第六章 星だけが光る夜

6ー① 贄の代わり

 宮殿に来てから三日目、フリージアは宮殿の五階にある一室をあてがわれ、一応は不自由のない生活をしている。その部屋は白基調で、壁紙やカーテンは花柄で彩られ可愛らしく、ベッドには天蓋てんがい、窓際には白のテーブルにドレッサーと、このような状況でなければ可愛いと言って歓喜したことだろう。


 しかし3個あるアーチ型の窓には鉄格子がつき、ここが普通の部屋ではないことを示している。


 窓際に置かれた白い椅子に腰かけ、ぼんやりと外を眺めていると、扉を叩く音と同時に、金属の鍵が外される音がした。


 毎夕決まって18時、夕食のために宮殿の使用人は迎えに来る。枷のはめられた足で、人形のように生気のない使用人に伴われて食堂へと向かうのだ。


 皇帝は毎夜フリージアと一緒に食事をとる。今宵も蝋燭ろうそくの灯りだけに照らされた薄暗い食堂で、テーブルの端と端に座り皇帝と向き合う。

 フリージアは赤と黒のドレスに身を包み、真紅の口紅をつけている。これは宮殿の部屋に用意されていたもので、普段は絶対に選ぶことのない配色だ。


 生気のない目をした使用人が、食卓へと豪華な食事を運ぶ間も、皇帝が食事に手をつけ始めた後も、決して会話を交わすことなどなく、フォークとナイフが食器に当たる音だけが響く。


 決して居心地が良いとは言えないディナーの最後、ミルクを加えた珈琲を全て飲み終えると、フリージアはナフキンで口を拭いてから席を立った。

 チラリと見えた窓の外に月はない。


 明日の新月だ。


 明日も皇帝がフリージアと夕食をともにするのならば封印の決行はこの夕食時は最大のチャンスとなる。そのことをお兄様やルーカスに伝えなければならない。


「ちょっと待て」


 部屋を出ようと扉に向かって歩き始めたとき、皇帝に呼び止められたので真紅のドレスをひるがえした。


「なんでしょう?」


 重たく響くように圧を込めて声を出す。いつもと変わることないこわばった表情そのままに、皇帝はフリージアに近づくと懐から鋭く光る何かものを出した。


「何を……」


 不気味に笑った後、一瞬にして皇帝はフリージアの口を塞ぐと、背中を壁にと押しつけた。


 足についたかせのせいで魔法を使えないし、体に力を込めたところで、ガタイの良い皇帝相手にかなうはずがない。


 体に黒魔法が流し込まれていくのを感じた。体の力が抜けていく。女神の加護により殺されることはない、そうわかっているのに、死の恐怖が頭をよぎる。


 苦しさで顔をゆがめた時、首元にひんやりとした感触と生暖かいなにかが伝わった。


「いっ……」


 一瞬の痛みでわかったのは、ナイフで切られたということだ。先ほど懐から取り出したものは短刀だったのだろう。


 その後すぐに皇帝はフリージアの首へと唇をつけた。何が起こっているのか、状況がわからない、しかし――皇帝はフリージアの血をすすっている?

 逃れようとするが、魔法が使えず黒魔法を流し込まれてしまえばなす術などなく、されるがまま時が過ぎるのを待つしかなかった。


「やはり思ったとおりだ」


 フリージアの首から唇を離した皇帝は、悦に入ったようにほくそえんだ。


「月の国の国王を殺した時、その贄の力は凄まじいものだった。ならば魔力保持者殿の血でも贄の力を得られるのではと思ったが、想定以上だ」


 地響きのように笑う声が部屋へと響いた。


「喜べ、これでお前が望むように犠牲者は減る。毎夜その血を捧げればな」


 皇帝は手で口を拭うと、さらに高笑いをし、撫で回すようにフリージアの体に手を這わせてから壁に打ち付けるように乱暴に投げ捨てた。


 薄暗い部屋に光る皇帝の赤い瞳と笑い声が憎らしい。

 皇帝が食堂から去っても、フリージアはその場にへたり込み立ち上がることはできなかった。心臓と同じ速度でじんじんと首の傷口が痛んでいる。


 フリージアの血を啜った皇帝はそれが贄の代わりになると言った。気持ち悪い、苦痛の時間だった。しかしそんなことで犠牲となる人が減るのであれば、いくらでも構わないとも思う。


 それに、毎日血を吸うと皇帝は確かに言ったのだ。ならば明日、新月の夜も必ず夕食は共にすることになるはずだ。先ほど血を吸われた時、皇帝の体はすぐ目の前にあった。

 胸につけられた『太陽の鍵』に紛れもなくいちばん近づける瞬間だ。


 宮殿の女官に伴われて、部屋へと戻ると、すぐに首を洗い鏡を見た。傷口は紫色の痣となり、触れると痛んだ。こんなこと、なんてこともない。


 お兄様には今日、フリージアの家に集合だと言っていた。連絡をとらなくてはならない。

 洗面台を出ると、鉄格子のついた窓際まで歩き、窓を開た。紙に文字を書き、光魔法で反応するようにする、そして闇魔法で家へと紙だけを送る。軽くて小さい紙であれば、苦手な闇魔法でもちゃんと届けられる可能性は高いし、第一誰かに発見されたところで白紙である。

 フリージアは紙に細工するため、光玉を出した。するとすぐに足につけられた枷が反応して全身に痛みが走る。思わず声が出た。

 痛い。でも少しだけ、少しだけ耐えればきっと。


 再び魔法を込めようとした時に、フリージアを呼ぶ声が聞こえた気がした。


 不思議に思い窓の格子に手を添えて外を覗いてみるが、見えるのは赤茶屋根に、薄茶の壁で作られた宮殿と満点の星空だけだった。本来であればさぞ美しい景色だろうが、星は美しいのに寂しげで、輝いているのに泣いているように思えた。


「姫様……」


 また誰かの呼ぶ声がした。下の方?


 格子があるので顔を外に出すことはできないが、出窓に座り鉄格子の一本に頬をつけて声の方向を探してみると、下にルーカスの顔が見えた。

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