4ー⑧ 閉じ込められた部屋

 お尻から床にたたきつけられる衝撃と痛みが体を襲った。片手でルーカスの手を握り、もう片手で『本』を抱えているので、咄嗟とっさに手をつくことができなかったのだ。


 ゆっくりと目を開いてみたが、暗くて何も見えない。手に暖かい感触があるので、ルーカスがそこにいることは確かだ。


 光魔法で明かりを灯してみると、あまりにも近い位置にあるルーカスの顔が飛び込んできた。慌てて立ち上がり、ルーカスから距離を取ろうとしてみたが、背中はすぐに何かに当たり音を立てる。


「危ない」


 ルーカスに腕を引っ張られて、そのまま床へと崩れ、かたわらにバケツが音を立てて転がった。

ルーカスに抱きつくように床に倒れ込んでしまった。


「あっ、ごめんなさい」


 慌てて再びルーカスから離れると、再び別の何かにあたり、今度は箒がルーカスめがけて倒れてきた。


「落ち着いてください」


 箒を受け止めながら、ルーカスはフリージアの肩を持つと瞳を見つめて言った。


「申し訳ありません」


 フリージアは冷静であれと心で念じる。


 この場所は人二人がぎりぎり入れる程度の狭い場所だ。どうやら倉庫のようで、窓のない部屋に置かれているのは箒やバケツといった掃除道具と箱がいくつか。


 鉄製の扉がひとつあるので、フリージアはドアノブに手をかけてみたが、当たり前のように開かない。鍵穴はあるが、もちろん鍵などもっているわけもなく、閉じ込められているのは明らかだった。


 しかし皇帝から逃れることには成功しているし、『本』もこの手にある。だから成功といえるけれど、この鉄の扉は、体当たりしても絶対に開くことはない重厚な造りで、外に出る手段が思いつかない。


「闇魔法のワープですか? 以前丘の上でもされていましたね」

「えぇ。ですが私は闇魔法があまり得意ではなくて……着地も乱暴に……」


 ルーカスは床に座りこみ、腰をさすっていた。


「お怪我はないでしょうか?」

「あっ大丈夫です、少し打ちつけただけですから……アリ…姫様のワープは、場所の指定は出来ないのですね」


 ルーカスはフリージアのことを姫様と呼んだ。全てがバレてしまった今、もう正体を隠す必要などない。


「アリアでもかまいません」

「いえ、流石にそういうわけには……」


 姫様といわれると、どうにも距離が生まれたような気がした。もちろん元々近いわけではないのだけれど。


「私の力では、場所の指定も、そして遠くへ行くこともできません。ここもきっと図書館の敷地内でしょう」

「なるほど、そして……閉じ込められてしまった……というわけですね」

「……はい……」


 ルーカスは穏やかに微笑んでいる。この状況でよくそんな余裕がもてるものだ。


「ですが、あの状況だったら、これ以外に選択肢はなかったと思いませんか?」

「確かに、少なくともあの場から逃げる事はできましたね……私までお助けいただきありがとうございました」


 優しい口調はいつも通りのルーカスで、穏やかに流れる時間に、ここに至るまでにあった出来事をまるで忘れてしまいそうだ。


「ルーカス様はどうしてそんなに落ち着いていらっしゃるのです?」

「落ち着いてなんていませんよ。大混乱です」


 そうは言っているものの、ルーカスはやっぱり平然としているし、それどころか余裕すら感じる。フリージアは、手も抑えていなければ震えてしまいそうだというのに。


「とりあえず、ここは物音もしませんし、ひとまずは安全そうですから、どうかお座りになってください。そして……いろいろと状況をご説明いただけませんか?」


 ルーカスはそういうと、フリージアから手を離して壁際へと座った。フリージアもドレスを持ち上げ地面へと座ってみたが、この広さではルーカスに触れることなく座るのは難しく、肩が当たっている。


「再びワープをするにしても、場所が選べないのでしたら、暫くは隠れていた方が良いと思います。そして他の脱出方法も考えましょう」

 

 正直にいうと一人じゃなくて良かったと思った。例えルーカスが敵だとしても、ここに人がいるのは心強い。

 

「ルーカス様はなぜ魔法が使えるのですか?」


 フリージアの言葉に、ルーカスは静止した。そしてしばらく何かを思考しているそぶりを見せた後、明後日の方向を見ながら口を開いた。


「そうですね。もう隠せないですね。なにからお話しすればよいか……私の本当の父は先帝なのですよ」


 先帝といえば、現皇帝の兄であり、二十年前の皇族惨殺事件で、妻子ともに殺されたはずだ。


「本当は明かすつもりなどなかったんですが、思わず、あの時感情的になってしまって」


 あの時火魔法が使われなければ、『本』を見つけることはできなかっただろうから、結果として助かった。

 ルーカスは間をおきながら、その出生の秘密について語り出した。


 話によると、侍女として宮殿で働いていたルーカスの母は先帝のお手つきとなり、身籠ったことを知った。しかし皆にそのことが知られるよりも前に城を去ったらしい。ルーカスの母が城を去った直後に例の事件が起こったのだという。


「先帝はどうやら自身の身に危険が迫っていることを悟っていたようなのです。そして、弟には絶対に見つからないようにという言付ことづけとともに母を伯爵に託したのだと聞きました。母は伯爵の妻として迎え入れられましたが、それも私を伯爵の実子だと周囲に思い込ませて隠すためだったようです」


 狭く仄暗い倉庫は、暗鬱とした空気が漂っている。ルーカスの悲痛な面持ちも相まって、暗い空気に呑まれそうになる。


「弟に見つからないように……それは、全ての犯人は弟、つまりは現皇帝だといっているようにも聞こえるのですが……」

「はい。ですから、私も、父、伯爵も、皇帝については疑いを持っていました。ただ全ての黒幕であるという確証までは持てなかった」


 一年前の月の国への襲撃は、皇族惨殺事件の復讐だとこの国ではいわれていたはずだ。それはつまり――


「ルーカス様は月の国の襲撃は言いがかりである可能性に気がついていたということでしょうか?」


 ルーカスは目が泳いでいる。静寂には気まずい雰囲気が漂う。


「知っていて、何もしなかった……」

「爵位があるといえど我々にできることなどなにもないも同じです。言い訳ですが、太陽帝国は二十年前の事件以降平和でした。ならば、それで良いと思っていたのも事実です。国の平和が続けば他のことには目をつむろうと。それは間違っていたとも思っています。ですから……恨まれても仕方がないと思っています」


 恨む、そうなのだろうか? ルーカスのせいではない、結局のところ、月の国を守れなかったのは我ら月の国の王族なのだ。


「結局全ては我々月の国の力不足ですから……」

 

 気まずい空気が流れる。


「ルーカス様は皇帝が黒魔法を使っていると知っていたのですよね」

「えぇ、姫様が先ほどおっしゃったように、感知できていますから。ですが、それが黒魔法だと呼ばれるものであること、贄を必要とするものだとは夢にも思いませんでした」

「黒魔法は絶対に封印しないといけない。贄に人の命が必要だなんて、そんなことは許されないわ」

「えぇ。私も同じ意見です。ですが……今度は、姫様の番です。教えていただけますか? 今何をしようとしているのか、その『本』が何であるのか?」

「それを説明すれば、『本』を開くことに協力していただけますか?」


 ルーカスは味方なのだろうか。どこまで行ってもルーカスは帝国の人間で、フリージアと同じにはならない。


「先ほど『鍵』を持っているか、お尋ねになりましたね。その『本』を開くには『鍵』が必要ということなのですね」

「えぇ。ですから――」

「『本』の中身が何かがわからない状態で、お約束はできかねます。しかし、今の私と姫様は同じ目的を持っていると思っています」


 同じ目的、それはつまり、皇帝を封印するのだということか。


「ルーカス様は皇帝に反旗をひるがえす意思がおありということですか」


 フリージアはルーカスのミルクティ色の瞳を見つめた。目の奥に炎が灯されているのか、確認するために。


「それが、私に定められた使命なのだと、今宵、やっと理解しました」


「それは……」


「本当は前々から考えていたのです。皇帝を疑っていまし、皇帝が纏うオーラーはあまりにも異常なものでしたから。ですから、やっと決意ができたというのが正しいのです」


 きっとルーカスもいろいろなものを背負って、悩んで、生きてきたのだろう。そしていざというときのための準備をしてきたのだ。

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