2ー⑥ 図書館正門の事件

「俺の、俺の話をきいてくれぇーー」


 ルーカスが音のした方へと慌てて向かったので、フリージアもそれについていくと、図書館の正門前で中年の男が女職員を人質にとってその首元にナイフを突きつけている。周囲には白い煙が立ち込めていた。先ほどの音は煙玉のようなものを使った音だったのだろう。


「娘を城に奉公に出したんだ。でも病で死んだって連絡が来た。でも、でも、娘は風邪ひとつ引いたことがないほど健康で……だから、だからそんな死んだななんて」


 涙や汗を撒き散らしながら叫ぶ男の訴えは悲壮感に満ちていて、それが決死の主張であることがわかる。人質にされている女職員は真っ青な顔をして、男が激昂して体を震わすたびに小さな悲鳴をあげている。周囲には騒ぎを聞きつけた人が集まり人溜まりができていく。


 光魔法で男の目を眩まして、その隙に救出をする。そんな作戦は浮かぶのに、それを帝国で、人前で実行するわけにはいかない。それ以外に、魔法を使わずに解決する方法はないだろうか。魔法を使わなければ、フリージアは非力だ。


 その時、ルーカスが「私の傍から離れないでください」と言って、フリージアの手を引いて一歩前へと出ると男へ語りかけた。


「宮殿からの使者が来たのであれば、その情報に偽りはないはずです。娘さんが亡くなったのは悔やまれることですが、どうか強いお心をお持ちになってください。こんなことをして、娘さんは報われません」

「お前に、お前に娘が亡くなった父親の、きっ気持ちがわかるか?」


 男はきっとこういうことには慣れていないのだろう。ルーカスが前へ出るとわかりやすく焦りが見える。


「正直に言うと、わかりません。わかるわけがありません。ですが私に想像ができないほどの深い悲しみと、絶望であるのだろうと思います。人の命の重みがそれほどだということは理解をしているつもりです」


 それは語りかけるように、優しく響く。


「でも殺されたんだ。娘は皇帝に、殺された」

「……そのようなことを言ってはいけません。不敬罪に問われますよ……」

「でもそうとしか思えない、娘は、手紙をくれたんだ、そこに、書かれていた。だから――」

「その、手紙とは――」


 激昂していた先ほどよりも、男は落ち着いてきたようだ。

 ナイフこそ持っているものの、人質に危害を加えるつもりはないのではないかと思った。男はナイフを持つ右手を気にしている。職員に近づけすぎて怪我をさせないようにしているように思えた。

 きっと、優しい父親だったのだろう、話せば、きっとわかる。


 その時、突如として男を黒炎が包んだ。瞬間、フリージアに恐怖が迫ってくる、


 ――あの黒炎だ、あの禍々しい……皇帝の黒炎


 視界がぼやけていく、一瞬、通りの向こうに黒い服を着た皇帝が立っていたような気がした。しかしそれをはっきりと確認するよりも前にフリージアはその場へうずくまった。


 ほんの一瞬で、禍々しい圧は消えた。


「アリアさん大丈夫ですか?」


 うずくまるフリージアの背中に手を置いて、覗き込むルーカスの顔も真っ青で、手が震えていた。周囲に集まった人々のざわめきが聞こえる。


「ルーカス様こそ、大丈夫ですか。一体何が?」


 男の周りには人だかりができて、何も見えない。


「見ない方がいいです」


 ルーカスの言葉に何となく事態を察する。


「騒がしいですが、いったい何事ですか?」


 現れたのは、図書館館長の子爵様だった。


「おや。これは。あとの処理は私が行いますので、皆さんはここから離れてください」


 子爵様は穏やかに言ったが、集まった人はなかなか動かない。みかねた子爵様が、これは命令ですよと冷たさに怒りがこもった圧のある声で言うと、集まった人たちはその場から動き始めた。


「私たちも参りましょう」


 ルーカスに連れられて、フリージアもその場を離れた。


「ルーカス様?」

「アリアさん、少し休んだほうがいいです。顔色が悪いです」


 それはルーカスも同じだった。顔が真っ青のままである。


 後で周囲にいた人に聞いた話だと、急に黒炎が男を包み、男が突然唸り声を上げて倒れたのだという。周囲の人が近づくと、男はすでに息を引き取っていたという。


 黒炎、あれは一体なんなのだろう。皆は特に気分が悪くなることはなかったらしい、それであればフリージアの魔力に反応しているということだろうか? 黒魔法。皇帝は黒魔法を使うとお兄様は言っていた。



 あの禍々まがまがしいオーラこそ黒魔法なのだろうか。

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