4ー⑩ 敗北
ルーカスとともに暗く冷たい廊下に出た。一歩足を進めるたびに夜の静寂の中で足音だけが響き、緊張が返ってくる。
窓の外を見ると、月明かりの下に図書館の陽明館と本館の屋根が見えるので、ここは別館の三階か四階だと推察される。
窓から見下ろす中庭に人はおらず、陽明館の明かりは既に消えている。マスカレードは随分と前に終わりを迎えたようだ。
「本当にあまり遠くには来ていないようですね」
音を立てないよう
「ひとまずここから抜け出して……そのあとは……」
皇帝にもフリージアのことがバレてしまった今、きっと今までと同じように暮らすことはできず、図書館で働くことも難しいだろう。それを考えると、とても寂しい。それほどまでにフリージアにとって図書館で働くことは生活の一部であり、楽しいことだと思っていた。
階段を降りようとすると、下の階から、黒魔法のオーラを微かに感じた。同時にほんのり明かりが見える。
「誰かが、そこに」
小声で伝えると、ルーカスは黙って頷き、フリージアのすぐ後ろで止まった。
階段の脇からわずかに顔を出して下の階を伺うと、明かりは徐々に近づいてきている。黒魔法の気配はあるが、強くはないので、皇帝がそこにいるというわけではなさそうだ。光が階段の踊り場にたどり着く直前にフリージアは闇魔法を使い、自身とルーカスの存在を隠した。
「これで相手からは見えません。声も多少であれば隠すことができます」
「闇魔法とは便利なのですね」
「便利ではありますが、やはり私は得意ではなく、あまり長くはもちませんし、音は結構通してしまうのです……そんなことよりも、参りましょう」
フリージアとルーカスは物音を立てないよう、階段を下った。
下った先で、フリージアは思わず息をのんだ。
「どうかされましたか?」
「ロミ先輩……あの図書館の先輩が……」
炎のランタンを持ったロミ先輩が階段に向かって歩いてきていたのだ。黒色のワンピースに白いエプロンという宮殿女官の制服姿で、確かに宮殿に奉公に行くとは聞いていたが、こんなところで遭遇するとは思わなかった。
しかし、ロミ先輩はどこか様子がおかしい。
意思がなく焦点の合わない虚な目をしていて、まるで操られている人形のようだ。
「なんだか様子がおかしいわ」
「ですが、今はそれどころじゃ……」
「お願い、ここで少し待っていて」
それどころではないのはわかっていた。しかし様子のおかしいロミ先輩を放っておくこともできないと思った。今、髪色は金で、アリアの姿ではないけれど、そんなことも気にはしていられない。フリージアはロミ先輩の前に飛び出した。
「先輩、ロミ先輩」
ロミ先輩はフリージアが行き道を塞ぐと静止した。その体からは黒魔法の気配が微かに感じられる。目線はどこにも合わず、いつものように明るく話しかけてもこない。
「先輩……?」
ロミ先輩は止まったまま動かない。
「『太陽の本』と『鍵』を渡して」
「え?」
その声は先輩の声ではあるものの、いつもの覇気あるものではなく、心のない人形のようだった。
「先輩、どうしたのですか?」
動揺が隠せない。先輩はあきらかにおかしい、そしてそれは今この瞬間も先輩の体にまとわりついている黒魔法の影響に違いない。操られている――そう思うのに、何もできない。
「アリアさん、これ以上は」
ルーカスが階段から降りてきて、フリージアの腕を
「でも、ロミ先輩が……」
「わかります、わかりますけど、今は……」
そうだ、わかっている。今すべきことはロミ先輩を助けることではない。今は、できない。
ルーカスの声を聞いて冷静になっていく、そして悟る。
――これは、罠だ
背後から、禍々しいオーラを感じた。ルーカスの息をのむ音が聞こえる。背後のオーラはどんどんと濃くなっていき、振り返るのが怖い。
「まったく探すのに苦労した。無駄に別館は広い……」
低く野太い皇帝の声。振り返ると、黒魔法をまとわせた皇帝はこちらを見ている。
この力を前に何をどうすればいいというのか。
それでもなんとかしないといけないと思い、咄嗟に光魔法を放出させた。
すると、意図したことではなかったが、黒魔法を緩和することができた。
光魔法は黒魔法を緩和できるのだろうか?
フリージアは急いでルーカスも光魔法で覆うと、拳を強く握り皇帝を睨みつけた。
「ほお、その力は黒魔法を打ち消すことができるのか」
皇帝は薄ら笑いを浮かべている。
「ロミ先輩に何をしたの?」
「余の宮殿の使用人はみな従順なのだよ」
「何をしたのか聞いているの」
皇帝の薄ら笑いが憎らしい。なぜそんなことができるのか、なぜ笑っていられるのか、フリージアにはわからないし、わかりたくもない。
「君、よくやった、下がって良い」
「はい、陛下」
皇帝に言われたロミ先輩はまるで感情のこもっていない声と、糸で操られた人形のような動きで、廊下を歩きどこかへと行ってしまった。
フリージアは見えなくなるまで、ロミ先輩の背中を見つめていた。やはり、宮殿になんて行ってはいけないと止めるべきだった。そんな後悔も頭をかすめる。
皇帝の真紅の瞳は夜闇でひかり、にやけた口元を照らす。
「どうして、こんなことを」
「なんのことはない、宮殿での仕事の仕方を教えただけだ」
「黒魔法で服従させたということ?」
「そんなところだ。便利なんだが、奴らは弱い。弱いからすぐ壊れる。あの者ももって一ヶ月といったところだろう」
「……っ」
図書館正門前での事件、犯人の娘は宮殿に奉公に出て病死したと言っていたはずだ。犯人は皇帝に殺されたとも言っていた。
黒魔法で操られた人は壊れると皇帝は言った。噂されていた女官の失踪や、例に犯人が言っていた、皇帝に殺されたとは、皇帝が黒魔法で宮殿の女官を
そんなことが許されるわけがない。ロミ先輩を助けないといけない。そして他に操られている人達も。
「陛下、そのようなことを、国民が許すとお思いですか?」
ルーカスが
「余が国民に許可を得る必要があるとでも? さて、おまえたちとおしゃべりをしたいわけではない、その『本』を渡せ。そしてお前、『太陽の鍵』を持っているな」
「陛下、二千年にわたり保たれた平和な世を、か国民の平穏を、脅かすことは看過できません」
現状は我々にとって不利な状況である。それでもルーカスは堂々としていた。
「残念だ。生きている人間で唯一血を分けた相手、分かち合える可能性があるかと思っていたが。まったく、バーデン卿め、忠臣かと思っていたが、こんな裏切りをひていたとはな」
「伯爵に罪はありません」
「お喋りはここまでだ」
皇帝から放たれる黒魔法がより強くなる。手からは黒い炎が生まれ、その禍々しい炎はフリージア、そしてルーカスの手足に巻き付いて動きを封じた。
「さぁ、もうワープは使えないぞ。
皇帝はほくそ笑んでいた。悔しい、悔しいけど、なにもできない。黒魔法の力を光魔法で緩和させていたが、それもいよいよ耐えられそうにない。
もっと強くなりたい。そうしないと守れないものがある。そう思うのに、どんどんと世界から色が消え、体から感覚が薄れていく。
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