2ー③ ルーカスとアリア

 本棚に本を戻す作業をしながら、フリージアは先ほどの子爵様の言葉の意味を考えていた。


――あなたの探し物も見つかるといいですね


 それは何かを知っているぞという牽制けんせいの台詞である。


 子爵様にアリアの正体がばれているということか? もし本当にそうだとすれば別館への立ち入りを許可したのはなぜか? 何か罠かもしれない。


 『本』を探し当てる事を阻止するために、本来の保管場所ではないところ探させて、時間を稼いでいる可能性もある。しかし探し物が見つかるといいという言葉をそのまま受け取れば、『本』は別館にあるとも受け取れる。


 魂まで抜け出てしまいそうなほどに大きく息を吐いた。いろいろと考えを巡らせすぎて湯気が出そうな気分である。




「ねぇルーカス様、庭園ティーパーティのエスコートは絶対にルーカス様にお願いしたいって思っていましたの。よろしくって」


 本棚の反対側から、猫のようにしなる、甘えた声が聞こえた。その声が発したルーカスという名前についつい反応してしまう。


「お申し出は嬉しいのですが、今回は主催側でして、あまりリズ様にかまうこともできませんし……」

「そんな事はかまいませんですわ。他の男性では嫌なのです。それに最初だけでも良いですから」


 フリージアはこちらの気配を悟られまいと息をひそめる。


 会話内容を考えても、その柔らかく優しげな声からも、そこにいるのは間違いなくルーカス・バーデンだ。


 猫撫で声の女性はリズ嬢と呼ばれていたが、ロミ先輩が、リズ様はルーカス様にご執心といっていたことを思い出して納得した。このちょっとした会話だけでも、いかにリズ嬢がルーカスに熱をあげているのかがわかる。しかしルーカスの受け答えは、明らかに脈なしのもので、なぜか少しだけ気分が良い。


「では、ルーカス様は他に心に決めた方でもいらっしゃいますの?」

「決して、その様なわけでは……」


「主催者で目を引くからこそ、パートナーなしなんてあり得ないですわ。

 侯爵家の名前はうまく使えるはずですわよ。

 お父様も今度ルーカス様を食事に招待したいと言っていましたし、私のパートナーには相応しいとも言っていましたわ」

「……えぇ。……それは大変光栄なことですが……」


――他に心に決めた人はいない


 そのことに浮足立つ自分に困惑する。


 本当に無意味な詮索をしているなと思った。帝国貴族の恋愛事情など、これっぽっちも興味はないし、知ったところで何の意味もなさない。


 それにいくら脈なしであっても、貴族の恋愛や結婚とは色恋だけで決まるものではない。確かリズ様は侯爵令嬢だとロミ先輩が言っていたので、それならば伯爵家よりも格上である。ならば強引に話を進めることもできるはずだ。


 丁度この場所の本を全て収納し終わったので、二人に見つからないよう慎重に別の書棚に移った。


「楽しみにしていますわね」


 そんな声が遠くから聞こえたので、きっとリズ嬢の思い通りになったのだろう。


「はぁ――」


 手に持った分厚い帝国史の本に向かって、大きなため息をつく。

 ルーカス・バーデン。心の中で名前を復唱した。



「あなたは……」

「ひゃっ」


 たった今、心の中で呼んだ名前に呼応するように耳元で声が聞こえたので、驚いて書棚に頭を打ち付けそうになる。


「あっ……またしても驚かせてしまいすみません……。それにしてもまたお会いしましたね。今日の髪……いや……今日はメガネではないのですね」


 爽やかなミルクティー色の髪、整った顔、どこからどう見ても、ルーカス・バーデンだ。丁度ルーカスの事を考えていたところに声をかけられたので、あまりのタイミングの良さに心底驚いてしまって、きっと変に思われたことだろう。


 ルーカスは祝祭の時は正装だったが、今日は白いシャツにベージュのベストと装飾の少ないラフな装いである。それでもシャツの第一ボタンには庶民は決してつけることのない黄色い大粒の宝石がさらりとつけられていて、その身分の高貴さを示していた。


「メガネはあの日だけで、いっ、い、いつもはかけていないのです」


 咄嗟にいつもメガネをかけていない事にしてしまった。着け心地の悪く不便に思っていたメガネを二度とつけなくても良くなったかわりに、毎朝髪と瞳の色を変える手間と魔力感知されるリスクが増える事になりそうだ。


 アリアとフリージアの違いは髪と瞳の色だけである。あまり顔を見ないでほしいが、ルーカスはまじまじとこちらを見つめている。


「あっ、昨日は鏡を拾っていただいたことに感謝しております。あぁ、何かお礼をさせていただいたほうがよいのでしょうか……ですが貴族様にできるお礼など見当もつかず……」

「決してお礼が欲しいなどというわけでは……今日は本当にたまたまお見かけしてお声かけしただけですし」


 優しい雰囲気だけでも心をざわつかせるのに、キラキラと光るオーラまで纏っているこの青年に、目線をどこに置いたら良いのかわからず、きょろきょろしてしまう。


「そういえば、昨日の鏡なのですが、今もお持ちですか?」


 色々な意味で心臓がいますぐにでも飛び出そうだ。冷静に、冷静に。


「あっはい。えーっと、ほらここに」


 えんじ色の図書館制服のスカートについたポケットから、フリージアは鏡を出す。自然に。いたって自然に。


「でも、どっどうしてそのようなことを?」

「いや、実は、昨夜もう一つ同じ鏡を拾ってしまいまして、もしかしたらと思い……」


 ミーナ先輩に鏡を借りておいて本当に良かった。自分の失態により起こした事態とは言え、泣き出したい気分だ。


「そっそんな偶然があるので……すね。同じ鏡を一日に二度も拾うだなんて」

「本当にそうですよね、何か意味があるような気がして……」


 否定するのも不自然だし、もちろん肯定もできない。とりあえず口角を必死に引き上げた。


「あの、よろしければ、お名前をお伺いすることはできないでしょうか? 昨日はお伺いする事ができませんでしたので……」

「えぇっと……私はアリアと申します」


 フリージアはスカートを少しつまんでお辞儀をした。胸に手を当てて膝を屈めるのが月の国流だが、これが帝国流だとエリーに教えてもらった。


 ルーカスは優しい笑みもキラキラとしたオーラも一切絶やすことなくこちらを見ている。アルベルトともサイラスとも違う、貴公子という称号がよく似合う好青年。そんなルーカスの顔を見るのも、その瞳に見られるのも、むず痒くて、これ以上は耐えられそうにない。


「私、仕事に戻らねばなりません。失礼させていただいてもよろしいでしょうか?」

「あっ、えぇ。お引き止めして申し訳ございません」


 フリージアは足を少しかがめて、胸に手を当てて会釈をしてから、その場を離れようとした。今の会釈は月の国流だったかもしれない。体に染み込んでいない作法の咄嗟の使い分けは難しい。


「あの」


 ルーカスは、ものすごく自然にフリージアの手をとってフリージアを引き留めた。


「えっと……何でしょう」


 フリージアは今まさに触れられている手に目線を落とす。


「すみません。思わず……」


 ルーカスはすぐに手を放したけれど、一瞬でも触れた手はまだ暖かい感触が残っている。


「あの、またお見かけしたら話しかけても良いでしょうか?」

「話しかける?」

「アリアさんともう少しお話ししてみたいと思ったのです。せっかく知り合えたのですし、様々な立場の方とお話しできる機会は貴重です。鏡のお礼だと思ってどうか」

「ですが私はしがない平民で、ルーカス様とお話しするような身分の者では……」

「私の名前を憶えていて下さったのですね」

「えっ?」


 思いがけない返答に、焦る。そういえばルーカスから名前を聞いたのはいつだったろうか。


「ルーカス様は有名ですから」

「そう……なのですか?」


 なぜルーカスはただ鏡を拾ってあげただけの相手にここまで構うのだろうか。色々な可能性が頭をめぐるのに、あまり深くかんがえたくないとも思う。


「あまり気負わないでください。それに、友人であれば、盗み聞きをとがめたりしませんよ」

「あの……何のことでしょう」


 ルーカスは悪戯いたずらな笑みでフリージアを見ている。どうにも外堀が埋められて、反論できなくなっていく感覚がある。


「では、友人という事で。最近はティーパーティのために頻繁にこちらへ来ていますから」


 ルーカスは嬉しそうにしている。優しさをまとった策士にも見えた。


 ルーカスが「それでは」と言って立ち去った後、まだカートに本は残っていたが、フリージアは急いでバックヤードに戻った。ほほがひたすらに熱い。

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