3-⑥ ロミ先輩
アリアは男爵邸のベルを鳴らした。しばらく扉の前で待っていると、男爵家の使用人、ではなくロミ先輩自らドアを開けて顔を出したので驚いた。
フリージアは応接室へと通されたが、その途中に歩いた廊下も窓から見える庭にも、人の気配が全くない。人だけでなく家財もほとんどなく、明かりも自然光に頼っているようで室内は薄暗い。
ロミ先輩が言うには、父母は仕事に、弟は寄宿学校に通っていて不在にしており、また貧乏すぎて使用人を雇う余裕もないから広い邸宅はいつも
応接室にはテーブルと椅子が置かれているが、それ以外の装飾品はなく、閑散としていた。席につきしばらくすると、白い髭を蓄えた初老の男性がいちごのショートケーキと紅茶を持ってきて、フリージアの前に配膳した。彼が先ほどロミ先輩の言っていたこの邸宅唯一の使用人なのだろう。
「たいそうなおもてなしができず申し訳ございません」
「ごめんね。それだけで。本当にもう爵位なんて返上すれば少しましな暮らしができると思うんだけど、爵位を弟に継がせたいって両親は頑張っているのよ。でも本当に貴族って見栄にお金がかかるのよね。嫌になっちゃう」
貴族の邸宅では、ケーキは数種類出てきて客人が選ぶのが当然とされているため、ロミ先輩はおもてなしができていないと思っているようだった。しかし、おもてなしの質を計るのは、いくらお金をいくらかけたかではないく、どれほど気持ちがこもっているかだ。このケーキは、精一杯もてなしたいという誠意がのっているのが見え、フリージアは温かい気持ちになった。
「私にとってはケーキが食べられるなんてとても幸運なことです」
「アリアは本当に甘いものがあると目が輝くわよね」
エリーが健康のためだといって普段お菓子は食べさせてくれないからこそ、ついつい反応してしまう。
「突然呼び出してごめんなさいね。来てくれてありがとう。ミーナやノアには図書館で挨拶できたんだけど、最近アリアは特別任務とやらですれ違ってしまっていたから……」
「……?」
ロミ先輩が妙にあらたまって言葉を選びながら話しているのが気になった。
「私ね、宮殿に奉公にいくことになったの」
ロミ先輩は落ち着いた口調でそう言ったが、フリージアは焦った。宮殿に行く、それはつまり皇帝に近づくということだ。
脳裏には図書館正門で黒炎に包まれた男性が浮かぶ。あの男性の娘は、健康そのものだったのに宮殿に奉公に出て病に倒れたと言っていた。そして、皇帝が使う黒魔法――
「あの……」
「弟の学費も必要だし、宮殿の奉公は給料がとても高いのよ。それに貴族の娘はそれだけで重宝される。爵位なんて返上すればいいというのにって思うけれど、うちの弟が結構優秀でね、なんか弟の可能性を潰したくないって私も思ってしまったのよ」
宮殿に行くのはやめた方が良いと言って止めたい。止めないといけない気がしている。でも言えない。
第一本当に危険なのか確証はないし、ロミ先輩は弟を援助したい一心で決意したのだ。それなのにやめた方がいいとはとても言えない。それならば、一体どうすればいいのか。
「それでね、その話をお父様にされたとき、条件を出したの」
フリージアが回答に迷っている中、ロミ先輩はお構いなしにそのまま話し続ける。
「条件……」
「マスカレードの招待状を手に入れてくれたら、奉公に行ってもいいわよってね」
「え?」
「お父様も私に後ろめたさがあったのでしょうね。本当に手に入れてきてくれたわ。こんなだけど一応は貴族だったのね」
フリージアは目を丸くする。
「ミーナとノアに聞いたわよ」
ロミ先輩は机の上に金色の文字が書かれたえんじ色の封筒を出した。
「ロミ先輩……あの……」
「マスカレードの招待状。これが欲しかったのでしょう?」
「ですが、そんな……」
そこにあるのは欲しかったものだ。ここのところ四六時中ずっとそのことを考えていた。しかし果たして受け取ってしまっていいのだろうか?
「アリアにはお礼を言いたくてね」
「お礼?」
「図書館で、最初はね、なんで働かなくちゃいけないんだって思っていたんだけど、ノアにミーナにそしてアリア、一緒に過ごして、色んなことを話して、私、働く時間がとても楽しかったわ」
それはフリージアも同じだった。異国の地に慣れず、ましてや仕事をするなんて初めてのことだったけれど、でも先輩達がいるから仕事は毎日面白いし、帝国の暮らしが楽しいと思えている。
「それに、働いてみたら、働くってとても良いことだって思えたの。だって誰かの役に立つってことでしょう? だから宮殿への奉公も全然大丈夫よ、図書館で働く前なら、そうは思わなかったでしょうけど。だから、それは私からみんなへの
フリージアの感情はぐちゃぐちゃだった。今までのように頻繁に会えなくなる寂しさに、宮殿は安全なのだろうかという不安、招待状が手に入るという嬉しさもある反面、本当のことを話していない後ろめたさもあって、どうすれば先輩の恩に報いることができるのか、感謝をどう伝えたらいいのか、何も浮かばない。
フリージアは机の上に置かれた封筒を手にとった。それは間違いなくマスカレードの招待状で、金色の文字で日時と場所が記載され、紙には透かし細工の加工がされている。
「あの、ありがとうございます。私、なんて言っていいか……」
せめてロミ先輩が大好きで、一緒に過ごす時間は楽しかったということを伝えたいのに、うまく言葉が出てこなかった。ロミ先輩は穏やかで優しい笑みを浮かべていた。
「でもアリア、マスカレードには確かにルーカス様も来ると思うけど、本当に行くの?」
やはりロミ先輩もフリージアがマスカレードに行きたい理由はルーカスに会うためだと思っているのだ。
「……その、ちゃんとケジメをつけに」
もうここまできたらこの理由で押し通すしかない。
「そう。私は止めはしないわ。アリア、気がついていないだろうけれど、ティーパーティの時なんか、無意識に目でルーカス様を追っていたものね。まさに恋する乙女って感じで。それにルーカス様も……いや……アリア、後悔のないようにね」
恥ずかしさで萎縮する。本当にそのような表情や仕草をしていたのだろうか。
「はい。後悔のないように」
マスカレードに行けばルーカスと顔を合わせることもあるだろう、できれば会いたくなんてない。後悔? そんなものはするはずがないのだ。最初から何も始まっていないのだから。
「二人にもお礼言っておいた方がいいわよ。招待状の入手方法についてかなり真剣に考えていたから」
「もちろんです。先輩方にはなんてお礼をしたらいいか」
ロミ先輩は微笑んでいた。
宮殿、それは安全な場所なのだろうか、もしロミ先輩の身に危険が及ぶようなことがあれば……その時は持てるすべての力を使って助けにいこう、そう思った。
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