2ー② 子爵様からの依頼

 子爵様の執務室の前でフリージアは深呼吸をする。


 帝国図書館館長の子爵様に呼び出される理由にはまったく心当たりがなく、予想が付かないからこそ変な緊張をしてしまう。


 一分ほどドアの前でたじろいだあと、意を決してノックをしようとドアに手をかざした瞬間、まだ触れていないにも関わらず、ドアが内側に開き、思わず悲鳴をあげた。


「あっ、大変失礼いたしました、お怪我は……あれ貴方は……」


 さらに目の前に現れたのが、ルーカス・バーデンだったので、フリージア再び小さな悲鳴をあげてしまい、恥ずかしさで、ほほの温度が沸騰したように感じる。


 よりにもよってルーカス・バーデン。つい先ほど渡り廊下を子爵様と歩いていたが、そのあとここで話をしていたのだろう。思いもかけない邂逅かいこうに、苦笑いを浮かべて立ちすくんでいると、部屋の奥から様子を伺っていた子爵様が助け船のようにフリージアに声をかけた。


「あぁアリア嬢お待ちしていましたよ。急にお呼びたてして申し訳ございません」

「はっはい」


 フリージアはルーカスに軽く会釈をしてから、横を通り抜けて部屋へと入った。ルーカスは子爵様に「それではまた」と挨拶をしてから、何事もなかったかのように行ってしまった。


「お二人はお知り合いだったのですか」


 部屋に入るなり一番聞かれたくないことを聞かれたので狼狽うろたえた。


 子爵様は藤色の髪を持ち、しなやかな柔らかい声で話す。目の動きや、余裕のある笑みは、まるでこちらの心を見透かしているようで、フリージアはどうにも苦手に思っている。


「答えにくい質問だったのであれば構いませんよ。とりあえず、そこにかけてください」


 子爵様は、テーブルをはさんで子爵様の向かい側に座るよう促した。

 フリージアは苦笑いで質問をかわし、ベロア生地のソファーに腰かけた。思いのほか深く沈んだので、体がよろけた。


 子爵様の執務室の中に入るのは初めてだ。部屋は濃い茶色で統一されていて、大量の書類や本、何に使うのかよくわからない実験器具のようなものが所狭しと置かれ、ごちゃごちゃとしている。


「君の働きぶりには感心しているのですよ」


 子爵様はそう言ったが、正直に言うと、子爵様の目に留まるような働きをした記憶はないのでこれはきっとお世辞だろう。


「特別な事は何も……」


 子爵様優しい笑顔を浮かべている。柔らかくて余裕があって神々しい、まるで女神のような微笑みである。


「実は別館での作業をしてくれる方を探していましてね。その仕事をあなたにお願いしたいと思いまして……」


 本館、別館、陽明館ようめいかん、図書館は三個の建物で構成されているが、そのうちのひとつである別館は確か皇族しか入れにないと聞いたことがある。


「しかし別館は……皇族しか入れない場所ではないですか?」

「えぇ普段はそうですね。しかし皇帝陛下は私に別館での作業をお命じになりました。そして人選は任せるとも」


 図書館館長は子爵位を持っているとはいえ、皇帝から直接そのような頼まれごとをする間柄なのだろうか? 考えれば子爵様は四十歳前後に見える。皇帝とは同年代だろう。幼少期からの馴染みとかそういった可能性は考えられる。


「しかし、私は適任とは思えません。働き始めてまだそんなに経っていませんし、第一平民です」

「確か、以前は帝都ではないところで暮らしていたとか」

「はい。以前は港町フローレンスにて暮らしていました。両親が他界したため、姉と共に仕事の多い帝都へ引っ越してきたのです」


 フリージアはエリーと事前に取り決めたシナリオを話す。


「そうですか。両親を亡くされて、大変でしたね。ですが、だからこそ良いと思ったのです」

「えっと……?」


「別館での仕事は、歴代皇帝の蔵書の整理です。本自体は普通のものですが、皇帝がなにか書き込みをしているかもしれませんし、メモが挟まっている可能性もある。得た情報を使って何かを企む可能性もありますから、貴族に任せるというわけにもいかないでしょう。

またこの国に詳しい人間であれば、メモの意味を理解してしまう可能性が高い。フローレンスは三国の国境に近く、この国の文化が薄いと聞きました。そういう方であればまさに適任だと判断したのです。この理由では不服でしょうか」

「いえ……決して不服などとは」


 それでも多くの職員がいる中で、その条件に当てはまる人は他にもいるだろうという疑念はどうしても拭えないが、説明は理にかなったものである。それに歴代皇帝の蔵書というのはかなり魅力的だ。『太陽の本』の手がかりがつかめるかもしれない。


 『太陽の本』をいったいどこから探したらよいのか、雲をつかむような状態なのだから、むしろこうした機会は手を差し伸べられたようでありがたい。


「では、そういう事で。また作業の日は追ってご連絡します」


 子爵様は変わらず笑みを浮かべているが、その奥にある感情までを読み解くことはやはり出来ない。笑っていても目に感情がこもっていないような気がする。


「ちなみにわかっておられると思いますが、この作業については、他言無用ですよ」

「もちろんです」


 その後何点か質問をうけたあと、子爵様の話が全て終わったようだったので、フリージアは挨拶をしてソファーから立ち上がると、部屋を出るためにドアノブに手をかけた。


「あっそうそう、せっかくですから――


 フリージアはドアノブを途中まで回した状態で硬直した。子爵様はまるで世間話のように自然に、でもあまりにも不自然な言葉を放った。


 子爵様はフリージアの探し物の事を知っている?


 背筋が凍る思いだった。


 振り返ってこの違和感について確かめた方が良いのだろうか。


 でもなんとなくそれは止めた方が良い気がして、アリアとして笑みを作り、「失礼します」と可愛げに言って部屋を後にすることしかできなかった。

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