第五章 反撃

5ー① 牢にて


 水が滴る音がする。遠くで鳴る雫の音は、物にあたって周囲に共鳴し、まるですぐそばで鳴っているかのように聞こえた。


 フリージアが目を開くと、そこは薄暗い鉄の混じった匂いがする場所だった。


 体を起こし、微かに感じられる光を辿ると、天井付近に格子のついた小さな窓があり、そこからほんのりと朝の陽の光が差し込んでいた。


 ひとまず生きているということだけはわかる。

 服装は変わっていないが、足にはかせが付けられていて、昨夜一緒にダンスを踊った靴はなくなっている。


 これからどうしたら良いのか。ひとまずここを抜け出さなくてはいけない。フリージアは手に魔力を込めた。


「痛いっ」


 黒魔法の気配とともに、枷をつけられた足から刺すような痛みが体中を巡った。どうやら枷には細工がしてあり、魔法が使えないようにされているようだ。


 こんな時、アルベルトやサイラスなら、どうすべきかすぐに判断ができるのだろうなと思う。そもそもあの二人なら、牢に捉えられるようなへまはしないのかもしれないが、それでもどうしたらよいのかわからず途方に暮れているフリージアはきっと未熟なのだと思う。


 月の国を救いたい、ロミ先輩を助けたい、想いだけが先行して、何もできていない。そんな自分が腹立たしい。


 その時、濃紫の霧が立ち込め、あたりが一瞬暗くなる。これはよく知る気配だ。でも今は会いたくない人の気配。


「まったく、この状況は作戦のうちか?」

「……お兄様」


 正直助けに来てほしいと思っていた。だけれども、手をわずらわせたくないとも思っている。そもそも助けに来てもらわないといけないような状況になってしまったことが申し訳ない。


「作戦通りではなくて……」

「だろうな」

「お兄様……ごめんなさい」

「何のことだ? 『太陽の本』は手に入れたんだろ?」


 お兄様はこの状況をとがめることはなかった。それが余計に苦しい。


「……『太陽の本』は……手に入れた。というより見つけた。でも中身を見たのは私じゃなくて……それにその『本』も……今どこにあるのかわからない」


 全然アルベルトの期待に見合う成果を出せていない、そのことが情けない。


「そうか。でも見つけたんだろう。上出来だ」

「上出来って……」


 こんな時に、お情けも優しさもいらないのに。いつも通り揶揄からかってくれた方がよっぽど楽だ。


「どこにあるのかすらわからなかったんだ。中身を知っている奴がいるなら大いなる進展だろ」


「それで、そのルーカス・バーデンとはもともとの知り合いか?」


「知り合いと言うか……」

「百面相しながら踊ってたな」



「見てたの? ……どうせ全部お見通しなんでしょ」


「そんな事はない。さすがにお前の心の中までは見通せないしな。好きなのか?」


 やっぱりこんな時に揶揄からかわないでほしい。反論する精神力なんて残ってないのだから。


「そんなんじゃない」


「あんなに顔を赤くしていたのにか? ああいうのがタイプだったんだな」


「だからそんなんじゃないんだってば」


 体に力が入らず、気分も重いフリージアとは対照的に、アルベルトは、はははっと顔をくしゃくしゃにして笑った。なんでこんな場所で、こんな状況でそんなにも余裕があるのか。


「でもどうして皇帝は私たちを生かしておいたのだろう」


 助かったのはもちろんよかったが、魔力保持者を根絶すると言っていたのに、なぜなのか。


「なんだ? 死にたかったのか?」

「そんなわけないけど、でも皇帝は女神の魔力を根絶したいって言ってたのに」


 そういえば、皇帝の目的からして、一年間もお兄様を側で生かしていることも不思議だ。


「それは、黒魔法で女神の魔力保持者を殺すことはできないからだ」


 アルベルトは、女神の加護があるから、魔力保持者は女神に守られ病以外では死なないのだと教えてくれた。


「でもそれなら、お父様はどうして……」


「父上は魔法を戦いに使ったからだ。だから父上は女神の加護を失った。だから、くれぐれも魔法を攻撃に使うようなことがあってはならない。いいな」


「わかってる」


 魔力保持者は女神の加護で守られている。だから、皇帝は暗殺などの手段ではなく月の国に正面から攻め込んだのだ。お父様に、魔法で攻撃させるために。


「さてと、そろそろ行くか」

「えっ?」

「そのルーカス・バーデンって奴が『本』の中身を知っているんだろ?」

「うん」


「じゃあ、会いに行かないとな? それに……妹に手を出そうとしているなら牽制しないと」


「だからそんなんじゃないのに――あれ? ねぇ、なんでルーカスが『本』の中身を読んだこと知っているの?」


「そりゃあ、お前に闇玉やみだま仕込んで、会話を聞いていたから――」

「最低っ」

「目的達成には必要な事だろ」


 仮面舞踏会マスカレードでアルベルトとダンスをした時に仕込まれたのだろう。相変わらず抜かりない。


 そういえば、なにか聞かれたくない事を話してはいなかっただろうか。

 昨夜の出来事を、頭で反芻はんすうしていく。ルーカスと踊った時、そして隠し通路を探して、階段でルーカスに遭遇し……振り切るために、キスを――


「あっ」

「どうかしたか?」


 さすがに音声を聞いていただけなら、バレていないはずだ。いや、バレているかどうかなんて関係なく、なんてことをしてしまったんだろう。今更ながら恥ずかしさが押し寄せて、顔がどんどん火照っていく。


「また、百面相――」

「してないっ」


 アルベルトは意地悪に笑うとフリージアの手足についたかせをいとも簡単に外した。そしてフリージアの手を取り、闇魔法の気配がしたかと思えば、同時にフリージアごと濃いもやに包まれた。


 強く握られたアルベルトの手は大きくて堅く、お父様の手に似ている。アルベルトが来てくれてよかった。今だけはそう思った。

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