってなァ、お堅い頭でっかちのお侍でさ」

 卯吉の視線がスゥと細められて、虚空から俺へ移る。

。分かるだろ?」

 あんちゃんからは同じ匂いがするんだよ。卯吉は、にぃと大袈裟に口角を上げて笑う。



「トオル、辞めなよ、そういうこと」

 千佳ちかに初めてそう言われたのは、大学のコミセンから出る時だったと思う。手に持っていたのは、自分のものではないビニール傘。

「なんで?」

「持ち主が困るじゃん」

「だって雨降ってるから俺がいま困ってるし、ビニ傘なら他にもあるから良いだろ」

「良くないって、辞めて!」

 千佳は俺の手から傘を取り上げると、傘立てに戻してしまった。

「濡れるだろー」

「今日は午後から雨だって言ってたよ」

「誰が?」

「天気予報も見ないの?」

 そう言って千佳はカバンから小さな折りたたみ傘を取り出して、丁寧に広げていく。カチンと音が鳴って淡いピンク色の傘が開く。

「ちっさ、せま」

「わがまま言わない。相合傘してこ、ね?」

 結局、その日は左肩とカバンがかなり濡れた。靴なんか悲惨だ。あのビニール傘なら千佳もあんなに濡れなかった。ちょっといいものがあれば少し借りるだけなのに、なにをそんなに怒ったんだろう。

 それから度々、物を借りる癖を千佳に叱られた。そしていきなり「もう無理、別れよ」と言われた。

 どうせならちょっといいもの。それを選んでなにが悪い? 盗んだわけじゃない。借りるだけ。

 首の館に来る前のコンビニでもそうだった、いつものことだったのに。



あんちゃん、おれと同じだろ」

「泥棒と、一緒にすんなよ」

「どうしたい、声が震えてるぞ? やっぱり心当たりでもあったかねェ」

 泥棒。俺が。だから千佳は怒って。叱って。でも俺が直さなかったから。だから千佳からフラれて。トラックにも轢かれた?

 考えていると、卯吉が「おっ」と声を上げた。釣られて卯吉が見ている方へ目をやる。

 俺の体だった。

「あっ!」

「まさか、あんちゃんの?」

「そうだよ! おい、こっちだ、おい!!!」

「無駄だってェ。目も耳もここだろ?」

「うるせぇよ!」

 ヨタヨタと、明後日を向いた右足を引き摺って歩く体に声を掛けた。叫ぶ。なぜか、あちらこちらからも叫び声がする。

「来るのめっちゃ早いじゃん、俺の体! こっちだ、来い! 来い!」

 たくさんの叫び声の中、俺の体はゆっくり俺に近付いてくる。

 よし、よし。抜け出せる。早く。早く。

 頭だけで急く俺にどんどんと近付き、そして俺の横を、俺の体は通り過ぎた。

「……え、待て、待てって!」

 当然俺の声など聞こえない俺の体はガタガタと左右に揺れながら、更に段差を3つ登った。そして、ギュウと眉根を寄せ口を引き結んでいる、卯吉が誰かに首を掻っ切られたという男の頭を掴む。

「は?」

 その男はそこで初めて俺の体に視線を送り、違う違う、と声を荒らげた。

 僕じゃない、お前は僕の体じゃない! 僕はお前の首じゃない!

 そう言って拒否を示す男を気にする様子も無く、俺の体は男の首を持ち上げる。

「いやだ!」

 という声を残して、俺の体と男の首は消えた。


「体はひたすら歩き回ってるから、首に辿り着くかは気合と根性、あと運なんだ。どれも持ってたんだなァ、あの体は」

 感嘆するように吐き出す卯吉に、俺は目をやる。

「どういう、ことだよ……俺の体……他人と……」

 今度こそ声が震える俺に対し、卯吉は言う。

「誰がと言ったよ? 決めるのは体だ」

「なんでっ……!」

「何でぇ? 分かってるだろ、あんちゃん。。あんたの体なら染み付いてるだろうが」


 どうせなら、ちょっといいもの。

 自分のものより、いいものがあるならそちらがいいに決まってる。


「うきち、さんの、からだ、は」

「はは、とうの昔に小金持ちらしいやつの首持って行っちまったよ。やっぱり、おれと同じだったなァ、あんちゃん」

 血など、首から流れてはいないのに。血の気が引く。寒くなる。アスファルトから染みた雨水のように。


「気長に待とうぜ。おれたちの首でも良いかと言ってくれる体が現れるまでさァ、仲良くやろうや。そうだ、名前、教えちゃくれねェかい?」

 そう言って卯吉は、にぃと笑った。

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