第10話
それから一年経って、若菜が一人、電車でタンポポに会いに来た。無事高校を卒業し、そして四月から、大学で獣医になる勉強をするということだ。タンポポは、若菜の事を覚えていた。
敬と若菜はウッドデッキに腰掛けていた。
「敬おじさん、最初に工場に連れて行ってくれた日にラーメン食べたの、覚えてる?私、あの時に敬おじさんが高校卒業しとけって言ってくれたの、すごく嬉しかったんだ。ストライクだった。それで、寝る前におばあちゃんに電話して、サランヘヨ、って言えたの。愛してる、って。」
敬は、うなずきながら聞いていたが、
「そうか。」
と短く答えた。
「ちゃんと卒業したよ。その報告に来た。」
「うん、よく頑張ったな。辛くなかったか?」
「全然。楽しかった。留年してよかったと思うくらいだよ。」
二人は笑った。
「富士山にも報告しとこう。」
若菜は目をつぶって手をあわせた。敬は黙っていた。比奈子がお茶をのせたお盆を持ってウッドデッキに来た。
「あれ、若菜ちゃん、何祈ってるの?」
若菜は祈り終えて、こう言った。
「私って、無神論者だけど、富士山は神々しいと思う。ここにいた時、この山は神様かはたまた観音様じゃないかと思ったの。」
「へえ。」
比奈子はしばらく黙って自分も富士山を眺めていたが、
「さあ、お茶にしよう。若菜ちゃんのお持たせのお菓子と、それから、私がプリン作ったから、それもどうぞ。プリンの牛乳はタンポポのお乳だよ。」
「へえ。」
若菜はのけぞって驚いた。
「なんか、ちょっとキモい。」
三人は声を上げて笑った。
長い蛹の時期を終え、もうすぐ蝶になる若菜だった。
完
蛹(さなぎ)の季節 長井景維子 @sikibu60
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