お嬢さまは悪鬼羅刹になりたくない!

@nanactan

悪鬼お嬢さま、大太刀を抱えましてよ!①

 こころに信念ひとつあらば、悪鬼羅刹神仏に至るまですべて二つにできると心得よ。


 ――艮御崎うしとらおんざき家の家訓より





「――指示があるまでここで待つように」


 兵士さんに背中を押された私は、つまづきながらその部屋に入りました。


 階段を下りてきたのですから、どんなお馬鹿さんでも気づくことですが、やはり辛気臭い地下室のよう。隙間なく石が積まれた石壁に窓はなくて、ぼんやりと頼りないランタンが天井からつり下がっています。


 なんとも気が滅入る場所ですわね。私はうんざりとした気持ちをぶつけるように、八つ当たり気味に言います。


「いささか乱暴ですわね。そのようなことをなさらずとも、私は逃げも隠れもしませんというのに」


 ぷうと頬を膨らませつつ可憐に抗議したのですが、どこ吹く風。兵士さんはそそくさと部屋から出ていくと、ガチャン! と外から鍵を閉めてしまいました。


 まったく淑女になんて態度なのでしょう。少しばかり親切な方と信用していましたが、しょせんは一兵卒。まったくお里が知れますわ。そう心のなかで悪態をつきつき、私はあたりを見回します。


 4畳ほどの狭さでしたが、どんづまりというわけではありません。私がくぐった扉の対面には、もう一つの扉があります。


 ――というより鉄格子ですわね、これは。


 青光りする怪しげな鉄格子の向こうには、昇りの階段が見えています。その上は閉ざされていて真っ暗なのですが、空気の流れからすると外に繋がっている気配がありました。


 それにしてもこの鉄格子、鉄棒ほどの太さしかありませんわね。これくらいなら、あるいは?


 ふと思いたって、私は鉄格子を握ってみます。へんてこな手枷が私の両手首をいましめていましたが、鉄格子を引っぱるだけならどうということはありません。


 ……先ほど、逃げも隠れもしませんとは言いましたが、それは言葉のあやと言うもの。私は自分の中のお嬢さまに自己弁護すると、グッと力を込めました。


「――ふんっ!」


 と気合いを入れてみるのですが、意外にもびくともしません。いったい何で出来ているのやら、ただの金属とは思えない強情っぱり。


 何度かブッ壊せないか試しましたが、徒労に終わってしまいます。


「な、なかなかやりますわね……! あなたのことは覚えておきますわ……!!」


 私はライバル認定した鉄格子に捨て台詞を残して、壁際にぽつんと置かれたお粗末なベンチにお尻を載せます。


 まったく片田舎のバス停でもこれよりは座り心地が良いに違いありません。できることもなくただ座っていると、これまでのことがぼんやりと思い出されました。


 ――きっかけはおじいさまの遺品整理でした。おばあさまの希望で、何年もそのままにしていた書斎。七回忌をきっかけに、ついにそこに手が入ることになったのです。


 普段ならお手伝いさんにお任せするところなのですが『遺品に何かあっては大変ですから、身内だけで片付けましょう』とのお母さまの鶴の一言で、私も大掃除に駆り出されることになりました。


 そこで私が見つけたのは、なにやら上等な桐箱。これは『温羅』と書いてあるのかしらと、おじいさまの達筆に首を傾げつつも開けてみたところ、出てきたのは古い『お釜』です。


 恐ろしく古くてずっしり重たい鋳鉄のそれは、いかにも何かを秘めていそうな気配を放っていました。はしたないと思いつつも、乙女の好奇心は抑えられません。ええいと蓋を開けたところ、


 ――気づけば私は、この異世界にいたのでした。


 そして右も左もわからず森をさまよっていたところ、偶然出くわしたのが先ほどの兵士さんです。


 兵士さんはやんごとない身の上らしきお方と一緒に、獅子のような怪物(兵士さんは『マンティコア』と呼んでいましたわ)から逃げまどっているさなかでした。


 さすがに名家の娘として――いいえ、人として見殺しにはできません。お力添えしてことなきを得ると、私は言葉なく颯爽とその場を去ったのですが……。


 それがどうしたことか。兵士さんは恥知らずなことにぞろぞろとお仲間を連れてきて、まるで山狩りをするかのごとく、私をあぶりだそうとしてきたのです。


 まったくもって意味不明ではありますが、この世界に迷いこんだ私には金剛力が宿っていました。ただのへなちょこな剣と薄っぺらな盾をもった兵士さんなど、ものの数ではありません。ちぎっては投げちぎっては投げと撃退したのですが、さすがに三日三晩も攻め立てられては疲れもします。


 最終的に私を降伏させたのは、兵士さんの「うまい食事があるから出ておいで」という、なんともウブな乙女心を突いた卑劣極まりない一言でした。


 私は尻尾を振って……い、いえいえ、断腸の思いの果てに、やまもりのパンとバケツ一杯のスープと引き換えに軍門に下ったわけなのですが――


 ……なぜか手枷をつけられて、こんなところに連れてこられたというわけです。


 もちろん兵士さんには、なぜ恩人の私にこのような仕打ちをなさるのかと、小一時間ほど問い詰めさせていただきました。


 うんざりとした顔で兵士さんがおっしゃるには――この国では、私のような異邦人は見つけしだい捕らえて奴隷にするのが常だそうです。けれども、恩人の私をそのような身分に堕とすのはさすがに気が引ける。可能な限り手を打つから、どうか従ってほしいとのことでした。


 ……親身なようで投げやりな対応な気もしましたが、私は誉れの高い艮御崎うしとらおんざき家の令嬢。奴隷の身分に身を落とすことなど許されません。


 野蛮な国の野蛮な法に従うのはしゃくではありますが、それも致し方なしですわ。


「はふぅ」と蓮の花が開いたようなため息を、エレガントに漏らしたときでした。


「――キミがマンティコアを木の枝で失神させた悪鬼か」


 兵士さんと共に部屋に入ってきたのは、なにやら身分の高そうな御仁でした。長いチュニックの上に、マントみたいな外套を羽織ってらっしゃいます。歳のころは20歳くらいでしょうか。碧眼金髪のなかなかの美男子でしたが、その居心地が悪くなるような視線には見覚えがあります。――そう、私のクソったれな兄さまのような、『人に命令することに慣れ切った者の目』なのです。


 しかしそれにひるむような私ではございません。


「悪鬼ではありません。私には艮御崎うしとらおんざき温姫あつきという名がちゃんとありましてよ」


 私の言葉は無作法なものだったのでしょう。私を従順にさせようと前に出る兵士さん。げんこつの一つでもくるかと思いましたが、それを性悪男が制します。


「捨て置け。異邦人に礼節など期待していない」


「……はっ!」


 兵士が下がると、男は私の瞳をまじまじと見ます。私はかなり小柄で16歳にもなってリンゴ16個分ほどの身長しかありませんので、ほとんど見下ろされるようになります。


「――その金色の瞳……。なるほど、たしかにオーガとの交ざり者のようだ。化け物のような膂力はそのせいか」


『おーが』とは何でしょう。何やら聞きなれない響きです。気になりましたが、それよりも。


 この瞳を馬鹿にされて黙っているわけにはいきません。艮御崎〈うしとらおんざき〉家の血筋に伝わる誇り高き黄金こがねなのですから。


「化け物とはずいぶんな言われようですこと。――人の上に立つ高貴なお方なのでしょう? 化け物の相手などなさらずともよろしいのでは」


 手枷がなければ腕を組んで、「ふんっ!」と高飛車に高慢ちきムーブをキメてやりたいところですが、男はそんな私にも激することなく言います。


「そうもいかない。キミには妹がお世話になったようだからな」


 はて妹さま? そもそもこの世界に来てから、数人としか面識がないのです。このいけすかない野郎の妹なんて――と考えて、私は「あら」とつぶやきました。


「面影がありますわ。森で化け物に追いかけられていたあのお嬢さまに」


 そこの兵士さんと一緒に、泣きべそをかきながら化け物から逃げまわっていた女の子の顔が男と重なります。


「そうだ。妹のローラが世話になったな。礼をいう」


 礼も会釈もありませんでしたが、一応は礼節をわきまえていらっしゃるようです。礼を言いにわざわざここまで来たのでしょうか。毒気を抜かれた私がきょとんとしていると、


「しかし、だ。あのマンティコアは妹の獲物だったのだ。よわい16になると強大な魔物を狩って実力を示すのが私たち貴族ノビレスの習わしでね。キミはその邪魔をしてしまったわけだ……」


 理不尽なお話ですが、なるほど。どうりで兵士さんたちもやっきになるわけですわ。


 ですが、思ったより困ったことになっているようです。もしやこのまま罪人として処罰されるのかしらんとおののいていると、貴族さんがあごをしゃくりました。


「彼女にアレを」


「はっ!」


 廊下に出た兵士さんが棒状の何かを重そうに抱えて戻ってきます。縦にすれば天井すらこすりそうなそれは、私の身長よりもはるかに長い刀……いえ、その三日月のような反り具合は太刀でしょうか。お化けのような大太刀でした。


「ロムルスさまから直々に下賜せられた品だ。命より大事なものとして扱え」


 その迫力に、私はごくりと唾を飲み込んで大太刀を抱えました。冗談のように太くてまさに暴力的質量の塊なのですが、いまの私なら振り回すこともできましょう。


 けれど、こんなものですることと言えばなんでしょう。私はお上品さを保つことも難しく、引きつった笑顔でロムルスさまを見やります。


「ま、まさかとは思うけれど、これで自害せよと言いつけるおつもりかしら?」


 ロムルスさまは初めて笑顔らしきものを見せました。その愉快そうな表情はあのあん畜生なお兄さまとは違って、20という年齢にふさわしいものです。


「なるほど、確かにその手もあったか。だが、枝でマンティコアをのしたというのが本当なら、殺すには惜しい」


 鉄格子の奥を見ながら、ロムルスさまはつづけました。


「その実力を剣闘士として示せ。そうすれば、妹の成人の儀に闖入したことは不問としよう」


 ――は? 遣唐使? このファンタジィな世界にそんなものがあるのかしらと思ったとき、兵士さんがおもむろに鉄格子を開けました。


 それとときを同じくして、その向こうの階段から、まぶしいばかりの光が差し込んできます。


 ごうごうとうねるようなこの音は風でしょうか。――いえ、違います。昂ぶった人々の声です。


 ――悪鬼! 悪鬼! 悪鬼!


 その不名誉な声に引き寄せられるように、私は階段を上がります。いつの間にか手枷は外されているようでした。しっかりと大太刀を抱きしめ、昇りきった先にあったものは――


 あの有名な円形闘技場――コロッセウムでした。

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