5ー② 帰宅

 紫のもやが晴れると、先ほどまでと造りが同じ石壁の牢が見えてくる。アルベルトは足から着地すると手を放した。


 ルーカスは呆然と壁の一点を見つめていたが、部屋にアルベルトとフリージアが現れたので、驚いた表情でこちらを見た。ルーカスの足にも枷がつけられている。


 アルベルトは近くにあった椅子に勢いよく腰かけて、足を組んだ。


「なぜフリージアに近づいた?」

「ちょっと、お兄様?」


 『本』の中身を教えてもらう交渉をするつもりだとばかり思っていたから、飛び出した言葉に驚いた。


「貴方様は月の国の王太子殿下ですね。アリアさん……いや、姫様に出会ったのは本当に偶然です。魔法の気配を感じて気になっただけで、そこに深い意味は……」


 深い意味はない、その言葉がとげのように胸に刺さる。


「まったく。だから気配には気を付けろと忠告しただろう」


 忠告を受けたのはルーカスに出会った後のことではあったけれど、この件は本当に反省している。


「それで、『本』は今どこにある?」

「『本』を持った状態で、皇帝と遭遇しました。意識を失いここで気が付いた時には『本』も『鍵』もすでになく……つまりは皇帝が持っているかと」

「そうか……『鍵』もか?」

「えぇ、私の失態です」

「まぁ、我々にとってそれは問題ではない。必要なのは中に書かれていた情報だからな。交渉しようじゃないか。要求はなんだ?」


 アルベルトはいきなり本題に切り込む。こうした交渉ごとはお兄様の得意分野だ。


「皆様方は黒魔法を封印する方法を探されているとお聞きしました。しかし私が読んだ『太陽の本』には封印の方法……そのような記載はなかったかと」


 記載がないという言葉に驚く。それでは何のために『本』を探していたのかわからない。


「『月の本』には黒魔術の封印の方法が各国の『本』のどこに書かれているかが記されている。『太陽の本』の最終頁には何が書いてあった?」

「最終頁……」


 ルーカスは何か思い当たるものがあるのか、何かを考え込んでいる。


「なるほど。明確にその方法が書かれているわけではないということですね。わかりました。ですが、ここは牢です。このような場所でする話ではないかと」

「この場所からの救出、それが貴殿の要求か?」

「いえ、それは、要求ではありませんが、このような場所ではお話できませんから……でしたら、私がここを脱出した後にまた会いにきていただければ」


 アルベルトは鼻で笑った。空気が緊迫している。お互いに腹を探り合いながら、一歩もひくことなく対等に話をすすめていく。


「さて、私の要求ですが、私を貴方がたの作戦に加えていただきたい」

「それってどういう?」


 フリージアは思わず会話に入り込んだ。


「皇帝のなしていることはもはや看過できませんから。そして、あなた方にこの帝国であまりにも自由にされるのも困ります」

「まあ良いだろう」


 アルベルトはニヤリと笑うと、ルーカスの枷を一瞬で外し、フリージアの手を取った。


 フリージアはアルベルトが次に起こす行動がワープであると悟り、空いているもう片方の手で、ルーカスの手に触れようとした。しかしその手はアルベルトによって弾かれた。


「貴殿は俺の手に触れてくれ」


 アルベルトはその言葉と共にルーカスの手を取る。視界は一瞬にして紫のもやに包まれて、体が浮き上がる感覚がする。


 その次に視界に入ったのはソファーに座り泣きそうな表情をしたエリーだった。


「姫様。本当に心配していたのですよ……」


 エリーはフリージアの顔を見るなり駆け寄ってきてフリージアを抱きしめた。降り立ったのはフリージアとエリーが暮らす家だった。


 本当は夜の間に帰る予定にしていた。それなのに窓からは朝の光が差し込み、鳥のさえずりまで聞こえている。


 エリーは目の下にクマがあり、寝ずに心配してくれていたのだと思うと申し訳ない気持ちにでいっぱいだ。


「本当にいろいろあって。心配かけてごめんなさい」

「いえ、こうしてご無事だったのですから……」

「全く、なにかまた無計画なことをしたのではないですか?」


 エリーの傍らにはサイラスまでいる。小言から入るなんて相変わらずだ。


「サイラスまでなぜここに?」

「アルベルト様のご指示です。ここに来るようにと」

「フリージアが今宵『本』を手に入れるだろうと思っていたからな」

「お兄様、もしかして闇玉で盗聴をしていたのは今日だけではないのでは……」


 それについてはこれ以上は聞かないでおこう。知りたくないこともある。さすがお兄様と言うべきか、ひどいと怒るべきなのか。


「あの、そちらのお方は?」


 フリージアの後ろにいるルーカスを見て、エリーは不思議そうにしている。


 エリーとサイラスにルーカスを紹介し、ことの次第を説明する。昨夜に起こった出来事はあまりにも情報量が多い。


「皇族で……伯爵で……魔法……あっ、あの……」


 エリーは目をパチパチとさせている。


「さて、本題に入りたい。『太陽の本』の中身について、さっそく情報の開示をしてもらいたい」

「私は紅茶を淹れますね。皆様どうぞお座りになってください」


 エリーは食卓テーブルに皆を案内する。フリージアとエリーが暮らすこの家に来客が来たことはない。それなのに今、ここにはアルベルトとサイラスがいて、ここが敵国であることを忘れてしまいそうだ。フリージアはルーカスの斜め前に座ると、その顔を見つめた。もう会うことはないと思っていた。それなのにまだこうして時間を共に過ごしているのは良いことなのか、それとも――


 兎にも角にも、無事に帰ってこられてよかった。問題は山積しているけれども、一歩ずつ確実に前に進んでいる気がした。

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