第二章 図書館

2ー① 図書館の日常

「あれ? アリア、メガネやめたの?」


 勤め先の帝国図書館の職員用休憩室に入るなり、先輩たちに突っ込まれた。


「あら、あなた絶対メガネやめた方がいいわよ」

「メガネを外したら美女であるとか、鉄板ネタですね」


 帝国図書館は宮殿に隣接していて帝国の研究機関も担う巨大施設だ。



 帝国に来て、最初は自作の魔法道具を闇市で販売する事でお金を得ていた。


 月の国が併合されて以来、王族から貸与される光と闇の触媒石しょくばいせき流通量が極端に減り、魔法道具の生産量も減ったことから、魔法道具はかなりの高値で売れた。しかし同時に身分がばれる危険性もはらんでいるため、フリージアとエリーはそれぞれ職を探すことにしたのだ。

 


 フリージアは丁度この帝国図書館で職員募集があるのを街の掲示板で知り、応募してみたところ、とんとん拍子で採用が決まった。あまりにもあっさり決まったので、図書館での仕事が過酷で人手が不足しているのではと戦々恐々せんせんきょうきょうとしていたが、先輩たちは優しく、また仕事内容も容易なもので日々楽しく働いている。


「メガネ、実は失くしてしまって……」




 昨晩、森を出ようとしたフリージアは、とんでもない失態に気が付いた。身に着けていたはずのポシェットがなかったのだ。


 ルーカスから逃れようと焦って闇の移動魔法を使ったため、地面に置いたポシェットの存在を完全に忘れていた。


 中身は財布と鏡、そしてメガネ。

 ルーカス・バーデンはきっとポシェットを拾ったことだろう。身分を示すようなものが一切入っていなかったのは不幸中の幸いだが、昼間に拾ったものと同じ手鏡に、その相手がかけていたメガネを見てなんと思うことか。そもそもポシェットだって昼間に提げていたものと同じだし、そもそも髪と瞳の色を変えただけで、顔つきは全く同じなのだから、丘の上にいた金髪の娘と昼間の茶髪の娘が同じ人間だという証拠はこれでもかという程揃っている。


 メガネがなくなってしまったため、今朝は瞳と髪に直接魔法をかけて色を変えた。メガネを使うよりも魔力が感知されやすいのであまり良くないとわかっているが仕方がない。


「ずっとかけているメガネを失くすなど、なかなかに抜けている一面があったのですね。失くしても問題ないのですか? もしかしてあれは伊達メガネとかだったのでしょうか? なにかその可愛らしいお顔を隠さなくてはいけない理由があるとか……」


 ノア先輩は黒髪に三つ編みがトレードマークで、年下のアリアにもいつも敬語で話す。小説を書くのが趣味で、何冊か出版もしているらしく、いつもネタ集めをしているせいか、鋭い観察眼を持っている。


「いやそういう訳じゃ……」

「アリア絶対メガネはずした方がいいよ。ほら、めちゃくちゃ可愛い。こんなに可愛かったら、どこぞの高位貴族様に見初められて……とかあるかも」


 肩までの栗色の髪を内巻きにして、カチューシャをつけているロミ先輩は男爵令嬢らしいのだが、どうやら没落寸前らしく、貴族の暮らしを維持するために家族総出で働きに出ているらしい。お洒落かつ噂好きで、帝国社交界のゴシップネタをいつも提供してくれる。


「それは素敵ですね。タイトルは平民令嬢、貴族の貴公子に見初められる……その折には是非なれそめを小説のために取材させてください」


 二人とも言いたい放題だ。


「やめときなさい。貴族様に見初められたところで、どうせ愛人が関の山。飽きたら捨てられて終わりよ」


 栗色の長い髪を色気とともになびかせてミーナ先輩は言う。ミーナ先輩は三歳になる男の子を女手ひとつで育てているが、その父親が誰なのかは誰も知らない。もしかすると子供の父親は貴族なのではないかと思う節はあるのだが、いつも取材取材と言っているノア先輩もなぜかこの件にだけは切り込まない。



「ねぇ皇帝の噂知っている?」


 一瞬空気が凍ったのを察知したからか、ロミ先輩が異なる話題を出した。皇帝という言葉に、ドッキっとしたが、過剰に反応しすぎないように留意しながら耳を傾ける。


「皇帝はもう四十歳を過ぎているはずなのに、皇后も側妃も置いていないでしょ?」

「それは今更ですよ。全国民が知っている話でありますよ」

「それでね、最近宮殿に勤める女中がよく失踪するんだって……」

「失踪……?」

「そうなの。つまりね、皇帝が気に入った女中を後宮に監禁してるんじゃないかって……」

「なんと後宮に監禁とは……小説としては格好のネタになりそうであります」

「ちょっとノアったら。まぁそれ出来たら読ませてちょうだいね」


 先輩たちは楽しそうに話を展開していく。


「それでね。後宮は今誰も使っていないでしょ。それなのに夜中に近くを通ると、女の人の叫び声が聞こえるんだって……」

「ひぃぇ」

「まぁノアったらすごい声が出ているわよ。でもロミ、その話はいったいどう解釈したらいいのかしら? なんか背筋は冷えたのだけれども……」


 ミーナ先輩は背筋が冷えたといいながら、好奇心に満ちた顔をしている。


「うーん。まだこれだけしかネタがないの。でも噂では、実は皇帝は手当たり次第女中に手を出していて、手を出したら殺してしまうとか。なんか皇帝ってすごい怖いオーラを纏っているし、独裁タイプでしょう? 家臣達も常にビクビクしながら接しているっていうし、そういう猟奇的りょうきてきな趣味があっても、そこまで驚かないんだけどね。まぁとりあえず続報仕入れたらまた共有するから」


 女中の失踪に後宮から聞こえる悲鳴。帰ったら情報としてエリーと共有したほうがいいかもしれない。些細なことも何かの手掛かりになるかもしれない。


「それにしてもどうして皇帝は結婚しないのかしら。貴族たちが令嬢を宮中に入内させたくてうずうずしているのに、かたくなに拒否しているらしいのよね。不思議よね。男色であるとか、実は身分が低い愛する人がいて後宮で囲っているとか、本当にいろいろな噂はあるのだけれど、どれも信憑性に欠けるのよね。ただこの国に魔力保持者も、そもそも皇族だって皇帝しかいなくなってしまった訳だから、ずっとこのままってわけにもいかないはずよね」


ロミ先輩の言葉にみんながうんうんと頷く。


「皇帝陛下は世継ぎをなすことも仕事のうちのだものね。みんなにこうして噂されてかわいそうになってきてしまうわね」


 帝国では、昨年の月の国との戦いの結果、魔力保持者は皇帝ただ一人となっている。皇族の血をひくものがいなくなれば、火と土の魔力は潰えてしまうので、結婚して子供をという声は大きいはずだ。


 フリージアは祝祭でみた皇帝の姿を思い出す。恐怖心を抱くほどの圧倒的威圧感。他者を寄せ付けないオーラ。結婚や家族といった家庭的な雰囲気とは無縁そうに見えたが、皇族としては確かに不思議だ。





「あれ! ねぇあれ見て、バーデン家のルーカス様じゃない?」


 ロミ先輩が窓を指さして言う。


「えっ?」


 うっかり変な声が出てしまった。バーデン家のルーカス? ロミ先輩が指さす方を見ると、ミルクティー色の髪の青年が、帝国図書館館長の子爵様と話をしながら渡り廊下を歩いていた。


「あれ? アリア、ルーカス様のこと知ってたの?」


 ロミ先輩にそう言われて、やばいと思った。どう答えたら正解かわからない。


「えっと……街でお見かけしたことがありまして……」


 とりあえず何も嘘は言っていない。それでもロミ先輩は好奇心に満ちた目で見つめてくる。


「へぇアリアもやっぱりイケメンは好きよね。伯爵家の貴公子ルーカス様。素敵よね。

目の保養。ルーカス様ってさ、パーティとかでは、いつも高位貴族の令嬢に取り囲まれているのよね。

まあ無理もないわ。あの顔に微笑みかけられたら、たとえそれが何の意味を持っていなくても、一生の思い出になりそうよね。あっそうそうドレイク侯爵家のリズ様はかなりルーカス様にご執心でね……」


 ロミ先輩は聞いてもいないのに、勝手にいろいろな情報を教えてくれた。貴族の色恋沙汰に関して、ロミ先輩は情報屋を開けそうな程に詳しい。「没落寸前で凡庸ぼんような顔しか持ち合わせていない男爵令嬢なんて、社交界じゃ壁の花どころか壁そのものだからね。壁の耳にでもなって噂話を持ち帰る事だけが使命なのよ」なんてよく言っている。


「あらまぁ、アリアはああいう貴公子タイプが好みなの? 貴公子タイプっていうのは、裏ではドロドロの感情抱えていたりするかもしれないわよ」


 ミーナ先輩はいたずらを仕掛ける子供のような笑みをしてこちらを見ながら言う。ドロドロの感情とは、ミーナ先輩はいったい過去どんな経験をしてきたのだろう。


「私はああいう貴公子タイプより、もう少しワイルドな人の方が好きね。ほらたとえば月の国の王太子殿下とか、ワイルド系の年下って可愛らしぃわ」

「わかります。なんか月の国を追われて耐え忍ぶところとかが、妙に母性本能をくすぐるものがあるといいますか」

「そうよねぇ。でもノアよりは年上なんじゃないかしら」


 ミーナ先輩とノア先輩の口から急にアルベルトの名前が出たのでアリアは思わずせき込んだ。


「アリア大丈夫?」

「だい、じょうぶ、です……」


 アルベルトがそういう対象になるという感覚を今まで持ったことがなかったが、確かにアルベルトも結婚適齢期の独身男性である。アルベルトはモテるのだろうか? もしミーナ先輩とノア先輩のどちらかが義姉となるとしたら……それは楽しそうでいいかもしれない。


「とりあえず、アリアは貴公子タイプが好みってことはわかったわよ」

「えっ、どうして?」

「今までのやり取りでどうしてそうならないと思ったの?」


 ロミ先輩はいじわるな笑みを浮かべていた。


「もうすぐ恒例の庭園ティーパーティがありますから、品定めをするのなら最適ですよ」

「庭園ティーパーティ? しなさだ……」


 ノア先輩の話はほとんど意味がわからなかった。


「えぇ、庭園パーティでは私は毎年ドリンクバーの担当をしていまして、貴族様の観察をするのが楽しみなんです。貴族のあれこれを描いた小説は人気がありますしね。ロミさんから聞く内容に加えて、リアルに感じる事で毎年パーティの後には筆がのるんです」


 フリージアはきょとんとしている。


「そういえばアリアは初めてなのよね。庭園ティーパーティっていうのは図書館の中庭で開催される貴族様のお茶会の事よ。伯爵家以上の家が持ち回りで主催者になるの。あぁ確か今年はバーデン家が主催だったかしら? それでルーカス様が図書館へいらしているのね」


 ミーナ先輩が説明してくれて助かった。


「そうね、確かに今年はバーデン家が主催だったはずだわ。すでに家に招待状が届いていたし。アリア、これはまたとないチャンスだね」

「え? あのいったいどういうことですか?」


 ロミ先輩は「そっか」と言って説明してくれる。


「すべての爵位のある家が招待されるから、庭園ティーパーティは盛大で華やかなんだけど、なにせ参加者が多くて大変なの。人手が足りなくなるから、毎年図書館の職員はお手伝いをしているのよ。まぁ生憎私は招待客の方なんだけど……。庭園じゃ壁がないから空気のように過ごすの困るのよね……」


 職員は手伝いということは、アリアも裏方として参加することになるのだろう。


「それって、皇帝陛下も来るのですか?」


 フリージアは尋ねた。


「ん~先代皇帝の時はよく来てたって話を聞いたことあるけど、少なくとも私が参加するようになってから、皇帝陛下は一度も見たことがないかなぁ。あっでもマスカレードの方は、皇帝主催だから、毎年陛下もいらっしゃるのよ」

「マスカレード?」


 いろいろな催しがあるのだな、とフリージアは思った。


「アリアは帝都に住むようになって間もないんだったっけ? えーと、マスカレードは、つまりは仮面舞踏会。年に一回、図書館の陽明館ようめいかんで皇帝主催で開催しているの。普段高位貴族になんて同等の爵位がないと話しかけられないでしょ? でも仮面をつけた舞踏会なら、招待状さえあれば身分を隠して参加ができるから高位貴族とも話しやすいのよ。もともとは様々な身分の人が皇帝に意見を伝えられる場として始まったらしいんだけど」


 ロミ先輩はわかりやすく丁寧に教えてくれた。

帝国図書館は、三個の建物で構成されている。本館、別館そして陽明館ようめいかん。三個の建物は庭園を囲むように建っていて、中心に位置する陽明はダンスホールがあり、催し物で使われていることが多い。普段の皇帝主催のパーティは宮殿で開催されているはずだが、招待状があればだれでも参加できるということで、セキュリティー強化のため、宮殿以外の場所を使っているのだろう。


仮面舞踏会マスカレード……。おもしろそうですね」


 月の国も貴族によるティーパーティや舞踏会は開催されていたが、マスカレードなんてものはなかった。身分を隠して参加するなんて聞いただけで胸が躍る。


「私も取材を兼ねて一度マスカレードに潜入してみたいのですがね。招待状をどうしたら入手できるのか、知りたいものです」

「招待状は、皇帝陛下が毎年送付先を決めているのよ。私も行ったことはないのだけど……あっでも、実際のところ、仮面をつけていても親しい相手にはすぐにばれちゃうみたいだよ」


 それじゃあ意味がないのではないか、とも思ったが、普段そうそう会うことのない人であれば仮面をつけてしまえば誰だかさっぱりわからないだろうから、広く意見を募る場所としては良い方法である。


 ミーナ先輩はポケットからから鏡を出して、おしろいをはたきはじめた。鏡はエメラルドグリーンのコンパクト型のもので、これはノア先輩が出版した小説で主人公が使っている鏡を商品化したものだ。ノア先輩がサンプルをみんなに配ったので四人でお揃いのものだ。


 そして、昨日フリージアが無くした鏡。


「ミーナ先輩、その鏡……」

「あらどうしたの? 貴方もノアから貰ったでしょ」

「先輩、お願いがあるんですけど……。その鏡しばらく貸してくれませんか?」


 ミーナ先輩はなんで? という顔をしたが、深くは追及せずに鏡を貸してくれた。




 そこに突然図書館の上位職員であり頭が少し寂しい男、男爵様が現れたので、全員一斉に口を閉じた。


 急に口をつぐんだ面々をみて、男爵様は不機嫌そうな態度を表しながらアリアの前まで来て、上から下まで品定めでもするかのようにまじまじと見ると、「子爵様がお呼びだ。執務室まで至急いけ」とだけ言ってまたどこかへ去ってしまった。


「ほんと感じ悪いわね」とミーナ先輩は言ったが、それが聞こえていたかどうかはわからない。


「アリアさん、子爵様からの呼び出しなんて、何かやらかしたのですか?」


 ノア先輩に聞かれたが、フリージアに思い当たることはない。


「思いつくことはないのですけど……でもとりあえず行って来ますね」


 フリージアは休憩室を出て子爵様の執務室へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る