第四章 マスカレード

4ー① いざマスカレードへ


 仮面をつけると顔のほとんどが隠れてしまったので、エリーは残念そうにしたけれど、その仕上がりには満足したようだ。


  マスカレードの日はあっという間にやってきた。


 緑と白の柔らかい生地に、色とりどりの刺繍が施されたドレスに袖を通すと身が引き締まる思いがした。髪はひとつにまとめて、お父様からのプレゼントである月の金細工の髪飾りを添えた。フリージアが鏡の前で一周すると、ドレスの裾は優雅に揺れる。



 最後の仕上げにと仮面を顔につけると、仕込んだ触媒石のおかげで髪と瞳は瞬く間にミルクティー色に染まる。誰かを彷彿ほうふつとさせるこの色は想定外で、慌ててもう一度魔力を込めて、黒い髪、緑の瞳に変えた。


「あまりにも可愛らしいので、姫様が注目されすぎて作戦の悪影響にならないか心配になってまいりました」

「それならそれで、普通にマスカレードを楽しむのも悪くないわね」


 冗談で返すと、エリーは不安そうな表情を向けてきたので、慌てて「そんなわけないから」とエリーをなだめた。


「変な方に絡まれたら毅然きぜんと断るのですよ。寒くなってきましたから、あまり長い間外にいると風邪をひきますよ。どうか、どうかお気を付けくださいませ」


 エリーはいつも以上に世話を焼きのセリフを並べる。心配してくれているはとてもありがたいことで、その言葉をお守り代わりに耳にしっかりと刻み込んだ。


 陽明館の入口につくと、ドレスやタキシードに身を包んだ人々が、長い列をなしている。皆が仮面をつけて顔を隠しているのは異様でミステリアスな空気感だ。仮面舞踏会マスカレードという性質からか、厳重なセキュリティーチェックがなされているようで、会場に人が入る流れは遅い。


 受付の順番が来て、白い仮面の大柄な男性係員に招待状を手渡した。男が目だけを動かして上から下まで勘繰るように見てきたため緊張が走ったが、「武器は持っていないな」とだけ確認をして、すぐに通されたのでホッとした。その後女性の係員によるボディーチェックがなされてから入館が認められた。


『いやぁ、マスカレードは顔が隠せますから、なんとなく気が大きくなりますなぁ』

『いやはや、仮面で気がつきませんでしたが、貴方様は……』

『ねぇ、あそこにいるのは侯爵家のご兄弟じゃない? 顔が隠れていてもめちゃくちゃカッコいい』


 フリージアは陽明館の廊下を進む。華美な衣装に仮面を纏った人々は妖艶ようえんで、陽明館の厳かな調度品とも調和し、このあでやかで独特な空気感に緊張してしまう。


 フリージアはメインホールへと向かう。


 幼少期から夢にまで見た憧れの舞踏会だが、月の国でデビュタントの日を迎える事はなかったため、足を踏み入れるのは初めてである。


 緊張していると感じるのは、舞踏会に対してか、それとも今日の作戦に対してなのだろうか。フリージアは深呼吸をしてから、メインホールへと入った。


 ホールはきらめきに満ちていた。


 高い天井から下がるダイアモンドのシャンデリアが大理石の床を照らし、着飾った紳士淑女の豪華なドレスや宝石が輝く。ここにある全てが絢爛けんらんで、ついついキョロキョロと周囲を見渡しては感嘆かんたんしてしまう。


 ホールの中央にはダンスフロアが広がり、美しい旋律せんりつに合わせて、仮面をつけた人々が優雅にステップを踏んでいる。まさに絵本や小説で夢を膨らませた世界そのものだ。これに心が躍らない乙女などいるのだろうか。うっかり本来の目的さえも忘れてしまいそうだ。 


 フリージアは踊る心を抑えて冷静であれと自らをいましめながら、ホール最奥、壁側に置かれた椅子に腰掛けた。会場内の様子を観察するのには最良の場所である。憧れの舞踏会だけれども、今日は壁の花で十分だ。


 作戦決行は会も中盤に差しかかって、人々の注意力が散漫になる頃を予定しており、それまでは普通の招待客として過ごす。


 ダンスホールに目を向けると、癖のある少し長めの黒髪に黒い仮面をつけたスラリとした長身の男性が目に入った。仮面をつけて顔ははっきりと見えないが、それでもその立ち姿や仕草で、兄アルベルトだということはすぐにわかった。


 仮面を着けているからか、正装をしているからか、それともこの空間がそうさせるのか、今日はいつになく魅力的に映る。

 

 妖艶ようえんな魅力のあるアルベルトに、踊っている女性の目が溶けてしまいそうになっているのが、仮面越しでもみてとれた。踊りもこなれていて、骨抜きになりかけている令嬢の手にダメ押しのキスまでしている。なんでも余裕でこなすアルベルトが女性関係で慌てているシチュエーションをちょっとだけ期待していたが、どうやらそんなことは全くないようだ。冷静に考えてあの兄がモテないはずがないとは思うのだけれど。


 視線を別の場所に移す。

 真っ先に確認してしまうのは、髪の色。茶色の髪を見つけるたびに、心臓が飛び跳ねる。決して探しているわけではない。むしろ探さない、探してはいけない。心ではそうやって何度も唱えているにもかかわらず、茶色の髪を持つ男性を順に目で追うことをやめられない。

 まただ、茶色い髪の男性。でもあれは知らない人。


 何人目かのミルクティー色の髪の人を見つけた瞬間、体に色が入ってきたように錯覚した。


 見つけてしまった。


 その感情は歓喜ではなく、困惑と呆れが混じり、しかし嬉しいと言う気持ちも確実に存在している言葉では表せない混じり気のあるもの。これ以上心を乱されたくないと思っているのに、忘れようと思っているのに、どうして探してしまうのだろう、そしてどうして見つけてしまうのだろう。


 仮面をつけていたってわかる。あのミルクティー色の髪の青年はルーカス・バーデンで間違いない。緑に金糸の刺繍が入ったジャケットに羽のついた白の仮面をつけて、顔はほとんど隠れているのに、あの優しい笑みが見える気がした。


 緑色。偶然にもフリージアとのドレスと被っているその色に、何の意味も持たないことはわかっていても気分が高まる自分の単純さに呆れる。


 しかし――


 その青年の手は、ひときわ美しい令嬢と繋がれていた。赤髪を高い位置でまとめ、黒いドレスに身を包んだその令嬢が誰かは言うまでもなく、リズ嬢だろう。緑のジャケットに黒いドレス、色だけならフリージアとルーカスの方が断然合っているが、バラバラな衣装の二人は息ぴったりで見つめ合い踊っていた。


 勝手に探して、こうして心だけ乱されるのは本当に不毛だと思う。

 フリージアはそのままお似合いの二人を眺めていた。



 壁の花。この場所に座って、もう何十分経過したのかわからない。

 その間、何人かに踊ってほしいと声をかけられたが断った。誰にも声をかけられないのは、寂しいけれど、いざ声をかけられたところで、見知らぬ人と踊ろうなんて気分には到底なれなかった。そもそもここには踊りに来たわけでも、社交に来たわけでもないのだけれど。


 曲が終わると、次のパートナーを探して人も動く。ルーカスとリズ嬢はとうの昔に見失った。フリージアは立ち上がり、より一層気配を消して、壁の花、いや壁の壁になろうとした。


 フリージアは壁を見つめて大きなため息をついた。

 なんだか惨めな気持ちになるのはどうしてだろう?


 その時、後ろから顔の横にトンと腕を突き立てられた。


 慌てて体を正面に戻すと、目の前には黒い仮面をつけた男性の顔があった。


 お兄様……?

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