悪役令息、悪を演じる

和扇

役を演じろ、さもなくば……

「はーい、ようこそー」


 実に気の抜けた女性の声で、男は目を覚ます。

 周囲を見回すと、そこには何も無い。真っ白で、自分が立っているのか座っているのか、はたまた寝ているのかも定かではない。しかし一つだけ、意識が覚醒している事だけは理解出来た。


「貴方は死にました、そーゆ―ことなので転生させます。あ、私は女神ね」


 布一枚を巻き付けるような形の服、トガを纏った女性。その姿は古代ギリシアかローマの石像のような美しさだ。彼女は自身の事を神だと、さも当然のように言い放った。


「え、あの―――」

「で~、貴方を送り込むのはー」


 困惑しつつ、男が言葉を発しようとするが女神がそれを許さない。彼が何かを言うよりも先に、自分のペースでドンドン話を進めていく。


「コレ、この世界!」


 女神は何やらA4ノートサイズのパッケージを虚空から取り出した。色どり鮮やかなそれはどうやらプラスチック製、そして表面には所謂二次元のキャラクターイラストが描かれている。


「ええと、何が―――」

「私、これにハマってるのよねー。誰とでも恋愛できて、どーんな関係になる事も可能な超絶素晴らしい学園乙女ゲーム。知ってる?知ってる?」

「い、いえ、知らな―――」

「あー、損してるわー。人生の十割損してるわー。いやそもそも、もう人生終わってたわー」


 喋る気はあっても、相手の話を聞く気は無い。横暴の化身のような女神は、男が反応できないうちに次々と情報を繰り出していく。


「キャラクターに命を吹き込む、って言うじゃない?でもそれはあくまで声優やアニメーターの力で、そう見えてるだけ。まぁ、人間じゃそれが限界よ、当たり前当たり前。でもそれで私は楽しませてもらってたんだよね~」

「は、はぁ」


 矢継ぎ早に飛んでくる理解不能な言葉の雨を受けて、男は困惑の極み。意図せずに口から漏れた声が、この空間に来て初の完遂できた言葉となった。


「でもねー、私は考えたの。私、神じゃん、て。そう、私なら出来る。命を吹き込める。比喩とかじゃなくて実際に人間の魂をねじ込む事が出来るのよ!」


 少々興奮しながら、女神は自身の閃きを熱弁する。矮小な人間である男には、彼女の言っている事の意味は分からない。しかし、本能的に途轍もなく嫌な予感を覚えていた。


「さぁて、貴方を転生させる先はー……」


 相手に有無を言わせない迫力を出して、女神はパッケージ裏に小さく描かれた男性を指さす。


「悪役!公爵令息カール=ハインツ・フォン・デューラー!主人公の恋路を無意味に邪魔する、すっごい嫌なヤツ!コイツに決定!」


 トントンと人差し指でパッケージに写る男、カール=ハインツを叩く。余程の恨みがあるのか、そのつつきには力が込められていた。


「それじゃ、転生はーじめ!」


 ルンルン調子な女神の言葉と同時に、男の足元に魔法陣が生じる。彼は驚き、言葉を発しようとするも何故か何も発声できない。


「あ、叫ばれたりするとクソ面倒だから声奪ってるから。何か言おうとしてもムダー」


 チッチッチッと女神は立てた人差し指を振る。その仕草とニマリとした笑顔に多少の悪意を感じ取りながら、男の意識が段々と薄れていく。


「そうだっ」


 女神は何かを思い出したと言った調子で、パンと手を叩いた。


「貴方に言っておかなきゃ。く、れ、ぐ、れ、も、ゲームシナリオをぶっ壊したりするんじゃないわよ。悪役は悪役なの、良い奴になったりしちゃダメなの。それは解釈違いってものよ、カスの所業よ、カスの」


 腕を組んで、フンと鼻息荒く女神は吐き捨てる。そんな事をぼんやりとした意識の中で男は聞いていた。


「悪役っぽくない事をしたら、世界をリセットする。世界が崩壊したら貴方の存在も消えるから。簡単に言ったら死ぬからね、二度目の死。アーンド魂消滅で輪廻転生出来ないのでご注意を~」


 ビシッと男を指さして、女神は言う。滅茶苦茶な話であり、横暴も極まれりという程の宣言だ。


「じゃ、行ってらっしゃーい」


 男の意識は、光の中へと消えていった。






 彼は姿見の前で硬直していた。


 自分は間違いなく、黒髪黒目の日本人男性だったはず。三十数年の人生を送って、それ相応の歳を重ねた顔つきをしていたはず。


 しかし鏡に映る自分はまるで違っていた。


 元は多少癖毛だった黒の短髪は、背中にかかる程の長さの薄紫ストレートに変わり。日本ではそこまで珍しくも無い黒の瞳は、見た事も無いパープルに変化していた。


 中学生と言うには百七十センチメートル半ば程度に身長が高く成長している、大学生と言うには顔つきが幼く見える。高校生くらいだろうか、彼がそう考えていた時。コンコンとドアがノックされる音が、生前住んでいたワンルームマンションの部屋の三倍以上広い自室に響いた。


「カール=ハインツ様、よろしいでしょうか」

「あ、はい」

「え?」


 女性の呼びかけに返した普通の答え。

 だというのに、扉の向こうの彼女は困惑したような声を上げた。


 それと同時に、カール=ハインツとなった男の視界の端にそれは生じた。


 黒い染み。

 ほつれと言った方が正しいだろうか。部屋の壁に生じたそれは壁を、いや、壁があるその空間場所そのものを毛織物がほどけるように消滅させていく。じわりじわりと、まるでインクが滲んでいくかのように、それは広がる。


(っ!これが、世界のリセット、崩壊かっ!)


 背中を突き抜けた死の寒気から男は―――カールは本能的に理解する。


(マズいマズいっ、このままだと世界がっ)


 見ず知らずの人々が暮らす世界。女神はゲームだと言っていたが、その発言が本当かどうかも分からない。一つだけ確かなのは、リセットされたら自分は死ぬという事だ。


 男の脳が超高速で思考を巡らせ、三十数年の経験から『悪役』に相応しいであろう台詞を引き摺り出した。


「ぅうんっ!用があるならさっさと入れ、愚図が」

「し、失礼いたします……」


 壁に生じた染みは瞬時に消え失せた、どうやらこれが正解だったようだ。カールの回答を受けて、女性が入室する。彼女は丈の長い黒ワンピに白エプロンの使用人メイド服に身を包んでいる、いわゆるヴィクトリアンメイドという奴だ。


「本日ご入学されるエーデル騎士学園へ向かう馬車の準備が出来ました。御父上、ベルーゼ様がお呼びでございます」

「チッ、支度が出来次第すぐに向かうと伝えろ」

「か、かしこまりました」


 萎縮しながら、失礼いたします、と頭を下げてメイドは退室し、扉を閉めて去っていく。その足音が遠くなっていくのを扉に耳を付けて確認して、カールは深く安堵の溜め息を吐いた。


「あれで良かったのかな……」


 申し訳なさそうに眉毛をハの字にして、彼は少し落ち込む。


「乱暴だったよなぁ、うう、ごめんなさい……」


 初対面の相手に尊大で横柄な態度を取った事をカールは謝罪する。


 男は生前、善人だった。

 困っている人がいれば掛け寄って助け、道に迷った人がいれば一緒に目的地まで案内した。地域のボランティア活動に積極的に参加し、大きな災害が発生したなら無理のない範囲で必ず募金に参加した。


 礼儀正しく丁寧で誰からも愛される、そんな男。葬儀では誰もが死を惜しみ、良い奴ほど早く死んでしまう、と皆から涙を流された人物である。


 だからこそカールとなった彼は、使用人だろうが何だろうが他人に対して乱暴な対応をする事に心を痛めているのだ。


「……お父さんが呼んでる、って言ってたよね。待たせちゃいけない、急がないと」


 ドアノブに手を掛けた所で、カールは動作を止める。


「あ、学園に入学する、って言ってたな……」


 くるりと振り返る。すると机の上に置かれた茶色革の鞄が目に入る。中身を確認すると、見た事の無い文字で書かれた本が幾つか納められていた。しかしカールはそれを読む事が出来る、なぜかは分からないが読めた。おそらくはそれを必要と考えた女神が何かしたのだろう。


「エーデル騎士学園、かぁ……」


 学校案内及び規則と書かれた本の、表紙下部に書かれた文字をそのまま口に出す。まさか三十を過ぎて、再び学校へ行く事になるとは。パラパラと初めの方だけ軽く目を通す。入学年齢は原則十五歳とある、高校生という見立てはどうやら正しかったようだ。


「凄い嫌な予感がする……」


 女神は言っていた、学園恋愛乙女ゲームの世界に転生させる、と。そこで無意味に主人公の邪魔をする悪役に魂をねじ込む、と。つまり今はまだ、ゲームが始まってすらいない。


 公爵という事は貴族の頂点、となれば学内の殆どの相手に横柄かつ尊大な態度で接しないといけない事になる。それを考えるだけでカールは軽く頭が痛くなってきた。


 だがしかし、ここで逃げ去るという選択肢は存在しない。


 横暴な態度をとならなかった、返事一つの失敗で世界が壊れる。女神にほぼ監視されている状態でゲームを壊す選択をしたら、それ即ち先程のメイドを含めた世界中の人々と自分の死に直結する。善人な彼に、そんな事が出来るワケが無いのだ。


 途轍もない不安と嫌な予想でズキズキと痛む頭を抱えて、カールは自室を出た。






 学園へ向かう馬車の中、彼は出立前に父親から言われた事を思い出していた。


「王族すら凌駕する公爵家の力を学園で示せ、かぁ……」


 そう、彼の父ベルーゼはそう言っていた。公爵はあくまで国の中の貴族、王よりも地位が上という事は本来はない。しかし演説するかのように、聞かれてもいないのに喋り続けた父親は得意そうに語ったのだ。


 度重なる他国との戦争、そして凶作と経済施策の失敗で王国はボロボロである。しかし王家の再三の参戦要請を突っぱねた上に、大きな貿易港を抱えて戦争中も密かに敵国とも交易を続けたデューラー公爵家は今、国内において格別の力を持っているのだ。


 面従腹背も甚だしい、殆ど利敵行為に近い動きをしている。父親の話を聞いたカールはそう思った。そしてそれは、これから向かう学園での立場が途轍もなく酷い事になるであろう事を示している。


 王家すら軽んずる、それどころか彼らになり替わろうという動きにも見える不忠者の貴族。旧恩を忘れ、自分達の利益だけを考える強欲の徒。


「胃が、痛い……」


 カールは腹を擦る。

 酷い評判を背負い、それでいながら動きを封じられている。今の状態で誰も彼もから蛇蝎の如く嫌われていて、そしてこれからは更に酷く嫌悪される事が確定しているのだ。


 博愛主義とも言える本質を持つ男にとって、それは耐えがたい地獄である。


「でも僕が、悪役を演じなかったら……」


 みんなみんな、世界と共に全ての人が消え失せる。ゲームの中の話、全てはデータと言えば、その通りだ。しかしそうではない。


「僕以外にも人間がいるとしたら……」


 自分は転生者である。そしてそれは、もしかしたら他にも誰か同じ状態になっている人間がいるしれない。いない可能性も勿論存在する、が確証などない。無いという事、それを確かめる術は存在しないのだ。


「やるしかない」


 カールの目に覚悟の光が宿る。

 たとえ自分がどれだけ嫌われようとも。

 その程度の事で、この世界が救われるというのであれば。


 善良な彼は役割を演じる事を選択するのだ。


「あれが、騎士学園」


 ガラガラと回る車輪が、彼を地獄へ連れて行く。

 カールは町の中でひときわ大きく、城のような佇まいの建物を車窓から見た。大きな校舎は白の壁に赤の屋根、晴れ晴れとした気持ちで見るならば希望の学び舎だ。


「……がんばろう」


 学園生活を前にして、他の生徒とは違う意味で彼は自分を奮起させる言葉を口に出した。


 校舎の前に横付けされた馬車から降りる。


(視線が……痛い)


 国賊を見る目。そうとしか表現できない、憎悪と軽蔑を孕んだ視線が四方八方から投げかけられる。と、同時に視界の端がジワリと黒く解れた。


(!!!)


 まただ、崩壊の兆しがまた来たのだ。

 今回は何もしていない。一言も発していなければ、馬車から降りただけだ。


(そうか、何もしていないのがダメなのかっ)


 気づきを得て、カールは考える。

 自分を見ているのは平民やら下級貴族。いやそもそもこの学園で自分よりも高位の貴族は存在せず、王族ですら己の立場は横並び以上だ。それを大前提と考えて行動するならば今すべき事は。


「貴様ら、このカール=ハインツ・フォン・デューラーに何か用か!それとも下賤の者共の目には、我が高貴さが毒だったか?」


 嘲るようなカールの一声にある者は俯き、ある者は目を逸らした。黒い解れは消え失せて世界に平和は戻ったが、その代わりに彼の心にダメージが生じる。


(キツイ……)


 針のむしろに座るという比喩が、そのまま現実になるとこうなのだろう。校舎の中を歩き行くと、誰も彼もが道を開ける。男子も女子も、間違っても目を合わせないようにと顔を背ける。顔には出せないが、カールは心の中で涙を流した。


「―――ッ、大変、大変っ、忘れ物っ!」

(……ん?)


 入学式の場は校舎を抜けた先の大講堂。そこへと向かって歩いていると、なにやら 曲がり角の向こうから慌ただしい声が聞こえてきた。それは次第に大きく聞こえるようになっていく、声量が上がっているのか、それとも。


「きゃぁっ!」

「うおっと」


 駆けてきた少女と衝突した。カールよりも頭一つ分以上背の低い赤髪少女はドスンと尻もちを搗いてしまう。声が大きくなっていたのは、声を出しながら廊下を走っていたからであった。


「ああ、だいじょう―――」


 咄嗟に手を出そうとする。

 が、その瞬間やはり黒い解れが現れた。


 意のままに行動する事が出来ず、カールは心の中でグッと唇を噛んで出そうとした手を引っ込めた。


「おい!どこを見ているのだ、貴様!そもそも廊下を走るな、馬鹿が!」

「ひいいいぃっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」


 突然強い口調で怒鳴られた少女は、素早く立ち上がって何度も何度も頭を下げる。


 カールは玩具のように激しく動く彼女を観察した。


 騎士学園には貴族と平民、どちらも存在する。しかし平民が貴族を判別できずに無礼を働いてしまっては大問題となってしまう。それを防止するために、貴族生徒の制服の襟には家紋が縫い付けられている。実際カールの襟には、開かれた城門の中でいななく一角馬の紋、がある。これぞデューラー公爵家の家紋である。


 対する少女の襟には何も無かった、つまりは彼女は平民なのだ。


 公爵令息に平民が体当たり。ここが学び舎でなければ護衛の騎士に一刀両断にされるのが当然の所業である。少女が恐れ戦きひたすらに謝罪するのも当たり前なのだ。


「ふん、今回だけは許してやろう。次に同じことをしたならば、その首が胴から離れるものと思え」

「あぁひゃいいいっ、すみませんでしたぁぁぁぁっ!」


 睨まれた上に恐ろしい事を言われて、少女は悲鳴と謝罪を叫びながら逃げ出した。廊下を走るな、という善人成分が滲んで出たカールの忠告は、どうやら彼女の耳には入っていなかったようだ。


(あれ?今の子、どこかで見た事が……あ)


 彼は思い出した、女神がこれ見よがしに見せつけてきたゲームのパッケージを。その表の真ん中、何人かの男性キャラクターに囲まれる形で描かれていた少女を。


(あの子がこの世界ゲームの主人公、か)


 他の生徒にも衝突しそうになりながら、わたわたバタバタと慌ただしく駆けていく主人公。その姿を見送って、カールは元通りに大講堂へと歩を進める。


(あの気弱そうな子に暴言とか横柄な態度とか、しなくちゃいけないのか……)


 憂鬱な気持ちが心を暗くする。


(何だか胃が痛く……)


 先行き不安でカールの臓腑がキリキリと悲鳴を上げた。






 一方、廊下を駆け行く少女。


「はぁっ、はぁ……っ」


 しばらく走り、先程掛けたベンチに置き忘れた鞄を見付けた。彼女は一度休憩と、その長椅子にドスンと腰を下ろして、ガクンと項垂れる。


 少女は、先程衝突した相手の事を考えていた。


「…………ぅ」


 小さく小さく、彼女は声を漏らす。

 が、それ以上は何も口に出さない。


 何故ならば。


(ッのヤロウ!!!今度会ったらブッ殺してやるッッッ!!!!!)


 心の中で、叫んでいたからだ。


 彼女もまた転生者であった。

 クソ喰らえな人生を歩み、二十にも届かずに死んだ少女。それが彼女の前の一生だ。女神に出会った瞬間に殴り掛かり、上位存在に喋らせる暇も与えずに罵詈雑言怨念怨嗟をぶちまけた。不幸な人生を定めたのが神であるならば、それ位する権利を持っている、彼女は生前からそう考えていたのだ。


 が、しかし。女神の返答は全く予期していなかったものだった。


『え、なにそれ、知らん。私の管轄じゃないよ、知~らんぽいっ』


 あっけらかんと、何の感情も無く、軽く答えられたのだ。少女の怒りの炎は更に燃え盛ったが、女神に対して実力行使は出来ない。最初に試したがすり抜けてしまったのだ。


 だからと言って、口撃も効果が薄い。まずそもそもが人間の罵詈雑言が女神に効いていないという事もそうだが、勉学の機会も逃した彼女の語彙力では馬鹿アホ間抜け程度の言葉しか出てこなかったのだ。


『まーまー、終わったんだから次行こう、次ぃ』


 完全に他人事といった調子で女神は説明する。自分がハマっているというゲームの世界に転生させるという事を。しかし女神の高説は少女には響かない、彼女は全く意味が分からなかったのだ。


 何故ならば少女は、乙女ゲーム、なる物が何なのかを知らなかったのだから。


(あンのクソ神ッ、もう一回会って、ぜってェにブチのめす……!)


 俯いたままの彼女の全身から闘気が昇る。だがしかし、殺意に満ち溢れたそれは決して発散する事は出来ない。もし自分勝手に行動したら死ぬのだから。


(あああァァァッ!ムカつく、イラつく、ブチ殺すッ!)


 キャラクターの設定を崩壊させたら世界と自分も崩壊する、冗談ではない。生前他人に対して反抗を続けてきた彼女であっても、自分が死ぬと分かっている事を実行する程に向こう見ずの命知らずではないのである。


「フゥゥ……フゥゥ……」


 まるで怪物が息を吐くように、少女は荒く息を吐く。その形相は般若を超える悪鬼の面構えだ。そんな顔を誰かに見られたら百パーセント世界崩壊、絶対に顔を上げるわけにはいかない。自由に行動できないフラストレーションが、更に彼女にストレスを掛けていく。


「キミ、大丈夫かい?」


 頭上から少女に優しい声が掛かる。


「アァ?―――あ、ああ、はい、大丈夫です」


 喧嘩腰に睨みつけようとした顔面を、彼女はギリギリで笑顔に変えた。無理な変化をさせた事で、頬の筋肉が痙攣してしまう。


 彼女の前には金髪碧眼の長身男子がいた。白面の貴公子とは彼の為にある言葉と言えるほどの美しさと優雅さだ。ひくついた少女の表情を見た彼は、屈んで目の高さを合わせ心配そうに問い掛ける。


「本当に?ずいぶん苦しそうな顔をしているよ?」

「ちょ、ちょっと緊張で気分がわりィ……悪いだけですヨ」


 生前に身に染み付いた乱暴な言葉遣いが口から漏れそうになるが、彼女はなんとか耐えきった。そして少女は、目の前の人物が誰であるかに気付く。


(コイツ……たしか、この国の王子じゃねェか?)


 彼女はつい先程見た記憶を引っ張り出した。校内に飾られていた肖像画に描かれていたのだ。


(王子……王子か。つーという事は、ココ学園にいる奴らの誰よりも偉いってコトだ。つまり、あンのクソ野郎よりも)


 王子に見せている表情は変えず、心の中でだけほくそ笑む。


(よっしゃ、こりゃ利用できる。コイツをたらし込んで、あのムラサキ野郎をブッ潰してやるぜ、クックック)


 良い物を拾った、そんな感覚で彼女は思考を行動に移す。


「心配ありがとう。あっ、ごめんなさい、私はエマ・シュネーリヒトです」

「エマ、だね。僕は―――」

「知ってる、王子、サマだよね。アルベルト様」


 敬語など知らない少女エマは、少々ぎこちない口調で王子の名を口にした。


「うん、そうだよ。キミと同じ、今日からこの学園の生徒になるんだ」


 目の前の相手が不安がっていると思った彼はニコリと笑顔を見せる。人の好さそうな王子の対応に、エマは心の中でほくそ笑む。これは扱いやすいぞ、と。


「優しいね、アルベルト様は。さっきの人とは大違い」

「さっきの人……?」

「背が高くて紫の髪と目の、物凄く怖い人。門と馬の、家紋?が襟に付いてた」

「カール=ハインツか」


 にこやかだった王子の眉間に皺が寄り、途端に表情が険しくなった。


「彼には近寄らない方が良い」

「うん、そうする。でも、ぶつかっちゃったから目を付けられてるかも……怖い」


 エマは身を縮こまらせて、怯えた様子を演じる。人の良いアルベルトは、そんな彼女の為に決意した。


「分かった、キミは僕が守るよ。新しい一歩を踏み出す日にこうして出会ったんだ。これも女神のご意思、運命かもしれないしね」


 そういって彼はニコッと笑った。

 女神の意思が存在する事など、エマはよく知っている。完全に道化な彼の発言に噴き出してしまいそうになるのを彼女は必死で耐える。が、それが上手い具合に可憐に笑っているように見えた王子は、ドキリとして頬を僅かに赤に染めた。


 二人は連れ立って、大講堂へと向かうのだった。






 カールとアルベルトは大講堂の壇上で対峙する。


 入学する貴族生徒の代表としてスピーチするという地獄のど真ん中に立ったカール。そんな彼に対してアルベルトが待ったを掛け、平民エマへの先程の所業を突きつけたのだ。


 敵意と侮蔑の目がカールに向けられる。


 もう彼の胃は限界だ。


「―――共に学ぶ者を威圧する、そんな君が貴族代表など僕は認められない!」


 己の正義を込めて、アルベルトはビシィとカールを指さす。


(本当にその通りなんだよなぁ……)


 断罪されている本人は王子の意見に内心同意していた。そもそも彼の本質は、正義を成さんとするアルベルトに近いのだから。


 が、しかし、世界はそれを許さない。

 黒い解れは現れ、カールは考えを巡らせて反論せざるを得ないのだ。


「先の戦争の結果、今なお国民を苦しめる王族が何を言う!貴様の言葉は偽善に過ぎない!形だけ取り繕って美しく見せて、しかし中身は伴わずに役目を果たせない。それの何処が国の頂点だ!それを理解しない者こそ、愚かというものだろう!」


 王の意思に背いた公爵の息子がそれを言うか。

 いやしかし、王が決めた無計画な戦争で民が苦しんでいるのは確かだ。


 大講堂の中には二つの意思が渦巻き、何とも微妙な雰囲気となっていく。


(……チッ、あの王子、使えねぇな)


 図星を突かれて怯んだアルベルトを見て、エマは内心で舌打ちする。自分ならば口喧嘩で相手を黙らせられるのに、と悔しく思っていた。だからといって出ていくわけにもいかない、そんな事をしたら世界崩壊だ。彼女が出来る事など、もっと気合を入れて戦えとアルベルトを見つめる睨む事だけである。


 そんなエマの視線に気づいた王子は、それを都合よく応援の目と認識した。奮起した彼は反論し、それにカールが更に反駁はんばくする。


 両者は一歩も引く事無く、物語の始まりを盛り上げていく。






「あははははは!いいぞいいぞ、もっとやれー!」


 大画面液晶ディスプレイに映る彼らの戦いを、ソファに寝そべってポテトチップス片手に女神は見ていた。人間をインストールしたゲームキャラクターたちは彼女の思惑以上に思い悩み、本来のシナリオ以上の楽しみを彼女に供していた。


「いやぁ、やっぱり私、天才だわ。どうしてもっと早く思いつかなかったんだろ」


 ペットボトルをプシュッと開けて、炭酸飲料をグビリと飲む。自堕落な現代人のような姿であるが彼女は神、絶対的な力を有する上位存在である。


「げぇぇぷぅ」


 繰り返す。彼女は女神、とっても偉くて高貴な存在だ。たとえどれだけ人間臭くとも神聖な存在で、非人道的行為を名案と認識するとしても崇め奉られるべき神なのだ。神、なのだ。


「うふふふふ~、まだまだ始まったばかり。これから三年間、楽しませてもらうわよー」


 ニマニマと嫌らしく笑いながら、彼女はぐいーっと伸びをする。ソファから立ち上がった女神は、真っ白空間にポツンと置かれた白い冷蔵庫の扉を開ける。


「ありゃ。チーズケーキあったと思ったのに、この間食べちゃったか」


 残念そうにしながら、女神はバタンとドアを閉じた。


「んー、ちょっと出かけるか~」


 トコトコと、彼女は何処かへと歩き去る。残された液晶ディスプレイの中では、見る者がいなくなった事も知らずに人間たちが悪夢の中で奮闘していた。


 はたして彼らは無事に生き残れるゲームクリア出来るのか。


 それは全て、女神の胸三寸である―――



 ― 完 ―

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