少女の願い

緑川 つきあかり

これからの課題

「んー」


 俺は体を伸び伸びと広げながら座り込む。


「こーら、課題は終わったんでしょうねぇ」

小煩い母は今日も今日とて腹を立て、家へ帰るなり容赦なく耳が痛い言葉を突き立てる。


「それが終わったからゲームをやるんだよ」


 実はまだほんの一握りのやり残しががあるんだが、頻りに脳裏を過っていく漠然とした蜃気楼が兎にも角にも居間へと駆り立てた。


 ――ので、此処は暫く、遊びに興じよう。


 早速、心を躍らせる掌で心の堕落まっしぐらな報道を切り替えんとすれば、「あぁ、明日の天気見たいからそのままにしておいて」と、思わぬ伏兵が襲い掛かって来やがった。


「へぇ、へぇ」


 今時、現代人の必需品代表格とも呼べる便利機器のスマートフォンがありながらも、機械音痴を言い訳にこんなのに固執するのか。


 四六時中、聞くに耐えん話題ばかりで鎮座し、さんざめく此れには正直なところ……視聴率を上げるような真似は避けたいんだが。


 母君の願いを無碍にする訳にも行かず、己の感情を踏み躙りながら、光景を切り替えた。


「ご要望通り、変えましたよ」


「ありがと、もうすぐご飯だから」


「へいへい」


 やれやれ、どうせだし学ラン着替えるか。


 両手はべったり床を突き、心はまるで上の空。


 あぁ、動くのめんどくせぇ。ねみぃなー。


 ふとスマホを取り出せども生憎電池切れ。何度となく誘う睡魔から逃れる為にも、泣く泣く拷問にも等しい様を見せられる羽目に。


「ネットで総再生回数500万を突破した――」

其処に映られるは威風堂々たる真っ赤な鳥居を潜ってゆく仲睦まじい家族の姿であった。


「純粋無垢な少女の願いというタイトルで」

賽銭箱前まで少女が淡々と歩みを進めていく光景を厚顔無恥の父母であろう阿呆が雑なモザイクを貫通して映り込む、周囲の冷ややか眼差しを物ともせずに撮り続けて辿り着く。


「みんなが幸せになれますように……」穢れた社会の縮図も知らぬ稚児が宣う様に、皆が皆、集団心理に囚われるがまま笑みを零し、心なしか俺も頬の強張りが解かれていく中。


「確か、この子はインフルエンサーの子どもだよね」


「はい、今話題沸騰中の親子YouTuberです」


 その一言が何食わぬ顔で告げられてから、瞬間的に俺の面持ちはあらぬ方へと歪んだ。


 続け様に繰り出されるカウンターに恐れ、独りでに差し伸べた掌がリモコンに触れる。


 だが、「ここで速報です」


 既に殴打のラッシュが懐まで迫っていた。


「先ほど午後4時36分ごろ、YouTuberの住む静岡県浜松市の住宅の玄関前で親子連れが倒れ、死亡しているところを発見されました」


 眠気も一瞬にして醒める、悪寒が走った。


「被害にあった住宅周辺では現在も多くの記者が押し寄せており、近隣住民の騒音――あっ、只今、容疑者の一人が捕まったのことです! 中継、現場の原田さんに変わります」


 然も他人事のように捲し立てていたが、藪から棒な朗報によって瞬く間に変わりゆく。


 トントン拍子で物語が進んでいくな……。


 無駄に重苦しい沈黙が続き、茫然と画面を凝視する女性が動き出して放たれた第一声。


「は、犯人の供述によりますと、むしゃくしゃしたからやっ、あっ、容疑者、ぇ、あっ」


 本番に弱い新人だったのか、綺麗に頭から転げ落ちて告げられた結論に皆が騒然とし、矢継ぎ早に醜態を晒すさながら怒号を飛ばす。


「か、撮影者のご夫婦は性的暴行や虐待の疑いで過去に大炎上をっ‼︎」


 育ちの良さと世間知らずが同時に垣間見えた所で、怒涛の放送事故は幕切りとなった。


「はい、機械の故障により一時的に映像が乱れてしまったようです。大変失礼致しました」


「次のニュースです」そう挙げられたのはボール遊び禁止の看板が鎮座する公園の傍ら、異様な雰囲気を絶えず醸し出す、公衆トイレ。


「過去にこの公園でご――」

 目まぐるしく駆け巡っていく五里霧中真っ只中の目の上の瘤を思わず暗闇に落とした。


 静寂の漂う居間には雑音ばかりが響き渡り、真っ暗闇に依然として映り続けるのは、俺の開いた口は塞がらずにいた姿であった。


「あれー? 消しちゃったの?」


「ぁ。ああ、うん。見ない方がいいよ」ふと我に返れば、胃を突く吐き気を催し始めた。


 それからも食事が喉に中々、通りにくく、ベットに沈んでも意識が途切れる事が無く、母には湧き上がる怒りが満ち満ちていたが、次第に瞼が閉ざされていき、眠りについた。


「ほらー! もう朝よっ! 起きなさい!」鼓膜を轟かすけたたましい咆哮に耳を塞げば、微かに小鳥のせせらぎが窓辺に運ばれ、水縹の空模様が夜明けを訴えて来たが、毛布の隙間から忍び寄る凛とした冷気に敗北を喫し、俺は寝巻き姿のままに身体を縮こめた。


 何か、何か忘れていることがあるような。


 ……。


 霧に覆われた記憶を探り探り辿っていく。微睡んだ眼を真っ暗闇の蓋に落として進み、身をビクッと跳ね上がらせ、酔いが覚めた。


 完全に。


 そして、ようやく謎の正体が浮かび上がった。


「あっ」

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