首折橋の女

 人生、何が起こるかなんて分からないものだ。一見、不運に思える事が思わぬ幸運に繋がったり、その逆もあったり。


 二股がバレて、一悶着ひともんちゃくがあったと思えば本命の妊娠でとんとん拍子に婚約が進む。仕事の契約更新が出来ず、路頭に迷ったかと思えば連載していたオカルトブログが話題になり、書籍化や連載企画の話が舞い込む。


 そんなことがあったのが、もう半年前のこと。今や一応オカルトライターと名乗れる程度の仕事量は確保できている。

 現状なら、雑誌や書籍関連の仕事が減ったとしても、暫くは広告収入で食べて行けるだろう。数年先はどうなっているか分からないが。


 いつものようにメールチェックや読者からのメッセージを確認していると、気になるダイレクトメールがSNSに届いていた。


 ――


送信者:クローバー@四葉


至急、調査して欲しいことがあります。詳しい場所は返信次第お伝えしますね。

首折橋と言われている地元の橋で、毎週ある時間になると女の霊が見えるという噂を聞いたのですが、一人で行くのも怖くて……。

カシワギさんなら、調査してくれるかなと思ってDMを送ってみました。

検討よろしくお願いします。


 ――


 首折くびおり橋。――聞いたことがない。検索サイトで一通り調べてみたものの、掲示板サイトでの書き込みが数件見つかったのみで、具体的な場所すら分からなかった。地元民による俗称だろうか?


 よほど古い橋や極端に短い橋でない限り、日本にある殆どの橋には名前が付いている。どんな田舎の橋であっても、名前さえ登録されていれば地図表示されるものだが……。


 しかし、その掲示板サイトにある『首折橋の女について』、『首折橋実況スレ』といったタイトルのスレッドや、『あの女を見つけてしまってはいけない』という書き込みを無視することはできなかった。

 中でも実況スレッドでは、何枚か手書きの投稿者IDと一緒に撮影された写真がアップロードされている。


 橋の間近で撮影された写真では無かったものの、山道の崖から対面の崖へ吊橋が通っている写真があり、スレッド主はこれを首折橋だと書き込んでいた。

 画像は暗い上、画質も悪い。しかしそれでも吊橋の中央になにか白い光が存在するのが確認できる。

 ただ、身元の特定を避けるためか、画像の位置情報は削除されていた。


 手の込んだ悪戯である可能性は否定できないものの、少しでも良質な記事を書くためならば、こういった噂話にも首を突っ込まざるを得ない。

 こうなったら、四葉さんに返信して、具体的な場所や時間を聞く必要があるだろう。彼女――性別までは分からないが、HNハンドルネームから察するにそうだろう――は詳しい場所を知っているようだったから。


 ◆


 四葉さんから聞き出した情報をもとに、俺は首折橋のある書読県と角川県の県境にある山へと向かった。

 彼女によると、この橋の正式名は〝塞翁さいおう橋〟で、先にある〝久比降くびおり〟という地区と県道を結ぶ唯一の橋だという。


 久比降地区は平成初期に無人化し、橋も使われなくなった。さらに、高速道路の開通で、この県道を通る車は一日に一台あるかないか。


 首折橋に到着したのは、まだ日が沈む前だった。

 

 橋は幅二メートル制限ではあるが車の通行も可能なグレーチング製で、数十メートル下には流れの激しい細い川がある。落ちたらまず助かる見込みはない。


 明るいうちに三脚を物陰に立て、録画タイマーをセットした小型カメラを設置する。

 木曜日の午前一時頃、女の霊が久比降の方向から歩いてくるらしいので、警戒されぬよう実況スレッドの投稿主が撮影していたであろうふもとのポイントへ移動した。


 あとはその〝女の霊〟を待つだけだ。


 ◆


 零時五十分。車内で待機していた俺はアラームで目を覚ます。首折橋の小型カメラは既に回っているはずだ。

 

 麓の撮影ポイントに置いたもう一つのカメラを確認しに行く。耳を澄ませるも風の音ひとつ聞こえない。

 カメラは無事、動いていた。――まだ橋に目立った変化は見られない。


 木曜日、午前一時。決定的瞬間を見逃さないよう、手持ちのカメラも久比降側の橋の入口に焦点を合わせて構える。


 そして、それは奥の茂みからゆっくりと現れた。

 遠目には輪郭が曖昧だが、白い衣服を纏った細長い何かが、橋を一歩ずつ慎重に進んでいる。

 夜の薄明かりに衣服だけが浮かび上がり、不気味に揺れているようにも見えた。


 おそらくが、噂の〝首折橋の女〟なのだろう。手元のカメラを最大まで望遠する。ぼやけきった暗視モードの映像ではあるが、それが髪の長い人物で、なにかを抱えているということだけは判った。


 オカルトブログで記事を書くようになって初めての〝本物の霊〟らしきものとの遭遇に、人生で初めていかがわしいビデオを見た時のような、強く激しい興奮がおさまらない。


 女は首折橋の中央で足を止めた。そして抱えていたものをゆっくりと手すりの外に差し出す。小さめの米袋か、壺か、大きめの猫か。白い布に包まれていたそれは、中がどうなっているのか分からない。


 そして、女は差し出したから手を離す。落ちていく物体は光源から離れるとカメラで追うことすらできなかった。遠すぎるせいか、落下物が岩や水にぶつかる音も聴こえない。


 そのまま女の姿は橋の中央からすっと消えていった。夜の闇へ溶けていくように。


 俺は首折橋へ向かい茂みに設置したカメラを回収した。この映像は、日本のオカルト史に残る決定的瞬間を収めた記録となるだろう。


 ◆


 家に着いたのは、うっすらと周りが明るく見えるようになった頃。玄関のドアに鍵はかかっていなかった。出かけると伝えていたのに、妻は玄関を閉め忘れていたまま眠ってしまったのだろうか。


 隣の部屋で眠っているであろう妻と息子を起こさないよう、静かに動画の確認作業を進める。首折橋のカメラは想定通りの画角で橋の様子をしっかりと映し出していた。橋をゆっくりと歩く、女の姿も。顔も。


 女はカメラを見ていた。確実に、其処に置いてあることを知っているかのように。その目には憤怒ふんぬに、怨嗟えんさに、悪意に満ちた――途轍とてつもなく、おどろおどろしい念が込もっていた。


 映像越しに、女と目が合う。録画映像であるにもかかわらず、まるで今まさに、俺があいつに見られているかのような錯覚。――いや、あいつは確実に俺のことを見ている。


 彼女の瞳は画面越しにも関わらず異様な輝きを放ち、まるでこちらの魂を射抜くようにじっと見つめている。冷たい汗が背筋を伝い、呼吸すら忘れるほどの恐怖が体を縛り付けた。


 彼女がカメラから目を逸らす瞬間、ふっとわらったように見える。そして、抱えていたあれを落とした。白い布がはらりとめくれた部分から、中身が少しだけ見える。


 ああ、そういうことなのか。最初から、こうなることが決まっていたのか。


 隣の部屋を覗き、横になっている妻を確認した俺は、声をかけることもなく、ただ心の中で何度も『ごめん』と繰り返した。


 観なければよかった。行かなければよかった。


 全ては遅すぎた。


 今もまだ、何処かで彼女が見ているような気がする。

 ああ、また首折橋に行かなければ。


 そして俺は家族にさよならを告げて家を出た。


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【くすんだマネキンの腕だった。】

(全一話・約九六〇〇文字)

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